特別記事
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2005年度ドイツ研修
下記の日程にハイデルベルグ研修を行いました。
【研修期間】
2005年9月 1日(木)出発
2005年9月15日(木)帰国
【ハイデルベルグ研修場所】
ハイデルベルグ大学フェンシングホールを練習会場とした
オットー コーチ(エペ)
トビアス エリック コーチ(サーブル)
トビアス リンク コーチ(トレーナー)の指導の下練習
練習試合は、マインツ クラブチーム (サーブル・マインツ市)
TSG ローバッハ クラブチーム (ハイデルベルグ市エアレンビックホール)
ターバービショップス ナショナルセンター(エペ・サーブル ドイツナショナルチーム)
ボン ナショナルセンター(サーブル・ドイツナショナルチーム)
カールスルヘ クラブチーム(エペ・カールスルヘ市)
ダルムシュタット クラブチーム(エペ・ダルムシュタット市)
【研修参加人数】
教員1名、学生13名、主将 齊野孝博(栄養科学科4年)
【研修きっかけ】
7年前にドイツからの選手を農大で迎え入れ、フェンシングの指導をしたことがきっかけで、本年まで7年続けてドイツからの選手を受入れております。これを機会に6年前にカールスルヘ市、3年前にマンハイム市に遠征し、今回はハイデルベルグ大学スポーツ科学科及びTSGローバッハ(バーデン-ブルテンブルク州体育協会)からの招聘を受け、ハイデルベルグ市訪問となりました。
ハイデルベルクで修行を積む日本のフェンサー(上記記載新聞訳)
ダニエル フント
ハイデルベルク:日本を伝統的なフェンシング国とみなすことはできないが、サーベルとデーゲンに関しては、この相撲の国においてもなかなかの技術がある。
フェンシングスポーツは確実に日本では普及しつつある。ハイデルベルクで大学フェンシングスポーツを率いるミヒャエルマーラーは、遅くともライプツイッヒで開かれる世界選手権までには皆が気づくであろうと言っている。
なぜ彼がそのようなことを言うかというと、46歳の彼は長いことTSG-ローバッハのフェンシングクラブ・ハイデルベルクで国際選手権大会に参加してきたからだ。日本の選手と正装して刃を合わせることはミヒャエルマーラー自身は少なかった。しかし、この1週間、東京農業大学から13人の剣客と高橋教授がハイデルベルクに来ているのである。この代表団はTSG-ローバッハの招待によって実現したが、水曜日までユースホステルに滞在している。
歌うときもとても規律が行き届いている。 先の火曜日の午後4時頃、旧市街でショッピングしていた人なら、ひょっとしたらこの客人達を見ているかもしれない。日に日に百人以上のアジア人がハイデルベルクの玉石舗装路地をぶらついているにせよ、この旅行団体を見逃すことないだろう。30度の方向から背広とネクタイが一体となってマーケット広場の市庁舎にむかって行進してくるのである。
彼らはそこでネッカーにある大学都市、マールスブルク在住のハイデルベルク・スポーツ市長であるラバン教授に挨拶をした。そこで同じようにTSGのメンバーとして招待された、天分のある指揮者でありピアニストのジョージ シュミット- トメイもその列に加わり、一緒に歌を歌うために時間を費やした。
その時目についたのは、広い市庁舎のホールの眺めなどではなく、日本の代表団の印象的な規律の良さが常に目立っていた。自分で飲み物を取りにいくのでもきちんと列をなして行動していた。 これこそ規律のお手本で、日本人がスポーツの大きな目的をわからせてくれたはずである。
女子学生も男子学生も同じくらい日本の大学選手権のタイトルを望んでいる。男性部門でセイノタカヒロは良い才能がある感じがする。この22歳は大きな能力を秘めている。「僕は一度日本において、世界選手権に参加してみたい。それまでに僕はまだまだたくさんのことをしなければいけない。」それを彼は通訳を通して教えてくれた。彼は今までに、積極的に二度ドイツに来ている。3年前に彼は修行でマンハイムを訪れている。
彼らはフェンシングだけでなく、極東の地からスポーツを学ぶために、ノイエンハイマーフェルドのハイデルベルク大学のホールで毎日、たくさんのトレーニングをこなしている。プアファルツ選帝候国の文化的な優位性を理解してもらうため、ミヒャエルマーラーと彼のスポーツ友達はいろいろと考えた。「私たちはヒルシュホルンの騎士マーケット広場で彼らとお城の照明を辿り、町の案内をした」とマーラーは話してくれた。
次の日はスポーツが中心となった。二つのグループに分かれた日本人は、ドイツのフェンシングの牙城であるタウベルビッショッフスハイムとボンに赴いた。ここで彼らは自分たちの才能をもってドイツの優秀な競技者と競い合うことができる。彼らの潜在的な能力をマーラーは以下のように値踏みしている:「彼らは日本では二番目のグループに入ると言うことができるだろう。でも、彼らはまだまだ若いのだから。」
「さらなるスポーツを通した競技交換はハイデルベルクのエルレンベッグで週末に行われる。我々はTSG-ローバッハでトーナメント試合を計画している。その際、我々のフェンシング選手と地域の選手と日本の選手が参加してくるだろう」とマーラーは述べる。
その参加によって、とにかくTSGから何が飛び出してくるのか?農大との長いパートナーシップができあがるだろうか?これまでに何のコメントもなかったが、それは結果として出てくるはずである。でもどこにしろ、スポーツでなかったとしても、触れ合いというものを強くしていくことはできるのでは?と問う46歳の彼はとくにTSGの若い層の日本での滞在を心待ちにしている。
この継続する交換制度は世界都市東京にまた、ひとつの利益をもたらすのだろう。伝統的なドイツのフェンシングスポーツの新しい世代が常に触れあっていくのだから。
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