阪神・淡路大震災に於ける芦屋市の体験から
平成 20 年度防災リーダー研修会(09/02/01)の講演
講師 谷川三郎氏 阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」語り部 阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」は平成 14 年に兵庫県が開設した震災と防災の展示施設 語り部は 38 人いる
谷川さんは震災当時、芦屋市の建設部長で神戸市の鈴蘭台(25 ㎞離れた場所)に住んでいた。 家族の無事を確認後、携帯ラジオで災害の大きさを知り驚いた。 市役所に駆けつけ救援活動を指揮する立場にあり、近隣の人と車で出発したが渋滞で途中から歩き昼過ぎに到 着した。市の職員 1,100 人のうち、初日に出勤出来たのは 43%であった。 その後、谷川さんは1ヶ月間帰宅できないほど多忙を極めた。大災害の救援活動は長期戦となる。
教訓・・・車での避難、出勤は混乱の元、自転車、バイクを活用すべき。
教訓・・・携帯ラジオは必需品、大地震で飛んでしまわない様に括り付けておくべき。
芦屋市は神戸市と西宮市に挟まれた幅2km、六甲山と海の間が5㎞の狭い地域に8万7千人が住み、2万人が 避難所に集まった。市内の建物の大部分が木造家屋で、その8割が全半壊となり例外なく一階部分は潰れてい た。死者の殆んどが1階部分から発見された。
教訓・・・2階で寝ること。
助役が震災発生後 30 分ぐらいで市役所に着き、直ちに救援本部を立上げ以下の指示を行った。
① 消防と技術系職員は市民の救助に当たる・・・救助は初日が勝負、3日目以降の救助者の生存率はゼロ。
② 市役所に医師会と協力して救護所を開設する。
③ 遺体の安置場所を確保する・・・初日に搬送した遺体は 313 人に上った。
④ お棺の手配を葬儀社に依頼する。
救命救助で市の職員が関与したのは2割ほど、大部分は一般市民が行った。
教訓・・・救助を必要とする人の情報は地域の人の協力が不可欠。市民は近隣と仲良くしてないといけない。
水、食料の確保で最初に行ったのは、市長が人脈のある他府県の市町村長へ直接電話で依頼することだった。 救援物資の保管・配送は広い場所で行うこと。高校のグランドを使うことでトラックが簡単に出入り出来た。 当初は市役所の地下駐車場で行ったため、出し入れに職員は忙殺され避難所に行けず、避難所のお世話はボラ ンティアに依存した。
教訓・・・物資の受入は広い場所で。
教訓・・・ボランティアの受入と対応を予め定めておく。
避難所の管理で重要なのはトイレの管理。生理現象であり毎日のことなので、排泄物の量は莫大なもの。
建設現場で使う仮設トイレを大量に用意したが、汲み取りが出来なかった(バキュウム・カーがなかった)。 谷川さんは避難所で穴を掘って埋めたと説明したが、一昨年に聞いた語り部は以下の様な話をしていた。
・水洗トイレにビニール袋を入れて便座を下ろすと使えた。袋は生ゴミとして回収して貰った。
・この様に使える簡易トイレが防災グッズで売っているので用意すべき。
遺体の火葬は近隣市町村に依頼した。遠い所では大津市まで運び、自衛隊のヘリで運んで貰った。
困ったこと
①トイレの水 ②水と食料を持たずに家を出たこと ③電話の不通
役立ったもの
①懐中電灯 ②携帯ラジオ ③バケツ、風呂に溜めた水