大久保 地のものを地の水で炊くということがすごく大切なことなのだと、お話を聞いて思いました。加藤さんが自然体であることや、気張らないというころにも繋がっていらっしゃるのかなと思います。心地よい語り口で体の中にお話がすごく浸透してきました。どうもありがとうございます。橋本さんは、加藤さんのお話の感想というかコメントございますでしょうか。
橋本 加藤さん、今日はありがとうございました。私も伊豆で生活して長いので、地元の風景というか、ここで生きているんだなと改めて思い、おいしいものを食べられるなんていいなと思いました。でも一日一組だけでどうやって経営していくのかと少し心配になっちゃいました。リピーターの方も来られているということで、まだまだ伸び代がたくさんあり、いろいろなことも考えていらっしゃるようで、本当にありがたいなと思っているところです。自分の紹介というか、英龍を広める会の紹介を少しさせていただきます。私は「江川文庫」の学芸員をやっておりまして、英龍をもっと広めたいとの思いで会を立ち上げました。自分のところのものを広げるのに、私が会長ではおかしいのではないかということで、会長は別の方にお願いし、副会長ということでやらせてもらっております。地元天城には透き通るような水が流れておりまして、東京に住んでいる私の子どもも、帰ってくると必ずペットボトルに水を入れて戻っていきます。伊豆の水は本当においしい。これを使って料理をして食べてもらえる、食べられる方々もなんて幸せなんだろうと思い見せていただきました。
大久保 「江川文庫」ではたくさんの書物を抱えていらっしゃるとのことですが、うかがったところによりますと、昔の製法が書かれている書物からお酒を再現したとのことで、それについてお話しいただけますか。
橋本 「江川文庫」の資料を学芸員として管理しております。まだ整理が終わっておりませんが、10万点ほどあるのではないかと思います。江川家は江戸時代に徳川幕府にお酒を献上していましたが、1696年にその献上が終わってしまいました。しかし、もしまた献上することがあったらお酒を作らなければならないということで、詳細な製法書を残しました。今までこれを紐解いた人がいなかったのですが、コロナ禍で時間ができたので現代語に訳し、伊豆に唯一残っている酒蔵に持っていきました。それを見た杜氏さんが「これは酸っぱい酒になる」と言うんです。それで再現してもらったところ、本当に酸っぱいお酒で。トカイワインとかいう貴腐ワインがあるんですがその味なんです。フルーティーな甘酸っぱいお酒です。伊豆で有名な寿太郎ミカンのような、寿太郎を甘くしたようなお酒になりました。このお酒を皆さんに披露することになり、雑誌の「FRIDAY」が取材に来て、全国に発信してくれました。そうしたら英龍を広める会の会員が450人になりまして、目指せ1000人と思っています。本当はお酒を広めるのが目的ではなく、お酒をツールに、もっともっと英龍を広めたいということです。このお酒を中心に江川家の食卓本を書きました。先程お米の話が出ましたが、私たちも自分でお米を作り、天城の山から流れてくる水でお酒を造っています。こうした活動を通してみなさんに仲間になってもらえればいいなということで進めています。「江川家の食卓」として書物に残っている献立を「柳生の庄」の料理長をやっておられた芝山さんに再現してもらい、地元の食材を使った料理を提供する会も開いています。
大久保 お酒が甘いということですが。
橋本 そう、甘いんです。甘いという字と旨いという字はイコールなんです。甘いに煮るという字を書くと甘煮。甘い、旨いは近似の言葉ということですね。江戸時代は甘いものは少なく、お酒も実は水で薄めて、たくさん飲んでいたようです。アルコール度数も非常に高いです。どうして甘くなるのかはよく分からないんです。この酒の酒粕も当然甘いです。今、近所のお店が酒粕を使いいろいろなデザートを作ってくれています。アイスキャンデーとかプリンとか。「いっさい」というオーガニックのお店で、地のものしか使っていないので足を運んでいただければと思います。
