日時/2025年1月17日(金) 14:00~16:30
会場/ふじのくに地球環境史ミュージアム 2階講堂
講師/ふじのくに地球環境史ミュージアム館長 佐藤洋一郎氏
令和6年度最後の研究会は、講師の佐藤洋一郎氏が館長を務める「ふじのくに地球環境史ミュージアム」を会場に開催しました。研究会が始まって3年、全16回にわたる研究会の成果をもとに、「静岡県が食文化のメッカとなるための道筋を探る」講演とパネルディスカッションを実施しました。第二部の試食・交流では、なすびグループによる仕出し弁当を思わせる豪華な試食メニューが参加者から好評でした。
■ 講演
講師/ふじのくに地球環境史ミュージアム館長 佐藤洋一郎氏
プロフィール
1952年、和歌山県生まれ。1979年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了。
高知大学農学部助手、国立遺伝学研究所研究員、静岡大学農学部助教授、総合地球環境学研究所副所長、大学共同利用機関法人人間文化研究機構理事、京都府立大学文学部和食文化学特別専任教授・京都和食文化研究センター副センター長等を経て、現在、ふじのくに地球環境史ミュージアム館長を務める。専門は植物遺伝学(農学博士)。育種学からDNA分析を活用した稲作の起源研究を行い、食文化にも精通し「和食文化学」の創設に尽力している。
「今日は、『静岡を日本のバスクに』というテーマで、3年間続いたガストロノミーツーリズム研究会の締めというか、まとめといいますか、それをしてみたいと思います。」 そんな佐藤洋一郎氏の言葉から講演はスタートしました。
雑煮の餅は切餅? 丸餅? 文化の違いに魅力を感じる
「お正月にみなさんお雑煮を召し上がったと思いますが、雑煮の中に入っていたお餅は四角い切餅でしたでしょうか。丸めた丸餅でしたでしょうか。」ここで、どちらのお餅か挙手が求められ、参加者のほとんどが四角い切り餅に手を挙げ、佐藤氏が示したお餅文化圏の分布図どおりの結果となりました。そして、話は佐藤氏の体験談へと続きます。
「私も、家内も関西人でして、お正月の餅くらいは丸餅が食べたいと、一昨年の暮れ、丸餅を作ってくれるところがないか静岡市内の餅屋さんを回りました。作ったことがないから、面倒だからなど、あちこちで断られ、ようやく城北公園の北の方にある大黒屋さんという古い和菓子店の若いご主人が引き受けてくれました。ところが、大晦日、餅を取りに行ってみたら、丸餅とはまるで違う、特大の丸い餅が用意されていました。でも、文化の違いってそういうものなので仕方がないんです。だから去年の私の家の雑煮は大きな丸い餅を小さく切った切餅になりました。今年はさすがにそれじゃあたまらないということで、同じ店に行き、『実はもっと小さくしてほしいんだ』と伝えました。なんだかんだと言いながら渋々作ってくださいました。去年は一升の餅が8つの丸い餅になったのですが、今年は25個の丸餅にしてほしいと頼みました。食文化というのはこういうもので、とにかく頑固なんです。理屈はないんです。」
「餅がなぜ丸いのかというのも、正月早々、角が立つのはかなわんというわけで。大根も、普通に売っている大根を輪切りにしたらお椀に入らないので、いちょう切りにするしかないのですが、そうすると角ができてしまう。これが嫌なのです。どうするかというと、その時期だけ出回る「正月大根」というのがあって、長さ20センチぐらい、直径3センチぐらいの特別な大根をわざわざ使い、輪切りにすれば角ができない。角ができるからという話も嘘か本当か分かりませんが、食文化にはそういうところがあって、理屈抜きに、これはこういうもんだという、非常に硬い信念をみなさんお持ちです。これが食の文化であって、自分と違う文化をよその人が持っているところに限りない魅力を感じる。だからよその土地に行って、その土地の食文化を愛でようということになるんだろうと思います。」
「余談が長くなりましたが、人が動くことで、全然違った文化を持つ人と接触する。これが食文化を豊かにする。どういう風にして違った文化を持つ人と接するかというと、それが旅である。旅と食は非常に深く結びついて離れないものだと考えられるわけです。今日は3年間の研究会のまとめとして、そういう話をしてみようと思います。そこでバスクという名前を取り上げました。」
