芳香族ウレア化合物の反応のポイント

会合定数に対する置換基効果(2PUA)

芳香族ウレア化合物は2つのN-Hを持つため、プロトンドナーとして働きます。アセテートなどのアニオンはプロトンを受容することができるので、N-Hとの水素結合が可能になります。これは、N-Hは電荷がNに偏っていることによって、Hの電荷密度が低下していることに起因します。一般にN-Hは酸として働くことがないことからわかるように、その電荷密度のかたよりは非常にわずかなものです。その結果、芳香族ウレア化合物とアセテートとの会合定数はあまり大きくはなく、数千のオーダーとなっています。アニオンセンサーとしての機能させるには、より大きな会合定数が望まれます。そこで、N-Hの分極が会合定数に与える影響を調べるため、アントラセンーウレア化合物のフェニル基側に電子求引基と電子供与基を入れた実験を行いました(文献)。フェニル基側に置換基を導入した理由は、励起状態の性質を大きく変えたくなかったということです。実際、最低励起状態はアントラセン環側に局在化しているので、フェニル基側に置換基を導入しても吸収スペクトルおよび蛍光スペクトルに大きな影響は見られませんでした。

実験結果から、N-HのHがプロトンとして解離しやすくなればなるほど、会合定数は増えることがわかりました。

フェニル基のパラ位に電子求引基としてCF3 を導入すると、フェニル基側のN上の電子が求引され、Hの電荷密度がさらに低下します。その結果、導入する前の会合定数は、4300であったのに対して、導入後は11300と約3倍に増加しました。

一方、フェニル基のパラ位に電子供与基としてOMeを導入した場合、フェニル基側のNに向けて電子が押し出され、Hの電荷密度は増えます。これはプロトンとしての解離が抑制されることを意味します。その結果、導入する前の会合定数は、4300であったのに対して、導入後は3300と減少しました。

ESPT速度定数に対する置換基効果(2PUA)

会合定数の値は、N-HのHがプロトンとして解離しやすいほど大きくなることがわかりました。それでは、励起状態におけるプロトン移動の速度定数はどうでしょうか文献。蛍光寿命測定で得られた結果の解析を行いました

実験結果から、CF3 はESPTを抑制し、OMeはESPTを促進することが分かりました。

会合定数が大きいほど、N-HのHはプロトンとして解離しやすいのですが、互変異性体(T*)を与える反応に対しては抑制的に作用するということになります。アニオンセンサーとしては、T*の生成が増えるほど好都合ですが、会合定数とのトレードオフも考慮する必要があることがわかりました。

フェニル基のパラ位に電子求引基としてCF3 を導入した場合、ESPTの速度定数は減少しました(置換前;12×107 s−1 、置換後;4.5×107 s−1 )。ESPTの結果生じる互変異性体(T*)は、アントラセン環にN上の電荷が押し出されたような電子構造をとり、弱い電荷移動性を持っていると推測されます。しかし、フェニル基側のCF3 は、アントラセン環への電荷移動を抑制すると考えられます。その結果、T*の生成が遅くなると考えられます。

一方、OMeを置換した場合、ESPTの速度定数は増加しました(置換前;12×107 s−1 、置換後;970×107 s−1 )。OMeはアントラセン環へ電子を押し出しますので、N-Hとアントラセン環が関与した電荷移動状態は安定化します。その結果、ESPTの速度定数が増加したと考えられます。

分子内電荷移動構造を持つクマリンにおけるESPT反応(7CU)


クマリンの7位にウレア基をもつウレア化合物(7CU)は、クマリン環のカルボニル基との間に電荷移動相互作用を起こすことを示す共鳴構造を描くことができます。今までは蛍光色素として芳香族化合物(2PUAなど)を取り上げてきましたが、7CUのような分子内電荷移動構造を持つ色素にはどのような特徴があるのか調べてみました。ウレア基を介してクマリン環とは反対側にあるフェニル基に電子求引基としてCF3を導入し(o-, m-, p-)、ESPT反応に対して、CF3の置換基位置がどのような影響を与えているかという観点で研究を行いました。ウレア基はクマリン環とフェニル基との間の相互作用を行いにくくしていますが、7CUのようにクマリン環に明確な共鳴構造を持つ場合にはどのようになるのでしょうか。

実験結果から、CF3 の電子求引性は、共鳴効果と誘起効果という2つの効果によって、ESPT反応に影響を与えることを明らかにしました。(Koike, M.; Nishimura, Y., Dyes Pigments 2022, 208, 110811.)

