群馬県の桐生(きりゅう)と栃木県の足尾を結ぶ「わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)」を走る列車です。あかがねとは銅のこと。足尾ではかつて銅の採掘がおこなわれ、その精錬工場がありました。その工場の廃液がもとで、1890年代に日本初の公害事件とされる足尾鉱毒事件がおこりました。渡良瀬川流域の住民に多大な鉱毒被害をもたらしたのでした。銅山の所有は当時の古河財閥。古河財閥はその汚名をそそぐために、全国各地の大学に多額の寄付をしたそうです。その寄付によって作られたのが北大構内クラーク像のとなりにある古河講堂です。
24.6.17 goji 記
「わらべうた」
京都三大祭りのひとつ祇園祭。山鉾の巡行が有名ですが、宵山、宵々山も面白い。もっとも近年の温暖化(熱帯化?)と大変な人ごみで、その夜の街中は「サウナ状態」ですが。巡行前の三日間は山や鉾が所属する各町内に「展示」されます。そこでは、その山や鉾にちなんだ「手ぬぐい」や「ちまき」を売っています。その売り手が町内の子供たちで、口にするのは「わらべ歌」。おのおのの山・鉾でオリジナルの歌詞で、以下は代表的なパターンです。
「 ○○のお守りはこれより出ます 常(つね)は出ません今晩かぎり ご信心のおん方さまは 受けてお帰りなされましょう 蝋燭一丁 献じられましょう 」
独特のリズムが面白い。
YouTubeで「祇園祭 宵山 わらべ歌」で検索するといろいろなわらべ歌を視聴できます。
24.6.24 goji 記
「ちまき」
「ちまき」と聞くと、「ちまき食べ食べ兄さんが、計ってくれたせいのたけ」という童謡(中山晋平作詞『背くらべ』)を思い浮べる方も多いかもしれませんが、京都祇園祭の「ちまき」は食べ物ではありません。笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守りです。毎年祇園祭のときにだけ各山鉾のお会所や八坂神社で受けることができ、京都では多くの人がこれを買い求め一年間玄関先に飾ります。街中を歩くと、普通の民家の玄関の上に飾られているのをよく見かけられます。もちろん「聖」なものなので開けてみるのはタブーですが、中には藁が入っているだけで、うるち米などの食べ物は入っていないようです。
24.7.01goji 記
「ちまき」 その2
祇園祭の「ちまき」は、会所だけでなく、山鉾巡行の時にも、沿道の人々に配られます。写真はその時のものです。この男の子とはだいぶ離れたところから私と目があいました。そして、まっすぐ私の目を見ながらこちらに歩いてきました。これは「あぁ、ちまきもらえるかな・・」と思った瞬間、私の隣の人にちまきを渡し、ニタとしました。男の子のいたずらっぽい目が印象的でした。思わず苦笑いです。
24.7.08 goji 記
「ほとけさんの出稼ぎ」
私がはじめて京都・奈良を訪れたのは高校の修学旅行でした。ちょうどメキシコオリンピックで、日本のサッカーチームが銅メダルを獲得した年のことです。旅行中のバスの中で「日本は10人で守り、釜本一人で得点した」との実況放送が流れ、その言葉は今でも記憶に残っています。
さて、「1200年の歴史」と称される京都・奈良には古いお寺が数多くあります。その寺社仏閣の「修復費用の調達」は大変なようです。その一つの手段として、有名な仏像の「特別公開」が行われることがあります。このポスターは奈良興福寺の金堂再建のためのイベントで、それまで狭い資料室に押し込められていた阿修羅像が、仮設のお堂で一般公開されました。この年、阿修羅像は東京(国立博物館)まで「出稼ぎ」に行ったようです。今では、再建された立派な金堂に鎮座している阿修羅像を拝観することができます。
24.7.15 goji 記
「北大散策シリーズ」
№1 農学部本館 昭和10年(1935年)
今週から「北大キャンパス散策」シリーズです。学友会では毎年5月と10月の二回北大構内の散策を行っています。5月は「北大第二農場」を中心とした北部散策、10月は「農学部・銀杏並木・ポプラ並木」を中心とした南部散策です。しばらく10月19日に予定している南部散策の施設について書いてみます。