バスクには巡礼路が通り、多くの人が行き交う
「オンラインで聞いてくださっている方から、事前に質問をいただいています。『バスクの真似をしろというのか、それともバスクとは違うと言いたいのか、どっちだ』というご質問です。答えは後ほど、今日の講演の中でお話しいたします。私としては別にバスクの真似をすることはないと思っていて、ただ、バスクにはヨーロッパの巡礼路が通っていて、昔から人が動いた。動いた人にとってみると、行く先々で違った文化、違った食文化に接するわけです。そこで、そうなのかという学びがある。それから、旅人を迎える土地の人にとってみても、全く違った文化を持った人が日々やって来るわけです。ホスト側の人たちにとっても、こういうことを考える人がいるのかと気付かされる。それが学びになる。そうしたものを受け入れるのが、おもてなしです。そう考えるならバスクを一つのモデルにしてみるのもよいだろうと、『静岡を日本のバスクに』と言ったわけです。」
「バスクはキリスト教の一つの巡礼路にあたっていて、一千年以上の間、人がそこを通っているわけです。彼らが全部キリスト教徒であったかどうか、これはわからないです。どうも宗教的な意味はあまりないのだと言う人もいるのですが、ともかく昔からいろんな人が町を通った。その町にとってみたら、いろんな人が通過をして、その人たちに食事と寝るところを提供した。そういう長い歴史を持っているのがバスクです。」これが、静岡を日本のバスクにと題した理由の一つだと佐藤氏は話し、続いて二つ目の理由が語られました。
「静岡版バスク・クリナリーセンター」から世界へ発信
「バスクのサン・セバスチャンの町に『バスク・クリナリーセンター』という学校があります。なかなか面白い学校です。とにかく日本の大学は、小さなことばかり言って、今、本当に困っているのです。一番気の毒なのは学生さんです。私なんか大学なんかやめて、寺子屋でも作ろうかと思ったりしています。自由度があって、みんなが生き生きできる、そういう学校を作るのがいいのではないかと思っていたところに、サン・セバスチャンに行くことになり、そこにバスク・クリナリーセンターがあって。世界のいろんな国の人たちがバスク料理の研究をして、実際の料理を習って、自分の国に帰っていく。そういう学校があるのです。今日、私の話の最後に申しますが、静岡もぜひそういう学校を作って、世界中の若い人たちを集め、静岡料理みたいなものを世界に広める、そういう仕掛けを作ったら面白いのではないかと夢想しているわけです。そういったこともあり、『静岡を日本のバスクに』と言ってみたわけです。」
旅人の食を支えたのは誰か?
「文化的交流の源は旅だと申しました。後で話しますが、静岡というところは昔から旅人が多い町です。昔はいろんな人がここを通って、そして違う土地に訪れ、人と人との交流を育んだ、そういう土地です。人は何で旅をしたかと言いますと、いろんな用途があるのですが、そこで大事なのは、その旅をした旅人に誰が宿泊する場所と食事を提供したかです。古い書物によると、一つは自炊というのがあります。それからしばらくすると、一宿一飯の恩義というのが出てくる。旅をしていて日が暮れると、近くにあった村で知らない人の家を訪ね交渉し、泊めてもらう。そこに一回の食事と一泊の恩義という関係が出来上がるわけです。」
★この後、蘇民将来と牛頭天王の一宿一飯の恩義のストーリーが語られました。(0:29:30位~)
「その後、日本でも商業が発達します。商人が出てくるわけです。それから戦国時代に入ると戦争が始まります。戦争の時に兵隊に何を食べさせるかは大問題で、賄いの上手下手が戦争の結果を決めたという人がいるくらい、食事は極めて重要だったということになります。江戸時代に入ると街道、宿場町が出来てくる。その頃になると静岡の町にも東海道が通っていますから、そこを大勢の人が西や東に移動したということがわかります。」
この後、佐藤氏の話は時代を一気にさかのぼり、縄文時代へとタイムトリップします。
東西よりも、南北との交流が早かった?!