大久保 今、酒粕のお話を聞きながら、加藤さん頭の中でちょっとお料理の展開が広がっているかのように見えましたが。先程、江戸時代に日本の食文化の原点があるというお話をされていましたが、そうした昔のものや、伝統的なものが羅漢で提供しておられる料理のヒントにもなっていらっしゃるのでしょうか。
加藤 そうですね。少しずつ変化はしてきていますが。例えばお米のとぎ汁。1回目は捨てますが、その後の2回目3回目の汁、ぬか汁に、江戸時代の人は野菜をつけて保存していたとか。それが塩麹に変わったなど変化はありますが、江戸時代に食文化がすごく発展したのだと思います。調味料も、お酒ができ、みりんができ、そしてお酢ができ。酒蔵の隣りでお酢を造ったりするとお酒がダメになると言われるんですが、ミツカン酢さんはいろいろと工夫しお造りになった。調味料も江戸時代に揃ったのだと思っております。
大久保 化学調味料に頼ってしまったり、時間がかかるということで横着してしまったりすることがあるんですが、お話を聞いているとその時間をちゃんと有効に使って、歴史だったり、伝統だったり、地のものだったり。そういうものを大切にするということがすごく豊かなことなんじゃないかとひしひしと感じ、いろいろ反省をしながら聞いておりました。地のものとか、伝統のものとか、即製ではなく作られた調味料とか、そういったものを使うことが季節のお食事、お惣菜を作ることや、いろんな行事に合わせてた特別なごちそうを作ることに繋がるのかなと、勝手に考えていたのですが、ご提供される時にそうしたことを意識なさいますか。
加藤 当たり前にやっているので、意識したというわけじゃないのですが、食材を見ると光景が浮かぶということがみなさん、ないですか。今ですとモクズガニ。ズガニうどんと言って、ズガニを潰してその汁でうどんを食べるんです。ちょっと寒くなった10月頃になるとその暖が恋しくなって、そうするとその時の光景が浮かんだりするんです。食べているみんなの光景や面倒くさいと思いながら潰している光景が。その食材が出てくると、もうそろそろ時期になったんだなとか、こういう行事があるなとか。食材と行事が繋がっていくような、思い出に繋がってくような気がします。
大久保 いいですねえ、食の思い出、すごくわかります。子どもの頃、これがあるとそろそろひな祭りだなとか。こういうお菓子が街に出てくると季節が来たなとか。思い出や食のストーリーが浮かぶというのはわかりますね。みんなそれを大事にしているような気がします。それがあるから、もう一回行こう、どんなに遠くでも行こうという風に思うのかもしれないですね。橋本さん、江川家にはそうした季節の食の記録はございますか。
橋本 たくさん残っています。江川家には年中行事という資料がありまして、代々江川家を管理する人たちのための資料で、それを見てお正月が来たからこういう料理を出す、お日待ちにはこういう料理を、夜待ちにはこういう料理を出すというものが。こうした料理をまた再現してもらいみんなで食べようという話をしているところです。中には「ぶと」という名前が付いてる料理があります。「ぶと」というのはところてんのことで、それを味噌酢で食べます。ところてんを作ってるお店の人に話をしたら、「そんなのは邪道で美味しくないよ」と言われましたが。この店はコンニャクもやっている明治からの老舗なので、コンニャクを味噌酢で食べてみたら、みんな美味しいって言うんです。これは面白いということで、今度再現料理に使おうかと思っています。それから「ひきずり豆腐」という料理もあります。これは焼き豆腐にして表面にひっかき傷を作るようにして、すりゴマをのせるというものです。江川家は日蓮宗なんですが、日蓮宗ではそういう料理が出るそうです。そんな料理も再現したいと思っています。それから酒粕で保存したマグロ。これを1週間位おいて生で食べてみたら、色は悪くなりますが、本当に美味しかったです。先程話した酒粕でデザートを作ってくださる人が魚屋さんにその話をしたら、それは絶品だと。きっと売れると言われたそうです。本当においしい酒粕漬けができたんですね。文化文政の頃が江戸時代の料理が華やかだった最後で、その後は質素倹約。英龍の時代になると、毎日のように豆腐を食べ、毎日のように茄子を食べているんです。倹約前の華やかで美味しい料理を加藤さんに見てもらって、再現できればありがたいなと思います。
