災厄と祈り

新企画 「サステナブル・ライフ・プラン」 Sept

世の中を一変させる大きな災いも、

家庭や自身に降りかかった問題も、

心に広がる不安や恐れには変わりない。

何かにすがり受け入れ折り合いをつけてきた

その先には人々の祈りがある。

参照元:Express7+8

夏越しの祓と茅の輪くぐり 

平安京の貴族社会では旧暦六月晦日と十二月晦日にお祓いの行事を行い、現在は日本各地の神社の神事や村々の民俗行事として伝わる。一年の折り返し、蓄積した最悪や罪穢れを祓い清めて再出発するのだ。


梅雨から夏にかけて多い祭りや行事

日本の梅雨時は高温多湿になり、カビや害虫、雑菌の繁殖と衛生に気をつけなければならない。そんな時期から夏にかけて、厄払いや疫病退散のための祭りや行事が数多くある。6月晦日の夏越しの祓えや七夕などがそうだ。

 夏の代表的な祭りに京都の祇園祭がある。古くは祇園御霊会といい、最初は貞観五年(863)に神泉苑で催され、 旧暦6月に行われていた。御霊会とは死者の霊を慰めて祀る法会や祭礼をいうが、その背景には朝廷内の権力抗争で冤罪を着せられ費用の死を遂げた死者たちの音量による祟りへの恐怖と、もう一つ平城京と長岡京での二度にわたる天然痘の代流行があった。

 人口過密都市の平安京においても、疫病や薬神や死霊の祟りとされ、その侵入を防ぎ、饗応して御霊へと祭り上げて鴨川から難波の海へと流し送り祓えやろうとしたのだ。

 怨霊会は洛中洛外の境目で盛んに催されたが、祇園社(現在の八坂神社)の御霊会が特に霊剣荒鷹とされたのは、主宰神が牛頭天王であるからだ。平安時代の絵巻物『辟邪絵』では1天刑星に喰らわれてしまう疫鬼として描かれた牛頭天王は、その後逆転の変身を遂げて祇園社の祭神に祀られた。疫鬼や疫神を知り尽くしているからこそ、それらを圧倒し攘却する威力を持つ神として信仰を集めたのである

日本人の災厄観と霊魂観

  古来、災厄をもたらすものは疫神、 邪霊や悪霊、 魑魅魍魎のような目に見えない霊的なものと考えられており、民俗学者の折口信夫は次のように説いている。

 日本人の神観念には尊い存在としての神と共に、迷惑な恐ろしい霊物として神があった。自然の動植鉱物の中に宿る精霊の類で、人間に近寄り接触して災いを起こす迷惑な存在である。特に年末と中間の七夕から盆の頃にかけて、霊物が遊離し人間の身を求めて収ろうとする。そこで人間の生命の魅力の根源となる魂は健康な人身につけ、病的な魂は体につくことなしに帰らせるよう、祭りを行った。それこそが盆の行事なのだ。盆に帰ってくる死者の魂の中には悪い霊も混じっており、その悪霊退散のための踊りが盆踊りである、と。

 柳田國男も、祭りの場には神霊だけでなくその周辺に雑霊がいると考えられていたことを指摘。、さらに次のように説く。 神様へも墓へも供え物を捧げる行為を共に「ホガフ」または「ホガヒする」とする例が多いこと。また平安中期に編纂された古代の法典『延喜式』でも宮殿を祓い清める大殿祭をオホトケノホガヒと訓んでいる。よってホガヒは、ただ一座の神または霊のみに供御を進めるだけでなく、その周囲に不特定多数いる霊的な存在が供物を求めていることを想定するものだ、と言及する。 

 つまり、日本人の霊魂観の根底に高級な神霊と低級な雑霊があり、神霊の祭りの場でも必ず雑霊がそこに寄り集まって、人間に触りや災いを起こす危険があるというのである。だから祭りでは雑鈴達にも「ホガフ」または「ホガヒする」習慣があるのだという。

厄除け厄払いには贈与がつきもの 

 厄除けや厄払いは、不運続きや物事がうまくいかない時に行われる。清め塩などその一例で、普段から神棚や仏壇に手を合わせてその日その日の無事を祈るのも同じ意味なのだ。

 そして、人間生きていれば身体は汚れるので洗顔や入浴、さらには掃除も欠かせないように、精神的に疲労や不安や不満がたまれば心身のリフレッシュが必要になる。娯楽による発散もあるが、過労気味の心身には厄除けや厄払いという方法が採られる。

 神社では祓え清め、寺院では厄除けの祈祷などで、民俗伝承の中では厄年をめぐる習俗が各種あり、年男や年女も厄年の一つ。厄年の男女は少々月の行事の際、集落でもちや菓子などを振る舞う米が知られており、年齢の数だけお金をまく例もある。三重県鹿島や大分県米水津村などで90年代まで盛んに行われた。還暦六十歳なら6万円、米寿88歳なら8万8千円など、年をとるのも大変だが、貯めた財物を不特定多数に贈与することが厄払いになるのである。神社や寺院での厄除け厄払いでも必ず一定の金額の祈祷料を納めるように、厄除け厄払いの基本は財物の贈与という点にあるのだ。

 またお守りや護符を授与するのも主に社寺。これらも日々の安全と幸運お願い、魔物や邪気を寄り付かせないようにする風習の表れなのである。元三大師とも称される第18代天台座主良源に因む角大師や豆大師の護符、蘇民将来子孫之門の木札など、家の玄関に貼るのも、講義の厄除け厄払いといえよう。

逆転のメカニズム

厄除けのためには縁起物の類もある。

財布に蛇の抜け殻を入れておくとお金が貯まる。 ゴミ集めの道具のはずの酉の市の熊手など、ちょっと汚いものが縁起物となっている例が多い。いわば汚れの逆転である。前述の祇園社の祭神牛生頭天皇の逆転による偉大な霊威力もその原理を明示している例と言って良い。

