(佐藤) 中村さんの話を久しぶりに聞きましたが迫力がありました。山崎さんはどうでしたか。
(山﨑) 本当に楽しいお話でした。私の中で特に残ったのは、お魚が繋げるというお話です。弊社はマグロを扱っておりますが、魚を通じて世界と繋がるというところが心に残りました。
(佐藤) 今日の話のキーワードはやはり「人」だと思うんです。中村さんからガストロノミーツーリズムの定義に食材があって食文化がないという話がありましたが、我々も食材のことは語ってきたけれど人間の話はあまりしてこなかった。それはまったくその通りで、食は人だということが改めて理解できました。魚を食べるというのは命をもらっているということです。供養塔の話がありましたがこの近くにもありますか。
(中村) 浜名湖の近くにウナギの霊を祀る魚藍観音という像が立っています。イルカの供養のためにということで言えば結構あって、静岡で言えば伊豆の安良里、川奈、伊東にあり、高知にはクジラの供養塔も。全国に20本くらいは立っていると思います。
(佐藤) 山﨑さんのところではウナギも扱っていらっしゃいますよね。
(山﨑) 高知でウナギの事業も川上から川下までやらせていただいているので、ウナギの供養祭を年に2回やっています。供養塔というのは、世界ではどうなんですか。日本独自のものなんですか。
(中村) 食べた動物や魚の供養をするという発想は、おそらくヨーロッパ人たちにはないだろうと思います。仏教とも関係してくるわけですが、仏教には生き物を殺してはいけないという思想があり、殺してしまった、あるいは死んでしまったものを供養して新しい命として蘇らせるという考え方があります。生命に対する思想的な違いがヨーロッパと日本・アジアにはあるんだろうと思います。
(佐藤) それは私も強く感じることがあります。日本には植物にも供養塔があって、雑草の供養をする人もいるんです。田んぼの雑草は抜かないと困るから取りますよね。命を奪ったからとそれをくるくると丸めて土に埋めたりする。山形の米沢には供養塔もあります。生き物でないもの、例えば針も供養する。日本独特だと思いますが、民族学者・中村羊一郎さんとしてはどうですか。
(中村) 人間が日常的に使ってきた物で、使えなくなってしまった物。針もそうですが長年使い込んでいくとその物に魂が宿るようになりそれが妖怪に発展するんです。そういうのを「つくも神」と言いってなんにでもつくも神はあります。一つ目小僧とかいろんな妖怪がいますよね、あれも基本的には人間と関りを持った道具や自然の物が年数を経ることによって特別な力を持った物。だからきちんとお祀りしておかないと人間が仕返しをくう。自然や物に対する恐れがあって、実はそれが妖怪のいわば出発点です。
(佐藤) 小松和彦の世界ですね。山﨑さんはどうですか。
(山﨑) 妖怪の話まではイメージできなかったですが、日本人は食べる時にいただきますと言いますよね。そこにも日本人独特の感性があるのかなと思います。手を合わせていただきます、ごちそうさまでしたと言う習慣は海外にはないですよね。供養塔の話もそうですが日本人の魂に対する考え方、生き物に対する考え方にちょっと感激しました。
(佐藤) 日本人がそういう思想というか考え方を持つようになった背景には、やはり魚の存在が大きいと思います。ヨーロッパ、キリスト教世界を含めてユーラシアの西側の人たちのたんぱく質の供給源は家畜です。家畜は神様が人のためにつくってくれたものですからそれを食べるのは文明社会の享受だと。野生の動物や植物を食べるのは野蛮人だという思想があるような気がします。ところが日本は縄文時代の終わりからずっと大型の家畜を持たなかった民族で、その代わりお魚がある。 三内丸山遺跡を見ると大型の哺乳類の骨もあったようですが取りつくしてなくなってしまったので、お魚に頼らざるをえなくなった。魚は天然資源ですから天然のものに対する愛着が植え付けられているような気がします。山﨑さん、養殖のマグロと天然のマグロ、どちらが人気ですか。