大久保 食べに行きたくなりましたね。再現していただきたいと思います。静岡の食とは何か、なかなか確定できないというのがこれまでの本研究会の大きな課題でして。静岡の食材も400以上あり、それだけあるとなんでもできてしまう。静岡はなんでも美味しいとなる。なんでもの中に特別なものがなかなか見つからないと言うのですが、さかのぼってみると、江川家で食されてたようなものがあり、地のものを地で作る、まさにここでしかできないものがあり、その場でしか味わえない味がある。これが静岡だとくくらなくても、静岡の中のいろんな味。点在するガストロノミーというか。たくさんあるそれをちゃんと守って作って伝えていかないと、江川家の文献には残っているけど、現存しない幻の美味しいものになってしまう。ちょっともったいない気がします。加藤さんは、なにか再現したいって思ったものがございますか。
加藤 マグロですね。小魚も鯛もさばいてから寝かせますよね。2~3日置いた方が、旨味が出るんです。だからそのマグロにも1週間の間に凝縮された旨味が含まれているのではないかなと思います。ちょっと試してみたいなと思います。
大久保 いいですね。そして出す時には江川さんのストーリーも。
加藤 伝えていきたいと思います。
大久保 やはり美味しいものには背景があって、ストーリーがありますよね。
加藤 料理を提供する時はなるべく、こういうものですというご紹介をしています。私のところでは料理の献立が3~4週間で全て変わります。なぜかというと野菜がもたない。野菜は旬と言われてる時間が短いんです。名残りとかいう言葉もありますが、旬の野菜を使いたいと思うと、3~4週間で献立を変えていくことになる。それも季節を感じてもらう一つだと思っています。
大久保 スーパーに行くと、最近は同じ野菜が同じ場所に一年中あったりして、季節を感じることがちょっと薄れてしまっているので、貴重ですよね。食材から季節を感じるって重要ですよね。先程外国の方がお越しになるとっおっしゃっていましたが、日本の季節感みたいなものに対して、欧米の方々の方が敏感だったりしますよね。
加藤 例えば先程のタイの方たちは冬をそんなに経験していないんです。暑いか雨季なんですね。極端すぎて、心地いい風とか、心地いい気温っていうのは、なかなか馴染みがないようで、喜ばれます。
大久保 なるほど。先程紹介いただいた土間で召し上がった後、味噌樽のお部屋に行って、さらに座敷で食べるというような場面の展開も、それぞれ風景が違って季節を感じることができるような気がします。心地よさみたいなものも。
加藤 私は、一方的におもてなしをしようとは思っていないんです。自分で楽しんでもらうための時間も必要ではないかと。そしてそこでは和やかな会話が何よりのごちそうになると思っています。私からの一方向ではなく、お客様と私がキャッチボールできるような形でおもてなしをしたいと思っております。
大久保 素晴らしいですね。おもてなしという言葉に、ゲーム性を今感じてしまいました。言葉のキャッチボールだとか、場所が変わるとステージが変わるってというのも。ゲームで言う、次のステージに行ってまた新しい展開があるという。それも含めて羅漢のおもてなしというか、楽しさ、心地よさになるんでしょうね。みなさん何時から食べて何時位に食べ終わるのですか。
