2025年2月
去年元旦の巨大地震、その後9月の大水害に襲われ、そこから立ち上がろうとしている能登のみなさんのことをまず思っています。
そして世界中の被災地や紛争地や事件事故現場の人々に思いをはせます。
これも熊本地震の時その苦闘を伝えてくれと、取材に応じてくれた人々と出会えたからだ、
と改めて思えています。
壊滅的な被害をまえに、私たちは無力感に苛まれそうになります。
でも、まずは被害者のために祈り、
そこから冷静に現実をみつめ、
そして出来ること(寄付やメッセージを送るだけでも)があれば実行し、
わがこととして災難をしっかり捉え、
つねに備えるべき時代に入りました。
過去をみれば、2025年は節目の年です。
普通選挙法/治安維持法から100年 戦後80年 ベトナム戦争終結から50年 日航機墜落事故から40年 阪神淡路大震災から30年 パキスタン地震/福岡県西方沖地震/JR福知山線事故から20年 世界テロ多発/IS邦人殺害/東北豪雨から10年 令和2年7月豪雨(球磨川など)/コロナ禍拡大から5年…
これからに目を向ければ(地震だけでも)―
100~200年ごとにくり返しおきている南海トラフ地震や首都直下型地震など切迫度の高い地震が日本中で予想されています。断層は国中にあり、未確認なものもあると言われています。
さらに、最近動いたからと錯覚/油断しがちな例としてあげれば、
警固(けご)断層<北西部は05年福岡県西方沖地震をおこし、南東部はまだ動いていない>
日奈久(ひなぐ)断層<16年熊本地震をおこしたのは布田川断層と日奈久断層北部、南部はまだ動いていない>
などがあります。
過去も今も未来もつながっているように、
ローカルもグローバルもつながっていて、
地球(あるいは宇宙)上のあらゆる「きしみ」は全方位に連綿と伝わっているということかと考えます。
悲しいかな、悪意・悪事が煽情的に爆速で拡散されやすいのは確かです。
一方で善意・善事がつながるのは鈍く重く見えがちです。
しかし、勇気をもった善意・善事は岩をうがつ水のように、
いつか必ず人々の心を開きつなげていきます。
熊本地震は今年4月から、10年目に入ります。
小さな記録映画『西原村』では、小さなコミュニティに住む人々が被災のどん底から、すこしずつ希望を取り戻しながら生きていこうとする姿を追いました。
もしご覧になりたい方がいらっしゃれば、連絡をいただければ、DVDをお貸しします。
(送料のご負担のみ お願いします)
つながっていきましょう。
2025年2月 ディレクター 久保 理茎
2024年2月
2024年わたしたちは「能登半島地震」被災地とともにあります。
映画『西原村』製作を ご支援くださった多くの方々が、現地におられます。
そして熊本の被災者を支援したボランティアの方々がいま能登の現場で汗を流しているニュースを目の当たりにし胸があつくなります(被災地NGO恊働センターさんやNPOカタリバさん 等々…)。
余震がつづくなか、復興へむけ歩み出しておられる方もいます。
ただ、けっして無理はされないで、ゆっくりと動き出してほしいと願います。
西原村では、餅つきや野焼きなど、震災後も続けられることを続けることが、絆を取り戻し、地元での再建に肚をくくる「きっかけ」になりました。
3/2(土) 鹿児島で『西原村』を再上映していただくことになり、そうした復興の様子を、観てもらえる機会があります。
その上で思うこと― 復興は、避難訓練と違い、訓練ができない。
なぜなら災害が起きたあとにしか、その土地固有の被害がわからないからです。
能登は激震で揺れただけでなく、津波、想定外の広さで液状化、道路・水道といったインフラが破壊、大火災、海岸隆起…。そのため やむを得ず住民が遠く 離れ離れになる状況が起きています。
復興にむけ、どうやって住民同士が密に連絡をとりあい、話し合えるようにするのか。周囲は、それをどうサポートするのか。
能登〝独自の復興〟を、祈り、支えていきたいです。
震災後8年― 西原村に「総合運動公園」が4月落成するそうです。
(仮設が ぎっしりと建っていた場所…)
希望を失わなければ、復興は形になっていきます。
映画『西原村』プロジェクト代表 久保理茎
2023年3月
有志たちと、熊本地震の記録映画『西原村』をつくったのが2018年。ちょうど5年が経ちました。