「静岡の町には随分昔から人の出入りがありました。一番古いところでは縄文時代までさかのぼります。地図の上に矢じりの写真を付けておきました。これは黒曜石で、どこで採れたかというと、産地は信州の北側の和田峠です。そこで採れた黒曜石が縄文時代の遺跡から検出されています。信州で採れた黒曜石が縄文時代に、静岡にまで来ているということです。」
「縄文時代、人口密度が一番高かったのは信州です。ただ信州には塩がない。その塩をどうしたかというと、日本海から、もしくは南から運びました。静岡のことです。相良に大きな塩田があって、その塩をかついで信州まで運んでいます。その街道がおそらく地図にある黒曜石を運んだ街道と同じです。この街道を辿ってみると、12、13世紀頃には、お城が造られています。」
「それから、もうちょっと前のものでしょうが、塩サバを運ぶことで塩を運んだ街道に鯖地蔵というお地蔵さんがあります。それから室町・戦国時代になると、戦国の武将たちが歩き回った史跡がいろいろ残っています。静岡には江戸幕府が東海道を整備する遥か前から人が行き来し、その道を通って塩なり黒曜石、そういうものが運ばれていたということになります。静岡県の人は東西よりも先に南北に動いているということです。」
★この後、佐藤氏が訪れた際に撮影したバスクのサン・セバスチャンの写真をもとに、街の様子が紹介されました。(0:35:06位~)
伊豆のお遍路、富士山詣、秋葉参り
「静岡というところは昔から巡礼が活発だったようで、特に伊豆。走湯山に巡礼するお遍路さんがいたようです。お遍路さんと言うと四国ばかり有名ですが、昔は伊豆半島にもそういう遍路があったそうです。その後、この伊豆のお遍路さんは富士山へと行きます。7世紀8世紀頃の富士山はしきりに爆発して噴火している怖い山だったのですが、中世に入るとおとなしくなり、そうすると富士山に登ろうかというような人も出てきて、こういう山ですから、たちどころに霊峰になって、そこに修験が発達します。」
「左下の真ん中下の写真は、雪舟が描いた富士山の絵です。本物は今中国にあるそうですが、その絵を見た絵師たちがこの絵を真似て絵を描いています。富士山が見えて、薩埵峠が見えて、絵の右下は大瀬崎だそうです。ここまで描くとなると、やっぱり実際に来た人が描いたのだろうということで、その時代から多くの絵師、芸術家が富士山に来ていて、そういう人たちの移動、旅がアクティビティになっていたということです。それから秋葉山についても、江戸時代の中期・後期にはお伊勢参りをするか、秋葉参りをするかというぐらい多くの人がここを訪れていたそうです。それが本当だとすると、やはり多くの人が静岡を通って、旅をしていたことがわかります。」
★この後、オクシズを旅したアーネスト・サトウ、桑原藤泰の話が紹介され、修験道の食についても語られました。(0:39:50位~)
街道には昔ながらの甘味が残っている
「静岡の旅というとやはり東海道です。五十三次の内、静岡には20の宿場があります。宿場のそれぞれの町にどんな料理があったか、これは新居関所の資料館に一括して資料が残っておりますのでみなさんご覧になってみてください。面白いのは、甘味、甘いものがいっぱい残っていることです。いくつかピックアップしてみましたが、例えば静岡市の周辺ですと『追分羊羹』、それから古庄に『うさぎ餅』というのがあるのですが、ご存知でしょうか。昔の味と同じかどうかは分かりませんが、復刻していますよね。それから安倍川餅、子育飴。この飴、砂糖を使っているのではないかという人もいますが、私は違うと思います。米を発酵させると、麹で発酵させてもいいですし、ビールも同じですけど、お米の種の中にあるアミラーゼを使うと甘い、水飴みたいなものが出てきます。あれだと思うのですよね。何かそういうようなものがこの街道沿いには点々と残っているような気がします。こういうのを復刻してみるのも面白いのではないかと思います。」
「いずれにしても、静岡というところは昔から人が大いに動いて、土地の人は旅に来た人から新しい文化を吸収し、旅をした人は静岡のいろんなところで土地の食文化を楽しむという相互作用があって、それで静岡にはいろんな食文化があったのだろうと思われます。」
食材が豊かでも食文化が豊だとは限らない
「私が静岡に来た時に最初にびっくりしたのは食材の多さ。静岡の食材にどんなものがあるか、一つのマップにしたら、こんな風にゴチャゴチャになってしまいました。日々アップデートしていまして、最初に作ったものとは随分違いますけど、とにかくいろんなものがあります。静岡の食文化はすごいということになるのですが、これが静岡県の食文化の課題だと思っています。食材が豊かなところが食文化も豊かかと言うと、どうもそうではありません。最初に静岡に来た時に行った寿司屋さんでびっくりしたのですが、『うちは素材が新鮮だからお客が満足する』と言うのです。何を言っているのだと。それだったら俺だってできるじゃないかと。京都を見てください。あんなに食材のない町はないですよ。京都は食材にあふれているとみんなが思っているのは宣伝がうまいだけで、京都原産のものなんて松茸位です。ほとんどはよそから持ってきています。よそから持ってきたものでは、十分に揃わないからのこの食材とこの食材を組み合わせたら美味しいという、組み合わせの工夫をしたのがあの町の食文化なのです。ですから、食材のあるなしというのはあまり関係がないのだと思っていただきたいと思います。」
