当寺院は、今から630年前の永徳3年(1383年)達源和尚創建開山。
当時は、竹や木々が生い茂る極めて小さな山寺であった。
静岡県浜松市浜北区では6番目に古い寺である。(浜北市編 郷土「浜北のあゆみ」より)
慶安2年8月(1649年)
徳川3代将軍家光公より、観音堂領として10石の御朱印状を賜り、以降明治まで歴代将軍より朱印状賜る。5世一超和尚は、本山方広寺三生院笑穏和尚の弟子で、伽藍建設、本山住職など当寺院発展に貢献した中興和尚である。
寛文9年(1669年)
一超和尚奥山方広寺277代住職(輪住)となる。
寛文12年(1672年)
一超和尚奥山方広寺を開山した「無文元選」禅師(後醍醐天皇の皇子)の『奥山無文大師行状』(伝記)を著わす。方広寺は、火災にあい年譜等が焼けて無かったと序文に書かれている。交通、通信が大変困難な時代に苦労し、調査・研究し著わした業績は誠に偉大である。(行状記は浜松市立中央図書館蔵)ー50年後、鳳来町渕龍寺祖秀和尚が校訂版「方広無文禅師行状」を著す―
1700年頃
寺院の体裁(客殿・庚申堂・子安堂・子安堂・十王同・山門)整う。
享和元年(1801年)
10世瀧峯・11世緑州和尚発願本堂を再建。
安政元年(1854年)
安政大地震により、本堂など多くの伽藍大破。
明治2年(1869年)
内野八丁谷(現静岡県浜松市浜北区染地台)に、元徳川藩士八王子千人隊120余名が入植。家族とともに茶園開墾、養蚕を営む。
明治6年(1873年)
千人隊「町田冨衛門正房」と当寺院14世龍界和尚により、住民250名の鎮守として豊川の稲荷社を勧請。現在、染地台調整池東ほとりに稲荷神社がある。
大正2年(1913年)
15世大倫和尚本堂再建。
昭和44年(1969年)
16世亮禅和尚本堂造作、諸設備完成。
昭和56年(1981年)
17世鶴見和尚庫裏新築。翌年、庚申堂建て替え。
平成23年(2011年)
永大供養塔建立
平成25年(2013年)
観音堂再建
当寺院は、建物・仏像など特筆できるものは殆どないが、小さな山寺が歴史の1ページを刻むことができた事を誇りとし、花と緑が美しい環境のもと、皆様に親しまれる寺院です。