 2019年末から続く異常なほどのコロナ禍に 、世界中が恐怖にさらされている。感染予防のワクチンとともに、治療薬の開発による汚れの逆転のメカニズムが作動して、新しい世界へと転換することが世界的に希望されているのが現状なのであろう。

厄年とは何か?          特集「災厄と祈り」より

 厄年とは様々な最悪を被りやすいと信じられている年齢のことで数え年で計算される。

大陸から伝えられた思想の一種で平安時代には陰陽道の影響を受けて定着し、広く公家社会に広まっていった。厄年は、生まれ年と同じ干支を迎えるにあたり、しんしんに染み付いた訳や穢れを払い、枯渇した生命力を再生させようとしたことに由来するのではないかと考えられる。

 一般に男性は数え25歳と42歳、女性は数え19歳と33歳と37歳が厄年とされているが、男女共に数え61歳の還暦も厄年に含めるという考え方もある。中でも男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」という語呂合わせもあって特に重視し、前年から数えて前厄本厄後厄の3年間は、婚礼や家の新築などの派手なことを慎むものだと言われている。還暦以降に厄年がないのは、昔はそのような長寿が稀であったからだろう。しかし今日では還暦を過ぎたら毎年が厄年だと考える かもしれない。このように厄年は物忌みをする機会であるが、各地域で行われる厄年の綺麗を見ると、必ずしもそれだけではなく、様々な要素が付加されていたことが分かる。

 厄年には厄落としに後利益があるとされる社寺に参詣して厄を払うことが広く知られているが、それ以外にも、くしや手ぬぐいなどを落として人に拾ってもらう、親類縁者を大勢招待してご馳走を振る舞う、あるいは贈り物をする、神社の神役を積極的に受ける、社寺に鳥居や灯篭などを寄進する、 厄年に生まれた子を「四二の二つ子」と言って捨てる真似をするなど、各地域で種々の伝承が聞かれる。

 しかし、厄年の綺麗の中には単なる厄払いとは思えないような性格のものもある。例えば兵庫県淡路島や和歌山県の一部の地域では、男性の42歳の厄年に、家の神棚を破棄して新しく作り変えるという伝承が伝えられている。 全国に多く見られる厄年の綺麗の中には、”魂あるいは命の更新”とも言うべき石の生まれ変わりの意識が見え隠れしているが、淡路島や和歌山県では、家の象徴としての神棚を作り変えるという行為を介して、家の代表者である戸主の厄年に、本人の魂を更新させて世代交代を促すとともに、”家の魂”おも更新しようとしたのではないかと思われる。

 厄年のような科学的根拠のない伝承は、一般に迷信と呼ばれている。しかしこれを全て意味のないこととして片付けてしまうには問題があろう。長い人生の中にはちょっと立ち止まって過去を振り返り、自らを省みる機会が必要ではないだろうか。

 私事で恐縮だが、筆者の42歳の年に父が他界した。厄年には自分のみならず、往々にして身内の不幸に遭遇するものだと認識させられた。厄年で父を亡くした私にとって、それが生まれ変わりの時であり、また世代交代の機会であったのかもしれない。

ロバート・ゲラー著『日本人は知らない「地震予知」の正体』

 本書の紹介は難儀である。ヴェイユに降りていけば、ヴェイユに拒否される。迂回すればヴェイユにならない。シモーヌ・ヴェイユという人がそういう人であるからだ。

 そこでなぜぼくがそのように難儀するかということを伝えるしかないのだが、その前に言っておかなくてはならないことがある。日本人にしか「無」がわからないとおもっていたとしたら、大まちがいだということだ。 

≪01≫  本書の紹介は難儀である。ヴェイユに降りていけば、ヴェイユに拒否される。迂回すればヴェイユにならない。シモーヌ・ヴェイユという人がそういう人であるからだ。 そこでなぜぼくがそのように難儀するかということを伝えるしかないのだが、その前に言っておかなくてはならないことがある。日本人にしか「無」がわからないとおもっていたとしたら、大まちがいだということだ。 

≪02≫  たしかに欧米の哲学や思想には「有る」に対するに「単なる無」が蔓延(はびこ)ることが少なくないが、「そこへ向かうとあるかもしれない無」を見ていた哲人は、何人もいる。 そのなかでも最も潔く、最も勇気をもっていた一人がシモーヌ・ヴェイユだった。 

≪03≫  ヴェイユは、その「そこへ向かうとあるかもしれない無」のために「脱創造」(decreation)という言葉をつくった。そして、そのことを断固として実行するために「根こぎ」(deracinement)という言葉をつくった。この二つの言葉を説明するにはヴェイユの全思想を通過することになる。それはぼくにはお手上げだ。けれども、このことをわずかな比喩をもって暗示することはできなくはない。ヴェイユ自身がこう綴っている。 

≪04≫  「頭痛。そんなときは痛みを宇宙へと投げだしてみると、痛みがましになる。だが、宇宙のほうは変質する。痛みをもう一度もとの場所へ戻すと、痛みはさらにきつくなるが、わたしの内部には、何かしら苦しまずにいるものがあり、変質せずにいる宇宙とそのまま触れあっている」。 

≪05≫  ぼくが見るに、「脱創造」とは、造られたものを、造られずにいるものの中へと移行していくことである。そこに「無」への動きが関与する。 

≪06≫  「根こぎ」とは、その移行を果敢に実行するために、その拠点の中へ降りて、そこにいる自分自身を攫(さら)ってしまうことである。あるいはそのようにしようと決断することだ。 

≪07≫  これで充分に暗示的説明になっているとおもうが、もう少しだけ加えよう。ただし、暗示的説明しか許されそうもない。  

≪08≫  ヴェイユは生涯をかけて「不孝」と闘った。そしてわずかな知らせをたよりに、ひそかに存在の戦線を組もうとした。しかし、なかなか不孝が取り出せない。取り出そうとすると、社会そのものが本質的にもっている悪が邪魔をする。善も邪魔をする。  

