MC 山梨さんのご講演の感想を、横濱先生からお願いいたします。
横濱 ホームページなどを拝見させていただいて、それから皆さんにも配布されている冊子。PDFで見られるので、こちらも拝見しました。非常に情報量があって、ワクワクさせるものがたくさん入っていて、面白いなと思っていたら、今日の講演は、もうその数倍面白いお話が伺えました。中でも一番印象に残ったのは「箱だけではなく人。人を育てる」というお話です。山梨さんや創造者さんがそこに入っているから人が核になるわけで、いい意味で山梨さんは人たらしなんだなあと思いました。
MC 満藤さんからも一言お願いします。
満藤 僕は今日紹介いただいた事例を生で見てきました。人宿町がなにもない時から、明るくなって人が流れていくところまでずっと見てきたのでよく理解できます。物より人を作ってきたんだということも強く感じています。僕自身もそこがやはり一番大事だと思いますし、一番尊敬しているところです。
MC それではここから横濱先生、進行をよろしくお願いします。
横濱 今日は満藤さんにもおいでいただいていますが、満藤さんと言えば「AOIビール」を立ち上げられた方で、今は藤枝で活動されているのですね。地域おこしには、やはり食やお酒が大きく関わって来るのですね。山梨さんに伺いたいのですが、まずは、まちづくり、まちおこしの中での食の位置づけについて。そしてただの歓楽街にしたら良くないと工房を造られたこと。工房を造ることでまちはどう変わるのか。工房を造ることと食はまちづくりにどう関わってくるのでしょうか。
山梨 まず食ですが、極力オーナー店主の個店を誘致しています。そういう人が作る食は心がこもっているというか。チェーン店の雇われ店長が流れ作業で作る食より、この人がこうやって作っているというのが見える店。全店ではないですがほぼそういう店です。工房に関しては、僕は人宿町に住んでいて事務所の上に住居があります。子供も3人いまして、子育てなど家族との時間もあれば、社長をしている時間もあり、飲んで酔っ払ってる時間もあります。いろいろな時間を人宿町で過ごしています。工房というのはどちらかというと、子育て世代や子育てが落ち着いて自分の時間が作れるような方々にもまちを楽しんでもらえるようにと考えました。コト消費といいますか、モノはAmazonや楽天でも買えます、食事も安ければいいのならフランチャイズの店に行けばいいわけで。工房も食も『人宿町でしか体験できないこと』をいつも意識しています。
横濱 飲食店は昼やっているところ、朝やっているところもある。もちろん夜がメインになると思いますが。工房だと昼間からずっとまちにいることになるし、そこに集まる人もまた夜とはちょっと違う。要はまちが生活の一部になっていくということなんだろうなと思いお話を伺っていました。このまちだからこその消費、コトの消費を意識しているということですね。満藤さんがAOIビールを立ち上げた当時は醸造所が少なかったのに、今は静岡市で5つ、静岡県だと20数軒もある。クラフトビールは非常にブームです。そのパイオニアだと私は認識していますが、静岡で展開しようとしたのは、静岡ならではという固有性と関係があるのでしょうか。
満藤 僕は大阪出身で静岡には転勤で来ました。それがきっかけで、後にここで独立してしまったわけです。静岡の人にどれだけ地元愛があるのか僕にはわかりませんが、大阪人は大阪が一番すごいところだと思ってる人が多いと思います。僕は静岡に来て最初の3年ぐらいはあまり静岡が好きじゃなかった。マナーが良すぎて面倒くさいというか。違法駐車ができないとか、好きなところに車を止められないとか。それが3年ぐらい経って大阪に帰ったら、何てマナーの悪いまちなんだと思うようになってしまいまして。心は大阪人のつもりですが住み心地の良さは静岡が一番だと思っています。それで地元の人よりたぶん静岡のことが好きになったんだと思います。僕がビールにハマった頃、静岡ではエールビールという選択肢のある飲食店が皆無でした。ビールは大手メーカーのもので、生といったらどこのメーカーか関係なく出てくる。そういう文化を寂しいなと思っていました。最初は東京に飲みに行っていたんですが、東京までのお金もかかるし、時間もかかるし、飲んだら帰ってこれなくなる。「ないなら自分で作ってしまえ」という単純な発想でして、誰かのためにというより自分が飲みたいからお店をつくったというのが本当のところです。
