生物における分子からシステムへの時間の矢
前頁までに、1)単細胞動物が餌や安全で心地よい居場所を求めて動き回るために生み出した、動力装置(鞭毛・繊毛)の構造と機能は、太古の昔から変わらず、我々ヒトの体内でも同じ様に働いている、2)多細胞動物になり、前核細胞生物時代に完成した自身に必要な蛋白質を合成する仕組みはそのまま使用し、新たに他の細胞とコニュニケーションするために必要な蛋白質を合成する仕組みを生み出し、細胞の中に2つの蛋白を合成する仕組みを持つに至った、そして、3)アメーバーのような巨大原始真核生物にミトコンドリアの祖先であるプロテオバクテリアが共生して誕生した真核細胞生物では、ATP合成の効率が格段に良くなると同時に、付随して発生するフリーラジカルに晒されて遺伝子や蛋白質などが変異を起こす事態にも直面することとなった。そこで細胞が集団を形成すると”個(細胞)”のATP消費量軽減に有効であることを会得し、更に積極的に(遺伝的に)細胞の中のATP合成量を少なくするための多細胞化を推進してきた、そしてこの細胞の中でのATP合成量を少なくする仕組みを改良することが多細胞動物の進化促進力(driving force)になった、こと等を記述してきました。例えてみれば、古い本館に別館・新館などを次々に増築して経営している老舗旅館のようなもので、従業員の数はそれ程増やさず(且つ一従業員負担も増やさず)一人でも多くの客に宿泊してもらう経営戦略(=生き残り戦略)のようなものであると言えます。生物には誕生以来そうしなければならない宿命があったということです。すでに獲得した仕組みの上にその時々の環境に無駄なく適応するためのチョットした工夫(仕組み)を重ね、それがあたかもなるべくしてなるように積み重ねることです。
このなるべくしてなることとは、そうすることが最も無駄が少ない自然な流れであるということです。理論的に言えば、非線形開放系(非平衡熱力学)でいう極小エントロピー生成のようなもです。そしてそれを推進するためには、生物における単純から複雑への時間の矢(=生物学的エントロピー)を明確に定義し、思考を展開することが有効な手段となるである、と思います。 9頁に述べましたが、目下エントロピーとし認知されているのは熱力学的エントロピーと情報エントロピーのみであります。そのことを踏まえると、既に確立されたエントロピーの概念を発展させて生物学に当てはめて生物学的エントロピーの概念を明確にすることであると言えます。
本頁では、生物学的エントロピーについて考える前に、上記1)2)3)について改めて整理し直したいと思います。
1)繊毛の構造は太古の昔から変わらないということ(概略は本HP2〜4頁に記述しました)。
繊毛の構造が変わらないということは、本HPの5頁(時間軸上における繊毛の意義)で述べたように、情報伝達機構(signal transduction system)も変わらないということです。図1は、動力装置としての繊毛の動きとその源であるダイニンのダイナミックスを可視化して纏めたものです。
左上)ゾウリムシの繊毛の動きゾウリムシが、風に揺れる穂波のように1,000本もの繊毛を協同させ、力強い繊毛波(metachronal wave)を生み出して泳ぐ様子を示すものです。
右上)ダイニン2量体が二足歩行で微小管Bを移動する様子を示す動画
微小管Aから突き出たダイニンが2量体を形成し、ATPをエネルギーを消費しながら、あたかも微小管Bをレールと見立て、その上を二本の足で歩く様子を示す動画です。(本HP3「ゾウリムシの動力装置」のその1の図8やHP4「動力装置と燃料の話・詳細編」の図5及び図6を参照下さい)。
左)ATPのリン酸化がダイニン2量体が繊毛を動かす仕組み
