日時/令和6年1月26日(金)14:00~16:30

・会場/富士山本宮浅間大社 

・講師/静岡県富士山世界遺産センター学芸課 

    教授 大高康正氏・准教授 井上卓哉氏


第5回ガストロノミーツーリズム研究会は霊峰富士を望む富士宮市の富士山本宮浅間大社を会場に行われました。境内には今回のテーマである富士山の伏流水が湧く「湧玉池」があり、その美しく神秘的な風景を楽しみながら、研究会は進められました。第1部は2人の講師による研究会初のリレー講演というスタイルで、その後パネルディスカッションを実施。第2部は交流会が行われました。

参加者は生産者、観光事業者、料理人など会場に26人、オンラインは20人となりました。

■ 講演

講師/静岡県富士山世界遺産センター学芸課 教授 大高康正氏 

(プロフィール)

昭和48年静岡県生まれ。富士市立博物館学芸員、公益財団法人元興寺(がんごうじ)文化財研究所研究員などを経て平成26年から現職。専攻は日本中世史、社会史で、研究テーマは参詣曼荼羅(さんけいまんだら)と寺社参詣、聖地巡礼。著作に「参詣曼荼羅の研究」(2012年岩田書店)、「富士山信仰と修験道」(2013年岩田書店)、編著に「古地図で楽しむ富士山」(2020年風媒社)がある。 

開口一番「本日は世界遺産富士山がもたらす自然の恵みというテーマでお話させてもらいますが、私は過去の話、歴史を専門としており、過去の名産品をご紹介させていただきます。そして井上さんに繋いで、現代までの名産品の話をしてもらいます」とのご発言。ガストロノミーツーリズム研究会初のリレー講演のスタートです。

幻の名産品「善徳寺酢」とは

冒頭大高氏から「幻の名産品『善徳寺酢』を知っている、または聞いたことがあるという方、いらっしゃいますか」。との問いかけがありましたが、挙手されたのはほんの数名でした。「ご存知ない方がほとんどだと思います。知られていないというのが現状です」。

「富士山の南麓には湧水が湧く場所が非常に多く、善徳寺酢もおそらく富士山の湧水、自然の恵みを元に造られた名産品だと考えます。東海道吉原宿に近い地(現・富士市今泉8丁目)に六所家という旧家がありました。その場所に元々あったのが富士山東泉院という真言宗の寺です。現在の日吉浅間神社の境内の一部、吉原東泉公園になっている場所です。この寺が造っていたのが『善徳寺酢』で、徳川将軍に献上されていたという記録が駿河の国に関する地誌『駿河記』に残っています」。


「要約すると、大阪の陣の際に徳川家康に献上したところ戦いに勝利したことから縁起がいいとされ、以来献上しなさいとなったわけです。その後、17世紀の終わり頃、第6世住持・快雅の時に辞退することが認められましたが、吉例の酢であることから絶やすことがないよう命じられました。しかし18世紀の頃には全く記録に登場することがなく、廃れてしまった可能性が高いと考えられています」。 ※駿河記 引用 

江戸時代の有名ブランドだった

    江戸時代の記録を見ていくと「善徳寺酢」は徳川将軍に献上していたというだけでなく、当時の暮らしの中で著名な銘柄だったことがわかると大高氏は話しを続けます。「寺子屋で使われていた手習い本『江戸往来』の中に覚えておくべき商品名として『善徳寺酢』が登場します。また日本の食物文化についてまとめた『本朝食鑑』の酢に関する項目でも紹介されています」。

「酢の製法については水の良いところが適していると書いてあり、17世紀の終わり、元禄時代には『三所の酢』として、相模の国・中原(平塚市)の成瀬氏が造る酢に次ぐものとして、駿河の国の吉原の善徳寺酢と駿河の国の田中(藤枝市)で製造されている酢が紹介されています。『本朝食鑑』は当時の食文化をまとめた記録なので、当時善徳寺酢は江戸の町に流通していて、周知の銘柄だったという可能性が考えられます」。

善徳寺村で造られたから「善徳寺酢」

「善徳寺酢と名が付いていますが、本来は東泉院の手製の酢です。なぜこの名が付いたかというと、いろいろ考え方はあると思いますが東泉院は善徳寺村にあり、村の名前からきていると思われます。善徳寺村の名称は中世後期に隆盛を誇っていた臨済宗の寺、善徳寺が元とされています」。

江戸時代の料理書にその名が載っていた!