(山﨑) 畜養のマグロをみなさん気づかぬうちにかなり召し上がっていると思うので、どちらが人気かというのは非常に難しいです。遠洋マグロ船は非常に資源にやさしい漁法で一匹一匹釣っていきます。私たち日本人には自然と共に生かされているという思いがあります。天然の物をいただいてそれを私たちの生きる糧にしている。そこへの感謝と畏敬の念は日本人独特のものだと思います。今、今日、現在、世界の海洋で、百何十隻の遠洋マグロ船が漁をしています。南マグロや本マグロの船もそれぞれの拠点があり、世界の港には日本のマグロ船がたくさん並んでいます。そういう所を見ると改めてマグロを通じて世界と繋がっていることを実感します。
(佐藤) スーパーの店頭にタイの柵が並んでいるとします。一つは天然のどこどこ産と書いてある、もう一つは養殖と書いてある。値段に大きな違いがなかったら天然を買う人が多いのでは、みなさんどうですか。天然と言う人、手を挙げてください。やはり天然の人が多いですね。日本人独特の精神構造なんですかねえ。中村さん。
(中村) ムチャ振りですね。普通の主婦の感覚からすれば安さで選ぶ人もいるんじゃないかと思いますよ。食べてみなきゃわからないというのがあるかな。
(佐藤) 私も料理人に養殖の方が美味しいと言われ、そうかなと思ったんですが、みなさんが天然に手を挙げられたようにマインドとしては天然物の方がいい。面白いところだなと思います。タイの話が出たところで、復習になりますが、興津鯛は興津で捕れたという説もあるんですか。
(中村) 興津で捕れたという話はあまり聞きません。一番広く言われているのは興津という女中さんの名前が付いたという説のようですが、確かな証拠はなく、よくわかっていません。
(佐藤) 興津の海のあたりは昔はおそらく磯場で、ここで捕れたのかなあという気もするのですが。タイというのは元々どういう種類の魚なんですか。
(中村) 生物学的なことはわかりませんが、色がきれいで見た目が整っていることもあり、昔から珍重されてきました。瀬戸内海から九州一帯にかけて鯛網というタイを捕る専門の漁師がいたし、タイの一本釣りで天下に並ぶ者なしという名人も瀬戸内海には何人もいたみたいです。棹を使わず糸で直接釣る微妙な技を代々受け継いでいる人たちがいました。静岡の人はタイというとめでたい魚だと思いますが、西日本に行くとブリが大切な魚になります。対馬など年貢としてブリを徴収する例もあります。地域によって特別な位置を与えられた魚が珍重される。その理由としてはある程度の数が確保できないと珍重されようがないし、それからやはり食べたときの美味しさ。保存性があるかどうかというのもあります。
(佐藤) 確かにタイは腐ってもタイというくらいですから日持ちがいいんでしょうね。魚には序列があるような気がするのですが、静岡でもタイは一番上ですか。
(山﨑) やはり興津鯛ですよね。値段も高い。結構水分が多くやわらかいので干さないとですが。
(佐藤) 京都でもグジはものすごく高い。この研究会の1回目に来てくださった方が、室町時代の日記を読み解き当時の人が何を食べていたかというリストを作ってくれました。その中に甘鯛があり当時から珍重されていたんだなと思いました。魚がたくさん捕れた時の保存方法というのは大事な要素で魚は自然資源ですから捕れるときはたくさん捕れるけれど捕れない時はまったく捕れない。魚の食文化として保存方法はとても重要です。塩かつおは間違いなくそうだと思います。それに加えて考えられるのが発酵。静岡でお魚の発酵食品みたいなものはありますか。
(中村) あえて言えば塩辛。イカの塩辛もカツオの塩も独特の味わいです。ただ身の部分をそのまま発酵させるというのはあまり聞かないです。
(佐藤) どうしてなんでしょう。
(中村) いつでも捕れるからじゃないですか。静岡の温暖な気候は多様な作物や獲物を提供してくれますから。
(山﨑) かつお節というのは発酵の過程を踏んでいますよね。
(中村) 発酵させるというより発酵しちゃったという形になるかもしれませんが、大量に捕れたら干すしかないじゃないですかね。
(佐藤) 金沢にはかぶら寿司がありますが。なんで静岡にはないんでしょう。
(山﨑) さっき中村さんがおっしゃったように、一年中温暖で、食べ物に対して困ることがない。お魚に対してもそうなのではないでしょうか。