A)ダイニンのAAA1とAAA2の隙間にあるATPポケットの中にATPが入り込み、加水分解されると頭部リングが緩み、MTBDが前に突き出てて微小管Bの新たな部位に着地し、ADPとPiがATPポケットから飛び出ると、頭部リングが縮んで微小管Aを引き寄せる、この一連の動作が2量体で交互に行われて、微小管Aが手繰り寄せられる仕組み。(詳細は、本HP3「ゾウリムシの動力装置」のその1の図8やHP4「動力装置と燃料の話・4細編」の図5及び図6を参照下さい。)B)ダイニン2量体のMTDBが繊毛のー端(繊毛の根本)に向かって交互に移動(2足歩行)すると、微小管Bが蹴り出され、屈曲する。C)1本の繊毛の動き。
ゾウリムシの1本1本の繊毛には、微小管AとBのペアが「9+2軸糸」という筋肉と同じ構造で配置されています。微小管Aからは、沢山のダイニン2量体が微小管Bに向かって突き出ています。上の下左図で示すように、ダイニンのAAA1とAAA2にあるATPポケットにATPが出入りして脱リン酸化を繰り返す度に、ダイニン2量体のヘッド(MTBD)が微小管Bへの結合・解離を交互に繰り返してあたかもヒトが2本足で歩くように前に進み、その結果、尾部に繋がった微小管Aを引っ張ることになります。上左図の動画は、そのような仕組みを持つダイニン2量体を沢山内蔵している1,000本以上もの繊毛を協同(組織化)させ、丁度風に吹かれた稲穂が波を打つような力強い繊毛波を生み出して水中を漕ぎます。(詳しくは、本HPの3頁図5、図6、及びHP4頁図1,図2を参考してください)。繊毛波の発生の仕組みは、外液の粘性を介して一本一本の繊毛に将棋倒しのように伝搬されて発生すると考えられてしますが、膜の表面を電気的な変化(Ca2+や
図2。ゾウリムシ集団の行動(上)と2つの情報処理行動(下)
一方本HP5頁図1に示したように、ゾウリムシは、遊泳中に障害物に衝突したとき、一時後退しながら体の向きをかえ、上図に障害物を回避します。細胞の前部分に多く分布する繊毛の中に、衝突した時の物理信号を膜電位の脱分極という生物信号に変換する仕組みが備わっているからです。反対に後ろから天敵等に襲われると繊毛を速く打って一目散に逃げ出します。細胞の後部分に分布する繊毛の中に、天敵に襲われたときの物理信号(噛みつかれる、あるいは触られる)を膜電位の過分極という生物信号に変換する仕組みー情報をキャッチするセンサーー備わっているからです(図2)。
ゾウリムシは、自身の内部情報に基づき、時々刻々変化する環境からの情報をキャッチして、1日を旨くやり過ごします。こうしたゾウリムシの行動は、動物の行動の本質を示している、といえます(動物の行動はこのゾウリムシの行動に尽きていると言われています)。感覚器で情報を受理し、情報処理を行い、適切に動力装置を動かし、その時々に最適な行動を生み出す、と言うことです。ゾウリムシはそれらを1つの細胞で行っています。そしてその機能は、ヒトの脳や内蔵でそのまま機能しているということです。
図2。ゾウリムシ集団の行動(上)と2つの情報処理行動(下)
一方本HP5頁図1に示したように、ゾウリムシは、遊泳中に障害物に衝突したとき、一時後退しながら体の向きをかえ、上図に障害物を回避します。細胞の前部分に多く分布する繊毛の中に、衝突した時の物理信号を膜電位の脱分極という生物信号に変換する仕組みが備わっているからです。反対に後ろから天敵等に襲われると繊毛を速く打って一目散に逃げ出します。細胞の後部分に分布する繊毛の中に、天敵に襲われたときの物理信号(噛みつかれる、あるいは触られる)を膜電位の過分極という生物信号に変換する仕組みー情報をキャッチするセンサーー備わっているからです(図2)。
ゾウリムシは、自身の内部情報に基づき、時々刻々変化する環境からの情報をキャッチして、1日を旨くやり過ごします。こうしたゾウリムシの行動は、動物の行動の本質を示している、といえます(動物の行動はこのゾウリムシの行動に尽きていると言われています)。感覚器で情報を受理し、情報処理を行い、適切に動力装置を動かし、その時々に最適な行動を生み出す、と言うことです。ゾウリムシはそれらを1つの細胞で行っています。そしてその機能は、ヒトの脳や内蔵でそのまま機能しているということです。
図2。ゾウリムシ集団の行動(上)と2つの情報処理行動(下)