 「富士市に寄贈された東泉院の資料は2万点ほどあるのですが、酢に関する記録はほとんどなく、どう造っていたかとか、道具があるとか、そうした記述は全くありませんでした。そんなことから幻の善徳寺酢と紹介したわけです。具体像がわかるものが他にないか探していたところ、造り方について書いた記録が見つかりました。岡山大学付属図書館の池田家文庫所蔵の『黒白精味集』です。これは18世紀の延享3年に書かれた料理書で、上巻に酢に関する項目があり、善徳寺酢の具体的な製法についても記録されていました。この記事は伝聞とされていて、本来秘されていた製法がなんらかの形で採録されたと考えられます」。

原料は米、水、麹。さらに杉の削りくず?

 「伝聞者名『善徳寺伝』によると、壺の中に米一升、水2升5合、麹4合を入れ、そこに杉の削りくずを入れるとか、鉄くぎを3本入れるとか、ミョウガの葉を5枚用意するとか書かれていて、それらを入れて7日目に混ぜるとあります。私は歴史が専門で食文化については造詣が深くなく、本当にこの造り方で酢ができるかどうかは専門家に加わっていただかないとわかりませんが。伝聞者がないという項目にも、善徳寺酢の製法が書かれています」。

「また、長谷川公という人物の伝として、『善徳寺酢の秘法』が書かれていました。内容は善徳寺酢の製法をさらに詳しく記したもので、この記述の最後に『師より相伝された内容の全てを書き付けた。他の誰にも教えていない製法で、他言なきよう』と書いてあります」。

「他言なきというものをどうやって書いたのかという疑問はあるのですが、酢の製法を口伝で伝えて、秘されていたために絶えてしまい、今に伝わっていないのかなと思います。『黒白精味集』に記録があるおかげで、再現することがもしかしたら可能になるかもしれません。まさに、一子相伝の秘法が書写されていたということです」。

いつの日か再現を

この書には「善徳寺万年酢の法」という項目もあったと大高氏は話を続けます。「万年酢とは酒、酢、水を合わせて密封して数十日で製造する酢のことで、使った分だけ酒や水を加えることで万年、酢がなくなることがないということだと思います」。

「幻の善徳寺酢は米酢であったということがわかっています。より安価に製造できる酒粕を原料とする粕酢が19世紀以降に広まったと言われていて、江戸に握り寿司が普及した要因にもなっています。駿河の国にも粕酢が流通したこともあり、善徳寺酢が廃れていったのかとも思います。

「富士山南麓の名産品・幻の善徳寺酢は決して再現できないものではないと思います。『黒白精味集』の記述を元にいつの日か復活する日がきたら、食文化と地域おこしが連携したものになっていくのではないかと考えています」。

講師/静岡県富士山世界遺産センター学芸課 准教授 井上卓哉氏 

(プロフィール)

昭和52年兵庫県生まれ。富士山かぐや姫ミュージアム(富士市)学芸員、富士市文化振興課を経て、令和4年から現職。専攻は文化人類学、民俗学で、研究テーマは山村の生業からみる山地資源の利用、ビジュアルメディアにみるシンボルとしての富士山など。著作に「ステレオ写真で眺める明治日本」(2023年古今書院)、「富士を介して信(よしみ)を通じる(2023年風媒社)、訳書に「富士山 信仰と表象の文化史」(バイロン・エアハート著「Mount Fuji:Icon of Japan」 (2020年慶応義塾大学出版会)がある。

大高氏からバトンを受けた井上氏の登壇です。「大高さんは歴史的なお話でしたが、私の方は現代に繋がる富士山の恵みということで、湧水と養鱒についてお話したいと思います」。

富士山の正式名称は?

