ゾウリムシの動力装置
動力装置と燃料の話・基礎編
- ATPと蛋白質の電子状態の関係を理解するための基礎知識編 -
前回の「ゾウリムシの動力装置」のページで、ダイニンは、自身がATPを加水分解(脱リン酸化)し、その際に放出されるエネルギーを消費して動力を発生させる酵素である、と記述しました。ATPの加水分解と酵素蛋白に関しては多くの教科書に、ATPが蛋白質に結合すると図1に示す加水分解反応「ATP+H20→ADP+Pi」が起こり、その時に放出される30.5kJ/mol (=7.3kcal/mol) ものエネルギーが様々な蛋白質の機能発揮のエネルギー源である、ATPはいわば生命活動の貨幣のようなものである、と記述されております。
図1。ATP加水分解反応の模式図
ATPは、単糖類の一種であるリボースにリン酸基が結合し、さらにリン酸が2分子連続してリン酸無水結合をした構造になっています。このリン酸無水結合部分は、2つのO-が静電的に反発し合うため基本的には不安定で、ダイニン等の加水分解酵素が作用すると容易に切断されます。その時、ADPとPiの結合エネルギー(30.5kJ/mol)が放出されます。ATPが結合し加水分解反応が共役すると、単独では起こりにくい様々な蛋白質の構造変化を促進させるため、このADPとPiの結合のことを「高エネルギーリン酸結合」と呼びます。α、β、及びγはリン酸の位置を示します。生体中では水分子と結合し安定な加水分解型(後ほど詳しく説明します)になります。山形大学工学応用生命システム工学科羽鳥晋由及び生命科学教育画像集、ATPおよびNADHの構造式と反応より改変。
私が目にしてきた教科書では、ATPと蛋白質の関係について上記のような記述だけのものが多く、その先のATPが生命活動の貨幣であると言われることの具体的な意味を詳しく解説したものは殆どありませんでした。私自身も、上記したATPが蛋白質の機能を発現させる仕組みを良く理解しないまま、研究を続けて参りました(研究には何ら差し障りはなかったと思いたいのですが)。
近年、東京大学大学院医学研究科の廣川信隆氏等のグループを中心として、新たに合成され蛋白質をミセルに包み込んで(丁度背中に風呂敷包みを背負うような格好で)細胞内の必要な部位に運搬する「運び屋」と言われるモーター蛋白質、キネシン(モーター部分の構造はダイニンとほぼ同じです)の、ATPポケット内でATPの加水分解で機能が発現する詳しい仕組みが、続々と明らかにされてきました(Nat. Struct Mol. Biol., 15(10), 2008, に掲載されている図をもとに、本HPの趣旨に合うように改変しました。詳しいことは、廣川研究室のweb頁:http://cb.m.u-tokyo.ac. jp 及び高エネルギー加速器研究機構ニュース: www2.kek.jp/ ja/newskek/2004/ julaug/KIF1A.html等をご覧下さい)。そこで、詳細なダイナミックスが解明されているキネシンがATP加水分解で解離した無機Piによって機能が発現する過程を、「ATPが生命活動の貨幣である」と言われることの意味を実感できるような、詳細な(=あたかも目の前で起こっているように想像が出来るような)記述を試みたいと思います。
記述の骨格は、①ATPの加水分解でADPと無機リン酸(Pi)に解離し、②解離したPiによって蛋白質の電子状態が変化し、③蛋白質内の遠く離れた活性部位に素速く伝搬されて活性部位と基質との相互作用が変化し、④生命活動の源である蛋白質の機能が発現する、⑤これら一連の変化には、30.5kJ/molのエネルギーの放出が伴う加水分解反応がワンセットになっている、と言うことです。それ故ATPが生命活動の貨幣であると言われる訳です。
それには、2〜3の物理化学的基礎知識が必要であると思いますので、それらを纏めておくことから始めます。
分子を作る共有結合と電子状態
まず始めに、原子(や原子団)が集合して分子を形作る際の要となる電子の共有結合について、図2に示す2つの水素原子から水素分子が合成される場合を例にとって、説明したいと思います。
水素原子では、陽子1つで構成されている核(電荷は“+1” )の周りを1つの電子(電荷は“‐1” )が動き回っています。水素原子同士が核同士の反発する力(バリアー)に打ち勝って接近すると、双方の電子が双方の核に引き寄せられるようになり、この力と核同士が反発する力とが釣り合ったところで水素分子となります。このように、原子群が電子を共有し合って分子を作ることを共有結合と言います。水素分子では、2つの電子が2つの陽子(核)と相互作用をしながら動き回るようになり、正の電荷を持つ核(引力)と負の電荷を持つ電子(反発力)との間のバランスで分子(水素分子)が保たれます。電子を引きつける力は核の種類によって異なります。例えば、図2右で示す水分子の場合、酸素が電子を引きつける力が大きいので-0.82だけ電子の偏りが大きく(酸素の原子核に引きつけられて存在する電子の確率が大きい。後ほどその理由を説明します)、その分水素では少なくなり+0.41となります(トータルで0)。
図では、電子が動き回る軌道は円をつなぎ合わせて記入していますが、電子が存在する最も高い確率である(=確率分布が最も高い)と推定されるという意味です。実際には電子がどこを回っているかを厳密に記述することはできません(量子力学の不確定性原理より)。
図2。 水素分子と水分子にみる共有結合