雨の多さが静岡の食を支えている
「ただし、静岡にだけあるものとは言いませんが、静岡にあって、それが静岡の食を支えていると思うのは水です。静岡県は雨の多いところで、1年間に3000ミリの雨が降るところが県の中に3つも4つもある。天城はすごいですよ、4000ミリぐらい降る。大阪・京都は年間1500ミリですからね。それだけ多い雨が降る。県の西側の方は堆積岩で出来ているので、山に降った水は森林に蓄えられて、それがやがて大きな川になって流れていく、河川、川の水の文化です。一方伊豆の方は新しい火山で出来ている地域で、植生が十分に発達していないので、水は全部染み込んで、麓の方で突然湧いてくる。その湧き水を使って食文化にしたのが東部・伊豆です。静岡は水の利用に関して東西2つの要素を持っています。」
山の食文化と、なにより豊かな海の食材
「山の食文化も発達しています。焼畑の作物もそうです。それからジャガイモ。ジャガイモは洋食の食材のように思っていらっしゃいますが、そうではなく、ジャガイモはボトムアップの芋です。誰がどういう風に広めたか分からないのです。サツマイモはトップダウンで江戸幕府が栽培を奨励したのです。ジャガイモは誰がどこから運んだか分からないけれど、井川の方にも、水窪にも在来のジャガイモがあります。こういう背景があるので、三島の西麓野菜のジャガイモができ、三島コロッケになっているわけです。そういう風な歴史やいきさつがあって、山の食文化が成り立っているということもあります。蕎麦もそうです。発酵させた大豆、これも静岡から三遠南信の代表的な食文化です。」
「静岡県の農林水産物は439あると、前の知事がおっしゃいましたが、よく調べてみると、植物性の食材よりも川、海の食材の方がはるかに豊かですね。これを使わない手はないと思います。むしろ葉物野菜なんていうのは新しいもので、静岡では何と言っても海の素材、こういうものが大きな特徴になるのだと思います。」
世界農業遺産を訪ねるガストロノミーツーリズム
「もう一つ、こういうことも考えてみたらどうかと思うのは、世界農業遺産です。ちょうど10年前にバチカンに行ったのですが、その時にイタリアに世界農業遺産の事務局があって、事務局長をしていたイラン人のおじさんに、『今からイタリアに行くから、どこか世界農業遺産の面白いところを紹介してよ』と言ったら、『アマルフィがいい』と言われ、行ってきました。イタリアというのは海に面していて、古い国のように思いますが、国としては新しいですね。一つ一つの小さな海洋国家、海洋都市みたいなものが共同体を作っていたみたいなところらしいのですが、このアマルフィというのもそうで、崖沿いに成立した海の町なのです。町を支えているのは船乗りです。ところがあの時代の船というのは、冷蔵庫や冷凍庫があるわけでなく、いろんな技術もないので、船乗りが一番困ったのは食べ物なのだそうです。たんぱく質は、羊を生きたまま積むようなこともして、デンプン類についてはビスケットをたくさん持っていったようですが、一番困ったのはビタミン。ビタミンCが欠乏すると厄介な病気になるので何とかしてビタミンを補給したいと、彼らが考え出したのがレモンです。写真のおじさんが持っているのを見てください。大きいでしょう。日本のレモンよりはるかに大きくて文旦かザボンかというくらい。これだと3か月位持つ。そいうものを発明して、船乗りの命を支えた。だけどこんな崖のようなところですから、いったいどういう風に栽培したのか。海岸まで降りて行って、ゴロゴロ転がっている岩を持ち上げ、城壁みたいに石を組んで段々畑を作り、そこでレモン栽培をしたのだそうです。」
「その後、航海技術が発達して、冷蔵冷凍技術が発達したので、実はもうそんなレモンの必要もなくなったのですが、レモン畑は残っている。そこでアマルフィの人が考えたのが、『リモンチェッロ』。レモンの甘いリキュールです。こんなふうに、伝統的な文化の背景を背負って出来上がった古い農業のシステムを今にまで伝え残して、それを世界農業遺産としています。」
「静岡県にも2つ世界農業遺産の場所があります。一つは掛川の茶草場農法の茶園ですよね。これは静大の先生が頑張って登録されましたし、その5年後には水わさびが登録されました。こういう土地を訪ねる旅も、ガストロノミーツーリズムにはぴったりなのだろうと思います。」
生産者、料理人、消費者の連携と静岡料理の創造