北海道大学といえば、札幌農学校。札幌農学校は、東北帝国大学農科大学となり、更には北海道帝国大学へ。そして戦後北海道大学へと名称が変わってきました。その変遷の中でいつも中核にあったのが農学部、北大散策には欠かせない建物です。明治9年(1876年)に設立された札幌農学校は、現在の札幌時計台の近くにあったのですが、明治31年(1898年)からの5か年計画で現キャンパスを建設しました。現在の農学部本館は2代目になります。当時札幌では、こことグランドホテルにしかなかったエレーベーターも設置されていました。昭和11年(1936年)に陸軍特別大演習(盧溝橋事件の前年であり、石狩平野を中国大陸に想定して実施されたといわれています)が行われた時には大本営がここに置かれ、本館正面3階には昭和天皇が滞在したとされる「御座所」といわれる部屋(現N301教室・大学院生の研究室)がありました。演習の実施された10月2日~5日までは「大本営」の門標が、10月6日以後は「行在所(あんざいしょ)」の門標が掲げられたそうです。(演習中は『大元帥』、演習終了後は『天皇』)
24.7.21 goji 記
「北大散策シリーズ」
№2 医学部
札幌農学校から東北帝国大学農科大学へ、そして大正8年には北海道帝国大学として初めて「北海道」を冠した大学になりました。その時に、農学部と同時に設立されたのが医学部です。北大設立の目的は、北海道開拓であり、その基本は農業です。そしてその開拓を支えるうえで重要なものが「医療」です。最初の学部が農学部と医学部という意味も納得できますね。三角屋根の建物は「医学部管理棟」で、ここが(一応)正面玄関になります。2010年に改修された建物の正面玄関から入ると、事務室や研究院長室、会議室などがある管理棟です。玄関の三角破風にあるレリーフは、1923年建設の医学部旧本館の2階にあったレリーフのデザインを活かし、北大のシンボルであるエンレイソウの花があしらわれています。
24.7.28 goji 記
「十勝(道東道)」
最近、十勝で過ごす時間が多くなりました。以前は、年末年始、GW、盆の年三回だったのですが、この一年は、毎月行くようになりました。以前と比較して、まず交通機関が便利になっています。夏場はマイカー、雪が降ると公共交通機関が基本です。
まずはマイカー、なんといっても道東道の開通です。以前は日勝峠を通って5時間ちょっとかかっていましたが、今は2時間半。運転ストレスも一般道より格段に少ないようです。もちろん片側一車線のため特にトンネル内は緊張しますが。
冬場はさすがに公共交通機関。以前はJR一択でしたが、今は都市間バス。乗車時間は4時間弱でJRより時間はかかりますが、Wi-Fi完備で色々楽しめます。料金もJRのほぼ半額。放送大学生の学割もききますので、どうしてもバスを利用してしまいます。
24.8.04 goji 記
「北大散策シリーズ」
№3 大野池
工学部の南側に位置する池です。名前の由来は、昭和40年代後半に大野和男工学部教授(工学部長)の人力により、泥臭い湿地帯であったこの場所が徐々に再生されたことによります。中央ローンから始まるサクシュコトニ川が構内東部を流れ、ここに注ぎます。その後、この流れは北大第一農場を潤し、琴似川から日本海へ注ぎます。
ちょうど今頃は蓮の葉が見頃です。
毎年6月頃には「カモの親子の子育て」の様子も見られます。
24.8.11 goji 記
「北大散策シリーズ」
№4 中谷宇吉郎博士の記念碑
昭和11年(1936年)、中谷宇吉郎博士が世界初の人工雪の結晶をつくることに成功した常時低温研究室の跡地です。東京帝国大学物理学科で寺田寅彦の教えを受け、実験物理学を志した中谷博士は、イギリス留学を経て、昭和5年(1930年)に北海道大学に赴任しました。昭和7年(1932年)頃から「雪の結晶」の研究に取り組み、昭和11年(1936年)3月には低温実験室において「人工雪の製作」に世界で初めて成功し、気象条件と結晶が形成される過程を解明しました。低温研究室は、昭和16年(1941年)に北海道大学初の附置研究所として低温科学研究所になりました。以来、雪氷学や低温生物学の分野で発展を遂げ、特徴と伝統のある研究所として、北海道大学の顔とも呼べる存在になりました。
24.8.18 goji 記
「ハイビスカス」
南国の花の代表として話題になるがハイビスカス。私の年代だと寅さんシリーズ第25作「寅次郎ハイビスカスの花」のリリーさん(浅丘ルリ子)が印象的でした。
一昨年12月に久しぶりに旅行に行ってきました。八丈島。お土産にハイビスカスの苗木を買ってきました。一年目の昨年夏にも花はつけたのですが、なにか「弱々しい」感じでした。二年目の今年は土がなじんだのでしょうか、元気な花を次から次へ咲かせてくれました。