一方本HP5頁図1に示したように、ゾウリムシは、遊泳中に障害物に衝突したとき、一時後退しながら体の向きをかえ、上図に障害物を回避します。細胞の前部分に多く分布する繊毛の中に、衝突した時の物理信号を膜電位の脱分極という生物信号に変換する仕組みが備わっているからです。反対に後ろから天敵等に襲われると繊毛を速く打って一目散に逃げ出します。細胞の後部分に分布する繊毛の中に、天敵に襲われたときの物理信号(噛みつかれる、あるいは触られる)を膜電位の過分極という生物信号に変換する仕組みー情報をキャッチするセンサーー備わっているからです(図2)。
ゾウリムシは、自身の内部情報に基づき、時々刻々変化する環境からの情報をキャッチして、1日を旨くやり過ごします。こうしたゾウリムシの行動は、動物の行動の本質を示している、といえます(動物の行動はこのゾウリムシの行動に尽きていると言われています)。感覚器で情報を受理し、情報処理を行い、適切に動力装置を動かし、その時々に最適な行動を生み出す、と言うことです。ゾウリムシはそれらを1つの細胞で行っています。そしてその機能は、ヒトの脳や内蔵でそのまま機能しているということです。
左上)ヒト気管上皮細胞の繊毛の動き
(TIME LAPSE VISION INC: https://www.youtube.com/watch?v=vPp6ukhIRKo より)
右上)気管上衣細胞での繊毛運動の動画
学術情報センター提供。
左)齧歯類脳室の脳脊髄液の流れを生み出す繊毛
A)脳室の構造。B)マウス側脳室外壁を覆っている可動性繊毛を持つ上衣細胞の走査型電子顕微鏡写真。C)協同して動く上衣細胞の繊毛の拡大写真。D)側脳室外壁に隣接する脳室(Aに示す部位)の模式図)。近年の研究により、側脳室に面した上衣細胞の隙間からアストロサイト(神経系を構成する以外の細胞。新しい神経細胞を生み出す神経幹細胞。astronはギリシャ語で星の意味)から伸長している一次繊毛が脳脊髄の流れを生み出します(図をクリックすると大きな図で見ることができます)(脳科学辞典: https://bsd.neuroinf.jp/wiki/ファイル:Fig1-ependyma.jpgより)。
図3。 気管上皮の繊毛の動きと脳室上衣細胞における脳脊髄流を生み出す繊毛。
2)多細胞動物細胞内での蛋白質合成の仕組みには自身で使われる蛋白質を合成する仕組みと他の細胞に供給するための蛋白質を合成する2つ仕組みがある(本HPの9頁図6参照)、ということ。
原核細胞生物や単細胞生物と同じく、多細胞動物の細胞でも個々の細胞に必要な蛋白質は遊離型リボソームで合成されるますが、他の細胞と相互作用することが必要となった蛋白質は、粗面小胞体に固定されている膜固定型リボソームで合成されるという新しく出現した仕組みで合成されるようになりました(図3)。多細胞生物の細胞内には2つの蛋白質合成の仕組みがあるということです。膜に固定されているリボソームで合成する方が細胞質内でフラフラ浮遊しているリボソームよりも遥かに効率的です。このため多細胞動物の細胞は、複雑な内膜構造となり、巨大化しました。
こうした膜固定型リボソーム合成系が細胞に追加されたこと及び図4に示すようなリガンド-による細胞間情報ネットワークが発達したこと、などが多細胞動物の誕生を促進しました。現在多細胞動物の最も古い祖先はカイメンであると言われています。単細胞の立襟鞭毛虫とカイメンの中の襟細胞とが良く似ており、また立襟鞭毛虫は多細胞動物にしかない筈と思われていた接着蛋白質カドヘリンを合成するからです(後日、立襟鞭毛虫の群体からカイメンが誕生した過程について私の思いを述べてみたいと思います)。
初期の頃のリガンド-受容体ペアによる細胞間相互作用は、リガンドが外液に放出され拡散しながら(運良く?)標的細胞に届けられるというのんびりしたものでした。やがて、リガンドを分泌する細胞とその標的細胞の間に、ゾウリムシのような活動電位(膜電位の変化=電気現象)を発生させて桁違いに早く情報を伝達する細胞が入り込みました。神経細胞の登場です。神経が最初に現れたのは、クラゲ、イソギンチャク、などの刺胞動物になってからです(これ等の事情に関する思いを簡単に下のコラムに纏めておきます)。