左)水素分子に見る共有結合。2つの水素原子が、核(=陽子)同士が反発する力(バリアー)に打ち勝って近づき、2つの電子が2つの核と共有されて核の周りを回るようになると、水素分子になります。新たに分子となった2つの陽子の回りを動き回る電子が通る道を分子軌道と言います。
右)水分子の共有結合の様子。2つの水素原子が1つの酸素と電子を共有して水分子が形成されます。酸素は電子を引き付ける力が大きいので、酸素側に電子が存在する確率が大きくなります(その訳は、後で説明します)。
図3。リゾチームの電子密度
リゾチームの原子骨格の外側を動き回る電子の軌道(確率が最も高いと推定される)がメッシュで表されています(スティックモデル)。青色は窒素、赤色は酸素、灰色は炭素、そして黄色は硫黄の原子を表します。リゾチームの活性ポケットにあるグルコースとアスパラギン残基が活性部位となって、ポケットに入り込んだ細菌の細胞壁中の多糖類のβ-1,4結合と言われる部分を加水分解で切断し、細菌の細胞壁を溶かすと考えられています。あたかも細菌を溶かしているように見えることから溶菌酵素とも呼ばれています。ヒトでは、涙や鼻汁、母乳などに含まれています。理化学研究所・放射光科学総合研究センター・X線自由電子レーザーを使って得られた、回折データを駆使した連続フェムト秒(10-15秒)結晶解析で得られたものです。http://resou.osaka-u.ac.jp/ja/ research/2014/ 20141111_1 より。リゾチームの活性ポケットについては、下記をご参考下さい。 http://d.hatena.ne.jp/usausa1975/touch/searchdiary?word=*%5B%B7%F2%B9%AF%5D&of =10
酵素の反応効率を高めるATPポケット
ATPによる酵素蛋白質の機能発現の効率を高める仕組みの一例として、グルコースリン酸化酵素(蛋白質)であるヘキソキナーゼ(古細菌にある古い型のヘキソキナーゼ)の場合について見てみましょう。図4に示すように、このヘキソキナーゼの中には、ATPと基質(酵素によって化学反応を触媒される物質)のみが入れるATPポケットがあります。ポケットに入り込んだATPは、アデニン・リボース部分も含み、酵素と共有結合してポケット内にしっかりと固定されます。すると酵素(ヘキソキナーゼ自身)の作用を受けてATPは加水分解を起こして開裂し、蛋白質+ADP+Piの状態になります。開裂した無機Piは、ポケットに入り込んでいる基質(この場合はグルコース)をリン酸化します。この反応がATPポケットの狭い空間で行われるため、無機Piと基質との衝突確率が高くなり、酵素反応の効率が桁違いに高くなります(ヘキソキナーゼがない状態でATPが溶液中でグルコースをリン酸化する場合と比較すると、ヘキソキナーゼがある場合は約10万倍も効率が良くなるとのことです)。この反応が進行中は、水分子がマグネシウムに吸い寄せられてMg-water cap(図4を参照下さい)が形成され、反応が完結する前にADPがポケットから遊離しにようにしています。反応が完結する前に新たなATPが入り込んで無駄な反応が進行してしまわないためです。基質のリン酸化が完結すると、酵素の電子状態が変わり、それが合図となってMg-water capが解消されます。するとATPポケットからリン酸化された基質及びADPが流出し、代わって新しいATPと基質がポケットに入って次の反応が始まります。これが、酵素反応が効率良く行われる仕組みの一つです(後述する細胞内の運び屋といわれるキネシンでは、ATPポケット内のアミノ酸群で扉のような構造が形成されて、さらに無機Piと基質をしっかりと閉じ込めて、反応効率を高めているとのことです。後ほど詳しく記述します)。
上述したような、ATP加水分解で蛋白質が構造変化を起こす際のダイナミックスが明らかになったのは、ごく最近のことです。基質のリン酸化で肝心なことは、脱リン酸化で遊離したPiによって基質の電子状態が大幅に変化する、と言うことです。基質の骨格をなす原子間で電子の共有結合が変わると、その度に基質の構造が変化し、特に基質が酵素である場合は、その度に酵素の構造も変わり、それに伴って酵素の機能が発現したり停止したりします。生物が生きていると言うことには酵素反応が不可欠です。それにはATPの加水分解が必ず伴います。理論的に、ATPのPi が解離する際の収支式、ATP + H2O → ADP + Pi、から、脱リン酸の前後で30.5kJ/molのエネルギー差が計算されるために、反応時のダイナミックスの詳細は分からないまま、蛋白質の機能発現には30.5kJ/molもの高いエネルギーが消費される、と暗黙に了解されてきたと言えます(1942年にLipmanとH. Kalckarが「ATPは生命活動の貨幣のようなものである」と提唱して以来のことです)。ATPは水が沢山ある生体の中にあり、Mgや水との水和の取り扱いが一筋縄には行かないことにあるからです。[個人的には、長い間ATPの高エネルギー反応についての具体的なイメージが湧かないまま過ごして来ました(それでも研究には何ら障害にはなりませんでしたが。誰もがそうでしょう。近年、キネシン(モーター部分はダイニンと全く同じです)で、ATPとキネシンの相互作用の仕組みが明らかになってきました。この仕組みにATPとの相互作用で起こる蛋白質の電子状態の変動とを組み合わせれば、目をつぶったときにあたかも目の前で起こっているようにダイニンの動力学が理解できるようになる気がします。後ほど詳しく試してみたいと思います。]
