八王子千人隊は当時苦労して開拓していたが、鎮守がなく入植した元武士・家族二百五十三名の産神として「町田正房」と「正寿院 龍界和尚」が明治六年(1873年)三河豊川より稲荷神社を勧請。
当時行われた祭礼等には、地元の人も加わり大変賑やかに行事が行われていた。
当寺院は受持僧侶として、行事や様々なことに関わり、現在も続いている。
八丁谷は、開拓に最悪な土地で、井戸を掘っても水が出ないなど苦労を重ねたが失敗に終わり、十年後には殆ど全員が帰ってしまった。八丁谷・現染地台きらりタウンは住環境の良い住宅地となったが、苦労開拓した先人たちの歴史が刻まれている。