尾野山区の南西の山頂にあるこの城跡は、海野氏の勢力下にあって、尾ノ山氏が守っておりました。
千曲川に臨む山並に、茂沢城、孫台、三日城などの支城を配置し、山頂からの眺望もよく北側から依田の平を守る機能を持っておりました。
そのため、度々戦禍に巻き込まれてきました。特に天分10年(1541年)の海野平合戦には、この城は、武田、諏訪、村上の連合軍に攻められて落城し、海野氏は滅亡に追い込まれました。白の北側の山麓、赤畑地籍には館跡が残されています。
上田市・上田市教育委員会