「これは比較的、静岡はよくできているのですが、もっともっとやったらいいと思うのが、『生産者と料理人と消費者を結びつける』。これが重要だと思います。山形県の鶴岡は食文化創造都市で、なかなか先進的な地域でして、写真の左の二人は山形大学の農学部の先生です。在来の野菜や果物の研究などをやっていて、私の隣が奥田シェフで、その後ろに農家の方がいます。大学と料理人と生産者がものすごく濃密な関係を作っていて、それで食文化を育てている。静岡も幾つかの試みがあるので調べたりしていますが、そういう連携をどんどんどん強めることがすごく重要だと思います。」
「そうして、私は静岡料理というのをぜひ作ってもらいたいと思います。たくさんの人が訪れてその土地の食文化を楽しむ。そういう町にはだいたいナントカ料理というのがありますよね。京都なら京料理、金沢なら加賀料理、長崎なら卓袱料理とか。静岡料理ってありますか?ないんです。食材が豊かだとそうなってしまうので、そこがいけないのです。とにかく静岡に行ったら静岡料理を、おでんも焼きそばもいい、それが悪いとは言いませんけど、やはり少し頑張ってあそこに行こうという、そういう文化が欲しいですよね。こういう背景を持った土地ですから、いいものがいっぱいできるに違いないと思います。」
料理人が誇りをもって静岡料理をつくり、世界から人を呼ぶ
「それと料理人をもっともっと顕彰してもらいたい。料理人の社会的な立場が非常に弱いんです。京都のある人が言いました。『和食がユネスコの無形文化遺産に登録される前まで、俺らの監督官庁は厚労省で、よって立つ法律は風俗営業法や』と。これはやはりひどい。料理人の社会的な地位をもっと高めないと、若い人が料理をしようという風にならない。だから若い人たちが静岡で料理をするきっかけを、どんどん作っていただきたい。会場に県庁の人が何人かいらっしゃいますので、お願いします。この写真は函館にいらっしゃる深谷さんというバスク料理店のシェフが2022年に函館でやった世界料理学会です。いろんな人が来て、若い人たちと一緒になって料理をする。そういう取り組みをやっています。こういうのを静岡でもどんどん誘致して、料理人でも頑張ったらとても高い社会的な評価が与えられるんだということを、若い人が体得するような、そういう仕組みがいるのだと思います。」
「そこで、『静岡を日本のバスクに』となるわけです。静岡生まれの若い料理人たちがこの静岡という土地に誇りを持って、誇りが大事なのです。静岡の食材を使って料理をして、世界の人を呼んでくるような、そういう関係ができるということがすごく重要なのではないかと思います。このガストロノミーツーリズム研究会と言うのは、そういうことのキックオフだったわけです。今後何年かかけて静岡がそういうふうになっていくといいなと思います。」
■ パネルディスカッション
パネリスト /ふじのくに地球環境史ミュージアム館長 佐藤洋一郎氏
株式会社なすび常務取締役 赤堀真太郎氏
ファシリテーター/静岡大学 学術院人文社会科学領域法学系列 教授 横濱竜也氏
恒例のパネルディスカッションのスタートです。パネリストとして、講演を終えた佐藤洋一郎氏と、なすびグループの常務取締役・赤堀真太郎氏が登壇。ファシリテーターは静岡大学教授の横濱竜也氏が務めてくださいました。
横濱 佐藤先生のお話はこれまで何回も伺っていますが、今日のお話はこれまでの3年間のガストロノミーツーリズム研究会の総括という形になっていて、これまで講演された方、パネルディスカッションでお話いただいた方々のお話を踏まえたまとまりがあって、非常に感慨深いものがありました。赤堀さん、佐藤先生のご講演についてご感想をいただければと思います。
赤堀 先生ありがとうございました。私どもが店で使っている食材やお料理についてかなり深く掘り下げて歴史からお話をいただきまして、今後の商品開発に役立つなと感じました。
横濱 佐藤先生のお話は、持っている地理的な特徴とか、歴史的な特徴というものを踏まえた上で、こういう特徴があると説明されているので腑に落ちる感があるといいますか。そういう中で静岡料理が、今後一つの鍵で、どう展開すればいいのかということをまずお聞きしたいのですが、赤堀さんからお願いします。
赤堀 佐藤先生のお話の中で、本当に大きくざっくり言うと地産地消、よく聞く言葉ですけれども。バスクのサン・セバスチャンの料理って、実はそのレシピがオープンになっているらしいのです。各店が同じ料理を作れるような環境になっているのだそうです。ただその料理を他の国で作っても、現地の食材じゃないとその味が出ないらしいのです。そういう仕組みになっているのです。サン・セバスチャンは世界的に、私ども静岡の人間までもが知る優れた町ですよね。で、地産地消というところなのですが、静岡の特別なもの、特化しているものを、みんなで開発しながらやっていくことがいいのではないかと考えております。
横濱 佐藤先生にも伺いたいのですが、この静岡料理、今おっしゃったようにバスクと比較しながらお話しいただけるとまた面白いと思うのですが、どういうところに気をつけたらいいのか。