「私と大高が務めている静岡県富士山世界遺産センターについて少しだけご紹介させていただきます。このセンターは世界遺産富士山の普遍的な価値を後世に伝えていく施設です。そのための展示や教育普及、調査研究を実施しています。こういう講座をさせていいただく時に皆さんにお聞きするのですが、世界遺産富士山の正式名称を御存じでしょうか」。井上さんから参加者にそんな言葉が投げかけられました。

「いつもだいたいいらっしゃらないので、今日はぜひ覚えていっていただきたいと思います。世界文化遺産に登録されている富士山の正式名称には『富士山信仰の対象と芸術の源泉』というサブタイトルが付いています。信仰の対象と芸術の源泉。それが重要なポイントだということなのですが、私は常々信仰と芸術だけじゃない富士山も見ていかなければならないと考えており、今回は湧水がもたらす恵みということについてお話させていただきます」。

「富士山に降った雨や雪は山体に吸い込まれ、何年もかけて麓で湧き出します。これは富士山を上から見た図になりますが、この白い点が湧水や地下水が得られるところで、富士山の周りには非常にたくさんの湧水資源があるということをまず知っていただきたいと思います」。

湧水に支えられた生活

   「豊富な湧水の地下水は富士山周辺に住む人々の生活を深く支えてきました。稲作も豊富な水によって行われてきましたし、御殿場や白糸(富士宮)あたり、山梨で作られている水かけ菜もそうです。冬に畑が凍ってしまうとなかなか作物が作れない。それを避けるために畑に湧水を流します。湧水は氷点下よりも温かいので水を流し畑が凍らないようにすることから水かけ菜と呼ばれ、収穫後漬物になります。3月頃に採れますので機会があればお求めいただきたいと思います」。

「ワサビというと静岡や伊豆が有名ですが、富士山麓でも育てているところがあります。ニジマスも育てられています。サクラエビも富士山の湧水が駿河湾の中で湧き出し、それがサクラエビの成長に影響を及ぼしているのではないかと指摘されています。食べ物だけでなく製紙業も豊富な湧水に支えられています。富士、富士宮は紙の町と呼ばれていますが、湧水によって製紙業も発達してきました。湧水に支えられた生活がある地域だということを知っていただきたいと思います」。

ニジマス生産量全国1位

「全国の自治体、市には市の花や木、鳥があり、漁業が盛んなところでは市の魚も制定されています。富士宮も市の魚にニジマスが制定されています。海に面していない富士宮市でなぜ魚が制定されているのか。静岡県は長い間ニジマスの生産量全国1位の座にいます。全国シェアの20%前後を静岡県が占め、その生産地は富士宮市が中心となっています。そしてニジマスの生産を支えているのが富士山麓の豊富な湧水です」。

富士宮の養鱒業の始まり

「ニジマスは元々北米の原産で日本にいた魚ではありません。明治に入り始めて日本に輸入された魚がニジマスです。川を上がってきたサケが卵を産んで受精すると死んでしまう、そんな映像を見たことがある方が多いと思います。多くのサケ科が1回産卵すると死んでしまうのですが、ニジマスは数回に渡る産卵が可能です。一回卵を産んでも、2年目、3年目も生むことが可能です」。

「明治末期から食料の増産ということで輸入が本格化してきます。大正末期には水産業振興のために日本各地にニジマスの孵化場や養鱒場が作られました。この時点ではまだ富士宮の養鱒は行われていませんが、昭和6年、富士宮市の北に位置する井之頭の豊富な湧水が注目され、農林省からの働きかけで富士養鱒場が整備されることになります。養鱒場を作るんだったらと井之頭の人々が土地をすべて寄付してくれたという話も伝わっています。地域の人たちの協力で場所が確保されたわけです」。