ところで皆さんはハイビスカスの花が一日しか咲かないのをご存じでしたか。つぼみを付けて一週間ほどで早朝に開花します。しかし、その日の夕方にはしぼみ始め、夜には完全にしぼみ翌日には落花します。南国というと「元気」をイメージしてしまいますが、ちょっと「はかなさ」を感じさせる花です。リリーさんにダブります。
24.8.25 goji 記
「北大散策シリーズ」
№5 埋蔵物文化センター展示室
「NHKブラタモリ(2015.11)」でも紹介されましたが、クラーク像のあたりが扇状地の湧水地点だったようです。つまり、北大構内は水量に恵まれた土地であったということで、古くから「居住地」として多くの人々が住んでいたようです。その関係で、北大構内は全域が「続縄文・擦文遺跡」となっています。そのため、北大構内で工事が行われる際には遺跡の保護のために、必ず発掘調査を実施するそうです。調査により発見された住居跡や河道などを記録し、出土した土器や石器などの考古学資料を修復し、常時公開展示しています。
もちろん入場無料です。
24.9.1 goji 記
「北大散策シリーズ」
№6 ポプラ並木
明治36年(1903年)にポプラの小規模な植林に始まり、大正元年(1912年)に林学実科学生の実習の一環として、植林がなされ、現在のような並木が出来上がりました。しかし、平成16年(2004年)の台風により多くが倒壊してしまい、立ち入り禁止になってしまいました。ポプラの寿命は(諸説ありますが)100年程度だそうで、そろそろ限界だったようです。なお、平成12年(2000年)に創基125周年に新設された「平成ポプラ並木」はこのポプラのクローンです。
24.9.8 goji 記
「北大散策シリーズ」
№7 新渡戸稲造胸像
平成8年(1996)北大創立120周年事業として、卒業生を中心とした数千人の篤志家の浄財により建立されました。新渡戸稲造博士は札幌農学校第2期生で、直接にはクラークの教えを受けることはありませんでしたが、同期生には内村鑑三、宮部金吾らがいました。彼ら3人は、農学校卒業直前の明治14年(1881)、「われわれは社会に出たならば、それぞれの道は違おうとも、国のために一身を捧げ、信仰をまっとうしよう」と誓い合ったとされています。新渡戸は、その後東京大学に進学するのですが、その面接試験で進学理由について問われたとき、「われ太平洋の橋とならん」と述べたそうです。その言葉が台座正面に英文できざまれれています。やがて彼は国際連盟事務局次長職(1920年大正9年)に迎えられるほどの国際人となりました。代表書作に『武士道』がありますが、これは欧米人の「我々にはキリスト教という精神的バックボーンがあるが、(未開の)日本にはそのようなものはあるのか?」という質問に対するアンサーとして書かれたと言われています。
次週は文化祭の為「ブログ更新」お休みします。
24.9.21 goji 記
「ハイビスカス№2」
ひと月ほど前に、「ハイビスカス」というテーマで書かせていただきました。今週はその第二弾というか、訂正というか、発見というかです。
最近学習センターで、「日が短くなったね・・・」という会話をよく聞きます。そうですね、もうお彼岸ですね。日が短くなったことが原因かどうかは定かではないのですが、我が家のハイビスカスの花の色が少し薄くなってきたように感じます。やはり南国の花でしょうか。そんなことを感じていたら、びっくりです。昨日咲いた二輪の花が、夕方になってもしぼむことがなく、なんと今朝も咲いていました。「一日花」ではなくなった?結局、今日の夕方にしぼむことになり、「えぇ、二日花?」と思いネット検索してみました。すると「ハイビスカスは品種改良で二日咲く品種もある」という記事に出くわしました。我が家のハイビスカスはついこの間まで「一日花」なので「品種改良」には当てはまらないとは思いますが、ともかく我が家のハイビスカスが二日咲いていたのは事実です。不思議、不思議。
24.9.29 goji 記
「北大散策シリーズ」
№8 北大博物館(旧理学部本館)
昭和4年(1929年)
北大には札幌農学校時代から収集・保存・研究されてきた400万点にのぼる学術標本・資料が蓄積されており、そうした学術標本の集約と学内外への情報発信のために平成11年(1999年)春に設置されました。展示内容だけでなく建物自体が見どころ一杯です。入場無料ですので、一度はゆっくり見学してみてください。