≪09≫  善というものはつねにこなごなになって悪の中に散らばっているものである。だから、悪を排除しようなどとおもったら、すべてはおじゃんになる。善も悪もヴェイユにとっては同じものだった。けれども神から見れば、そこには潔いちがいがあるはずだ。 

≪010≫  では、どうするか。たとえば悪の中に散っている善をひとつひとつ集めればいいかというと、それこそが悪に染まる。善だけを表明しようとすると、自分の中にある悪に嘘をつくことになる。どうすればいいか。ヴェイユは悪を直視することにする。そのためにはぎりぎりな自分をつくる。  

≪011≫  そうすれば悪というものが実は単調至極なもので、いつも同じことを繰り返そうとしていることが見えてくる。悪がそういうものであることは、われわれ自身がよく知っている。悪はわれわれの中にも散っているものであるからだ。その悪を、不純なところから自分の中の純粋なところへ移し変えてみたい。ヴェイユはそれをこそ「根こぎ」とか「根こそぎに」と言った。 ヴェイユは、こう綴る。「純粋さとは、汚れをじっと見つめる力のことです」と。 

≪012≫  シモーヌ・ヴェイユはぼくがいちばん語りたいくせに、とうてい語りえないと思っている女性である。 なぜなら、ヴェイユは自分を理解できるような誰の力も借りようとしていない。ヴェイユは、それならあなた自身が「脱創造」をしなさい、「根こぎ」でおやりなさい、いいですね、と言うだけなのである。 

≪013≫  もうひとつ語りにくい理由がある。ヴェイユを賛美し、評論し、批評している著作や論文は数かぎりなくあるのだが、ぼくが怠慢なせいか、それらにはヴェイユらしいものがあまりない。これは評者たちに問題があるのではなく、ヴェイユにこそ問題があって、そこにきっとぼくが感じていることと同じ「清冽なる拒絶」が顔を出しているのだろうとおもう。 

≪014≫  こうして、ヴェイユを語るにはこちらを晒(さら)すことを迫られる。これはたいていじゃない。そこで、ヴェイユは語られることなく、読まれることになる。 

≪015≫  本書『重力と恩寵』は、マルセイユでペラン神父に共感していたころのヴェイユと語りあいつづけたギュスターヴ・ティボンによって編集された。もとはヴェイユが託したノートである。  

≪016≫  ティボンが残した証言の数々はヴェイユを知るには貴重なものばかりだが、ぼくにはティボンが次のように書いているのが感極まった。「ええ、ヴェイユの唯一の罪は、タバコをすうことと、無学な人々にいつも水準の高い平等感から精神的な糧を与えようとするところでした」。 

≪017≫  表題になった「重力」とは、人間の奥にひそむ「他者を必要としない気分の重り」のようなことをいう。   

≪018≫  人々はこの重力の下降感によって逃げを打つ。「恩寵」とは、あえて他者を受け入れたいとおもうときの静かな高揚感である。これは上昇する。しかしヴェイユが「重力と恩寵」を並べるとき、まず自重で下降してしまうときにこそ他者を入れて上昇し、そこからふたたび新たな自分に向かって降りていくことをいう。 

≪019≫  「恩寵でないものはすべて捨てさること。しかも、恩寵を望まないこと」なのだそうである! 

≪020≫  あーあ、今度もヴェイユをちゃんと説明できなかった。いつか捲土重来だ。せめてこれを機会にヴェイユを読む人が一人でもふえてくれることを期待する。 

≪01≫ しかし19世紀、理性主義を脱した哲学は、統計学と確率論とが登場した同時期に、ついに偶然や運命を、新たな生と存在の思索のうちに深々と捉えるようになった。たとえばシェリング、ショーペンハウアー、ニーチェ、ジンメル、ハイデガー、ベルクソン。けれども木田さんもぼくも、九鬼周造こそが偶然を思索した近代哲学最高の哲人だと思っている。 

≪02≫ もともと「たまたま」は得体の知れないものだった。虫の知らせや気配のようでもあり、出会いや遭遇や奇瑞のようでもあった。それは「無常」や「はかなさ」や「生と死の宿命」とともに人の住む界隈に頻繁に出入りし、またしばしばたゆたっていた。これらはまとめていえば「偶然」もしくは「運命」というものであろうけれど、人知のまったく届かないものだ思われてきた。 

≪03≫ 18世紀までのヨーロッパの哲学や思想がもっぱら「理性」を重視していたことは、前夜にもふれた。そこでは偶然や運命を扱うことなど、もってのほかだった。たとえばスピノザ(842夜)は『エチカ』のなかで、「あるものが偶然と呼ばれるのは、われわれの認識に欠陥があるからにすぎないのであって、それ以外のいかなる理由でもない」と書いていたし、カントも『純粋理性批判』で、「幸運とか運命とかいった概念は、不当に獲得された概念だ」と述べていた。「たまたま」なんてものは、しょせん認知や思索の対象外だったのだ。不届者(ふとどきもの)だったのだ。 

≪04≫ ライプニッツはモナドの属性として欲求と表象をあげていたので、内的原理と外界からの創造原理をうまくつなげられたのであろう。ライプニッツ思想が、のちの18世紀的な理性主義や機械論的解釈に足をとられることなく現代に直結しうるのはそのせいではないかと、木田さんは述べておられる。 

≪05≫ シェリングは人間存在の根源に「最古の原始偶然」を認めようとし、ショーペンハウアー(1164夜)は世界意志にひそむ超越的思弁を追って、「個人の運命に宿る意図らしきもの」を感じた。ニーチェ(1023夜)が『ツァラトゥストラはかく語りき』で、危難からの転回こそは運命であると書いて、「運命愛」(アモール・ファティ)を称揚したことなど、とくに有名だ。 

≪06≫ シェリングはヘーゲル哲学に対する批判者に転じ、独自の思索をするようになる。とくにヘーゲルが「理性的なるものは現実的であり、現実的であるものは理性的である」と説いたことには断乎として譲らず、この世には理性では処理も解決もできない“非合理な事実”があるはずだという観点から、一途に『人間的自由の本質』を書いた。  