佐藤 一番大事だと思うのは、食べる人と作る人がコラボしながら、今度はこういうものをやってくれとか、こういうものをもっと何とかしてくれとか、そういう会話の中で作り上げるのが重要だと思います。京都が一番いいと言っているわけではないですが、森川さんという料理人がいて、彼が始めたのがカウンター割烹です。カウンターにとてもうるさい客がいっぱいいて、料理人に「今日のこれ、辛いじゃないか」とか言うわけです。普通はみんな嫌でしょう?だけどそういうやりとりの中で出てくる独特のインタラクションみたいなものがあって、料理人も育っていくし、消費者も育っていく。そういう雰囲気みたいなものができてきたら、しめしめだと思います。
横濱 私が静岡に来て13、14年ぐらいになるのですが、静岡って本当に食材が豊かだし、最初に気づいてハマったのが日本酒です。何しろ美味しいので。私はそれまで東京近郊にいたので、日本酒の美味しさが桁違いで、もうすごいと思って。食に対する欲求って、元々自分が知っているものっていうのもありますけど、やっぱり出会いなんですよ。気付かされて、関係が作られる。そういう場がすごく大切だと痛感するのですが、今、佐藤先生がおっしゃったように、料理人とのやり取りで、美味しいなと思うこともあり、こちらの求めに応じて料理人が作ってくれたものの中から生まれてくるものもあると思います。なすびグループが地域に根付いているというのも静岡に来てすごいと思いました。お客さんとのコラボレーションみたいなものを感じることはありますか。
赤堀 料理人って比較的恥ずかしがり屋が多くて。恥ずかしがり屋だからこそ料理人になっているというのが大多数ですね。ただ、私どもの会社の話をさせてもらいますと、「料理人は料理を作る人じゃなくて、料理が作れるサービスマンだ」と言うようなことを新卒で入った子や学校を卒業して入った子たちに話して、そこからスタートさせています。でもなかなか、やっぱり恥ずかしがり屋が多く。そういう子たちには無理をさせることなく、そういう場所を与えてあげるような、一人一人の特性を見極めた配置転換をしています。
横濱 なるほど、カウンターでやり取りするのが得意じゃない人でもやっていけるということですね。逆に言うと、カウンターに立っている人は相当なエンターテイナーっていうことですよね。
赤堀 そうなのですね。それがみんなの目標になってくれればいいなと、カウンターに立っている人たちは少し給料が高くなっています。
横濱 すごく大切だと思いますね。ラジオで、食をエンターテインメントにしていくことがこれからの課題だということをおっしゃっていたと思うのですが、そういうことも含めてなのですかね。
佐藤 一つ気になっているのは、日本中どこでも、カウンターではない、いわゆる料理屋さんみたいなところに行くと仲居さんが料理を運んでくるじゃないですか。「今日のこの魚は何」と聞くと、「確認してまいります」となる。あれはやめてもらいたい。お店の人のプライド、矜持として、「これは何とかでございます」と言えば、おっ、これはすごいなっていうことになるじゃないですか。そのためには食べさせなきゃいけない。全体の知的なレベルを上げること、そういう話だと思います。
横濱 そういう能力を培う場所として基本的には料理学校というのがあるわけですけれども、もちろんお店に入ってからのトレーニングもある。能力を開発する場所にとして、バスク・クリナリーセンターの話がありましたけれども、日本にどういう風にそういうものを入れていくか。
佐藤 僕はプライドだと思います。ヨーロッパに行って感じるのは、どんな田舎に行っても、我々が行くと、「よく来たなあ、どこから来たんだ」「日本か、まあ見ていけよ」みたいな、すごいプライドを持っているじゃないですか。それが日本の地方へ行くと、「家には何にもないんだけど」となっちゃうんですよ。若い人たちが、自分が生まれたところにプライドを持っていて、うちにはこれがあるのだという、そういう知識をちゃんと持てるような体制がいると思う。だから学校給食で、その地方、地域の美味しいものをどんどん出すべき。今、給食費の問題というのがありますけれど、それは行政が知恵を絞ればいい。もっと若い人が自分の地域の美味しいものを食べて、東京に行った時に、「ああ東京のは違う。やっぱりうちのがいい」。そういうプライドを持ってくれるのが一番だと思います。
赤堀 先生がつくりたいとお考えの学校って、4年制なのですか。
佐藤 インターネットの時代なので、いつ入ってきて、いつ出ていってもいいと思いますけど、4年でもいいし。バスク・クリナリーセンターは博士号をくれますから。だからそういうのを目指してもいいし。
赤堀 サン・セバスチャンの学校は4年制ですよね。誇りを持って料理を作り、外に出せるような料理人を作るという学校らしいです。日本にある料理の専門学校は1年制か2年制で、そこを出れば調理師免許がもらえるというぐらいの内容ですよね。だからクリーナリーセンターで4年間きっちり料理を学び、レシピを共有しているので、学校を出た若い子たちがそれぞれの店の調理場で、第一線で輝けるらしいです。そうなってくると、先程のカウンターで自分たちの誇りをお客さんに話せる。学校も含めたまちづくりのシステムが出来上がるのですよね。それがまちを作り出すと思います。