7CUのESPT反応は、カルボニル基からクマリン環への電荷移動によって生じます。しかし、フェニル基に電子求引基のCF3がある場合、ESPT反応を阻害すると考えられます。この阻害の度合いは、フェニル基上のCF3の置換位置が重要な役割を果たします。

実際、m-CF3-7CUとp-CF3-7CUを比較すると、p-CF3-7CUの方がESPT反応が遅くなっています。これは、パラ位のほうが電子求引性がより強く働くためであると推測されます。

一方、m-CF3-7CUとo-CF3-7CUではオルト位のほうが明らかに大きくESPT反応を阻害しています。これは、オルト位のCF3は、他の置換位置に比べてウレア基に近く、誘起効果がより強く作用しているためであると考えられます。

ESPT反応によって生じる互変異性体の蛍光強度は、ESPT反応速度が最も小さいにも関わらずo-CF3-7CUが最大となりました。そこで、互変異性体の蛍光量子収率から、ESPT反応を起こさないときの蛍光量子収率(Φ0T)を求めてみました。ΦFはアセテート添加前の蛍光量子収率です。

計算の結果、o-CF3-7CUのΦ0Tは、他のものに比べて、1桁近く大きくなりました。特にm-CF3-7CUkrTは、他に比べて小さくなり、互変異性体の蛍光状態を反映しているものと考えられます。それに比べてo-CF3-7CUの互変異性体の蛍光状態は蛍光発光に有利であることが示されました。これは、o-CF3-7CUの場合、CF3のFがN-HのHと分子内で水素結合を生じることができることが、関係しているかもしれません。

互変異性体の電子構造

N-Hからプロトンが引き抜かれてT*が生成すると推測していたので、N上に残された電荷が芳香族側に偏った構造を思いつきました。そこで、N-Hからプロトン引き抜きを起こすために、 TBAF (Tetrabutylammonium fluoride)添加実験を行いましたが、蛍光スペクトルには副産物の蛍光も含まれていたため、純粋なT*についての蛍光分光による同定は難しいと判断しました。その後AmendolaらがTBAFを使った研究を発表し、T*はアニオン構造をとっていると結論しましたが、定性的な判断によるものでした。蛍光スペクトルによる定量的な判断をするためには、安定なアニオンを生じさせる必要があり、検討の結果、プロトン引き抜き剤として知られているDBU (1,8-Diazabicyclo [5.4.0] undec-7-ene)を使ってみることにしました。

アントラセン―ウレア化合物(2PUA)にDBUを添加したところ、プロトンの引き抜きは起こらず、弱い会合体を形成し、アセテートとは全く異なるT*に対する溶媒効果を観測しました(Togasaki, K.; Arai, T.; Nishimura, Y., J. Phys. Chem. A. 2020, 124, 6617-6628)。

つぎに、フルオランテン―ウレア化合物(3FU)にDBUを添加すると、溶液は赤くなり、長波長側に新しい吸収帯が生じていることが分かりました(Okada, M and Nishimura, Y., New J. Chem. 2022, 46, 1741-1750)。

新しい吸収帯を選択的に励起すると、T*によく似た蛍光スペクトルが観測され、アセテート添加の時に観測されたスペクトルと一致しました。アセテート添加時の蛍光スペクトルは、引き算によってT*のみを取り出したものです。

この結果から、T*の蛍光状態はアニオン型であると言えます。

このようにして蛍光スペクトルを用いた考察から、T*の電子状態についての結論が得られたわけですが、新たな疑問が生じました。T*の生成には溶媒の影響が強く表れるという実験結果があり、単純にアニオン型をT*の電子状態とすることでは、溶媒効果を説明することができません。

また、3FUにアセテートを添加した場合には、T*がN*に戻る反応(逆ESPT反応)が観測されたのに対して、DBUを添加した時に表れる長波長側の吸収帯を励起しても、N*の蛍光スペクトルは観測されませんでした。このことから、DBU添加の時に生成する蛍光スペクトルは、T*の蛍光スペクトルと一致してはいるものの、それはN*を生じることはないことを示しています。つまり、ESPTによってN*から生じたT*と、アニオンを励起して生じた蛍光状態は完全に同一ではなく、単に蛍光スペクトルが一致しているだけであるとも解釈できます。ただ、アニオンを励起した時に生成する蛍光状態は、T*にかなり近いものであるとは言えます。溶媒として使っているDMSOが何らかの働きをしていると、現時点では推測しており、T*生成に関する溶媒効果の実験をすすめています。