図4。酵素のATPポケット内で行われる基質のリン酸化の様子
ヘキソキナーゼの一種である超好熱性古細菌スルフォロバスのグルコースリン酸化酵素(アミノ酸が数珠つながりになった鎖がリボン形式で表示されています)のATPポケット内で、ATP のγリン酸基(Pi)がグルコースの炭素原子の水酸基に転移(Glc-OH + ATP ⇔ Glc-O-P + ADP)される様子を示します。ATPの3つのリン酸(α、β、γ)は橙色、アデニン及びリボース部位は主に黄色で描かれています。β及びγリン酸に結合しているMg2+は赤紫で、水分子は薄水色で描かれています。Mg2+に結合した水分子はMg-water capの一部です。ATPがADPとPiに開裂した後、ADPがポケットから容易に出て行かないようにしています(Mg-water cap については、http://www2.kek.jp/ja/newskek /2009/julaug/KIF1A2.htmlをご覧下さい)。緑の点線は、ATPのγリン酸とMg2+に結合する水分子及び蛋白質との相互作用を示します。高エネルギー加速器研究機構ニュース、原始生命の反応を探る、西増弘志等 (http://www2.kek.jp/ja/ newskek/2007/julaug /Hexokinase.html)より一部改変。このweb siteには、ATP及びグルコースの結合によって蛋白質の構造が変化する動画が掲載されています(http://enzyme13.bt.a.u-tokyo.ac.jp/sthk_bind.htmlもご参考下さい )。
ATPの立役者は酸素の不対電子
ここで、様々な生化学反応でのATPの貨幣としての役割を理解する上で肝心な、ATPの加水分解が蛋白質の電子状態に影響を与える上での重要な特徴について説明したいと思います。図5Aに、ATPの最も外側の軌道を動き回る電子の分布の計算結果を示します(この最外殻軌道を動き回る電子は、化学反応を起こす相手の分子に最初に遭遇するため、最も反応性に富んだ電子で、1981年にノーベル賞を受賞した福井謙一博士がフロンティア電子と名付けました)。ここで注目すべきことは、リン(P)と隣り合う酸素(O)の電子分布が“+”になっていると言うことです。これは両方のPが、O内の分子軌道には参加しない孤立電子対(図5緑枠内の2つのPで挟まれたOの上と下に ¨ で示した電子対です。その下の図に、水分子を形成する酸素の孤立電子対を示しておきます。Oの相手がHではなくPでもほぼ同じ構造です)の電子を引っ張るためです。そのため PとOとが互いに引き合う力が強くなり、 Pi は簡単には分離しないと言うことになります。ところが、Pと結合している外側のOがPから電子を吸い寄せるため、外側のOは一層強く負の電荷を帯びるようになります。そのため外側のO同士が互いに反発する力が強くなり、Pi 同士が解離しようとする性質が強くなります。つまりATPは、簡単には解離しないということと解離し易いという、2つの相反する性質を持っていることになります。このため、蛋白質に結合したATPに加水分解酵素(ダイニン蛋白質自体が加水分解酵素です)の助けを借りる(=解離し難くしている性質を取り除く)と、ATPは“急速”に ADPとPiとに開裂します。γ-Piとβ-Piの外側のO-にはMg2+が結合していて、2つのPiの解離を調節する役割も果たしているようです(このMg2+は周りに沢山の水分子を引き連れてMg-water capを形成しています。)。
図5Bに、加水分解でADPと解離した Pi は、[PO4] 4-とH+とに分かれることを示しておきます。[PO4] 4-ではH+は特定の酸素とのみに会合するのではなく4つの酸素と等価に会合する状態になっている、ことを示すものです。この状態は共鳴安定化と言われています。共鳴安定化した[PO4] 4-は、電子を奪う力が強いO-を4つもむき出しの状態で持っていると言うことになります。そのためATPが結合した蛋白質の電子群がこの4つの O- に吸い寄せられて蛋白質の電子分布に大きな変化を起こり、蛋白質が特異的な部位で(ガッタと)構造が変化します。これが、蛋白質の機能が発現したり、逆に停止したり、することの源です。
図5。ATPのPiの電荷分布図とH+の共鳴安定化
(A) Hückel法の分子軌道計算で求めたATP構成原子の電荷分布の値(永田親義、化学と生物、Vol. 12(4), P259-262 (1974)より)。計算は、真空中の1分子のリン酸基が真っ直ぐに伸びた状態(トランス型)で計算されたものです。生体中でタンパク質と結合している実際の状態では、ATPは様々な構造をしています。また計算方法によっても分布の値は異なります。ここに示したのは、Piの電荷分布の大まかな性質を理解する上での目安とするものです。図1で示したように、O-部分が静電的に反発するため、リン酸は分離しやすい性質を持っていることが分かります。Mgの役割については、図4の上を見直しして下さい。(B)加水分解でATPから分離したリン酸(図1の青点線丸印で囲まれた部分)では、4つの P-Oがそれぞれに同程度の二重結合の性質を持ち、H+は特定の酸素と結合しているのではないことを示しています。緑色枠内に、γリン酸とβリン酸の間にある、OのPとの共有結合には関与しないOの孤立電子対を示します。この図では、Oの孤立電子対をPが引き寄せ、それを外側にあるOが更に引き寄せている様子が示してあります(www.sc.fukuoka-u.ac.jp、代謝総論より引用)。緑枠内下図には、水分子の孤立電子対(●印)が示してあります。Oを中心とする角度104.5°で広がる正四面立体の中の2方向で水素と結合してH-O-Hが形成されるのに対し、残りの2方向に孤立電子対が配位されています。この孤立電子対は、水分子を形成する共有結合には関与せず、Oのみに属する軌道内を動き回ります。詳しくは、http://www .spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_54/ 等を参照してください。