横濱 バスク・クリナリーセンターは、もちろんバスクの食へのコミットメントとか、文化の盛り上がりがあるわけですが、その前と言うか、影響を受けたものとしてイタリアのピエモンテの食文化大学というのがあるわけですね。それをたどるとスローフード運動の話もあるわけです。だから食を化学としてとらえるなど、それに関わる人たちが持っていなければいけない知識の量は、たぶん今日本で考えられているよりずっと多い感じがするのですがどうですか。
佐藤 僕は、食は教養だと思います。だからもし学校を作るなら、まず教養。教養ってすごく簡単にネットで身に付くみたいな感じがありますが、本当に自分が必要な知識を体系的に身に付けるにはネットだけではどうにもならない。自分が何を勉強したいのかという目標がはっきりしていて、それに必要な知識は何かということがわかる、可視化できるというのが重要なので、広い意味での教養を自由に身につけられるような場が必要だと思います。今の日本の大学の教養課程は、みんな、高等学校を卒業して2年間は遊びだと思っているようなところがある。あの2年間はすごくもったいないと思いますね。耳が痛いでしょう。
横濱 私も教養科目を担当させてもらっているので、非常に反省させられるのですが、食をエンターテインメントにするということだけではなく、食を商いとしてやるために必要な知識って、佐藤先生のお話を伺っていると、地理の話とか自然環境の話、歴史の話、今の社会のあり方についても分かっていなければいけない。だいぶ知っておかなければならないことが多いなって感じがするのですが、赤堀さん、どう思われますか。
赤堀 そうですね。私は比較的、知識を得てそれをお客様に還元したいタイプの人間なので、その資格はみんな一生懸命勉強して取ってお客さんに還元する方なんですけど。なかなかそういうのが苦手な人間が多いですよね。静岡料理にプライドが出てくるようになると、自然とそのものに誇りを持つようになって、話ベタな人間であっても話せるようになっていくと思うのです。それを楽しみに、日本国内はもとより、世界から静岡にいらしてくれるようになって、静岡に食文化が育てばいいなと感じています。
横濱 食材がすごく豊かで、本当においしい。私は東京と大阪にいましたけれど、魚に関しては間違いなく美味しい。種類も多いですし。農作物も多い。だから、これだけ豊かな条件が揃っているのに、その誇りというところにはなかなか繋がらない。どう考えればいいのですかね。
佐藤 静岡の若い人たち、静岡を知りませんもん。この間、駿河シャモを一羽買ったんです。僕は大好きで、井川の人に持って来てもらいます。こんなにおいしいシャモがあるのに「なんで学校給食に出さないのか」と言ったら、「高いから」だと言う。伊勢丹の肉屋に行って「駿河シャモを置いてくれ」と言ったら、「そんなの買う人はいない」と言う。子どもが学校給食で駿河シャモを食べて美味しかったら、うちに帰って話をするでしょ。「駿河シャモが出てきてすごくおいしかった」と。その話を聞いた親は「そうか、じゃあいっぺん家でも料理してみよう」となってスーパーに行って、駿河シャモがないか聞くでしょ。そういう循環を作り出さないと、静岡に生まれ育っているのに駿河シャモを知らないとか、シャモに限らず、そういうことがものすごく多いような気がするのです。静岡の人は静岡を知らない。これがいかんなと。もったいない。
横濱 もったいないですよね。それこそ美味しいと思うんですよ。そのわりにちょっと地味で目立たない。京都の話をなさっていましたが、京都は食材にさほど恵まれていないけれど、洗練の度合いが非常に高いというか、目立たせるのがうまい。もったいないじゃないですか、目立てばたぶんそれは誇りに繋がる話にもなるだろうから。そういう方向に繋げるためにはどうすればいいのか。環境的な条件はかなりいいわけじゃないですか、その先、じゃあもう一つ、誇りが持てるためには何が必要なのか。
赤堀 静岡の人は当たり前に美味しいものの中で育ってきています。私も静岡で、仕事はずっと東京でしていましたが、当たり前に美味しいものに慣れているところがあって。そうするとそれに一手間、二手間加えて美味しくしようというより、さっき先生が話しておられましたが、切って出せばいいくらいになってしまっている。これが現実ですよね。そうすると、切って出す位なら私でもできるという話です。駿河シャモもそうですよね。あれはそのまま焼いて食べるとものすごく旨いです、シコシコしていて。ですが、それをもっと美味しくするために一手間、二手間加えようとは、素材があまりにもいいから動いていかないような気がします。最終的に静岡料理っていうところに着地するときには、サン・セバスチャンと同じようにレシピがあっても、よそでは同じ味にならない。静岡の美味しい食材を使った静岡料理は、静岡のここでなければ食べられない。となるところが着地点になるかなと感じています。