横濱 ここまで静岡でクラフトビールが盛り上がっているのは、満藤さんの目から見てどうですか。全然変わったわけですよね。
満藤 時間を短縮するとすごく変わったと感じるかもしれませんが、徐々に変わっていったのだと思います。僕が最初にビールを扱い始めた時、「下の階の居酒屋では298円で飲めるのに上に来たら1000円って、ボッタクリか」とよく怒られましたけど、今はビールの1パイントが1000円とか1000円超えても別に何とも思われない。最初にすごくひどいことを言われても我慢してやってきたから、それにみんなが慣れて、今では当たり前になったという、すごい時間の経過があります。急に変わったわけじゃなく、それがいいというお客さんがちょっとずつ増えていって、自分もビールを造りたいという人も現れて、今になっている。僕も静岡の人にいろんなビールを飲んでもらいたいという思いはありましたが、ここまで貢献しようと思ってやったわけではないです。ビール会社をやってる人間としては競合他社になりますから、すごく増えて欲しいわけではないですが、文化的にとか消費者的な目線でいえば選択肢がたくさんあった方がいいし、競合があるからより美味しいものをより安くという競争になっていくので、これは文化的にも消費者的に見ても良いことだったと思います。
横濱 お話を伺っていて、ガストロノミーツーリズムについても言えると思うんですが、例えばクラフトビール王国と言われるような静岡の状況って、すぐにできたわけじゃなく、軽く10年以上の時間がかかっている。その間、コミットメントし続けるということだと思います。山梨さんに伺いたいのですが、2011年にアトサキの話があって、その後紆余曲折があった。何かを続けていく中で困難なことがあり、それでもなお続けようとした原動力、気持ちはどんなものだったのでしょうか。
山梨 資金がなかなか大変ですよね。銀行は100%、120%は貸してくれないので、持ち出しがどうしても多くなってしまう。全国のまちづくりをやっている人と話をするのですが、資金面は結構現実的に大変なところがあります。ただそれはいろんな事業を重ねることによってキャッシュフローというか、そうしていくしかないのですが、それも大変です。僕は今も、人宿町はまだまだだと思っているのですが、まわりからの批判はしょうがない。出る杭は・・・というのが初めはあるんです。でもそれが出来上がると一変して応援してくださる方も現れる。そういう応援に応えていきたいです。僕も時々なんでこんなことやっているのかなあ、疲れるし、面倒くさいしと思うのですが。だけど究極はやっぱり自分の生まれ育った故郷をよくしたい。「マークイズみたいな集合のモールでいいじゃないですか、雨に濡れたくないし」という意見が大概になったら僕も考えますが。静岡以外の人たちがここに来た時、帰ってきた時に「静岡だね」「静岡らしくていいね」って言ってもらえるまちや工芸の村、そういう「静岡らしさ」が必要だと思っているので、常にそれをバロメーターにしています。
横濱 大都市以外のところは、スプロール化などと言われますけど、乱開発でまちがどんどんどん寂れて、人がいなくなり、集まらなくなり、郊外のロードサイドのモールに人が集まるようになる。山梨さんのやっておられることはその逆へと動いているように見えます。まちをつくるだけでなく人もつくり、職人もつくるという発想はどうして生まれたのか、すごく面白いと思います。
山梨 そもそもなんで匠宿をやったのかというと、東京首都圏など都会の人たちが人宿町の視察に来てくれるのですが、まちで勝負したら絶対に負けるんです。東京にもどこのまちにも「頑張ってるね」くらいで。ちょっとむなしい時があったのですが、匠宿はまちから車でたった15分なのに大自然があり工芸村がある。鳥のさえずりが聞こえ、気温も2、3度違う。15分しかかからない人宿町と合わせて捉えると、東京の人もびっくりするんです。これはかなわないとなるわけです。東京・新宿間もタクシーでもうちょっとかかります。僕は今この宿に泊まって連泊する人にはぜひ人宿町まで行ってみてくださいとお願いします。丸子と人宿町は一体、合わせ持っているんです。東京の人に丸子に来てもらうには山があるだけではダメで、重要なのはやはり「人」です。陶芸も染物もインストラクターのバイトの子にこうやってくださいねと言われてやるんじゃ薄っぺらい。そこに職人や作家がいるから来る。そういう人がいることで工芸村の価値が出てくる。人宿町も雇われ店長やバイトのお兄ちゃんお姉ちゃんたちが美味しいのをなんとなくマニュアルで作っているのと、店主が一生懸命自分の味をつくり提供しているのとでは深みが違う。何をつくっているのかをしっかり表現していくことが、これからの地方都市、特に静岡には必要だと思います。渋谷や新宿があれだけ大開発されると、人宿町の通りはむしろ懐かしい文化的なまちとされるのではないかと思います。これを100年後も活かし切ったら、今の京都じゃないですが「すごいまちがある」みたいになるのではないかと思っています。