≪07≫ こうしてショーペンハウアーは、世界が意志としてあらわれる(表象する)ひとつの力としての宿命(運命)にとりくみ、そこに論証可能な宿命と超越的な宿命の種族たちを見いだし、後者から高次な意志が導きうると考えたのだ。さらに、高次な意志には説明不可能な「秘められた力」としてのファトム(ファントム)めいたものがあり、それが「生の意志」となって、しばしば摂理のような社会的理念を動かした。と見た。 

≪08≫ ショーペンハウアーの意志の哲学をまるごと継いだのは、なんといっても運命の哲人ニーチェである。そもそもニーチェがショーペンハウアーに出会ったことが、まさしく運命的だった。 

≪09≫ こういうニーチェの哲学を誰が継いだかといえば、いまもってこれははっきりしない。超人が「運命愛」を問うあまりの態度に、ニーチェ信奉者ですらたじたじとなったというのが正直なところだろう。 

≪010≫ しかし「生」(レーベン)の哲学を受け継ぎ、これを存在の根本において「偶然」を契機に解きあかしていくという試みは、その後もジンメル、ショルツ、ハイデガー、ヤスパース、ベルクソンというふうに発展していく。 

≪011≫ ゲオルグ・ジンメルについては、どこかで千夜千冊しなければならないと思ってきた。放ってはおけない。哲学者ではあるが、そのエッセイ的文体がいいし、きわめて多才多様であり、つねに体系性を拒否し貫いた。“生の哲人”と呼ばれてきたが、そこにはユダヤの影も社会主義の影もある。 

≪012≫ が、本書ではジンメルはあくまで“生の哲人”であり、遺稿に『運命の問題』を書いたジンメルである。 

≪013≫ そして、生は「より以上の生」として現実を超えようとする超越の契機をもつが、同時にこの超越は完全には不可能だから(誰もニーチェの超人にはなりえないのだから)、それぞれの生はそのつど「生より以上」の歴史とぶつかって、その相対性をさまざまな文化にしていくと見た。 

≪014≫ その後ジンメルは、『学校教育論』から『社会学の根本問題』に進んで、歴史・社会・哲学の総合化の可能性に向かうのだが、その最後の遺稿が『運命の問題』と題されたものだったのだ。 

≪015≫ 「個体的な主観」と「外的な出来事」二つの関係のあいだに運命というものがあるだろう。というのだ 

≪016≫ かくていよいよ黒森の哲人マルティン・ハイデガー(916夜)の登場ということになる。たとえば『存在と時間』の第74節「歴史性の根本的構成」に、次のような一文がある。「本来的であると同時に有限的でもある時間性だけが、運命といったようなものを、つまりは本来的な歴史性を可能にすることができる」。 

≪019≫ 一方、人間はそういう現在をとりまいている「世界」にも属している。この世界とは、たんなる地理的な環境でもないし、生態系としての世界でもない。それらを含めての、さまざまなアスペクト(局面)として構造を相互に表出しあっているような、そのような高次な世界のことをいう。いわば「構造の構造」であり、「関係の関係」であるような世界だ。 

≪017≫ ハイデガーは時間を、時計のように等質的に流れる通俗的時間と、人間の意識に属しているとおぼしい根源的時間とに分けた。 この根源的時間は、人間という存在(Sein)そのものに作用しているのだから、「自分を時間化」(sich zeitigen=ジッヒ・ツァイティンゲン)することによって動きだしていると考えられる。動物はおそらく現在にしかいないだろうけれど、人間は大脳や言語を発達させて、過去も現在も未来も連続してとらえるようになった。ハイデガーはこれを「時間化作用」(Zeitigung=ツァイティグング)と名付けた。  

≪018≫ これが「時熟」である。青い柿が赤く熟していくようなものとして、自身の存在をとらえているということだ。 なぜ人間存在にこのようなことができるかといえば、現在の意識の渦中に微妙なズレや差異を感知し、そこをこじあけるかのように認識世界を拡張していったからだった。 

≪020≫ このように人間存在が現在とともに世界にそのまま属することを、ハイデガーは「世界-内-存在」と呼んだ。それとともに、現在に生きているという意識は過去や未来とともに生きるということでもあるから、この「世界-内-存在」としての人間は、未来という時間から逆照射されているわけでもあった。これをハイデガーは「現存在」(ダーザイン)と呼んだ。 

≪021≫ ところが他方、もとより人間は永遠ではない。どこかで必ず死ぬ。そのことをうすうす知っている。ということは、われわれは自分自身の死についての先駆的覚悟のようなものをもっていて、いわばその覚悟のうえで現在の時間を生きていると言える。  

≪023≫ さてそうだとすれば、この非本来的な時間から本来的な時間に現存在を転換させること、そのことが新たな「たまたま」のはたらきとして重要だということになる。これをハイデガーは「投企」と呼んだ。自分を自分の他端にプロジェクトするということだ。わかりやすくは自身の転換をおこすかもしれないほうへ自分を投げるということだ。これを現存在のほうから見れば、私は世界に「被投」されているということになる。投げ出されているということになる。  

≪022≫ ということは、現存在としてのわれわれには、先駆的な覚悟をするような根源的時間につながる本来的な時間意識を感知しているとともに、そうではない非本来的な時間意識もつねに持続されていて、この非本来的な時間意識がついつい日々の通俗的時間をつくっているのだろうということになる。   

≪024≫ こうして話は、さきほどの『存在と時間』第74節の、「本来的であると同時に有限的でもある時間性だけが、運命といったようなものを、つまりは本来的な歴史性を可能にする」というところにさしかかる。ここでいう運命とは、投企によった他者と出会える機会のようなものであり、そのことによって共に根源的時間を生きられる実感をもつということだったのである。 

