道 場 訓
松 武 会 道 場 訓
(大切な五つの素直な心)
一、優しい心
一、正しい心
一、強い心
一、謙虚な心
一、孝行の心
(昭林流五条訓)
一、己の本分を尽くすべし
一、礼儀を重んずべし
一、謙譲の徳を守るべし
一、勇武の気風を養うべし
一、拳心一致を旨とすべし
(松武会心得)
空手に先手なし
戦いは吾にあり
心技体の錬磨に終期なし
先ずは其の心を正す
(空手とは)
空手とは、
人に打たれず、人打たず、
ことのなきを基とするなり。
押忍
円覚寺 船越義珍先生の石碑
松 武 会 心 得
空手に先手なし
戦いは吾にあり
心技体の錬磨に終期なし
先ずは其の心を正す
-空手に先手なし-
*即ち触れれば技、此れ武の真髄なり。然り而して此れを施ゆるは神武に非ず。触れずして勝つ、即ち真の武なり。
「世界松林流空手道連盟創始者 長嶺将真先生書簡より」
*空手とは、人に打たれず、人打たず、ことのなきを基とするなり。
「剛柔流 宮城長順先生が述べられた訓示」
空手道修練にあたり、負けない気持ちを持つことはとても大事なことであるが、勝敗に拘った武術観ではなく、戦わずして治めようとする精神・心構えが最も大切である。空手道の修練を通じ、人としての「徳」{仁(孝/忠/恵)・義・礼・知・信}を養うことこそが、武道精神、空手道精神であると考える。
-戦いは吾にあり-
武道は本来、技や力量を競い合うものではなく、己自身を鍛えるものである。人を打倒する心はその道の妨げとなる。武道における強さとは、追求するものではなく、日々の稽古とその心掛けにより、自ずと備わるものである。
「礼」に基づき、自己との戦いに心を励まし、自分に打ち克つ心「克己心」を養うことが大切である。
-心技体の錬磨に終期なし-
武術というものは、体力の優劣に関わらず、年齢に関わらず、誰もが武才「心・技・体」を磨けるものである。修練者において、各々経験及び段級位の違いはあるが、皆同様にその気構え、心の持ち様が最も大切であり、「業をなさぬ者、初心より劣る」即ち終結ではなく、「継続」していくことの意味合いを確り理解することが必要である。
-先ずは其の心を正す-
「世界松林流空手道連盟創始者 長嶺将真先生訓示」
*先ずは心を正し、稽古・修練に励む。神武を求め、「心・技・体」を磨く。
今、この時、空手の稽古が出来るということは、自分の気持ちを含め、全てに措いて空手の稽古が出来る境遇にあるということである。このことに深く心から感謝し、稽古には後悔無き様、一期一会の心(最初で最後の稽古)にて臨むことが大切である。
*気の入らぬ拳は千拳突けども身につかず、無心にて気を籠め初めて技と成す。
初心貫く精神 「白帯を 心に締めて 歩は遅く 一期一会の 我が道なり」 押忍
初心の純真さを忘れずに、慢心我執無く、感謝の気持ちを忘れずに、心にはいつも白帯を締め、急がず、後悔なき歩みを我が道とする。
剣豪 島田 虎之助 の書
「しぬび しぬぶしや たりんしぬぶしが しぬばらん しぬび しぬぶしど しぬび」
誰でも耐えることはできる。しかし、耐えられないことに耐えることこそが、本当に耐え忍ぶということである
「拳は心なり 心正しからざれば 拳又正しからず 拳を学ばんと欲すれば 先ず心より学ぶべし」
幕末の剣豪 島田 虎之助 さんの言葉に、
「剣は心なり 心正しからざれば 剣又正しからず 剣を学ばんと欲すれば 先ず心より学ぶべし」とあります。
「剣」を「拳」に置き換えて、吾々もその精神をしっかり学びましょう。