「養鱒場の工事は昭和8年に始まり、11年に竣工。当時の様子が描かれた絵の池の奥に水車が見えます。ワシントン式水車というもので、池の魚はこの水車の中に留まり、下に逃げないようになっています。これと同じ仕組みの水車がまだ残っているのでご覧いただけます」。

民間の養鱒場が創業

     「昭和30年代になると養鱒場はさらに整備され拡大。富士養鱒所は養鱒の指導や病気が起きた時の対処研究施設となり、産業として盛んになるためには民間の人たちにも養鱒に携わってもらわなければならないということになります。ついに、静岡県内初の民間の養鱒所、野尻養鱒所が富士宮市淀師に誕生しました。創業者の野尻睦男さんはカナダのバンクーバーで医者をされていて、昭和初期に日本とアメリカの関係が悪くなったことから日本に帰国。野尻さんはカナダのニジマスに魅了され、日本でニジマスを育てたいと富士宮の地で養鱒場を始めたといいます」。

その後昭和17年、同じ淀師に尾中養鱒場が創業。戦後になると湧水が豊富な井之頭、白糸、精進川、大中里にも民間の養鱒場が誕生。20年代から40年代にかけて養鱒が富士宮市の主要産業の一つになったといいます。

「こうした富士宮の養鱒に大きな役割を果たしたのが、当時養鱒の先進地であった山形から移住された方々です。淀師の柴崎養鱒場の創業者・柴崎暹さんは山形の水産試験場に勤務していた時の上司が静岡に転勤になり、遊びに来た際、豊富な湧水に魅了され、戦後に移住し養鱒場を創業。この方の親族や知り合いなどが続々移住され、富士宮の養鱒業は盛んになりました」。

水温14度 プラスマイナス5度

「富士宮の湧水は年間を通して水温、水量、水質が一定です。淀師は年間を通して14度 プラスマイナス5度という温度が保たれています。ニジマスは受精してから積算温度300度で孵化するため、大体21日から3週間くらいで孵化します。そして翌週また採卵、受精することで1カ月のサイクルが成立します。出荷の主要サイズ(塩焼きサイズ)に成長するまで約1年。翌年の需要を予想しながら計画的に養鱒ができます」。

恵みをもたらす山「富士山」

「この後の試食会では井之頭養鱒場の秋山さんのニジマスが出てくると思いますが、ニジマス生産に携わる方々は、塩焼きサイズだけでなくいろいろな形で商品化するべく努力されています。『富士山の湧水が育て大々鱒 紅富士』は産地を富士宮に限定。富士山に由来する水系で育成し、厳重な品質管理の元生産されたものをブランド化しています。ニジマスの生産だけでなく、甘露煮の加工、販売を行っている養鱒場もあります」。

「最初にお伝えしたように、私たちにとって富士山は信仰の対象、芸術の源泉だけでなく、複数の要素を持っています。特に『恵みをもたらす山』という要素があって存在する山で、それこそが世界遺産である富士山の特徴ではないかと思います。個別の要素を取り出すだけでは富士山の魅力や特徴を活かすことはできないと考えます。それぞれの繋がりを見ていくことが非常に重要なことだと思います」。

■ パネルディスカッション 

パネリスト/静岡県富士山世界遺産センター学芸課 教授 大高康正氏

       静岡県富士山世界遺産センター学芸課 准教授 井上卓哉氏

       富士高砂酒造 竹川昌利氏

コーディネーター/ふじのくに地球環境史ミュージアム館長 佐藤洋一郎氏


第2部は恒例のパネルディスカッションです。パネリストは講演を終えた静岡県富士山世界遺産センター学芸課の大高康正氏、井上卓哉氏、富士宮を代表する蔵元・富士高砂酒造の竹川昌利氏。コーディネーターはふじのくに地球環境史ミュージアム館長・佐藤洋一郎氏が務めました。

(佐藤) 竹川さんにお入りいただきましたので、自己紹介を兼ねて、お二人のお話の感想などを聞かせてください。


(竹川) 富士高砂酒造の営業戦略課・竹川と申します。地元・富士宮の水について、まだまだ知らないことがたくさんあると痛感しました。僕の仕事は日本酒作りの企画や伝統的な製法を皆さんにお伝えすることですが、食文化の中ではペアリングが大変重要になるのではないかと考えます。中でも水は重要な役割を果たしています。もっともっと勉強していきたいと思います。