≪025≫ 偶然の正体は、こうして、難解きわまりない時間の正体のままに、存在の運命的根底にくみこまれていったのである。 

≪026≫ 現存在としてのわれわれは「動揺」「争い」「苦悩」「罪」「死」といった限界状況につねに立ち会わされていて、そのなかでときに想像を絶する苦境に立たされることもある。これらはときに自身を襲う偶然ではなく、自身を他者や愛に結びつける偶然との一体化をもたらす。そのとき、現存在は実存に向かって解き放たれるというふうに、ここに偶然の重視を入れこんだのだった。 

≪027≫ このヤスパースの実存はのちにジャン・ポール・サルトルによって「自由の問題」に、アンリ・ベルクソン(1212夜)によって「意識の持続と瞬間の問題」へ発展させられた。偶然は自由の契機にも意識の契機にも高められていったのだ。 

≪028≫ そこで木田さんはここで一転、われらが九鬼周造(689夜)の偶然論をもって、木田さんなりの仕上げに向かったのである。  

≪029≫ しかし自分がとても大事なことだと思ってきたのは、実は「恋しさ」や「寂しさ」だ。これは他者との同一性を得られないという感情だ。この感情は、おそらく“対象の欠如”によって生じる根源的なものへの思慕というものだろう。それは異質の芽生えでもあろう。だからこそ自己同一性もままならなくなるのだろう。そうだとすれば、重要なのは「同一性」ではなくて、むしろ「異質性」というものではないか。 

≪030≫ 必然性が過去に、可能性が未来に属するという意見も、それなりにわかった。しかし九鬼は、それなら偶然性は現在にこそ出入りしなければならないのではないかと感じてしまったのだ。 

≪031≫ このように出発した九鬼は、ついで偶然の分類を企てる。①論理のなかにあらわれる偶然、②経験のなかにあらわれる偶然、③思惟のなかにあらわれる偶然、というものだ。これらをそれぞれの特色で分け、3つの偶然をロジカルに比較しながら説明しようと試みた。 

≪032≫ 九鬼は異質性の取り込みのためには、やっぱりそこに偶然性が必要だということを痛感する。 

≪033≫ それはこういうものだった。ぼくの言い方であえて一行にまとめるが、「本来の偶然とは、何かであることさえできず、それゆえ何かと何かが出会うことによって、きっと稀にしかおこらないような、そういうものである」。 

≪034≫ 九鬼の偶然論は「偶然の存在学」だったのである。それは最後の最後になって、まことにフラジャイルな存在学に転じていったのだ。ぼくは「千夜千冊」の九鬼の夜に、求龍堂版全集では、次のようにヘッドラインを入れてみた。「偶然と異質のために粋になる」。 

≪035≫  近代哲学には、その一部において偶然と運命についての独創的な思索がさまざまに陶冶されていたのである。19世紀に芽生えた「たまたま」の思想が、確率論や統計学とはべつに、ショーペンハウアーといいジンメルといい、またハイデガーといい九鬼周造といい、なんともきわどいものに向かおうとしていたこと、少しは伝わったのではないかと思う。  

≪036≫ しかし、しかしながら、これらはあくまで19世紀の哲学や20世紀初頭の試作であって、20世紀後半の存在学がどのように偶然を相手にしたかということとは、ちがうものだと見たほうがいい。 また、確率論や統計学が当初のラプラス(1009夜)にとどまらずに大きく変化し、またベイズの定理がいったん歴史の中に沈んでいながら、たとえばビル・ゲイツが「マイクロソフト社の戦力はベイズ・テクノロジーである」と言ったとたんに一挙的に再生したように、これからの「たまたま」がどう議論され、どうシステムと対応していくかも、まだまだ予断を許さないとも言うべきなのである。  

≪037≫ それゆえ他方においては、心の「たまたま」や神秘の「たまたま」がまたぞろ復活して、それが突発的な宗教になったり、ニセ科学になったりすることも、また予断を許さないのである。まして、これらのどこをリスクとし、どこをリターンとするかは、まだまだ決着がついていない。このあとの年の瀬と正月を挟んだ数夜の連環は「連塾」を挟みつつ、そのあたりにだんだん分け入っていく。おたのしみに。 

かつて「偶然」に立ちはだかっていた決定論。

その決定論を切り崩していった統計学と確率論。

これですっかり「たまたま」は剥き出しになった。

そして、みごとに飼いならされたのだ。

そして統計官僚が出現し、「正常」と「そうでないもの」を分断していった。

これは近代国民国家による悪夢なのだろうか。

それとも今日に及ぶ金融工学がもたらした統計的社会観の凱歌なのだろうか。 

≪01≫ かつて「偶然」に立ちはだかっていた決定論。 その決定論を切り崩していった統計学と確率論。 これですっかり「たまたま」は剥き出しになった。 そして、みごとに飼いならされたのだ。 そして統計官僚が出現し、「正常」と「そうでないもの」を分断していった。 これは近代国民国家による悪夢なのだろうか。 それとも今日に及ぶ金融工学がもたらした統計的社会観の凱歌なのだろうか。 

≪02≫ ハハハハ、まあそうなんだけど、その「たまたま」こそが問題でね。これはね、なぜ人間の歴史は「たまたま」などという偶然を相手にして、一方では「運」や「不運」に一喜一憂したり、また神頼みになったり、他方では人生設計をしたり事業計画をたてたり、確率論や統計学を使って不確かな未来のことを予測したいと思うようになるのか。われわれはなぜ偶然を偶然のままにほっておけなかったのかということを、連環篇のスタートにしたかったからなんです。これが連環篇を始めるにあたっての、ぼくの問題意識なんだね。 

≪03≫ いや、そんな一般的な話ではなくて、なぜ「たまたま」を適当に放っておけなくなったのかということだね。産業革命以降、近代社会は「たまたま」をコントロールできることを発見し、現代社会はそれをさらにコントロールして、それを軍事から金融にまで及ばせたわけだよね。あげくに「危険」を分類し、その防止と放置に区分けをつけた。なぜそんなふうになったのかということだ。 

