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テーマ自由(日常の「たわいもない」こと) 400字程度 写真添付 ニックネーム
宛先 oujhokkaido.gakuyukai@gmail.com
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故郷の群馬へ、中学校の同窓会に出席するため帰省しました。地元に残った幹事さんたちのおかげで4年ごとに続いてきた会ですが、今回はコロナ禍もあり9年ぶりの開催です。もう60年以上前のことになりますが、当時は一学年7クラスもある時代。同級生の顔を見ても、すぐには名前や記憶が結びつかず、「同じクラスだった」「家が近所だった」という断片的な記憶をたどるばかりでした。もっとも、18歳で北海道へ渡り、すっかり道産子の暮らしに馴染んだ今では、自分の記憶そのものも曖昧になっている気がします。同窓会では昔話に花が咲きますが、不思議なことに、都合の悪いことはきれいに忘れている自分がいます。人の記憶とは実に曖昧で、都合よくできているものだと改めて感じました。
木造二階建ての懐かしい校舎はもうありませんが、故郷の山や川の風景は昔のままでした。幹事の「次は“あちら”で会うかもな」という冗談に笑い合いながら、少しだけ記憶を“アップデート”して帰ってきました。
JR東根室駅:64年の歴史に幕
2025年(令和7年)3月15日、JR北海道のダイヤ改正で、鉄道路線の廃止は無かったが、利用者の減少で5つの駅が廃止となった。その中に、JR花咲線のJR東根室駅も含まれていた。
東根室駅は1961年(昭和36年)2月1日に開業。駅舎が無く、根室方面に向かって右側に、1面1式の単式ホームが設けられていた無人駅。駅の1日のダイヤは、厚岸・釧路方面(上り線)が5本の根室方面(下り線)が6本で、上下線とも快速列車が停車。この駅の大きな特徴は、「日本最東端の駅 東経145°35′50″ 北緯43°19′25″」の看板があることだった。
私は廃止前に東根室駅を訪れた。時間のことを考慮して、東根室から根室までの往復を利用した。東根室駅から乗ったので、JR根室駅前から根室市立光洋中学校前(東根室駅最寄りのバス停留所)まで根室交通バスに乗った。
廃止に伴い、駅ホームと「日本最東端の駅」の看板が撤去。2026年(令和8年)3月30日、「在りし日の東根室駅」の看板が新しく設置され、かつての日本最東端の駅跡に64年間の記憶を伝える。
Spring ephemeral (スプリング・エフェメラル)とは、雪解け直後の春先の短い期間だけ姿を見せる植物や昆虫たちの愛称で、「エフェメラル」は直訳すると「はかないもの」「つかの間の命」という意味がある。
4月から5月の北大の構内に咲く野花が、まさにそれである。カタクリ、スノードロップ、エゾエンゴサク、キバナノアマナ、ニリンソウ、などなど。早春の構内に、一斉に花を咲かせて、まもなく姿を消してしまう可憐な小さな花々。そう、妖精たちである。
半年近く雪に閉ざされていた冬が終わり、ようやく春が訪れた。その喜びが、今、北大構内のあちこちにあふれている。春の陽ざしの中で、すべてがのびのびとうれしそうに息づいている。やっと、春になったのだ。
今年もまた放送大学の新学期がやってきた。僕が日常使う通学ルートは大学農場の一本道を通る最短コース。この時期、農場では地上からも空からもヒバリのさえずりが聴こえてくる。
このさえずりを聴いていると、かつて都立高校の生徒だったとき、古典の授業で習った『万葉集』の中の一首を思い出す。教えてくれたのは、通称ミヨちゃんと生徒たちから呼ばれていたおばさん先生だった。大伴家持の「春愁三首」のうちの一首である。
うらうらに照れる春日にひばり上がり
こころ悲しもひとりしおもえば