(佐藤) 大高さんがお話になった善徳寺酢、ぜひ復元したいですよね。そのあたりの目途についてお聞かせください。


(大高) 富士山東泉院の調査を富士市が10年程かけて行いましたが、具体的な製法を伝えるものや道具などは全く見つからず、途方にくれていたところ、岡山大学附属図書館の池田家文庫に製法が書かれた記録がありました。ただその製法を元にして本当に酢になるのかは、実際に酢の製造に関わっているプロの御助言をいただかないと。まだその手前という段階です。


(佐藤) 私たちの知識では、まずお酒が必要ですよね。


(竹川) 富士高砂酒造でも実は酢を造っていました。酒粕から作った酢です。吉原の方では醤油を造るなど、富士高砂酒造の歴史をたどると食に関するいろんなことをやっていました。


(佐藤) 教科書的な知識でいうと、米酢を造るには、酒を作り酢酸菌を入れないとならないわけですが。酒屋さんとお酢屋さんは仲が悪いんですって?


(竹川) そうなんですよね。仲が悪いという話はあります。なので、高砂でも蔵を変えて作っていました。


(佐藤) 納豆屋と麹屋は仲が悪い、酒屋とお酢屋も仲が悪いとよく聞きます。酒の中に酢酸菌が入っちゃったら酢になってしまいますからね。先ほど大高さんに見せてもらったスライドでは酢酸菌を添加するような工程が見えなかったですが。


(大高) まあ、記録としてはもっと細かく書いてありますが、それで本当に酢になるのかというところはあると思います。愛知県半田市の有名なお酢メーカーの博物館にも行ってみたのですが、粕酢を造っているという話は聞くのですが、善徳寺酢は米で造る点が重要ポイントでして。今やられているところがなく、手掛かりを掴むのも難しい状況です。


(佐藤) 先ほどの大高さんの話の中に出た万年酢。酢酸菌が生きていればその中に酒を足せばなんとなく再生しそうな気がするのですが。


(竹川) そうですよね。


(佐藤) 善徳寺酢の再現について、最初は難しいかもしれませんね。


(大高) 地域のブランドをつくることは、地域の活性化に繋がると思います。東泉院自体はもうありませんのでどこの地域が受け皿となりブランドとして立ち上げるのかというのも課題です。京都の宮津に「富士酢」という米酢を造られているところがありますので、そういった方々に聞いて、製法としての裏付けが得られるとちょっと違ってくるかなと思います。


(佐藤) 市販の酢は工業的に造った酢酸を水で割って米酢と言っているのだと思いますが、本来はお酒に酢酸を入れもう一回発酵させるみたいです。今名前の出た宮津の富士酢は、こだわりのお酢屋さんで、それでは儲からないだろうと思うようなものを造っているんです。


(大高) 米酢を今も造っているところがないか調べた中で、京都の宮津なのになんで富士酢という名前なのか、もしかすると善徳寺酢に関わる製法を参考にしたので名付けたのかと思い調べてみたんです。富士山が日本一高い山ということで、日本に轟くような酢を造りたいと名付けたそうです。こだわって時間をかけてでもやってみたいという方がいれば、ちょっと違ってくるかなあと思います。地域の特産になるというところも重要です。


(佐藤) 造った酢をどうするか、というのも重要ですよね。富士高砂酒造ではどこに出していたんですか。


(竹川) 今は作っていませんが、基本的には酒屋さんに卸していました。


(佐藤) 井上さん、もし富士、富士宮あたりで酢を造ったとして、出口というか、なにか思いつかれますか。


(井上) 富士宮にはすごく立派な農協さんの直売所があって生産者が持ち込む野菜や米を販売するコーナーは土日など行列ができるほどです。富士宮の「う宮~な」で売ればすごくいい宣伝になるのでは。