時間とともに熊本は、西原村は、目に映る傷跡を修復してきました。そして中には、豪雨被災地などに今度は助ける側としてボランティアに出向く人たちがいます。そのやさしさに、感動します。こころより敬意を表します。
しかしときおり熊本を訪れ気づくことがあります。復興にがんばりすぎた反動なのか、当時ことばにできなかった気持ちが沈潜したせいなのか、今になって家庭や学校、職場で、(人間関係や生きる目的に…)人知れず悩んでいる人も少なくない。とくに当時幼くいま多感な時期にさしかかった若者たちにそういう人がいると聞くと、気になります。
どうか無理をされずに、内面の傷をいやしてほしい、と願っています。
否応なく耳目に飛びこんでくる災害・事件事故・あらゆる危機…。さらに、その連鎖でなにかが悪化するたびに、この世界には逃げ場などないことを、突きつけられます。ささくれた気持ちを抱えた人がふえます。ちっぽけな自分は無力感に苛まれます。真偽善悪の判断がマヒします。
そんな時は、いったん外からの刺激を遮断し、気が鎮まるのを待ちます。やがて、心に余裕ができ体に力がわいてくれば、人への思いやりで、再びつながることができる。
こう思えるのも、『西原村』によって、年ふるごとに気づかされることがあるからです。
出会った方々の顔が浮かびます。悪いことばかりじゃない。以前にはなかった、よりよいつながりを創り広げている人たちが存在します。これからも、そうした人たちと手をたずさえ、支え合いながら、歩みつづけていきます。
プロジェクト代表 久保 理茎
熊本地震から7年。
「西原村」というドキュメンタリー映像のプロジェクトがあったお陰で、私は多くのことを掘り下げて考えるきっかけを頂きました。記録映像を最初に見た時、被災現場の映像よりも、人と人の感情のぶつかり合いが悲痛で正視出来ず、飲み込むのに大変な思いをしました。そこに広がるのは「ふるさととは何か?」という大きな問い。人として普遍的な問いであり、元来自明のことであり、被災事件事故でもなければ普通は考えることもない深淵な問いです。
映画「西原村」で私は主に音声をリファインすることと(インタビューを聞き取り易くするだけでなく、生理的に耐えられない現場音も整音した)、全体を音楽という優しさで包みこむというふたつの仕事に注力しました。ツラく厳しい内容のドキュメンタリーが多くの人に受け入れられて欲しいと願ってのことでした。
東日本大震災でもそうですが、私たちは合言葉のように「忘れない」「言い伝えよう」と言います。それは真の当事者にとってはもう生きて行けないほどの陰鬱な思い出を永遠に背負わせていく危険とも隣り合わせです。いまだ前を向けずにいる人が多くいると聞くなか、私が思うのは、被災の辛い思い出を背負いきれない人には「忘れていいんだよ」と言ってあげることなんじゃないでしょうか。
そのかわりに「語り継ぎ」「忘れない」よう頑張るのが、当事者よりもちょっと離れた周辺にいて、寄り添ってあげられる、少しだけ余力のある私たちの役目なんだと思います。代わりばんこでもいいんです。
どうか熊本で被災された方々が、もとのように明るい気持ちになって前を向いて生きていかれますように。
音楽・MA 種子田 博邦
2022年4月
熊本地震から2022年4月で6年を迎えます。これまでの、プロジェクト活動を通して、私たちに突きつけられた大きな問いがあるとおもっています。それは、「人はどこに住み、何のために生きるのか」ということ。
世界であいつぐ悲しい出来事:すなわち自然災害や事故、暴力による支配、戦争…。それまでの暮らしが、大切な家族や友人の心身の健康が、命が、一瞬にしてそこなわれる。きっと知性だけで動く人間なら 辛すぎて絶望し逃げ出すでしょう。それが合理的な判断だと言いながら—。
しかし、自分を育んでくれた土地を、あきらめず生涯をかけ 蘇らせようとする人々がいます。ぶちまけたい怒りや憎しみの連鎖をおしとどめ、思いやりの輪を広げていくやさしい人々がいます。そうした人々がいつづける地域は、必ず復活していきます。そのことを、阿蘇の小さな村で学びました。道で人と会ったらあいさつを交わす。相手の話にも耳を傾けるから、自分のことも聴いてもらえる。こうした顔見知りの間でつちかわれる「おたがいさま」の関係性を大切にする体験は、他者や外部との間をなめらかにする“智恵”を与えてくれます。