≪04≫ 戦争のような危険はあえて放置しているよね。マネー資本主義もそういうところがあった。リスクをヘッジすると言いながら、もっと大きなリスクを放置したわけでしょう。

≪05≫ いろいろ原因はあるけれど、まあおおざっぱにはそういうことだろうね。で、そのことを連環篇では、かつてぼくが読んだり考えてきた本のルートを新たに編集構成しながら、行きつ戻りつ案内しようと思ったわけです。それには金融における統計学や確率論の浮き沈みあたりから入るといいかなということです。それって人間の世界観や社会のシステム観の根本問題だからね。歴史的にも、思想的にもね。 

≪06≫ いや、そうじゃないね。それは、みんながプラトン(799夜)を読んだり、芥川(931夜)や折口信夫(143夜)を読んだり、ジャコメッティ(500夜)や大島弓子(1316夜)を読んだりして、その感想が書けることと同じなんですよ。誰だって古代ローマや中世ゴシックやショパンの人生やスーパーストリングス(超ひも)理論のことを知らなくたって、その本は読めるでしょう。もともと本を読むというのは、そこが凄いんです。 

≪07≫ だってぼくが金融の仕事をしようっていうわけじゃないからね(笑)。けれども金融の本は読めるわけだ。だからといって、金融に染まりたいわけでも、関与したいわけでもない。ミステリーを読んで殺人をしようというんじゃないのと同じです。

≪08≫ しつこいね。それはそうかもしれないけれど、そこそこ面白そうな本さえ相手にして、多少は気分を虚心坦懐にそこに入っていくということをしさえすれば、誰にでもできます。司馬遼太郎(914夜)によって秋山兄弟のことが伝わり、藤沢周平(811夜)によって藤沢周平が伝わるように、ソロスによってソロスは伝わり、ルーマンによってルーマンは伝わるんです。  

≪09≫ ヨーロッパ社会が統計的確率というものに関心をもった経緯について、そのへんの入口を書いた本にしようと思っている。そうすれば、ぼくがなぜ『たまたま』からリスク論のほうに進んでいるかということが、もう少し深くわかってもらえるだろうからね。  

≪011≫ チャールズ・パース(1182夜)は好きだよね。 

≪010≫ 便利かどうかはべつにして、イアン・ハッキングの『偶然を飼いならす』っていう本がある。 

≪012≫ だったら、きっとおもしろいと思う。ただし今夜はパースの「アブダクション」(仮説形成)の話というよりも、決定論が19世紀のなかで衰退して、その代わりに「偶然」というものを相手にした法則に向かうことになって、統計的で確率的な見方をするようになったのは、さあ、どうしてなのかという話です。このことはけっこう大問題でね。 

≪013≫ それはね、「偶然」(chance)を統計的な法則のなかで見るという態度こそが、その後の社会で人間社会を「平均的に見る」とか「正常と異常で見る」といった見方をつくったからだね。 

≪014≫ これはっきりしている。ナポレオンが登場してからのことだね。 

≪015≫ あるね。ナポレオンによって世の中に「統計学」(statistics)が生まれたようなものですからね。 そもそもナポレオンってのは、あの精密で厖大な『エジプト誌』でもわかるように、たいへんな記録魔なんだね。あらゆることを記録させた。そうすると、そこに病気や犯罪や自殺などのデータが、毎年、似たような規則でおこっていることが知れてきた。それはナポレオンが作ろうとした近代国家からすると、社会の「逸脱」とか「変なこと」についての項目ばかりなんだけれど、そのことが次々に公的な統計表から見えてきた。そうするとね、そういう「逸脱」や「ばらつき」の数字から逆に、「平均」とか「正常」という概念が新たに生じていくことになったんです。 

≪016≫ まさにそういうことです。ナポレオンはヨーロッパの統一世界をつくって、そこに君臨しようとしたわけだけれど、その社会では統治すべき人民は数値的属性であり、かつ上から下へ向かって階層的になっているようなものであってほしかったからね。 だからこそナポレオンは官僚たちに出生と死亡の記録だけでなく、病気の発症率、個人の身体属性、犯罪の分類、労働者たちの家計などを調べさせて、徴税とか徴兵とかの国力評価に役立つデータをできるだけ集めさせたわけだ。 そうすると、そこにはいろいろの「ばらつき」(dispersion)があることが見えてきた。そこで、これらを国力に寄与するものとそうでないものに分けた。寄与するものを「正常」(normal)とし、そこから逸脱してるものは「社会病理」(pathological)としたわけだ。そして、こういう見方を国民国家(nation state)の基準に置いて、その根拠となる情報(データ)を独占することをもってナポレオン帝国を強化しようとした。さらにはそのための役所をつくって、情報管理の新しい制度にもしていくんだね。これを“統計的官僚”というんだけれど、ヨーロッパ近代が生んだ官僚制度は、実はすべてこの統計的官僚の制度なんです。 

≪017≫ そうだね。ナポレオン執政府の崩壊が、そういう統計情報を密室から流出させて、世界に向けて垂れ流す結果になるんだね。統計的官僚たちが管理していた数字が官僚的統計として世に洩れていったわけです。これはきっかり1820年から1840年にかけてのことで、これをイアン・ハッキングは「印刷された数字の洪水」というふうに名付けている。ちょうど印刷術が革新されていたことも手伝っていたからね。 


≪018≫ それまで誰もが見たことがなかった統計学や確率論がだんだん社会化していって、そのぶん決定論が後退した。 

≪019≫ ヨーロッパの哲学や思想では、長いあいだ、世界がなんらかの「秩序」によって決定されているはずだという「決定論」(determinism)が支配していたわけです。ある現象は必ずや何かの現象に帰結する。そこでは、はっきり原因と結果が結びつけられている。 だから将来に何がおこるかは過去に決定されていると見られた。ニュートン力学はこのルールでできているわけでしょう。世界はそういう決定論的な世界秩序でできていて、そこにこそ「合理」があると考えられていたんですね。 だからそういう時代社会では、「偶然」や「たまたま」を相手にするなんてことは、ひどく野蛮なことで、非合理きわまりないものなんです。偶然を相手にするなんて気の変な奴がすることだと思われていた。それが19世紀に入ってラプラス(1009夜)やポアソンが登場し、ナポレオン型の統計調査が広まるにつれて、しだいに変化していった。変質していった。イアン・ハッキングはこれを「決定論の侵食」(erosion of determinism)と名付けて、それをこの本では「偶然を飼いならした」といふうに比喩的にあらわしたわけだね。 