佐藤 もう一つそれに付け加えたいのは、物語だと思うのです。いろんな料理の中できっと誰でも思っているのは、「あの時、あそこで、あの人と、一緒に食べたカレー。」 美味しい記憶ってそういうものなのですよね。そういう情報を取り払ってしまうと、ひとしくカレーライスになっちゃう。だけど、あの時に昔の彼女と一緒にあそこで食べたカレーという、そういう記憶のタグみたいなものがすごく重要で、そういう記憶のタグを増やそうと思ったら経験を増やすしかない。それともう一つ、ここは静岡なので、富士山があります、何がありますという、そういう舞台装置は一級ですよね。「日本平のあそこで富士山を見ながら食べたあの時のあれ」という記憶を作るというのは、京都の人が逆立ちしたって富士山はできない。そういう静岡ならでは、あるいはその自分の持っている人間関係、ネットワークならではのものを提供する。そういう機会を増やす。時間はかかると思うけれど、そういうことなのだと思います。
横濱 私たち静岡大学の地域社会研究所でも、クラフトビールや日本酒を作ったりしていまして。野生酵母で作ったり、赤米で作ったり。なぜかというと、手間はかかるのですがストーリーなんですよね。訴求力が絶対違うだろうと信じてやっているのです。なすびさんも、その物語づくりに関心を持ってらっしゃるのかなと思うのですが、いかがですか。
赤堀 実は私、インバウンドを取り込むために、静岡の魚は美味しいということでひとつプランを作りました。まず朝、焼津の市場に一緒に行きます。焼津は私の出身地なので市場に行くと知り合いの魚屋さんがいっぱいいて、そこでセリを見てもらいます。外国の方は特に、何の魚か分からないですよね。だからこの魚はこういう魚で、こういう風にして食べると旨いと言う話を、私はできませんので、できる人にしてもらって、お客さんが「あれが食べたい」と言ったらそれを競り落とさせます。その後、茶畑など静岡を観光して私の店に着いたら、朝競り落とした魚が料理として出てくる。そういうプランを作ってみたんです。
横濱 贅沢ですねえ。
赤堀 お高いですけどね。朝市場を見た人には、何で美味しいかというストーリーが出来上がるのですよね。あの市場のシーンだけで。あまりに特化した話ですけれど、そういったことをするように、私どもの会社では基本的に天然の魚しか使いません。焼津港と由比港と、用宗港と、後は函館も今はやっていますが、直接食材を買っています。それと、昔の料理人みたいに市場に行くのって、朝早いと夜が大変じゃないですか。だから全部、市場情報をLINEで共有しています。朝入った食材が全部見られるようになっています。そうすると各店の料理長や魚担当の人間が、昨日の出具合を見て、「今日は太刀魚を10本ください」と言うような形で連絡が来る。静岡のものにこだわっています。
佐藤 熱海に釜鶴さんという干物屋さんがあって、そこに一度体験をさせてもらいに行きました。朝市場に行って魚を買ってきて、自分で開いて干物にして、お昼になったらその干物を焼いて干物定食にして出してくれるわけです。よく考えたなと思うのだけど、参加するとか、そういうことがあると、それ自体が記憶になるので、いろんな人を引っ張り込んでくるようなことを考えると面白いと思います。
横濱 そうですね。釜鶴は私も行かせていただいたことがあるのですが、近くに簡易的な宿泊施設があって、そこに泊まった人が朝ごはんに干物を買いに来て、焼いて食べることができるという、すごく贅沢なことができる。ご近所で楽しんでいる、地域で楽しんでいる、そういう場所っていうのは確かにすごく大事だなと思います。
佐藤 そういうのがないと、できない。
横濱 地理的に恵まれているということがあるわけで、それをいかに活かすか。活かし方というのも重要で、生産者にとっても、提供する側、それから消費者にとっても。それを理解し、意識しながら楽しめるというのが大事だと思います。時間になっていますよね。私が聞くよりも、この後、皆さんが直接お伺いになった方がずっと豊かな食文化の体験になるかと思いますので、私からは以上ということにさせていただきたいと思います。
■ 交流会
第2部の交流会の始まりです。まずは恒例の試食会で、みなさんの元になすびグルーブ提供の仕出し弁当を思わせる酒の肴の盛り合わせが配られました。お品書きまで添えられ、豪華で彩豊かな9品が盛り込まれていました。ドリンクは「神沢川酒造」のGI認定酒に選ばれた「正雪」、「志田島園」の「水出し煎茶」。みなさん大満足の様子でした。試食後は名刺交換をしたり、パネリストのみなさんとお話をしたり、楽しい時間を過ごされていました。
■試食メニュー
なすびの「酒の肴」
・抹茶桜えび稲荷寿司・柚べし・まぐろ角煮・ブロッコリーと椎茸の佃煮・鶏ハム・サーモンハラモ柚庵焼・う巻玉子・大学芋・海老南蛮漬
■試飲メニュー
・神沢川酒造の「正雪」・志田島園の「玉川やぶきた」(水だし)