加藤 一日一組ですが、今はお客様にお時間を決めていただいています。早い方で大体11時位、夜の予約ですと19時、20時という方もいらっしゃいます。お仕事が終わってからいらっしゃいます。せっかく来てくださるのですから、その時間でもお受けさせていただき、大体3~4時間。長い方では5~6時間いらっしゃいます。私もちょっと正直、この後これをしなくちゃならないという思いもありますが、帰りがけに「ここでゆっくりできて、明日から仕事、頑張れます」と言ってくださる方がいるんです。先程お話したキャッチボールじゃないですが、その言葉で、「あっ、今日この方をお招きできてよかった」と思います。「また来るね」とか、本当に最後の言葉ですね。美味しかったと言ってくださることも嬉しいですが、「また来るよ」とか「明日からまた頑張るよ」とか言ってもらえることが、私にとってのお褒美のような気がいたします。言葉ってすごい大事だと思いますね。
大久保 その方々も、受けたものが大きいからこそ言葉にしたんだと思いますけどね。
加藤 そういう方はリピーターになってくださいます。羅漢はそんなに大きい場所ではないですが、大体7割位がもう既にリピーターになってくださっております。
大久保 それで、予約が取りにくいと言われるわけですね。先程の映像で見るだけでもワクワクするような料理のレイアウトというか、お花とのセッティングなどすごく素敵だったので、目で見ても美味しいと思えるようなものが、いいなと思いました。江川家の資料には、絵で残しているものもあるのですか。
橋本 料理は残念ながらないのですが、英龍は絵がとても上手で、谷文晁に直接教わっているので、たくさんの絵が残っています。「江川家の食卓」の中でも伊豆の食材を紹介していまして、英龍が描いた魚や野菜の絵が散りばめられています。是非読んでいただきたいと思います。それと、ちょっと追加させてもらうと、先程のマグロの粕漬けの話ですが、江戸時代は冷蔵庫がないので生の魚は膾で食べるんですね。膾料理がたくさんありまして、そこには「時の魚」と書いてあります。季節の魚を膾に入れて食べるというわけです。今のような紅白膾ではなくて、魚の膾です。そういう料理もちょっと考えていただけるといいかなと。
大久保 魚だけで膾にするんですか。
橋本 魚だけじゃなくて、地のもの、野菜も入れます。例えばヒラメの膾とか貝の膾。そういうような膾が提供されていますね。ワサビについても「江川家の食卓」に書いてあります。実はワサビの研究をされている方とちょっと喧嘩したことがありまして。私は伊豆にワサビの原生種があったと思っているのですが、その人はなかったと言われまして。最近、雲見で、江戸時代の前からワサビがあったということを発見したんですよ。本にも書いたのですが、伊豆のワサビの歴史はかなり古いと威張っていいと思っています。
大久保 基本的には有東木から。シイタケと交換したとされていますよね。
橋本 それを私は、ありえないと言い続けていたんです。今回その資料を発見したので、もう威張って言えるなと。有東木の方にはごめんなさいですけど。
大久保 その手の遺伝子解析ができる先生が今日はいらっしゃってますから、ぜひ追いかけてください。文献って貴重ですね。でもあるだけでは駄目で、それをちゃんと解析しする、学芸員の仕事って重要ですね。
橋本 私は英龍のことをみなさんに知っていただきたいなと思って。それも資料があるからお酒や料理を再現できるわけです。私に巻き込まれている人たちにはごめんなさいですけど、いろいろな人に協力をいただいて再現をしています。加藤さんもその一人かもしれませんけど。
大久保 心強い味方が今日できたということですね。再現する技術もやっぱり必要ですよね。再現する科学的な根拠が必要だと思うのですが、その文献の通りに再現するためには、伝統的な技の蓄積も必要かと思います。文献とそのまわりを固める技術者の方々が技を蓄積し続けているかどうかに、再現できるかどうかがかかっているような気がしますね。
橋本 それが一番大事なんです。例えばパンの製法。今はイースト菌がありますが、当時は甘酒だけで膨らませると書いてあるんです。でも甘酒そのままでは膨らまないんです。どういう風にしたら膨らませられるのか、パン屋さんは再現してくれるのですが、そこまではちょっと、難しいというお話でした。お酒も、杜氏になっている大学の後輩に製法を見せたのですが、自分にはできないと言うんです。昔ながらの技術を持っている人が見るとそれだけで、どんなお酒になるかわかるんでしょうね。そういう方々にいろいろお世話になって本当にありがたいなと思っています。