西原村で起きたことは、世界で起きていることと地続きです。それは“わがこと”なのです。だからこそ、この映画のことを、すこしでも多くのかたに、広く長く知ってもらいたいと願っています。(プロジェクトを支えてくれている全国の仲間への感謝と、復興に汗をながしつづけている村のみなさんへの敬意をこめて。)
映画『西原村』ディレクター 久保 理茎
あれから6年
私たちは災害や戦争が起きるたびに議論したり「ああしよう」「こうすれば良い」とSNSで発信したりして、被災者に手を差し伸べた気になってしまいがちです。
熊本という身近なところで起きた震災と、久保さんの行動は私にそれを気づかせてくれた。自分に何が出来るか考え、行動すること。大切にしたいと思います。
被災地のさらなる復興と、ウクライナの平和を祈ります。行動します。
映画『西原村』音楽監督 種子田博邦
熊本地震の前震の日、避難所でミルクを作って飲ませた息子がこの春小学校に入学します。
あんなに怖い想いをしたはずなのに、少しずつ忘れてしまっています。
温かいお風呂のありがたみ、布団で眠れる事の幸せ、あたりまえの事の大切さを忘れないように、そしてたくさんの方々と共有できるように、これからも伝えていきたいです。
いつかずっと後に生まれてくる誰かのためかもしれないし、すぐ先の未来かもしれないけど。
映画『西原村』プロジェクト広報 松本千和
丸6年の時の流れは、すでに多くの人々にとって熊本地震を過去の出来事にしているかもしれません。
熊本は着実に復興の道を歩んでいます。とても喜ばしいことです。
一方で、新たな災害が毎年のように各地で生まれる中、この映画に記録された「被災地の苦悩と葛藤」は、より「普遍的な経験の記録」として意味を持つものとなっているのではないでしょうか。
「予期せぬ明日への備え」として、この作品をこれからも残していきたいと思います。
映画『西原村』プロジェクトメンバー 水流昌彦
2021年4月
熊本地震から まもなく5年。
西原村での取材を振りかえっての実感は、
「わたしたちは 生れ落ちる時代も 場所も 選べない」
ということ。
そんな不条理な前提のなかで、誰しもが、
ふるさとや親兄弟・友人・隣近所…との人間関係から
自分にとって大事な価値観とは何か、
を教えてもらい吸収し、
大人になって、生き方をさぐる。
なんとも不思議なことだと感じています。
生まれ育った土地に、
強い愛着をもち 住みつづけると誓ったり、
戻りたいとねがったり、
あるいは去らざるをえない状況に陥ったり。
被災した瞬間から 復興へという流れの中の
それぞれの時機に、
それぞれの人、家族が、
悩み 何かを選び 人生を歩むしかない。
世界各地の被災地のことを思います。
そしてとくに―
人吉・球磨で豪雨災害にあわれたみなさんが、
今も大変過酷な状況にいることを、
もっともっと伝えないといけない、
そう思っています。
変化が加速する時代に、
みんなの奥底の気持ちが、支えあう方向にむかうよう
智恵をだし実行すること が大事だと考えています。
西原村ではこの4月、復興工事の竣工式があるそうで、
節目を迎える年となります。
村のみなさんのこれまでの奮闘努力に
こころより敬意を表します。
そしてこれからの発展をねがってやみません。
2021年4月
映画『西原村』プロジェクト
代表 久保 理茎
2020年4月
熊本地震からまもなく4年。復興は5年目に向かいます。
西原村では、復興の地道な取組みが途切れなくつづいているようです。
過日 村上春樹さんが熊本で語ったように、すべてが「元通りになるわけではない」ですが、その先に「変わったことをバネに『新しい価値観』をつくっていくしかない」
そう思います。
目に見える災害、今回のように目に見えにくい災害。真剣にむきあえば、どちらもわたしたちの生き方、価値観を、じわっと変えていきます。どこに住み、何のために生きるのか。
ひたむきに復興の努力をつづけるみなさまに、そして2020年最前線で踏んばられている医療関係者はじめ、落ちついて事態にむきあっているすべての方々に、敬意をいだきます。
そして現在covid-19にり患され闘われているみなさまのいちはやいご回復を切に祈っております。
しずかに心を開いて、4月14日と16日をむかえたいとおもいます。
映画『西原村』プロジェクト
代表 久保理茎
2020/4/6