神経系の進化に対するある思い
カイメンでは、上皮と体の内部に存在する襟細胞同士が、リガンド-受容体ペアを介して協同し、鞭毛打の位相を揃えて効率よく新鮮な海水を体内に送り込んでいます(下図左)。また離れた細胞間でもリガンドを介した相互作用を行い、多数の分化した細胞が役割を分担して全体として調和がとれた生命活動を営んでいます(右図上)。体の表面が外皮で包まれているため無闇にリガンドが大海に拡散してしまうことはなく、比較的効率よく情報交換が行われます。
図4.原核細胞・ゾウリムシ・真核細胞の模式図及び最新の真核細胞のイメージ
左)原核細胞・ゾウリムシ及び一般的な多細胞動物の細胞の模式図。原核細胞及びゾウリムシ等の単細胞生物には遊離型リボソームしかありません。多細胞動物の細胞には遊離型リボソームの他に粗面小胞体膜に固定された膜固定型リボソームがあります(そのため、多細胞動物の細胞は原核細胞よりも1,000倍程も大きくなりました。但し、真核単細胞動物にはゾウリムシのように巨大化したものがあります。ゾウリムシは長軸方向で0.3mm程もあります。上図は実寸を比較するものではありません)。膜固定型リボソームで合成された蛋白質は、小胞膜内部に蓄えられて輸送小胞となってゴルジ体に運び込まれ、そこで相互作用相手の標的細胞にある受容体が認識できるように糖鎖(荷札)が付加されて(修飾されて)リガンド(ligand)となり、分泌小胞に蓄えられます。必要になった時に細胞の外に放出(分泌)されます。(原核細胞の図:Microscope Master Procaryotes vs Eucaryotesより。ゾウリムシの図:奈良教育大学・石田純一教授より。真核細胞の図:Pearson Education Inc. 2012より。)右)細胞小器官の構造と合成された蛋白質の細胞内輸送の模式図。遊離型リボソームで合成された蛋白質は細胞の中の核やミトコンドリア等の細胞内小器官に運ばれて自身の細胞の中で使用され、膜固定型リボソーム合成された蛋白質は、輸送小胞→ゴルジ体(修飾)→分泌小胞、の経路をたどって貯蔵され、他の特定臓器の細胞とコミュニケーションが必要になった時に細胞の外に放出(分泌)されます。標的細胞の受容体に結合すると、その細胞での必要な蛋白質の合成を促します。(林純一、ミトコンドリア・ミステリー、ブルーバックス、2016年、講談社より。)
図5。ヒト体内のリガンド-受容体ペアネットワークの概念図
ヒトの体内のリガンド-受容体ペア(細胞間相互作用)を矢印で表現したものです。矢印上の数字は、シグナルを送るペアの数。矢印が自身の細胞系列に戻っているのは自己分泌を意味します。細胞間相互作用は、個体発生初期には細胞の分化や運命決定に関与し、生体になっては、免疫、成長、体全体の恒常性などに重要な役割をはたすようになります。神経ネットワークよりも早く獲得された、蛋白質をやり取りするネットワークです。2015年、理化学研究所プレスリリース(http://www.riken.jp/pr/press/2015/20150727_2/)より。
クラゲやヒドラなどの刺胞動物になって、分泌細胞から標的細胞間で電気現象を活用して素早く情報を伝達する神経細胞が登場しました。分泌細胞(情報の送り手)から神経細胞との間隙(シナプス)に特定のリガンド(神経伝達物質:アセチルコリンやアドレナリンなど)が放出され、神経細胞の受容体に結合すると活動電位が発生し(化学シグナル→電気シグナル変換)、それが神経細胞表面を伝搬して末端に到達すると、標的細胞(シナプス後細胞)との間のシナプスに神経伝達物質が放出され(電気シグナル→化学シグナル変換)、標的細胞での蛋白質合成が促進されるという電気現象を利用した情報伝達法です(シナプスではリガンドー受容体ペアによる情報伝達の仕組みが利用されているということになります。右図下参照)。このような機能を持った神経細胞が網目のように連なって散在神経系が出来上がりました。ヒドラは、神経で触手を操り、動きの速いプランクトンや稚魚などを捕食することができるようになりました(カイメンは襟細胞と体内部にある食細胞とで海水を濾過して浮遊している食物を摂食します)。