ここで、不対電子とは何かを記述するまえに、下記コラム1と2に、核の周りを動き回る電子の規則と状態を決める量子数、及びS軌道とP軌道の形を簡単に纏めておきます。
コラム1:量子数と軌道の形の纏め
電子の状態は、 主量子数 n、方位量子数 l、磁気量子数 m及びスピン量子数の4つの量子数で決まります。①主量子数 n は、エネルギーと軌道の大きさを決定するもので、n=1, 2, 3, ... と整数で表されます。電子は層をなして核の周りを動き回ります。この層のことを電子殻と言い、n=1の殻はK殻、n=2の殻はL殻、n=3 の殻はM殻、…と名がついています(下表参照)。②方位量子数 l は、軌道の形を決定するもので、l=0, 1, 2, …, n−1 の整数値をとります(コラム2にそのうちの2つ例が示してあります)。順に、s軌道、p軌道、d軌道、f軌道、g軌道…と命名されています。③磁気量子数 mは、電子が軌道内で広がる向きを決定するもので、m= 0, ±1, ±2, …±l の値をとります。④スピン量子数は、磁場内での電子の回転軸の向きのことで、s=+½(上向き)、-½ (下向き)の値をとります。パウリの排他原理によって、量子数①〜④の全てが同じ電子は1つの原子の中に入ることはできないことになっています。さらにフントの規則によって、同一エネルギーの軌道に電子が配置されるときは、電子はできる限り別々の軌道にしかし電子スピンの向きはできる限り同じ向きに入る、ことになっています。主量子数1~4の量子数と他の量子数との関係を下左表に、実際の原子についての電子配置を下右表に纏めておきます(Wikipediaより)。
コラム2:電子が動き回るS軌道とp軌道の形
[下図左] 主量子数 n=1~3、方位量子数 l=0 の場合の軌道の形。 コラム1から、l=1の場合は s軌道(1s、2s及び3s)のみとなります。[下図右] 主量子数 n=2の場合の軌道の形。方位量子数 l=1、磁気量子数 m=-1, 0, +1となるので、コラム1左表より、電子は2px, 2py, 2pz の軌道に最大で6個の電子が入ることができます。電子はエネルギーの低い方から配置されますので、n=2の場合、1s、2s、2p (m=-1, 0, +1、→ x,y,z)と表す軌道に合計最大10個の電子が入ることができます。軌道の形は、tsue1224toki @yahoo.co.jpを参考にしました(図は現在削除されているようです。 http://www.shse.u-hyougo.ac.jp /kumagai/eac/chem/lec4_2.htmlもご参考ください。)
上記コラム1、2に纏めたことを基にして、図6に酸素の不対電子とは何かについての概略を示します。コラム1右表によると、酸素原子には、1s軌道(K殻)に2個、2s軌道に2個、2p軌道に4個、合計で8個の電子が入ることになります。磁気量子数は、m=0, ±1ですのでフントの規則によると、2pの軌道には、例えば2px軌道にスピンの向きが+½及び-½ の2つの電子が入るとすると、py及び2pz軌道には同じスピンの向きの電子が1つづつしか入らないことになります。この1つしか入らない電子が不対電子です。不対電子は、他の原子や分子から電子を奪ってスピンが対(+½及び-½のペア)になろうとする強い性質を持っています。これが、酸素が他の分子や原子から電子を奪い取ろうとする活性の源です。
図6。酸素原子の不対電子
コラム1より、酸素は、n=2, l=1, m=0, ±1で、K殻に2個、L殻に6個、計8個の電子が入ります。1S軌道にスピンがs=+½(上向き)とs=-½の電子(下向き)の電子が2個、2S軌道にも同様に2個入ります。例えば、2Px軌道にスピンの異なる電子が2個が入るとすると、2Py及び2Pz軌道には、フントの規則により、s=+½の電子が1つ入り、s=-½の電子は入らないことになります。これら2Py 及び2Pzに1個だけ入っているs=+½電子が不対電子です。2Py 及び2Pz軌道には、s=-½の電子を引き込んで軌道の電荷を“0”にしようする性質があります。これが酸素が他から電子を引きつける強い活性の源です。水分子では、Oが2つのHと電子を共有して空いている軌道を埋め合わせて電荷を“0”にし、残り4つの電子が2組の孤立電子対(それぞれ電荷が“0”)を形成して安定化します。
巨大酵素蛋白のアロステリック効果
前ページ図5Cに示すように、ダイニンは、ATPaseである6つのAAA+で構成される頭部リングからストークが飛び出し、その先端のMTBDが微小管Bと相互作用する、と言う構造をしています。平安時代の牛車を彷彿させるような構造です。