横濱 まちづくりというと2言目には「賑わいの創出」という言葉が出てくる。誰によって賑わうのか、どれくらいの人たちによって賑わうのか、その規模感や賑わいの種類、性質の話が抜けがちなんだなと思います。ここで満藤さんに急に振って申し訳ないのですが、クラフトビールをきっかけにした人の集まり方ってどういう良さがあると思いますか。実は手前味噌の話ですが、静岡大学の地域社会研究所もビールを使って地域振興というとおこがましいですが、ちょっと賑やかに盛り上げられたらいいなと思っているのですが。「クラフトビールは人を集める」とよく聞きます。それはどうしてなのか、どういう人たちが集まってくるのか、どう思われますか。
満藤 クラフトビールが親しまれ、ブーム的なものになってから結構な年数が経っているので、クラフトビールが好きだという人も増えたし、クラフトビールからビールにハマったという人も多いと思います。クラフトビールとくくると、ちょっと特化したものになるので、多くの人が口コミで一緒に行ってみようとなる。人が人を呼ぶというか。ビールというお酒が他のお酒よりちょっと間口が広いのだと思います。親しみやすいというか入りやすい。だから飲んだことのない人も誘ってみようと思うし、マニアでものすごく好きな人ももちろん来てくれる。クラフトビールのお祭りをやるとたくさんの人が集まってくれるのはすごくありがたいです。ビールはお酒の中でも入り口のハードルが低いというのと、今までのビールが苦手だった人にもいろんなフレーバーや味があるのでもしかしたら自分のお気に入りが見つかるかもという期待感と、クラフトビールは今までのビールの印象と違うという期待感もあって、なおかつ期待を裏切らなかった。それで人が集まるようになったのかなと思います。
横濱 クラフトビールって、元々は地ビールと言われていて、少ない量で作れるようになった規制緩和があって生まれたわけです。ただ最初の頃はなかなかうまくいかなかくて、2010年頃から少しずつ良くなって洗練されてきた。期待を裏切らないようなビール造りって、どうやってできるようになったのですか。
満藤 僕がやり始めた時は第2次のブームの頃です。規制が緩和されご当地ビールと言っていた第1次ブームの時は名前やラベルがウリで、中身なんて…。というのが多かったと思います。だから「高くておいしくないビール」と淘汰されたものもあったわけですが、その中で生き残った人たちが努力してクオリティーを上げた。それとクラフトビール業界は惜しみなく技術を伝承してきたというのがあります。他社にレシピを教えてあげたりとか、機材に関してもこういうのがいいよとアドバイスしたり、造り手同士の中で情報がオープンに行き渡ったためにクオリティーが短時間で一律に上がった。情報の伝達と技術力を惜しみなく伝えたというのが一番大きいと思います。
横濱 造っている側と飲んでいる側の立場がそんなに違わないというか、「造ってやってる」感があんまりない。クラフトビールの造り手さんとは気軽にビールの話ができるということがある。マニアックな話も含めて。どうしてそういう文化が日本で根付いたのか興味があります。消費者と生産者の間にも、造り手同士の間にも高さの違いがないみたいな。何か心掛けていることはあるんですか。
満藤 僕がビールの醸造を始めたいと思った時、有名な人がどこどこの醸造所に移ったっという記事を新聞で見て、それでいきなり電話を掛けて「僕も醸造所を造りたいんです、教えてください」というところから始まりました。こと細かにいろんなことを教えていただいて、造り手も紹介していただいてスタートしたので、僕が醸造所を造ってからは、今度は僕がと思い、たくさんの人に来ていただきました。自分は人に教えてもらったのに教えないというのはずるい話ですし、僕が受けた恩はやっぱり返していかないといけない。そういうのがずっと続いてきている。ビールは間口の広い、そんなに敷居が高いお酒ではないし、クラフトビールの会社は大手のような規模ではなく本当に小さい会社でやっているので、飲み手との敷居があるなんて、そんな偉そうな態度ではなく、どちらかというと飲んでもらっているという思いで造っています。そういう意味で造り手と飲み手の違いがないようになってきたんじゃないですかね。