神経細胞登場過程の仮想図
A)カイメンの構造。@2001 Brooks/Cole-Thomson Learning (http://siera104.com/bio/porifera.html)より改変。B上)リガンドー受容体ペア。多細胞動物に最初に採用された細胞間情報伝達の仕組み。分泌細胞から放出されたリガンドが標的細胞の受容体に結合し、標的細胞での蛋白質合成を促進します。また隣り合った襟細胞同士では、リガンドを介した直接的な相互作用を行っています。分泌細胞・標的細胞:看護roo!、シナプス伝達、より改変。B下)神経細胞の登場の想像図。分泌細胞と標的細胞の間に、電気信号を発生する機能を持つ細胞が連結し、分泌細胞からその細胞との隙間(シナプス)に放出されたリガンド(神経伝達物質)が細胞の受容体に結合すると、活動電位が発生する(ゾウリムシの走化性のように。襟細胞も鞭毛を制御する限り活動電位を発生させる機能は持っている筈ですが、しっかりした機能として確立されたのは刺胞動物になってからであると考えられます)。発生した活動電位が末端に到達すると標的細胞とのシナプスに神経伝達物質が放出され、標的細胞の受容体に結合すると必要な蛋白質の合成が促進される。こうした電気現象を活用して素早く情報を伝達する仕組みを確立した細胞が神経細胞になった、という訳です。ゾウリムシのイト:http://www.dersnotlariniz.com/destek-ve-hareket-sistemleri/より改変。
神経系の種類
神経による筋収縮の指令ニューロン(http://WWW.tmd.ac.jp)より。
プラナリア等の扁平動物門になると、体側に2本の神経が並行し、途中の軸索から末梢神経が分枝するかご形神経系になりました。神経系の末端で前後の認識ができるようになり、繊毛と筋肉との協同的な滑走で前に移動することができるようになりしました。そして移動によって先端が最も刺激を受けるため、先端に感覚細胞と神経が集中して原始的な脳・神経節が形成されました。 ミミズなどの環形動物やバッタなどの節足動物になると、縦の神経索二本が一定間隔で神経節が配置され、そこから横に神経を伸ばす、はしご形神経系が出現しました。各神経節には手や足などの動きを制御する統合機能が備わり、それらを更に上位の脳が統合して全体で賢い(効率良い)運動ができるようになりました。
脊椎動物では、脳と脊髄とが体の前後軸に沿って延びる中空(腔)の管の中に収まるようになり、脳では脳室から脊髄では中心管から、神経が樹状に分布する管状神経系が出現しました。腔の中心部では柔軟に形を変えることができるため、脳が大きくなることができるようになり、ヒトの脳の進化へと突き進むことになりました。
コラムに述べたことから、神経系の多様性は、神経細胞の組み合わせ、即ち神経系のネットワーク(=システム)の変化によることが大きいといえます。言い換えれば、カドヘリンが多細胞動物誕生の鍵となったように、鍵となる蛋白の出現が切っ掛けとなって神経ネットワークのあり方が可塑的(ダイナミカル)に変化した、ということです。
神経細胞の登場は、分化した機能を持つ細胞集団が協同し合いって集団が恒常性(ホメオスタシス)を維持し、また時々刻々変化する環境に素早く反応し、個体全体を一個の完結したシステムとして効率よく統合することを可能にしました。細胞がバラバラに生きるよりも、役割を分担し合った有機的な集合状態で生きる方が、環境に適応する上でも、生存競争の上でも、有利であることに間違いありません。しかし多細胞動物になっても、個々の細胞自身が生きる上で必要な蛋白質の合成は前核細胞時代に完成した仕組みをそのまま活用しています。他の細胞と相互作用する上で必要な蛋白質を合成するための仕組みは、多細胞動物になって個々の細胞の中に新たに追加された、ということです(その最初の仕組みはカイメンの襟細胞の細胞同士を接着するカドヘリンであったと考えられます。これに対して同じ真核細胞であるゾウリムシは、他の細胞と相互作用する上で必要な蛋白質合成系は持たず、従って多細胞化することなく、繊毛虫として独自に進化したと考えられます。この襟細胞が多細胞動物カイメンになってゆくこととゾウリムシが原生動物としての道へと進んだこととについて、後日あらためて述べてみたいと思います)。