≪020≫ 本格的に決定論が破れるのは20世紀の量子論以降だけれど、その前兆がおこったのと、それが社会化されたことが大きいね。なぜそんなふうになったかというと、さっき言ったように、ナポレオンのもとの統計的官僚によって「正常」や「平均」の概念が発見され、それが官僚的統計の数字として流布したからです。そこからだんだん、統計的な事実のほうが新たな合理と推論の基礎になっていった。 

≪021≫ そう思ったほうがいいかもね。近代官僚制はすべからく統計的官僚制のことですよ。いまの日本の年金問題だって、官僚的統計と統計的官僚の問題でしょう。 

≪022≫ 18世紀って、啓蒙主義やフランス革命の時代だよね。これをしばしば「理性の時代」(age of reason)というけれど、そこで追求されたのは人間の本性(human nature)だったんですね。人間の本性には“reason”(理性)というものがあるはずだから、それを開花させようとした。 それが19世紀になると、理性ばかりじゃ社会はつくれないことがわかってくる。軍事力や産業技術のほうが力をもってくる。そうすると、だんだん“reasoning”することのほうが新たな合理になったわけです。“reasoning”というのは何かというと、「推論する」ということですよ。ここで、18世紀的な「理性」(reason)が切り替わって19世紀的な「推論」(reasoning)になった。その推論のために、大がかりに「数えあげる」という統計的手法が採用された。そういうことがおこったんです。 

≪023≫ そうだね。ただしこの推論はいわゆる”連想的な推論”のことではなくて、統計的推論のことだったんです。だからそこでの推論は、その数えあげられ、比較された数字にもとづいた自己立証的なものですね。しかもナポレオン時代以降、この比較された統計的数字が国民国家の人間にあてはめられ、正常と異常の基準に使われた。 それで何がおこったかというと、いわば「人間の本性」が数理の対象になってしまったわけです。これは「決定論の侵食」になりますよ。 

≪024≫ いや、必ずしもそういうことじゃない。確率モデルを使った統計的推論にはしっかりしたものがたくさんあるし、魅力的なものもある。とくに大数の法則があてはまるようなところでは、まったく問題ないでしょう。大数の法則はわかるよね。確率論の基礎だからね。 

≪025≫ あっ、そうなのか。いまは詳しい話はしないけれど、大数の法則というのはとてもかんたんなことです。 よく「サイコロを振れば6回に1回は1の目が出る確率は1/6だ」というような言い方があるよね。これはまちがいです。確率論はそんなことは保証していない。サイコロを振る回数をどんどんふやしていくと、長い目で見れば平均して6回に1回くらいの割合で1の目が出る公算が大きいですよということを保証しているだけなんだ。これが大数の法則です。 大数の法則は何を教えているかというと、たとえばサイコロを5回振って一度も1の目が出なかったからといって、次の6回目に1の目が出る確率は1/6ではないよということなんだね。だいたいサイコロ自体は5回の振りで自分がどんな目を出したかは知らない。サイコロはまったく新鮮な気持ちで6回目を転がるわけだ。ということは過去5回の結果は6回目のサイコロの挙動になんら影響は及ぼさない。これが確率の基礎の基礎なんです。 

≪026≫ そうです。確率は現象(事象)の記憶にディペンドするわけでないし、次におこる事実を予言するわけでもない。 

≪027≫ それがちょうどナポレオン執政府以降の1830年代くらいなんだよね。数学者のサイモン・ポアソンが大数の法則という用語をつくったのは1837年です。ただし、ポアソンは大数の法則はあらゆる現象に見いだせるもので、誤ることのない経験的事実だと考えてしまった。これはちょっと勇み足だった。 

≪028≫ というわけで、この時代に統計のプロセスが従来の決定論のプロセスとはまったく異なるということが見えてきたわけです。ただし、この国民国家が確立した19世紀半ばの時代では数理的な発見の重要性もさることながら、社会の現象が数字化されて確率の対象になったということのほうが見逃せない。なぜなら、統計の結果が新たな客観的知識だというふうになっていってしまったんでね。でも当時は、これこそは「新たな合理」にふさわしいものだったんです。歴史は流動する統計なんだけれど、統計は静止する歴史をつくるからね。 とはいっても、これらのことは科学としての統計学が問題だということじゃない。また確率論が統計的社会観の歯車となったからといって、確率論そのものに問題があるんじゃないんです。確率的統計の結果が新たな社会的判断に使われていくようになったということ、そのことがのちに禍根をのこす“もと”になったということ、そこに重大な問題が発祥していたんだね。 

≪029≫ 異質性を異質の侭に共存する? 