頭部リングでPiで誘発された電子状態の変化が遠く離れたところで効果を発揮するダイニン2量体の模式図。Roberts et al., Nature Reviews, Vol.14 (2013), P.713-726 (License Number 3566191108915)より2量体に改変。右は牛車イラスト。www. kabuki-bito.jp/special /lixil/13/no.1.html より。ダイニンは、2量体を形成しています。各ダイニンのATPポケット(AAA1とAAA2の間にあります)内でATP加水分解で解離したPiが、ポケット内にあるダイニン断片の電子状態を変化させ、その変化がATP結合部分からは遠く離れたMTBDに伝搬されます。伝搬された電子状態の変化によって、MTBDが微小管Bくっついたり離れたり、丁度酔っ払いが千鳥足で歩行するような格好で前に進み、尾部で繋がった微小管Aを引っ張ります。
ダイニンのような巨大蛋白では、鍵が鍵穴に差し込まれるようにATPなどの調節分子(エフェクター)が鍵穴に相当する部分に差し込まれると、鍵穴から遠く離れた部分が構造変化を起こして、他の分子との相互作用力(化学反応力)が大きく変化させることがあります(図7参照)。このような、エフェクターとの相互作用で鍵穴近くで生じた蛋白質の一部断片の電子状態の変化が、鍵穴から遠く離れた断片に伝達されて蛋白質の機能が発揮する、ことをアロステリック効果と言います。ダイニン自体がアロステリック蛋白質であり、ATPポケットがアロステリック部位(=鍵穴)、MTBDが活性部位そして微小管Bが基質、に相当します。さしずめストークは電子(状態の変化)の通り道と言うことができます。7図に、アロステリック蛋白質とその反応曲線について簡単に図示して置きます。(念のため、エフェクターが鍵穴から離れるとエフェクターが結合する前の構造に戻ることを申し添えておきます)。
図7。アロステリック蛋白質と反応曲線
(A) アロステリック蛋白質の機能発現の概念図。アロステリック部位(=鍵穴)にエフェクター(=鍵、ATPなど)が結合すると、アロステリック部位からかけ離れた位置にある、他の蛋白質等(=基質)と相互作用をする部位(活性部位)が影響を受ける蛋白質のことをアロステリック蛋白質と言います。酵素はほとんどはアロステリック蛋白です。上の図をダイニンに当てはめると、ATPがエフェクター、頭部リングの AAA1(とAAA2)の間にあるATPポケットがアロステリック部位、微小管Bのチュービリンが基質、そしてチュービリンと結合するMTBDが活性部位と見なすことができます。 (B)アロステリック蛋白質の反応曲線。結合する調節分子の濃度や密度等が僅かに変化(横軸)しただけで、大きな活性変化(縦軸)を起こすことができる、ことを示しています。
電子の流れの近道を作る水素結合
巨大蛋白質でアロステリック効果が発揮されて機能を発現する場合、遠くに離れた部位へ電子状態の変化が伝搬されるのに、(例えばストークの中では)水素結合が近道の役割を果たすことがあります。図8に示すように、ストーク中にあるαヘリックスで、O(酸素)[炭素(C)や窒素(N)等]と共有結合している水素(H)が(ヘリックスのラセンを一周した)すぐ上(またはすぐ下)のラセンにある O(またはCやN等)に共有されてできる結合が水素結合です。図中で、“ ーNーH・・・・O”と示されている、Hと一段上のラセン内にあるOとの間に形成される結合のことです(H・・・・Oは、NーHと比較すると結合距離が離れているので弱い結合になります)。電子がラセンを一周しないでスキップして通過することができので、近道となると言う訳です(弱い結合でも電子状態には充分影響を与えることができます)。ダイニンでは、頭部リングのAAA1とAAA2の間にあるATPポケットに入り込んだATPが(ダイニン自体の作用で)加水分解され、解離したPiがポケット近くのダイニン断片(ペプチド)の電子状態に変化を与え、その変化がストークのラセンを回らずに水素結合でスキップできるため、遠くに離れたMTBDに素速く伝達されます。伝えられた電子状態の変化でMTBDが微小管Bと結合・解離することでダイニンが前進します。尾部で繋がった微小管Aを引っ張り、ひいては繊毛の有効打を発生させることになるので、水素結合のお陰で繊毛は素速い動きをすることができる、と言うことができます。
図8。ダイニン、αヘリックスおよび水素結合
左図)ダイニンの模式図(Robert, et al, CELL Structure 20, P. 1670, 2012より。一部改変)。
図中央)MTBDの 模式図(Carter, et al, Science, 322, 2008 より)。
図右下)αヘリックス。 Tanizawa氏の解説「たんぱく質と結晶 用語解説より(http://popup8.tok2.com/ home2/rafysta/lesson/word/topic/alpha-helix.html)(この図のαヘリックスは、ダイニンのストーク中のαヘリックスとは無関係です。単純にたんぱく質の解説の例として使用しました)。ラセン中の窒素と結合している水素(N-H)が一周上段のラセン中にある酸素(O)と弱い結合(図中の点線)を作るのが水素結合です。別の部位にあるO、N、C等が、たまたまへリックを構成しているNやCなどに結合しているHに近づいたとき、図2に示したように水素の近くを動き回っている電子を引き寄せて弱い結合を作るのが水素結合です。水素結合は、DNAでポリヌクレオチドが対をなして二重ラセンを作る原動力にもなります。
以上、蛋白質の機能発現の仕組みを理解するために必要な基礎知識を纏めました。重要なことは、不対電子を8つも持つ無機Piが基質蛋白の多くの電子を吸い寄せ、その結果基質蛋白質の活性部位の電子状態が変化し(相互作用している基質蛋白質の電子状態にも影響を与えます)、活性部位と基質との相互作用が変化して蛋白質の機能が発現する、と言うことです。