ヒトとチンパンジーの遺伝子の違いは1%にも満たないと言われております。使用している蛋白質はほぼ同じでも、ヒトとチンパンジーでは構築されるシステム(特に脳)に格段の違いがある、ということです。このことから、基本的な蛋白質合成の仕組みは前核細胞の時代のほぼ完成し、多細胞動物になってからはシステムとしての質を磨き上げることが進化の主流となった、ということが想像されます。即ち、動物のボディープランの進化は、多数の細胞が効率よく協同し合い且つ完全な一個の個体として統合して最も無駄が少ないシステムを構築すること[即ち、システムの完全性(Integrity)を追い求めること]に向かって進んでいった、という訳です。
上記2つのことから、生物は、進化する度にすべてのものを新しく作り変えたのではなく、今まで獲得した機能はそのまま利用し、その上に新しく獲得したものを積み重ね、時間軸上でその作業を繰り返してなるべくしてなってきた、といえます。このことを生物の個体レベルでいえば、生きているということは体内で太古の昔から現在までの時間軸上を行ったり来たりすることである、ということです。そしてその根底にあるのが本HPの主題である生物学的エントロピーの極小生成であるということです(それについては次頁から本格的に説明していきます)。
3)真核細胞生物は、原始真核細胞とミトコンドリアとの共生で誕生したことで身を滅ぼすフリーラジカルに晒される宿命を負った、ということについて。
生物は必要な原材料があればあるだけドンドン増え続けます。しかし増え続ければ、やがて必要な原材料が枯渇することになります。原始真核細胞とミトコンドリアとが共生して真核細胞が誕生した背景には、そのよう生きる上で必要な材料が枯渇し始めていたことがあります(前頁で述べたように、シアノバクテリアが作り出した有害な酸素から逃れるために共生を促進させる背景もありました)。単細胞生物が個々バラバラに生きるよりも集団を作って生る方が、天敵に対しても、酸素・温度など細胞を取り巻く環境から言っても有利です。しかも単なる細胞集団ではなく、カイメンの(本HP5頁で述べた)ように体の中の細胞が役割分担(=分化)し且つそれらが有機的に相互作用し合って(integrativeに)生きるほうが遥かに有利です。こうしてリガンド-受容体ペアによるネットワークを駆使して(また磨きを掛けながら)、多細胞生物への進化が始まりました。それには、個々の細胞のエネルギー源であるATPがミトコンドリアから豊富に供給できるようになった、ということが大きく作用しました。しかしそれは同時に、絶えず身を滅ぼすフリーラジカルに晒さらされる、ということにもなりました。酸素対策の場合と同様に、有効な対策を講じなければ滅んでしまいます。常に有効な対策を講じ続けなければならない、即ち、進化し続けなければならないことが多細胞真核細胞生物の宿命となった、という訳です。
近年、このようなー豊富にエネルギーを供給することが身を滅ぼすフリーがジカルの源であるという、二律相反することの源であるミトコンドリアの姿は、従来我々が学んできたものからは大幅な変貌を遂げました。