(佐藤) 酢と野菜でピクルスにしますか。


(井上) 他にもいろいろできるんじゃないですか、酢の物とか。


(佐藤) だけどそれではたいした量を使わないでしょ。宮津の富士酢が何を目論んでいるかというと、あそこは海があるから魚が獲れる。酢を作るための米も造っている。米で酢を造り、魚を獲って┅、となると鮨でしょ。ホテルまで建てて、うちへ来て鮨を食って酒を飲んでくれ、8時になったら電車がないから泊まっていけというような。そういうことを考えている人なんです。このあたりでそういうことできますかねえ。


(井上) 宿泊施設はたくさんありますし、今はグランピング施設も。キャンプブームでたくさんの人が来るのでこういう人たちが買えるような所があれば。


(竹川) キャベツの酢酒、シュークルートとかも面白いですよね。


(井上) 地域の酪農畜産、ソーセージなどと酢漬けの野菜を合わすのもいいですよね。


(竹川) でもブランド力ですよね。これはすごい酢なんだよ、手作りなんだよというところがどこまで消費者に伝わるかが一番重要なんじゃないでしょうか。


(佐藤) 大高さん、どんなブランドにしましょう。


(大高) 一時期、酢のブームがあって、よく飲まれましたよね。「飲むお酢」がとても売れたイメージがあります。健康に良いというアプローチと、後は酢を使って他の名産品とどうコラボできるかということになると思います。牛乳とかを酢で割ってなにか使えるものがあるといいのですが。キャンプに来られた方は、そこで料理なり、現場で消費できるものがいいと思うので。入り方としては飲むというのが一番入りやすいですかね。


(佐藤) 最近、豆乳を酢で割って攪拌したヨーグルトのようなものが健康的だと流行っているようですが、こういうものを富士山の名前を使ったブランドにするというのもいいかもしれませんね。善徳寺酢をぜひ復活させてください。


(大高) 「三所の酢」ということで紹介した平塚の酢は行政も入り再現をしているという話です。藤枝の方は民間の方で今造ろうとされている方がいると新聞記者の方から聞きました。そうしたところとコラボレーションして、相乗効果が生まれればいいなとも思います。


(佐藤) それはとても楽しみな話題です。


(竹川) 作ってみたいとは思いますが、もっと情報が必要ですね。


(大高) 裏付けを持って学術的にサポートする方、実際に製造に関わっている方の知識が一番必要になると思います。我々にはなんでそれを入れるのかということからしてわからないですから。


(佐藤) あの製法はよくわかりませんね。ミョウガねえと思って聞いていましたが。


(大高) 製法、材料の中には今なら同じように作らなくてもいいものもあるかもしれませんが、当時は代替えできるのがそれだったというところもあるとは思います。


(佐藤) 酢を造るとなると水だと思いますが、地理的利点といいますか、善徳寺酢の場合あそこの場所が酢りによかったという、特異性みたいなものはあるんですか。


(井上) 東泉院のあった場所は溶岩が流れて来て止まったいわゆる溶岩流の先端部分で、そこで水が湧くというのは地形的にも考えられます。東泉院の場所には和田川という湧水の川も流れ、豊富な水が存在していたところなので、酢もれたのでは。


(佐藤) 富士山世界遺産センターの方がいるので私が言うまでもないのですが、とにかく富士山というのは特異な山で、表面を流れている川はあまりなく、雨は全部地下に潜ってどこかで出てくるわけですよね。養鱒や水かけ菜、酢もそうですが、湧水によるもので、他にこれはというものはありますか。 富士山の湧水を使った酒蔵さんはたくさんありますよね。


(竹川) 富士宮市には今4蔵あります。こういう会で高砂が出させてもらえるのはうれしい限りです。やはり水がきれいだから酒を醸した時に米の旨味をダイレクトに反映できるという特性はあります。富士山の伏流水が富士山頂から湧玉池区域まで来るには100年かかるといわれています。先ほどのスライドにもありましたが富士山は5層に分かれていてそこを隔ててやって来る。ロマンを感じる天然の超軟水です。