上記した基礎知識を基に、ダイニンのモーター蛋白質としての機能発現の仕組みがよく似ている(構造的には違いがあるようですが)と言われているキネシンの、無機Piの作用でモーター蛋白としての機能を発揮する様子を、可能な限りあたかも目の前で行われているように描写をしてみたいと思います。
東京大学大学院医学研究科の仁田・廣川氏等は、キネシンがATPを加水分解する直前、直後、途中2つ、合計4つの結晶を作成し、高エネルギー加速器研究機構のフォトンファクトリー(高強度パルスを利用して分子や結晶が変化する様子を捉える放射光源加速器)で構造変化の比較解析をしました。その結果、4つの結晶の中で、SwitchⅠとSwitchⅡと呼ばれる2つの領域がATP加水分解中に劇的に構造が変わり且つSwitchⅡが微小管との結合に大きく関わっている、こと等を明らかにしました。[SwitchⅡは、α④ヘリックスと呼ばれるらせん状の部分の左側に微小管と結合するループL11が、右側に微小管に緩くタッチするループL12が繋がっているとのことです(詳しくは下図参照)。SwitchⅠとSwitchⅡは、L7と言うモチーフに結合していて、ADPがATPポケット内から出て行かないようにしっかり固定する鍵のような役割を果たしています。また、L11が微小管の中にある逆の電荷を持つ一組のモチーフ(H11*-helix)を識別して結合することから、L7の先端部分を微小管センサーと名付けました。]
本稿では、仁田・廣川氏等が発表した図を本稿の趣旨に沿うように可変し(図9)(元の図は、原著 Science, 305, 678 (2004)、または高エネルギー加速器研究機構ニュース、www2.kek.jp/ja/newskek /2004/julaug/ KIF1A.html等を参照下さい)、前回の頁で記述した(そして次頁に説明する予定の)ダイニンのダイナミックスと整合性がとれるように、ATPがATPポケットに入ったときの事相を①として始めます。
①SwitchⅡが微小管と静電的な結びつきでL7が引っ張られていて、ATPポケット開いています。そこに、ADPと入れ替わってATPが流入します。するとATPがポケット(の中のリン酸結合ループ:P-loop)に固定され、キネシンの電子状態が変化します。その変化がキネシンのL7を経由してセンサーまで伝搬され、センサーが微小管と強く結合するようになります(キネシンと結合できる場所が8ナノメータおきに等間隔で点在し、その中にセンサーのL11が結合するH11*-helixがあります)。
②ATPと一緒にMg2+と水がATPポケットに入るので、ATPは加水分解酵素であるキネシンに加水分解されます。解離した Pi はキネシンの電子を引き寄せ電子状態を大きく変化させます。その変化がセンサーに伝達され(図中赤い曲線矢印)、センサー(L11)と微小管(H11*-herix)の結合状態が変化し、センサーはフラフラと微小管から浮遊します。引っ張られていたL7が元に戻りATPポケットは閉じます。back doorが開いて無機PiはATPポケットから流出します。①と②の過程が無機Piによってキネシンが劇的に変化する事相で、いわば、ATPの加水分解で放出されたエネルギーが微小管に結合していたセンサーを微小管から引き剥がすことに使われた、と言うことの実相だと思います。
③フラフラしていたセンサーは、微小管に静電的に引っ張られるようになります。その間①及び②の過程でATPポケットに入ってきたMg2+及び水でMg-water cap(=Mg-stabilizer) が形成されて[恐らく無機Pi(及びADP)がMg2+と相互作用をして(過分になった電子を渡して)、その結果Mg2+が水を引き寄せて(水和)Mg-water capが形成され且つ無機Piがキネシンから解離してATPポケットから流出するようになると考えられます。あくまでも私見ですが。Pi、ADP及びMg-water capの詳しい関係はよく分かりません]ADPを包み込み、またLatchと命名された部分によって鍵が掛けられるようになります。更にL7に結合していているSwitchⅠとSwitchⅡによって二重に鍵が掛けられるとのことです。早めに、ADPとATPの交換が行われてATPポケットの電子状態が変化してしまい、不確実なステップに進んでしまわないように時間調節をしていると考えられます(詳しくは上記高エネルギー加速器研究機構ニュースを参照ください)。
④この間センサーは、L12が微小管のひも状のE-hookモチーフを探し当てるまで、微小管上をフラフラと熱運動を繰り返し、E-hookモチーフに遭遇すると、それに緩く結合します。すると、L7が引っ張られてATPポケット(のfront door)が開き、Mg2+が流出してMg-water capが消失し、ADPをロックしていた鍵構造がなくなります。その後もセンサーは、ひも状のE-hookに緩く結合したまま、フラフラと[(行ったり来たりしながら、結果的に微小管の+端の方へ向かい(構造的な理由によって)]、静電的にフィットするH11*-helixを探し続けます。
⑤お目当てのH11*-helixを探し当てる頃に、開いたままになっているATPポケットからADPが流出し替わってATPが入り込みます。新しく入ったATPがポケット(のP-loop)に固定されると、センサー(のL11ループ)は探し当てた微小管のH11*-helixとしっかり結合するようになります。これは①の状態そのものです。次のADP/ATP交換サイクルに入り、センサーは(微小管の+端の方に)一歩前進したことになります。