まず形態です。最近までのミトコンドリアイに対するメージは、米粒のようなものの中にクリステと言われるヒダのようなものが折れたたまれている図5Aのようなものでした。登場して間もない顕微鏡で観察されて以来、その時のイメージがそのまま教科書や専門書に描かれ続けてきたからです。しかし、昨年度(2017年)のノーベル化学賞の受賞となったクライオ電子顕微鏡[氷結した生体試料を様々な角度から電子線を照射して得られた2次元画像をコンピューターで3D画像に再構成する、コンピュータートモグラフィ(Computed Tomography =CT)技術を使った電子線顕微鏡]や蛍光顕微鏡[生きている細胞を蛍光色素で染色し、特定の波長の光(励起光)で照射すると励起光よりも波長の長い蛍光を放射する、蛋白質(蛍光蛋白質)を観察する顕微鏡]が登場し、且つ生きたままの試料の立体画像を見ることが出来るようになって、そんなイメージは一変しました。ミトコンドリアを蛍光顕微鏡で観察すると、図5Bのように、細胞の中に網目状に張りめぐらされていることが明らかとなりました。従来のイメージは、メトロノームで薄くスライスした2次元試料を観察したために、(網目状のミトコンドリアの)一部分がカットされた断面図がミトコンドリアの姿であると認識され、そのまま広く普及してしまったという訳です。また蛍光顕微鏡を使って生きたミトコンドリアを観察すると、到るところで分裂したり融合したり、絶え間なく形を変化させている、ことが明らかとなりました。
図6。最新のミトコンドリアイメージ。
A)今まで広く思い込まれてきたミトコンドリアの形態のイメージ(上左)とその由来。本来は糸状になっているミトコンドリアを含む試料を固定・脱水・樹脂包埋し、薄くスライスして撮影した電子顕微鏡像(上左図:Mitochondria Ninjaより改変・合成。上右図:自宅で学ぶ高校生物-生物基礎・生物(manabu-biology.com.pxm)より改変。下図:第一学習社高等学校生物より)。B)ヒト肺上皮悪性腫瘍細胞のミトコンドリア蛍光顕微鏡像。糸状のミトコンドリア核を取り囲み、そこからネットワーク状に細胞内に広がっています。蛍光顕微鏡では融合したり分裂したりしているのが見えます。(Nikon MicroscopyU The Souce for Microscopy Educationより)。C)クライオ電子顕微鏡や蛍光顕微鏡で得られた3D再構成像を基に描かれたミトコンドリアのイメージ(Newton、2012、12号より)。
我が国のミトコンドリア研究の第一人者の一人である林純一氏は、呼吸活性を欠損した細胞と正常な細胞とを培養液中に混在させると、呼吸活性を欠損した細胞のミトコンドリアは(相互作用を通して)正常な呼吸を回復する、ことを発見しました。このことから、千切れたミトコンドリアの断片でも常に正常なmtDNAを持つことになり、細胞内のミトコンドリアはすべて同じ仕組みで呼吸活動を営んでいる、ということになります。林氏は、ミトコンドリアは動的に連続した存在であり、機能的には同じ細胞の中に連続したミトコンドリアが1つ存在しているに過ぎない、と考えておられます(ミトコンドリアミステリー、講談社)。今までの教科書では細胞内のミトコンドリアは数百から千個ほどあると書いてありましたが、別々のものとして数を数えることは意味がないということです。そのことを支持するもう一つの事実として、受精直後に精子のミトコンドリア(=父性ミトコンドリア)は卵子の中で分解されてしまい、父性ミトコンドリアは決して子孫には伝わらない、と言うことがあります(図6)。体細胞では常に母性ミトコンドリアしか継承されないということです。ただし何故母性ミトコンドリアだけなのかは未だミステリーとのことです。一つの可能性として、生きてゆく上で不可欠な材料が次第に枯渇するようになって、原始真核細胞とミトコンドリアの祖先が共生(一人より二人のほうが効率良く生きられる)を始めて以来、次第に核よりもエネルギーを供給するミトコンドリアのほうが細胞の支配者になっていった(細胞の中で主役になった)、ということが考えられます。丁度、人が大型コンピューターを操って様々なことを制御するように、ミトコンドリアが、核内の遺伝子を操って自分が提供するATPを効率よく使用してもらうように、細胞の生理機能を制御するようになった、と言うことです。複数の異なるエネルギー供給・制御系が存在すれば、エネルギー供給や制御に混乱が生じ、当然不具合(=無駄)が増えるからです。
図7。受精卵で父性ミトコンドリアは分解される。