大久保 すごくきれいにまとめていただいて。それこそが、静岡の食がガストロノミーに通じていくことになるのかなという気がします。事前に加藤さんヘの質問をいただいています。インバウンド向けの取り組みがあれば教えてください、というものと、修善寺を選ばれた理由について。
加藤 まず修善寺についてですね。それは場所を貸していただけるところがなかったからです。だから廃墟のようなところに移り住んだんですね。目的があって始めたのではなく、もう仕方なくそこに移り住んだ。だから皆さんから奇人変人扱いされたということです。そしてインバウンドのことについて。私のところはそんなに大きいところではないので、今していることは英語版のホームページを発信していること、そして何度も言いますが、口コミ。私のところは対面ができますので、その対面を大事にすること。団体の大勢のお客様でも、お一人お一人にどこかでお声をかけるようにしています。「美味しいですか」、「いかがですか」など、必ずお声をかける。些細なことですが、これは外国の方だけでなく、日本人の方にも心がけていることです。
大久保 外国の方だからするのではなく、加藤さんだからしていると言うほうが多いかもしれませんね。それが心地よさを作っていくのかなという気がします。魅力的ですよね。吸い込まれるような、呼吸がしやすくなる感じがします。素敵な雰囲気とリズム感をお持ちなので、それでおもてなしをされると、時間があっという間に過ぎてしまうのかもしれないですね。インバウンド向けの取り組みというところでいくと先程話を聞いていて思ったのですが、インバウンドの方、特に欧米とかラテン系の方々って食事の時間が遅いですよね。レストランが8時からしか開かなとか、9時過ぎないと人がいないとか、食事の時間が遅い。昼食が遅く、いまだに昼寝をしているのかもしれないですが。生活のリズムが違うので、時差があるとはいえ、日本に来たからといって日本の食事の時間に合わせるというのはなかなか厳しい方がいらっしゃるのかもしれないですね。ちょっと遅めでも予約を受け付けてくださると本当にゆったりとできるのかなっていう気がします。加藤さんが当たり前になさっていることが全世界共通で心地いいんだと思います。相手に合わせるというか、その相手を全部巻き込んで羅漢の懐に入れているような気がします。
加藤 私たちも実は楽しませていただいているんです。私はまだ英語ができるわけではないですが、英語ができるスタッフがおりますので、ちょっとこれ聞いて、こういうの聞いてくれるという具合に。食べて、じゃあお帰りくださいではなく、そこにちょっと思い出が残る。こんなものが出た、こんな会話があったという、ちょっとしたことだと思うんですが、それを一つでも作ってあげることで、思い出が深くなるんじゃないかと思いますね。
大久保 いいですね。そこはまさにツーリズムですね。
加藤 私の方も、海外ではこういうこともあるんだって、逆に教えてもらうことがあります。外国の方たちから直接聞く情報が一番。それも含めて私たちも楽しませていただいていると思います。
大久保 「江川家の食卓」の中にも外国人との交流がきっとあると思うのですが。
橋本 あります。例えば、ディアナ号が沈没して戸田で船を作るんですが、当然、ロシアの人たちは食べるものが欲しい。幕府が用意するのですが、毎日、酒、サツマイモ、ミカン。冬ですから、こればかり。食べ飽きたロシア人の人たちがパンを食べたいと言うのですが、麦の収穫がない。江川が探し回って、富士宮の方に麦があったということで、やっとパンができたということがありました。その他にも「江川の食卓」ではないですが朝鮮通信使にどんな料理が提供されたとか、南京船が漂流して下田に来た時に出した食材とか。
大久保 文献が10万件でしたか。さらに解明していくことで、これからに繋がることがまだまだたくさんありそうですね。楽しみです。今日は楽しいお話をありがとうございました。