自主防災会は地域の要(中越大地震から学ぶ) 平成 22 年度防災リーダー研修会(23/02/06)の講演から
講師 風間久司氏(NPO 法人 防災サポートおじや 小千谷市じしゅぼう防災組織連合会長 元小千谷市消防長)
中越大地震の概要
・平成 16 年 10 月 23 日午後 5 時 56 分に発生、M6.8 ですが震源(川口町・現長岡市)が 13km と浅く、小千谷市で 震度6強、震度 5 以上の余震が本震直後から 3 日間繰り返し起りました。
・小千谷市で構造が無傷だった家屋は 7 戸のみでしたが、火災の発生は僅かでした
・余震を恐れて人々は直ぐに家を出て自主避難をします。住民は声を掛け合って近くの広場に集まりました。
・阪神大震災から 10 年近く経っていましたが、自主防災会の組織率は 46%でした。
・ボランティアは延 28,000 人が集まりました。救援物資は翌日から届きだし、輸送路が確保されれば支援は スムースに開始されます。
・平成 16 年に災害対策基本法が制定されました。国、自治体、住民の役割を定め、自治体は災害対策本部の 設置、避難所を開設します。住民は防災訓練の参加が責務です。
避難所と自主防災会の初期活動
・避難所の開設は市職員が行うことになっていますが、自主防災会で設置することも出来ます。
・小千谷市は公設の避難所が 42 ヶ所、自治会や民間で設置した避難所が 94 ヶ所。発災5日後に 136 ヶ所、18 日後には 44 ヶ所となり、公設以外の避難所はその役割を終えました。
・自主防災会の最初の活動は避難場所を設定して自主避難した人達を誘導することでした。そして市の災害対 策本部に開設した避難所の場所、収容した人数、被害状況を報告します。それに基づいて市から救援物資が 配送され、必要に応じて取りに出向きます。
翌日からの活動
・避難所に収容した人の実名、他所の住人で一時的に入所した人、避難してない人、車に避難している人、老 人世帯、一人暮らしの人の把握、親戚に引き取られた人の確認を行いました。
・車は家族が纏まって滞在出来、暖房、ラジオがあって有効ですが、エコノミークラス症候群の注意喚起が重 要でした。
・消防団と連携して住宅の電気のブレーカー、ガスの元栓を遮断し、落下の危険性がある物、倒壊の危険性が ある建造物を排除することで二次災害を防止しました。
・被災建物の危険度判定ステッカーを貼る作業も行いました。但しこの作業と災害救助法による被災証明書は 別の事象です。
・救援物資で要望の多い物を整理して災害対策本部に連絡します。要望が多かった物は、毛布、水、ティッシ ュ、電池、ブルーシート、コンロでした。
震災から学んだこと
・救援物資は公平に配布せねばなりませんが、列に並ばせて1個ずつ渡すと必ず不足が発生します。列に何回 も並ぶ人が出てしまいます。品物を並べて置き、欲しい物を取らせる方式が有効でした。
・避難所に入るときに記名して貰うことが人数の確認に有効でした。「○○ほか何名」でもかまいません。
・発電機は必須の防災装備です。テレビ、携帯の充電、電気ポットの使用に役立ちました。 ・ごみの分別を守らないと収集が出来ず、ごみの山が発生してしまいます。家の片付けを急ぐあまり、分別を 行わずに捨てられたため、ごみの山をボランティアの人達が手作業で分別することになりました。
・救急搬送された人の原因は 42%が家具の転倒、24%が本人の転倒でした。揺れている時に不用意に行動しな い様、注意しましょう。
・災害支援制度で給付を受けるため、被害のあった家屋は写真を必ず撮っておいて下さい。
・ガソリン、灯油の供給は予想外に手間取りました。
要援護者の支援
・平成 16 年から災害時要支援者避難支援制度が始まりました。
・平時から対象者を特定し、誰が支援するか決めておかねばなりません。
・要支援者名簿は本人から行政への届け出を受けて作るのが標準ですから、未同意者の把握が重要です。
以上