図9。キネシンのADP/ATP交換過程(図の上をクリックすると大きな図が表示されます)
ATPポケット内で行われる、ADP/ATP交換サイクルとワンセットになったキネシンのATP加水分解サイクル。ATPがATPポケットに入ってATPポケットに固定される時点をサイクルの開始点①として、5つの事相に分けて示します。図①②及び④のATPポケットに連なった赤い矢印は電子の変化の方向を示します。仁田さんらが解析を行った、キネシンがATPを加水分解する直前、途中Ⅰ、途中Ⅱ及び直後のセンサーと微小管との結合状態の様子を、下の3つの円内に(途中Ⅰを小さく円なしで)示します。フォトンファクトリーを使った構造解析でATPの加水分解中に、SwitchⅠとSwitchⅡが劇的に変わるる部分であることが分かりました。センサーは、加水分解直前にはSwitchⅡのループL11を介して、微小管のH11*-herixと強く結合していますが(①下の円内の図)、加水分解が始まるとL11が微小管から解離し、SwitchⅡは一時微小管から遊離した状態になります(②下の円内の図)。加水分解が終わると、右側のL12が微小管のひも状になったE-hookと緩く結合します(④下の円内の図)。ひも状であるためキネシンの微小管センサーは比較的自由に動くことが出来ます。その間L11は、微小管上をフラフラ行ったり来たりしながら、次に結合するH11*-helixを探し始めます。お目当てのH11*-helix(一歩前進した位置にある)を探し当てると、それにしっかり固定します。これは次のサイクルの①と同一事相です。キネシンが微小管上を一歩前進したことになります。一回のATP加水分解にはこれだけの事相が付随して行われることを示します。この図は、ATPの加水分解はセンサーが微小管から遊離することにのみ働くことを示しています。仁田さん達はこれを、標的分子からの能動的解離と呼んでいます。センサーが微小管の+端の方に進むのは、遊離したセンサーのランダムウォークと微小管及びキネシンの構造的要因で決まるとのことです。掲載許諾取得済み(Nature Structure and Molecular Biology, License Number: 3847340547715)。
以上が、一回のATP加水分解でキネシンに起こる出来事を(あたかも目の前で起こっているように想像が出来ることを願って)描写したものです。強調したいことは、30.5kJ/mol (=7.3kcal/mol)ものエネルギーが放出されると言われているATPの一回の加水分解反応は、単にセンサーのL11を微小管のH11*-helixから切り離すだけに費やされた、と言うことです[仁田さん達は、これを標的分子(キネシンやダイニンの場合は微小管)からの能動的解離機能と呼んでいます]。結合を解かれたセンサーは、微小管から遊離し、次の着地点(H11*-helix)を探し当てるまで、熱振動で宙ぶらりんのままフラフラしているのみです。キネシンが微小管の+端の方向に進むのは構造上の問題で、フラフラしているセンサーが前にある微小管のH11*-helixに着地する確率が高くなる構造をしていると言うことのようです。
キネシンは、上記したADP/ATP交換サイクル毎に、センサーは単に微小管との結合のON-OFFをしているだけなのにも係わらず、細胞内に張り巡らされた微小管を移動して、細胞内で合成された蛋白質を(風呂敷包みのようにミセルに包み込み、二足歩行をしながら)必要とする部位に届けることができる、と言う訳です。モーター蛋白質というと、何か特別な力を生み出す仕掛けを持った蛋白質のように思えますが、単に、(ATP加水分解によって解離した)無機Piが蛋白質と結合・解離するときの、電子状態の変化が結合部位に伝搬され、標的分子との結合をON-OFFしているに
以上が、一回のATP加水分解でキネシンに起こる出来事を(あたかも目の前で起こっているように想像が出来ることを願って)描写したものです。強調したいことは、30.5kJ/mol (=7.3kcal/mol)ものエネルギーが放出されると言われているATPの一回の加水分解反応は、単にセンサーのL11を微小管のH11*-helixから切り離すだけに費やされた、と言うことです[仁田さん達は、これを標的分子(キネシンやダイニンの場合は微小管)からの能動的解離機能と呼んでいます]。結合を解かれたセンサーは、微小管から遊離し、次の着地点(H11*-helix)を探し当てるまで、熱振動で宙ぶらりんのままフラフラしているのみです。キネシンが微小管の+端の方向に進むのは構造上の問題で、フラフラしているセンサーが前にある微小管のH11*-helixに着地する確率が高くなる構造をしていると言うことのようです。
キネシンは、上記したADP/ATP交換サイクル毎に、センサーは単に微小管との結合のON-OFFをしているだけなのにも係わらず、細胞内に張り巡らされた微小管を移動して、細胞内で合成された蛋白質を(風呂敷包みのようにミセルに包み込み、二足歩行をしながら)必要とする部位に届けることができる、と言う訳です。モーター蛋白質というと、何か特別な力を生み出す仕掛けを持った蛋白質のように思えますが、単に、(ATP加水分解によって解離した)無機Piが蛋白質と結合・解離するときの、電子状態の変化が結合部位に伝搬され、標的分子との結合をON-OFFしているに過ぎない、と言うことです。