古代歌謡の特色である集団性・口承性を受け継ぎつつ、しだいに個の自覚をみるようになっていった万葉和歌は、四世紀余を経て、この歌にみられるような、明るさゆえの哀しみという、今の僕たちにも容易に理解できる、近代性といっても良い境地へと達した。当時の家持の心を占めていたのは、藤原氏の台頭により、その立場を弱めていくかつての名門大伴氏の長としての苦悩と孤独感だろうか。家持の歌は、「万葉の終わり」を締めくくる哀しい歌々なのであった。
豊平区の寒地土木研究所に植えられているチシマザクラが今、満開である。構内を流れる精進川の両岸に200本ほどが、並木になっている。
昭和59年に浜中町霧多布から苗木を取寄せて、植樹したものだという。北海道や千島列島など寒冷地に分布している。北大の宮部金吾先生の命名で、別名エトロフザクラとも呼ばれる。木の丈が低く、目線の高さで花を観ることができる。咲き始めは薄紅色をしているが、満開になるに従い白い色になる。そして散り際にまた紅くなり、色の変化を楽しめる。円山公園の山桜などとも、少し雰囲気が違うように感ずる。
サクラの中で強い耐寒性を持ち、5月の中旬から咲き始め「日本一遅く咲く桜」といわれるが、今年の開花は早い。これも温暖化の異常気象の影響だろうか。
JR留萌本線:留萌・羽幌方面最後の鉄路
JR留萌本線最終営業日の2026年(令和8年)3月31日、私は深川~石狩沼田の往復列車に乗った。車内は沿線住民や全国から集まった鉄道ファンで、満員状態であった。途中の北一已、秩父別、北秩父別の駅前にも多くの人が駆けつけ、名残を惜しんだ。
留萌本線は1910年(明治43年)11月23日、深川と留萌の区間で開業、1921年(大正10年)11月5日、留萌から増毛まで延伸した。さらに1958年(昭和33年)10月18日、留萌から日本海側の羽幌方面を経て幌延まで鉄路が延長したことで、羽幌線が誕生した。二つの路線は札幌からの急行列車が運行するなどして利用客も多かったが、赤字を理由に1987年(昭和62年)3月30日、羽幌線が廃線。その後、2016年(平成28年)12月5日に増毛~留萌、2023年(令和5年)3月31日に留萌~石狩沼田が順次廃止。そして、深川~石狩沼田が無くなり、約116年に及ぶ留萌本線の歴史が終わった。
北海道の地図から留萌・羽幌方面の鉄路がすべて無くなったことを、私は残念に思う。
毎年この季節になると、学習センターの学生控室から眺める北大の風景に、あらためて木々の生命力の不思議を感じます。冬の間、あれほど見事に「丸坊主」になっていた木々が、春になるとまるで合図でもあったかのように一斉に芽吹き、やがて全身を覆うほどの葉を茂らせます。ついこの前まで裸だった枝が、気がつけば豊かな緑に包まれているのです。
北大構内は、そうした木々に囲まれた緑あふれる場所です。なかでも北大の象徴とされるエルムの木は、堂々とした姿でキャンパスに立ち続けています。今年、北大は創基150周年を迎えます。その長い年月のあいだ、季節を繰り返しながら、学生や研究者の歩みを静かに見つめてきたのも、こうした木々なのだと思うと、ふと感慨深い気持ちになります。
群馬県の片田舎で育った私が、初めてクラシック音楽に触れたのは中学一年生の時でした。学校行事として体育館で開かれた、群馬交響楽団の演奏会です。その時は、特別に感動したという記憶はありません。しかし今思えば、地方の子どもが生のオーケストラ演奏を聴けたのは、とても恵まれたことだったのかもしれません。
当時の群馬交響楽団は、県内各地を巡回して演奏活動を続けていました。その歩みは、戦後の楽団活動を描いた映画『ここに泉あり』にも紹介されています。
そんな昔の記憶を思い出したのは、先日、弦楽ユニット「石田組」の演奏会に出かけたからです。クラシックを中心にしながら、親しみやすい曲も交えた構成で、今回も期待以上の素晴らしい演奏でした。会場は、札幌が誇るコンサートホール「キタラ」。音響の良さで知られるホールで聴く弦の響きは格別です。
体育館で聴いたあの日から半世紀以上。気がつけば、クラシック音楽との付き合いは長く続いていました。