イオン液体中におけるT*生成

アセテートイオンを有するイオン液体であるEMIMAc (1-ethyl-3-methylimidazolium acetate)は、そのまま媒体としての役割を果たすだけではなく、アセテートイオンの供給源として働くことから、従来のDMSOを溶媒として用いている系よりもより単純化されており、応用に向けての利用にも有利である。そこで、芳香族ウレア化合物としてピレン―ウレア化合物(CF3-1PUP)を使って、イオン液体中での挙動を調べた。また、これまでの研究によって、T*とDMSOの水素結合がT*発光に影響を与えていることが分かってきているが、それを直接的な実験結果によっては明らかにしてはいない。そこで、DMSOを添加することによってT*蛍光とN*蛍光の相対蛍光強度がどのように変化するかについて調べた。

Yoshida, M.; Togasaki, K.; Nishimura, Y. Chem. Phys. Lett. 2023.(Special issue)


CF3-1PUPのイオン液体中での蛍光スペクトルは、赤い実線で示されているように、N*蛍光強度の1/4ほどである。これにDMSOを添加することによってT*の蛍光強度はN*の約1/2まで増加した。蛍光寿命測定による速度論的な解析の結果、ESPT反応速度定数kPTはDMSOの添加とともに増大する一方、逆ESPT反応速度定数k-PTはほとんど変化しなかったことから、T*の蛍光強度の増加は、その生成量の増加に起因することを明らかにした。

また、DMSOの添加してもT*の蛍光極大波長は変化しなかったことから、T*の発光状態にDMSOは影響を与えてはおらず、むしろT*生成に対してイオン液体の媒体としての側面が大きな影響を与えていると考えられる。

N*からT*を生成する過程は、N-HからHがプロトンして解離する過程を含んでいる。そして分子内プロトン移動反応に比べて、分子間プロトン移動はHの移動距離は長いことから、溶媒とCF3-1PUPとの水素結合は溶媒の再配向を通じてESPT反応速度に影響を与えていると考えられる。実際、DMSOは均一溶媒にあるのに対して、イオン液体であるEMIMAcは不均一構造を持っていることから、溶媒の再配向に関してもDMSOとは異なると推測される。このようなイオン液体の特異性が影響を与えていると結論された。

 

DMSOによる逆ESPT反応の促進

ピレンウレア化合物CF3-1PUPを使って、ESPTにおける正反応と逆反応に対する溶媒効果(DMSO, DMF, MeCN)を調べた。

Huang, L.; Yoshida, M.; Nishimura, Y. The effect of DMSO on the intermolecular proton transfer reaction of urea-β-CD. J. Mol. Liq. 2024, 398, 124268.

N*に対するT*の蛍光強度はDMSO中が最大となり、また蛍光寿命測定の結果からESPT反応速度定数もDMSO中で最大となった。ただ、DMFも水素結合受容能がDMSOと同程度であり、DMFもDMSOと同じようにウレア化合物と強く水素結合していると考えられる。そこで、この水素結合を阻害する効果のあるβ-シクロデキストリンを添加した実験を行った。その結果、DMF中ではβ-シクロデキストリン濃度とともにT*蛍光強度は大きく減少するが、DMSO中ではそれほどは減少しなかった。これは、DMSOとウレア化合物の特異的な水素結合の存在を裏付けている。

一方、DMSO中でT*が最も安定な構造を取る場合、逆ESPT反応速度定数はもっとも遅くなると予想される。しかし、DMSO中で一番大きくなったことから、単にエネルギーレベルだけを考慮しても説明することはできなかった。そこで、DMSOの持っている電子供与能に着目して、逆ESPT反応における電子の流れを考えた。T*からN*へ戻るときには、DMSOからのフェニル基への電荷移動が逆ESPT反応を促進していると推測した。

また、DMF中ではDMSO中とは異なり、逆ESPT反応が非常に遅いため観測されなかった。これは、T*に対するDMFの特異な水素結合相互作用が影響していることが考えられ、詳細は検討中である。