≪031≫ うん、そのことね。その話の前に言っておきたいことがあるので、そこから話すと、この『偶然を飼いならす』という本は、統計学や確率論の初期の出来事を扱って、それがどのように社会的な解釈に使われていったのか、それがのちのち確率統計的社会像としてどのように膨らんでいったのか、または歪んでいったのかということを、ほぼ19世紀半ばを中心にしての歴史的な流れにそって叙述したものなんですね。 だからこの本の後半部では、近代国家や近代社会が「基準」「標準」「平均的価値観」「正常」というものをつくりだしたことによって、しだいに「優位」「優勢」「優生」という概念に片寄るようになったことについても書いている。とくに統計学者として超有名なフランシス・ゴルトンやカール・ピアソンが、一方では統計学では非常によく知られた「正規曲線」とか「正規分布」を“開発”しつつも、他方ではその統計学をフルに使って「優生学」というものを提唱していく経緯も述べているんです。 ところが、ここに大きな歪みが生じていたんだね。優生学(eugenics)というのは、人種や人間を遺伝的な優性人種と劣等人種に分けようということですからね。で、これがのちのナチスによるユダヤ人排斥の科学的根拠になっていったんだからね。 

≪030≫ まったく気がついていなかった。でも、ぼくは重大視している。結局ね、「暴走する資本主義」とか「マッドマネー資本主義」のことを深く掘り下げていくと、この時代まで溯るんではないかとぼくは踏んでいる。まあ、そのうちもっと詳しく書きますよ。 

≪032≫ ひとつは、ちょうどそのころにダーウィンの進化論が発表され、それがハーバート・スペンサーらによって社会進歩と結びつけられていったという事情があるでしょうね。だから進歩的人間像というものも科学的に確定できると思われてしまったんだね。もうひとつには、当時の遺伝学がまだ未熟なために、遺伝的気質や体質は人種をつくると考えられていた。そこへ新科学の玉手箱を開けるかのように統計学が君臨していったものだから、そこで優性遺伝と統計的人種論が組み合わさって、きわめて不気味な学問が形成されてしまったわけだ。だいたい「正規曲線」というネーミングだって変なんです。 

≪033≫ 正規曲線は“Normal Curve”というんだけれど、これはそのころは大文字で綴られていた。つまり「ノーマル」(正規・正常)というのは数学的にも、社会的にも、そして人種的にも特筆すべきことだったということです。 

≪035≫ まあ、その話は別のところでしよう。それより、ダーウィン主義だけではなく、当時はいろいろの分野で誤解的継承がおこっている。たとえば、いまは“社会学の父”として知られるオーギュスト・コントが提唱した「実証主義」も、そういう傾向をもっていたんです。実証主義ってフランス語や英語やドイツ語で何と言うのか知ってる? 

≪034≫ そうだね。「印刷された数字の洪水」はだんだんに社会と人間の正常性(normalcy)のためのものになっていたんだね。そこに絡めとられたというよりも、むしろ堂々と、「それこそが正しい学問なんだ」という雰囲気のなかでね。あのね、ゴルトンの祖父って、ダーウィンの祖父のエラズマス・ダーウィンなんだよ。ただ、4分の1の血だけどね。こういうこともあって、みんなゴルトンの言うことに説得されてしまった。  

≪036≫ 「ポジティヴィズム」(positivisme,positivism,Positivism)っていうんです。  

≪037≫ うん、コント自身はラテン語の「ポシティウス」が「設定する」という意味をもっていたので、当初は「もともと設定されたものを問う」という意図でポジティブという言葉をつかったんだけれど、コントが死んだ1857年以降、それがだんだん変質したんだね。 

≪039≫ ああ、その話だよね。この本では、パースは唯一の偶然賛美主義者なんです。 

≪038≫ それは、この時期、自然科学がいろいろ成功を収めたのに対して、社会についての科学がまったくなくて、どうしたら社会科学をつくれるのかと考えだしていた時期だったからね。そういう事情もあった。あんまりポジティブ・シンキングなんて信じないほうがいいよ。 

≪040≫ パースも統計的推論にいろいろとりくんだ科学者であり、哲学者であり、また宇宙や世界が確率的にできているということを思索したんだけれど、そこにはそれまでの統計学や確率論がもたらす観念とはいささか異なるものが動いていたんだね。 

≪041≫ そう、その通り。パースは「偶然をすべて取り除いてはいけない」という見方をした。そこが他の全員の統計学者や確率論者と違っていた。パースの「アブダクション」(abduction)は「仮説形成」という意味だけれど、それは統計的確率的なプロセスに、あえて確率と関係ない仮説をまじらせるということなんです。偶然のゆらぎを取り除くのではなくて、むしろゆらぎを追加することで仮説を形成させるという方法なんです。  

≪043≫ 「偶然の飼いならし」の方法がほかとは違うんだね。  

≪042≫ 確率論的な思考の特徴が“will be”にあるのだとすると、アブダクションはおそらく“would be”になっているんではないかと、イアン・ハッキングは書いているね。ぼくもなるほどと思った。 

≪044≫ いやあ、いまのところはあまりいないんじゃないのかな。「偶然」をとりこんだのは、やっぱり詩人やロマン主義者のほうです。たとえばノヴァーリス(132夜)とかマラルメ(966夜)とかね。ノヴァーリスはあきらかに、天空思考には偶然(chance)と事故(accident)とが必要だと言ってるね。「われわれは神々しい偶然のための劇場にいなければならない」というふうにね。 

≪045≫ ハハハハ、好きそうだね。だったらポール・ヴィリリオ(1064夜)の『アクシデント』(青土社)を読むといいよ。  

≪046≫ そうねえ、イアン・ハッキングはニーチェ(1023夜)もまたパースに似て、偶然を味方に入れようとしたと書いていた。  

≪047≫ 論理的でもないし、論証したわけでもないけれど、ニーチェは「偶然の帝国」(The empire of chance)が大好きで、そこでは偶然と必然は両義性をもっているんだと書いているよね。 

≪048≫ そうだね。ドゥルーズは「投ぜられたサイコロは偶然の肯定であり、サイコロが出す目は必然の肯定である」というような言い方で、「ニーチェが必然と呼ぶものは偶然の廃墟ではなく、その組み合わせなのである」とかというふうにみなしていた。 

≪049≫ いや、そうでもない場合があるね。パースやニーチェがそういうことを言うときは、われわれが思考しているとき、実は古くからある宇宙(世界)にいながら新たな宇宙(世界)を考えているんだという、そういう二重性のバネが効いているからね。もし、これを新たな確率的世界観に編集したかったら、次のように言うといい。「われわれは古くから宇宙にいるか、それとも次々に現れては消える宇宙の一つにいるかは、判定できない」とね。わかった? では、また。