(佐藤) 井上さん、富士山の湧水はおしなべて軟水ですか。


(井上) はい。ただ何年かかっているかというのはいろいろな説があります。去年、一昨年ぐらいから毎月、富士宮市内の4カ所で湧水の調査をしています。降水量と湧水量の関係ですとか、場所によって成分も多少異なっていることがわかってきています。来年度センターの展示でご紹介しますので、ぜひ見に来ていただければと思います。


(竹川) 富士宮の4蔵も、杜氏によって手法は違ってきますが、やはり70%は水になってきます。原料として大切なものです。それが蔵によって少しずつ違ったら、また面白いですよね。


(佐藤) 富士宮だけでなく沼津にも蔵がありますよね。


(竹川) 沼津には白隠正宗さんが、伊豆の方には万大酒造があります。県内には27蔵があるといいますから。それぞれがいろんなチャレンジをし、静岡酵母を使いつつ日本酒を醸すのは面白いことです。


(佐藤) ちょっと思うのですが、みんな富士山の水を使う、みんな静岡酵母を使う、米も一緒ならできる酒も同じなんじゃないかとちょっと余計な心配をしていまして。ここらでひとつ飛び抜けたことというのはできないんですかね。


(竹川) 全部静岡酵母にこだわっているわけではありません、高砂も。協会酵母も使っています。最近酒造メーカーが気にしている7号酵母など、香りが華やかで飲みやすいライトな甘みが特徴的なものが流行っているので、そういったところにチャレンジする蔵があってもいいと思います。


(佐藤) いろんな場所のいろんな植物から天然酵母を採ってきてビール製造を研究している静岡大学の先生が、会場に来ておられますが、酒でやるとどうなるのか。山もいろいろ、地形もいろいろなので棲んでいる植物もいろいろ。酵母の種類もいろいろになるわけですよね。先生と交流会の時にお話してみてください。


(竹川) そういうのも面白いですね。浜松のほうでは忍冬酒とか薬草を使って酒を造っているところもあり、富士山なら薬草がいいと思いますね。


(佐藤) 南アルプスも面白いですよ。山が深くて高さもいろいろ。人が入っていないのでいろんな植物があり面白いと思います。


(竹川) 勉強になりました。お酒と健康って相反しますけど、そうしたところも高砂は意識しています。なにか情報があれば教えていただきたいです。


(佐藤) 今日のお話は富士・富士宮ですが、富士山をぐるっと回ってみて、他にも富士山の水があればこそというもの、なにかありますか。


(井上) 山梨の事例になりますが、水かけ麦が栽培されていました。麦は冬から栽培するのですが、寒冷地なのでなんとか農業ができないかと水かけ麦を作り、それがその後水かけ菜になってくるのですが。この麦がほうとうや吉田のうどんを支えるものになっている。富士山麓は住みやすいところでは必ずしもありませんが湧水を使っていかに生きていくかを長く試みてきた。富士山をいかに使っていくかを追い求めてきた地域は面白い地域だと思います。それが地域によって違っているというところも。


(佐藤) 清水町の方にところてん屋さんがいますよね。たぶん柿田川水系の水を使っているのだと思いますが、そのあたりの歴史をどなたか研究していらっしゃいますか。


(井上) ところてんの歴史を実際にやっている方は存知あげませんが、やはり江戸時代ですかね。伊豆で採った天草を富士川で山梨に上げ、製品にしてこちらの海の方に下す。富士川の船運品の一つであったと歴史的資料からわかっています。


(佐藤) 寒天を作るには寒くないとできないですからね。


(大高) 山梨との境、小山町の須走で寒天を作っていたという話は聞いています。今はやっていませんが。


(佐藤) 寒天は和菓子の重要な素材の一つですが、静岡には和菓子屋さんが少ないですよね。静岡の街でどこか美味しい羊羹屋はないのかと思うのですが。追分羊羹は蒸し羊羹で、寒天となると練り羊羹ですよね。あんなに天草、寒天があるのになんでだろうと。


