広島研修

ー目次ー

1、広島ホロコースト記念館

2、広島平和記念資料館について

3、2つの研修を振り返っての感想

ホロコースト記念館は、戦後50年の節目にあたる1995年6月日本で最初の教育センターとして開設されました。ホロコーストとは第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人を中心とした大量虐殺を指す言葉です。ホロコーストはナチスドイツの指導者であるアドルフヒトラーのイデオロギーに基づき、ユダヤ人を始めとする民族、宗教的少数者、政治的反対派、障害者、同性愛者などナチスにとって非望ましいとされた人々を大規模に迫害し、殺害した出来事です。ホロコーストの真実を多くの方に知っていただき、この世界から差別や偏見をなくし、平和を実現したいとの思いから設立されました。

1. 広島ホロコースト記念館

  初めに理事長の大塚信さんからご講演をいただきました。大塚さんは私たちに繰り返し「平和は相互理解から生まれます。アンネたちの悲劇的な死を悲しむだけではなく、平和を作り出すために何かをする人になってください」とおっしゃいました。この言葉は、アンネの日記の作者として有名なアンネ・フランクの父オットー・フランクさんが当時21歳の大塚さんと出会った時に伝えられた言葉です。大塚さんはこの言葉に出会ってホロコーストから生き延びたユダヤ人の方々に「ホロコーストに関するものを譲ってください」と手紙を書き、資料を集め始めました。それが積み重なり、現在のホロコースト記念館となって、世界40カ国から寄贈された遺品や写真が展示されています。


 600万人のユダヤ人がホロコーストで犠牲になったという事実は、非常に悲惨な出来事です。しかし、単に数字として見るだけでは漠然と捉えてしまいます。その1人1人にそれぞれの人生があったことを考えることで、より自分の中に落とし込んで、実生活に教訓を活かすことができると感じました。今私たちはホロコーストを第三者の視点から見ているためナチスは悪であると言えますが、実際に自分が当事者で苦しい状況に置かれていたら正しく判断できたでしょうか?もしかすると、差別を黙認したり、加担していたかもしれません。というのも、当時のドイツは第一次世界大戦敗戦により多額の賠償金を背負っていました。その額は今の日本円にして約200兆円。当然国内の状況はひどいものでした。その不況の原因をナチスドイツはユダヤ人に押し付けたり、歴史的にあった反ユダヤ主義と結びつけることで、支持を集めて行きました。当時のドイツにはニュルンベルク法というユダヤ人の差別を正当化する法律さえありました。そんな中で「国が言っているから。」、「自分たちが苦しいのは全部あいつ達のせいだから。」、「みんなやってるから悪いのは自分だけではない、逆らうと自分が危ない。」と思ってしまうのも仕方ないことなのかなと思います。しかし、このようなプロパガンダ、恐怖による社会の崩壊、個人的な安全への焦点集中などから生まれた、無抵抗、無関心がホロコーストの被害拡大に繋がりました。

アドルフ・アイヒマンの写真

この無関心というのはなにも市民だけの話だけではありませんでした。ナチスの党員も同じでした。反ユダヤ主義に共鳴したり地位や権力のために積極的にホロコーストに参加した者もいましたが、恐怖政治のナチス内部では、異議を唱えたり逆らうことが非常に危険であり、拷問や処刑の対象となることもあったため命令に従わざるを得なかったり、自身や家族の安全を確保するために忠誠を誓ったりした人々もいました。ユダヤ人虐殺において中心的役割をしていたアドルフ・アイヒマンまでもその1人でした。彼は戦後逮捕された際の取り調べで「あの当時は『お前の父親は裏切り者だ』と言われれば、実の父親であっても殺したでしょう。私は当時、命令に忠実に従い、それを忠実に実行することに、何というべきか精神的な満足感を見出していたのです。命令された内容はなんであれ、です。」「戦争中には、たった1つしか責任は問われません。命令に従う責任ということです。もし命令に背けば軍法会議にかけられます。そういう中で命令に従う以外には何もできなかったし、自らの誓いによっても縛られていたのです。」「私の罪は従順だったことだ。」などと言葉を残しています。では本当にこれらの人の罪は従順であったことだけでしょうか?このようにホロコーストを助長したのも人間ですが、自らのことを顧みずユダヤ人を必死で守ろうとしたのも人間です。大塚さんはすべてのことには原因があるとも仰っていました。ホロコースト禍ではただユダヤ人であるという理由だけで、600万人の人が殺されました。現代にも通じる教訓として、今身の回りで起こっていることの理由は何なのか、それは筋が通っていることかを考える力が大切だなと思いました。


2. 平和祈念資料館について

 2日目は平和祈念資料館で被爆者二世で広島での悲劇を伝える伝承者の平岡佐知子さんにお話を伺いました。広島と長崎に原爆が落とされたことは皆さん知っていると思いますが、当時の悲惨さを想像することができますか?もし敦賀に原爆が落ちたら、被害規模はどれくらいだと思いますか?なんと爆心地をさかなまちとすると、粟野地区の一部地域以外は建物がすべて崩壊してしまいます。実は敦賀にも1945年8月8日にアメリカ軍が原爆投下の訓練のために、原爆と同じ形の大型爆弾いわゆる模擬爆弾(パンプキン)が投下され、33人が死亡しました。8月8日というのは広島に原爆が投下された2日後、長崎に原爆が投下された1日前の日です。広島の原爆で直接的に亡くなった人は約10万人、その後、後遺症でさらに何十万人と言う人が亡くなったり、苦しんだりしました。