丁度、ガソリンエンジンで、ガソリンの燃焼はピストンを上下運動させるだけであり、ピストンの上下運動はコンロッドとクランクシャフトで回転運動に変換される、と言うこととよく似ています。 キネシンのADP/ATP交換サイクルの中で注目すべき点は、ATP加水分解によって宙ぶらりんの状態になったセンサーがフラフラしながら次の着地点を探している間、ADPがATPポケットから流出してしまわないように、ADPをMg-water capで包み込み、その上しっかりと鍵をかけて、時間稼ぎをしていることです。
ATP加水分解で解離して蛋白質に結合したPiは、蛋白質から沢山の電子を引き付けるため、本来は強力な共有結合になる筈です。しかし、図5で示すようにPiとADPにまたがってMg2+が結合しています。[本来Mg2+は、Pi(=PO4)と結合してマグネシウムリン酸塩[Mg3(PO4)2・8H2O(第三リン酸マグネシウム)など]を作りやすい性質を持っています。]しかし、水中ではPiとMgは解離しています。Piから遊離したMgが、Piが蛋白質から吸い取った電子を吸収してMg-water capを形成します。そのためPiは無機リン酸となって(蛋白質とは再結合することはなく)切り離されてATPポケットから流出します。Piが蛋白質から奪い取った電子は、Mg-water capを介してADPに受け渡されます。そして、ADP/ATPサイクルが完了するまではADPはMg-water capに包まれており、一連の反応が終了してADPがATPポケットから遊離する時に、Piが吸い取った電子が蛋白質に戻され、蛋白質の構造が元に戻る、と考えられます(小生の思い込みです)。
一方、生きていることに不可欠な蛋白質の機能発現には必ずATPの加水分解がワンセットになっていることから、(キネシンで明らかにされたような詳細なメカニズムは分からなくても)ATPは生命活動の貨幣のようなものであると言われ続けてきた所以だと思います。
近年、(ATPの加水分解とワンセットになっている)キネシンやダイニンは、太古の昔から構造が不変のまま、生きることの基本的な機能として、長い動物の進化の時間軸上を人体にまで受け継がれ、そのまま人体内で機能していることが明らかにされました。上記したキネシンに見られる標的分子(キネシンの場合は微小管)からの能動的解離機能の仕組みは、細胞内シグナル伝達に関与するG蛋白質(GTP加水分解活性を持つ蛋白質)や蛋白質キナーゼやダイニンが属するAAAファミリーATPase等に共通しているとのことです。生きとし生けるものの基本的な機能の一つとして、一方向にしか進まない生物の時間軸上で、保存され、受け継がれ、進化を支える重要な働きをしてきて人体にも受け継がれ、人体の中でそのまま機能している、と言えると思います。
[私がゾウリムシを使った体内時計の研究を始めて間もない1973年に、オーストリアのコンラッド・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲン及びカール・フォン・フリッシュの3名がノーベル医学生理学賞を受賞しました。そのことが契機となって、我が国でも桑原万寿太郎・上智大学教授(当時)を代表にした特定研究・動物行動学が発足しました。そこでは、人体の中には動物の進化の歴史が詰まっている、と言うことが言われるようになりました。しかし当時の医学部には、人体のことは人体を使った研究でなければ分からない(ましてやゾウリムシとは何事ぞ)、と主張していた人たちが少なからずいたことも事実です。近年東京大学大学院医学研究科の廣川信孝氏のグループを中心として、キネシンやダイニン等の細胞内での蛋白質の運搬や繊毛の動力発生に関する研究が熱心に行われていることを知りました。医学部の基礎研究における時の流れに一入(ひとしお)の感があります。]
[先回の「ゾウリムシの動力装置」の頁をアップロードする直前に、微小管Aに固定されているダイニンが微小管Bのチューブリンと相互作用に関する総説(A. L. Roberts, Nature Reviews, Molecular Biology, Vol. 14, p.713)を見つけました。分子生物学の進歩が著しく、繊毛に関しても膨大な数の文献が報告されております。素人の悲しさで、孫引きしながら文献を検索している途中に次から次へと新しい文献に遭遇し、慌てふためいて何度も書き換えたことがありました。先回、アップロード直前の原稿を書き換えるのに少々疲れたこともあって、上記総説を詳しく吟味することを怠ってアップロードしてしまいました。最新の文献があることを知りながらそのままにしていることがずっと心の中に引っ掛かっておりました。また、ダイニンの無機Piによる機能発現の仕組みがほぼ同じであると言われている細胞内の「運び屋」キネシンで、詳細なダイナミックスが明らかにされたことも知りました。そこで、キネシンの機能が無機Piで制御される様子を、あたかも目の前で起こっているように理解できるようになれば、ダイニンの機能発現についても同じように理解できるようになるのではないか、またATP加水分解とこれらの蛋白質の機能発現との関係を具体的に理解できるようになるのではないかと思い、まずは今回の頁で無機Piに制御されるキネシンの機能発現過程をあたかも目の前で起こっているように観ることができるようにしておき、改めて次ページでダイニンのダイナミックスがよく観えるように描写することにしたいと思いました。]