(大高) 京都にはあんこ屋さんが多いですけれど、あんこは元々静岡の職人が京都に行って作ったといいます。駿河屋という名の和菓子屋さんも多いです。たぶん駿河の国から和歌山に行って、徳川家から広まったのではという話もあったりします。静岡にも古い和菓子の木型のある老舗があったと思います。


(佐藤) 事前にいくつかの質問をいただいています。一つ二つ伺っていこうと思います。「富士の湧水のブランディングについて。何か今後の戦略はありますか」。これは井上さんに聞きましょう。


(井上) 湧水だけのブランディングはなかなか難しいと思いますが、そこから作られるものを結び付けていくとオリジナリティーが出てくると思います。高砂酒造さんなんかは富士山の湧水を使ったお酒ということで、すでにブランディングができています。富士山の湧水を使ったなにかということで、十分ブランディングできるんじゃないかと思います。


(佐藤) 水を使ったというと、白隠酒造の「WASAN」は水で売っていますよね。次の質問です。「静岡は東海道が通っていたところで宿場町がいっぱいある。その宿場ごとの飲食文化を復元し観光に繋げられないか」。回答はどなたでも結構です。


(竹川) 富士に、浮世絵にもある「白酒」というものがあって調べてみました。あるお茶屋さんが旅人に出していたものでした。ですがレシピ化されていないからどれが白酒か分からない。ちょっとチャレンジしてみたい気持ちはあります。白酒も有名な吉原宿、富士市の産物ですから。


(井上) お話の白酒は富士の本市場あたりで造っていたようでその記録を見ると富士山の湧水を使い醸したお酒だというのが出てきます。富士山の別名「芙蓉」から、白酒でなく「芙蓉酒」とも呼ばれていたという記録もあり、供養のお酒みたいな感じで売っていただくといいのかなあと。


(竹川) お話を聞いてぜひチャレンジしたいので、情報があれば教えてください。


(井上) その記録を見ると、飴のようなものすごく甘いお酒だったそうです。


(佐藤) アルコールが入っていたのでしょうか。甘酒とは違うんですね。それで思い出しましたが、飴って今は大麦で作りますが、米でもできるはずです。どうでしょう。


(大高) 飴が名物になっているところ、東海道でありましたっけ。


(井上) 小夜の中山。


(佐藤) 幽霊飴でしたっけ。ああいう伝説って各地にありますよね。


(大高) 名物になっているものは東海道の名所の記録にもたくさん出てきますよね。本市場の白酒もそうですが、有名になってしまった袋井のたまごふわふわ、岩淵は団子でしたっけ。


(井上) 栗の粉餅。


(大高) 栗の粉餅とか安倍川餠なんかは再現できるかなと思います。


(佐藤) 再現して並べると面白そうなものはまだまだありますが、この顔ぶれだとどうしてもアルコールの話になってしまう。今日は下戸の人には不満足だったかもしれません。今日はこれで終わりにしたいと思います。みなさんどうもありがとうございました。

■ 交流会

研究会の締めくくりは、毎回好評の試食が楽しめる交流会です。皆さんお待ちかねのニジマスは、白糸滝養魚場の鱒のなめろうが用意され、生産者の秋山徳浩さんも会場にお越しくださり、秋山さんが大切に育てている鱒についてのお話をしていただきました。またお酒は富士高砂酒造さんがご用意くださった日本酒、ヨーグルト酒、甘酒も振る舞われました。試食後は本日登壇いただいた大高氏、井上氏、竹川氏とお話をしたり、名刺交換をしたり。今回の会場が座敷であったこともあり、和気あいあいとした雰囲気の中、みなさん楽しんでいました。



■試食メニュー

・白糸滝養魚場「鱒のなめろう」

・「おおまさり」の茹で落花生


■試飲メニュー

・富士高砂酒造 「しぼりたて新酒」

・富士高砂酒造「ヨーグルト酒」

・富士高砂酒造「甘酒」