横濱 参加者からいただいた質問ですが「元々そこに存在したものを新たなものに変えていく時に大切にしてることは何ですか」という質問です。山梨さんいかがですか。
山梨 店舗のリノベーションみたいな意味合いですが、人宿町に引っ越した13年前の自分と今の自分とでは、ちょっと感覚も変わってきていて、13年前の自分に「ダメだぞ俺」と言ってあげたいところもあります。行政の都市局の人たちと話していて、例えばですけど築60年以上の木造の建築物があった時に、果たしてこれを壊すべきなのか壊すべきじゃないのか、有志を集めた委員会みたいなものがあってそこがOKしないと壊しちゃダメだというような、ヨーロッパのような建築規制があったらどうだろうかと。京都や奈良にはあるかもしれませんが、静岡ももう少しやっていかないと。何でもかんでも壊して分譲するとか、不動産屋さんが自由にやれちゃうとかって良くないと個人的には思っています。人宿町ももちろん壊して建て替えていますが、耐震も含めどう活かしていくかというのを考えるようにしています。
横濱 全部壊さないで活かすというのは制約じゃないですか。逆に言えば何か面白いものが造れるかもしれないけれど、縛られる部分も当然あるわけですよね。それをどう両立させるのか。
山梨 古い味って新築ではなかなか出し切れないところがあって、歴史は作れない。「何かこのまちって古くていいよね」という、「なんとなく」を作るのが面倒なんです。簡単に壊しちゃえば楽なんですが、それでは新築になってしまう。新築だと今の確認申請と今の建築基準で建てなければならないので、極力残していくのを面倒でもやるべきだと思い動いています。
横濱 満藤さんは元々大阪で今は静岡という環境にいらっしゃるわけですが、地元の資源を生かすという発想はありますか。
満藤 ビールはヨーロッパから始まったもので、日本では歴史の浅いお酒です。まあこれだけ長い間飲まれてきているので日本の文化に深く浸透していますが。ヨーロッパのビールにはいろんなスタイルがあり、100年200年もの間それが守られてきました。それに対してアメリカのビールはどんどん新しいものを造っている。ヨーロッパとアメリカではビールの考え方がちょっと違うと思います。よくどちら派ですかと聞かれますが、僕はどっち派でもよくてただビールを造っていく中でここでしか造れないものとなると、地元のものを使うしかない。この産地特有のものがあれば、それは非常にいい素材になると思います。静岡だったらお茶がありますが、それとビールを掛け合わせてお茶をもう一度見直していただくとか。柑橘でも、静岡ならではの珍しい柑橘があるならそれをうまくビールに取り込めば、もっと静岡をアピールできるのではないかとか。限定もので造った方が売れるんですよね。柑橘系は使いやすいところもあるので、それを織り交ぜながら。僕自分も農家をやっているのですが、全てが売れる製品になるわけではなくB級品、C級品もあります。味は変わらないのですが見た目が売り物にならないとか、そういうのはビールに加工する時に使う。もう売れないと捨てるようなものも、中身の味さえ良ければ加工に使える。そういう利点もあるんで、普通だったら捨ててしまってるものを買い取らせていただいて、お互いに「ちょっとは良かったね」と思えるような取り組みを農家さんと一緒にできたらいいかなという思いもあります。
横濱 藤枝でビールを造られているのは、藤枝の柑橘をフィーチャーするというのがあるわけじゃないですか。それってまさに地域おこし。それはやはり、ミッションとしてあるわけですか。
満藤 そうですね。藤枝の地域おこしなので、静岡の食材ばかり使っていたら怒られます。この間、静岡大学の藤枝フィールドでできたブラッドオレンジを使ったビールを造らせていただき、「藤枝エールのブラッドオレンジ」という名でリリースさせていただきました。地元であれだけの柑橘類を作っているフィールドはなかなかないです。本当にそこだけでしか作ってない、しかも60年前に途絶えたみかんが復活したっていうことで、それを使ったみかんエールを作らせていただいたのがきっかけでしたので、これからも藤枝ならではの食材をもっと使ってアピールしていきたいと思っています。