(中村) まあ干物でしょう。干物にどんなタレを使うかで違ってくると思いますが、タレは発酵させてあるわけですから。沼津の干物の評価が高いのはそのあたりの技術の高さが背景にあるのではないでしょうか。
(佐藤) なるほど。リモート参加の方から質問が来ています。未利用魚に関するものがあります。山崎さん、例えばマグロのしっぽとか、そういう部分も未利用魚と考えると、SDGsという観点からどうお考えでしょう。
(山﨑) 未利用魚という範疇に入るかわかりませんが、マグロも捨てている部分があります。例えば尾の身や頭の部分です。よく動かす場所なので実は肉のように食べ応えがある美味しい部位なんです。船の上ではもちろん食べていますが、市場に出回らないため結局処分してしまっています。そこで弊社も含め、今新しい料理を開発しています。例えば尾の身を牛テールのように切ってカレーや煮込み料理にするなど。まさにSDGsで、マグロ船の方たちの収入に繋がるという点でも非常に重要な取り組みだと思っています。
(佐藤) 未利用魚の範疇としては名前のないような魚のケースもあれば、定置網の中にサバが入ったが一本だけでは市場に出せない。これも一種の未利用魚になります。こういうのをどうするかというのは確かに重要なポイントだと思います。ネタの表示をせずに、その日捕れた魚を出す、本日のメニューみたいな寿司を出す店が下田にあるのですが…。
(山﨑) 弊社は沼津にも支店があり、市場の仕事をしています。今のお話のように、その時捕れた雑魚や深海魚をパッケージにして販売する、そういう商流ができかけています。
(佐藤) そういう風になると定番メニューは作れないですよね。普通の寿司屋のようにマグロやタイといったネタの名前は書けないけれど、今日捕れた魚はこれ、明日来てもあるかどうかはわからないよということで提供する。商売としてはやりにくいような気もするけれど、未利用魚をうまく活用するという意味ではとても大事。活用しなければ腐るか捨てるかですから。
(山﨑) 楽しいですよね。その日捕れた物をいただくというのはある意味新しい物との出会いだし、それを楽しめるような流れがあるといいなあと思います。
(佐藤) 中村さん、なにかそのあたり、面白そうな使い方はないでしょうか。
(中村) 未利用魚と一括りにしてしまうことができるかどうかという問題はあるとは思いますが、例えばウツボ。以前焼津でフライにして食べたことがありますが静岡あたりではあまり食べる人がいない。
(佐藤) 和歌山は食べますね、高知も。
(中村) 西日本の人はフカもサメも食べますね。だけど静岡市内でサメを売っているところはまずない。そういう具合に地域によって捕れる魚の種類が違うと、たまたま1匹捕れてもその地域では捨てられる。だけどたくさん捕れるところでは昔から食べているから商品になる。地域性というのがあるのではないでしょうか。
(佐藤) そう、だからツーリズムのネタになる。消費者として大事だなと思うのは、魚に対する教養が社会にないと捨てられてしまうわけです。だけどこういう魚はこういう風に食べるんだという知恵が社会にあれば魚を捨てずにすむ。社会全体が持っている知のレベルというか教養のレベルみたいなものが未利用魚を生まないひとつの重要な要素のような気がします。
(中村) 今のお話に加えて言いますと、プロの方が経験の中から選択して未利用魚を使うのはいいのですが、例えばこの魚を食べると必ず下痢をするという魚(アブラボウズ)なんかもあるわけです。今までなんで未利用魚だったのかということを考えた時に、下手をしたら体に良くない部分があるかもしれない。それに対応する調理法や、これは安くて美味しいけれどここに気を付けてやりなさいよという提案が料理人からあればいい。指南書みたいなものがあれば。トゲのある魚なんかはさばくのが怖いし、アカエイはしっぽの毒に触ると死んじゃうと言われるくらいきつい毒を持っている。安全な食べ方を合わせて説明することも必要です。
(佐藤) そういうシステムがいるということですね。キノコも全く同じだと思います。時間が経ってしまいました。30分という時間が元々短い時間でして、すいません、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。