受精直後に卵子に入った父性ミトコンドリア(鞭毛の付け根に巻き付くように存在している)は、卵子のオートファジーで分解されてしまい、子孫には伝わらない。(群大生体調節研究所:細胞構造分野:http://traffic.dept.med.gunma-u.ac.jp/reserch7.htmlより。)
図6Bの蛍光顕微鏡で観察したミトコンドリアの写真を見ると、まるで糸が絡まっているように、ミトコンドリアが核の周りに纏まりついているように見えます。核は細胞の中で最も多くのATPを必要としている部位です。近寄って素早く大量のATPを核に供給しているという訳です。しかし同時に核は、ATP合成にともなって必ず合成される危険な活性酸素種にも近距離で晒される、ということになります。これは真核細胞生物が誕生して以来避けることのできない宿命という訳です。そのため真核細胞生物は、DNAが損傷した場合はそれを修復するDNA修復機構を進化させてきましたます。下の枠に簡単なDNA修復機構について纏めておきます。
DNA修復機構についての簡単な纏め
DNA修復機構は遺伝情報のコード化として核酸を使用するようになった頃から発展し始めました。大気中に酸素が増加し始めた頃です。真核細胞生物が誕生して、ミトコンドリアからATPが高効率で供給されるようになったことに伴って、更に毒性が強い活性酸素(スーパーオキサイド)も流出するようになり、DNA修復機構に磨きを掛けることが必須となりました。本HPの1頁「はじめに」で、生物の進化史上特異的なカンブリア爆発とDNA修復機構との関係について私見を述ました。カンブリア爆発とは、分化した(化石として残るような)動物が出始めた5億4200万年前から5億3000万年前の1000年という地球の歴史から見ると極めて短い間のカンブリア紀に、今日見られる動物の門(=ボディプラン)の大半が突如出そろった現象です。この頃遺伝子修復機構が未完成だったため、DNAに突然変異が起り易く様々な奇想天外な動物が出現しました。その中から淘汰の波に揉まれながら生き残った動物群が今日見られる門の祖先となる栄誉を手にすることができました。カンブリア紀以降は修復機構が完成したため突然変異は起こり難くなったからです。カンブリア紀以降で進化できたのは唯一「苔虫動物門」だけです。DNAは有機分子なので、紫外線や活性酸素などの化学物質に攻撃や複製ミス等によって、例えば37兆個の細胞で組み立てられているヒトの体内では1日に数百万回もの損傷が起こっていると言われています。しかしそれらは殆どが修復されてしまいます。それぐらい修復機構の完成度は高いといえます[修復されない場合もあります。ガン化して総体に広がって個体が死に至る場合と細胞が自ら死を選んで(=アポトーシス)個体を守る場合とがあります]。
2015年に米国の3氏に「細胞内のDNA修復機構の解明」でノーベル化学賞が授与されました。DNA修復機構に関する基礎的研究成果なので記述しておきます。トーマス・リンダール博士(フルンシス・クリック研究所・名誉教授)は、自然にDNAのシトシンが脱落した部位を感知し、酵素(ウラシル-DNAグリコシラーゼ)が欠損部位を修復する塩基除去修復機構(下図左)を解明しました。アジス・サンカー博士(ノースカロライナ大学・教授)は、紫外線によって損傷を起こした部分を挟むようにDNAの2箇所を切断・除去し、その間の12〜13個のヌクレオチドをまるごと交換するヌクレオチド除去修復機構(下図中央)を解明しました。ポールモドリッチ(デューク大学・教授)は、遺伝子を複製する際に生じる塩基の種類の間違い(ミスマッチ)部分を発見し、ミスマッチ塩基対を切り出し、元のDNAの正しい塩基配列をコピーし直したパーツを切り出した部分につなげて修理する、ミスマッチ修復機構を明らかにしました〔遺伝子修復に関するさらに詳しいことは、Wikipedia: http://www.nikkyoko.net /nobel/chemical2015.pdf 及び https://www.chemstation.com/blog/2015/10/ nobel2015DNA.html等を御覧ください〕。