原爆の模擬爆弾の投下場所図
     平岡さんの母である笠岡貞江さんの被爆体験のお話を聞いたときの集合写真

原爆が落ちた直後は、なんの被害もなかった人も、数ヶ月後、数年後に突如として被爆症状が現れ、苦しんだり、死に至る人もいました。また、なんとか生き延びられたとしても、仕事に支障をきたし家計を営むことが困難になり、家族が崩壊したり、生きることに絶望を覚える人もいます。

 また、原爆によって直接被害を受けてなくても、直後に助けに行くために広島に入った人も残留放射能によって、被爆しました。被爆した人は、吐き気や食欲不振、下痢、頭痛、不眠、脱毛、倦怠感、吐血、血尿、血便、皮膚などに苦しみました。当時は、このような被害が放射線による影響ということが分からなかったので、人々は感染症だと思い込み、被爆者の方々は差別を受けました。現在なお晩発性の障害である癌、白血病、白内障に苦しめられている人が多くいます。

 平和祈念公園には沢山の外国人が訪れていました。ウクライナ戦争、G7広島サミット、コロナ規制の緩和などの影響で世界からの平和や核への関心が高まり平和祈念公園に訪れる外国人の数も増えており、日によっては来館者の半数近くが外国人観光客の日もあるそうです。実際に私たちも涙している人、展示を見て立ちすくんでいる人もたくさん見ました。世界中の人が平和を願っているのだと実感しました。以前YouTubeに投稿されていたインタビュー動画で海外から平和記念館を訪れた男性がこのように言っていました。「アメリカに対して批判的な視点で構成されていると思っていたがそうではなく、原爆そのものに対する批判だった。」と。同じ事でも立場や観点が変われば捉え方は大きく変わります。原爆投下に関しても、「原爆によって戦争が終わったから最善の方法だった。」であったり、「当時日本に植民地支配されていた国では日本の戦争敗戦により支配が終わった訳ですから…」と、独立の象徴として捉えている人もいます。決してどの考えが正しい、これは間違っているなどと言うつもりはありませんし、もちろんそれぞれの国の中でも、世代や各個人によって異なる捉え方があります。戦争などに限らず、身近な些細な全てのことに対しても。だからこそ一度見ただけの歴史、全体の歴史だけで満足せず、誰か一人に焦点を当てたり、有名な出来事の背景には何があったのかまで追求し、具体的にどのようなことが人々の身に起こったのかや、それらが招いた結果と向き合うことが大事だと思います。そして、自分ごととして考えることが大事だと感じました。そうすることで、認識の壁を自分も持っている前提で物事、相手に向き合おうという姿勢を持つことができ、その壁を乗り越えた時相互理解につながると思います。私たちも原爆について知っているつもりなことが多くあり、展示物の写真を撮るのを忘れてしまうほど衝撃的な初めて知ったことだらけでした。知ったつもりになるのが一番怖いなと実感しました。

3. 2つの研修を振り返って

 社会、身の周りで起こっていること、未知、無知なことに対して無関心にならないことの大切さを改めて実感しました。

 人道の港敦賀ムゼウムでもやっとの思いでホロコーストから敦賀に逃れてきたユダヤ人のために朝日湯という当時敦賀にあった銭湯の店主はユダヤ人のために無料で銭湯を解放したと言う心温まる証言が残されている一方、垢だらけの外国人と一緒にお風呂に入るの嫌だったから遠くの銭湯まで歩いて行ったと言う敦賀市民の正直な証言も残っています。このようにどんな状況でも少数派、自分とは異なるものに対して否定的な考えや排除しようとする思いが生まれることは仕方ないことかなと思います。しかし、ただその思いを相手にぶつけるのではなくて、もし自分が相手の立場だったらと考えることや、未知のことに対して噂や周りの風潮に流される前にまずは正しく知ろとする姿勢を持つことが大切なのかなと思いました。無関心ではその姿勢は持てません。過去の歴史から学んだことを、身近な事に置き換えて、自分の友達、大切な人が幸せでいるためには?そのためにが被害を被っていいか?今自分のしていることは自分が何十年後かに振り返った時、誰の前でも正しいと胸を張って言えることなのかと批判的な思考を持って考え続けることが改めて大切だと思いました。


 最後に私達の大好きな大塚さんの言葉を記します。

「人生とは出会いです。もしあなたが本気でそれを望むなら、もはやそれは夢ではありません」

ホロコーストや原爆投下も人間がやったことですし、ユダヤ人を救うため、平和を実現するために命を捧げているのも人間です。皆さんもその気になれば世界を変えるほどの力を秘めています。ですがそれが発揮できるのも周りの多くの方からの支え、平和があってこそです。そんな平和を普段の生活の一部として捉えることで過去の歴史、自分ごととして捉えて無関心をなくすことができると思いました。そして、その平和を伝える活動であるムゼウムでのガイド、平和があってこそ出来る敦賀をよりよくしていく活動を今回の学びを生かして精一杯取り組んでいきたいです。



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