この地域の確かな歴史は、縄文時代前期まで遡り、煮炊きや食料保存に使われていた土器などが発見されています。
南雪谷・上池台あたりは今でも日当たりがよく、湧き水が豊富なので、早くから人が住みついていました。
江戸時代には、武蔵国馬込領雪ヶ谷村という地名で呼ばれていました。
かつて川魚の「若あゆ、落ちあゆ」は多摩川の代表魚として江戸人の称賛を受け、江戸城にも献上されていました。
アユを雪でまぶし、姿と鮮度を保つため初夏に雪を谷あいのムロの中に大量に入れて、保存する技法、技術があり、
その名が雪谷の地名になったといわれています。
明治4年、東京府荏原群雪ヶ谷村となり、明治22年町村制施行に際し、荏原群池上大字雪ヶ谷となりました。
その後、市郡併合や住居表示の実施を経て、現在の町丁名になりました。
洗足池は、ウォーキング、ジョギング、早朝のラジオ体操と老若男女が水辺を囲み、四季折々の豊かな水辺を囲み、四季折々の豊かな時を紡ぐ景勝の地です。多くの野鳥が飛来し、実に90種以上が確認されています。
都内初の釣り堀として、80年にわたって親しまれてきた小池は、平成21年小池公園として整備されました。「大池」と呼ばれていた洗足池に対し、湧き水を集めた小さな公園なので「小池」と呼ばれています。小池公園も昆虫、野鳥、魚類や爬虫類、そして草木など生態系も豊かな公園です。
雪谷地区には、名前の付いた坂道だけでも16坂あり、それぞれに由来があります。