ほぼ自分たちで「諮問」→「答申」し、内容を練ることもなく、審議はわずか5回、17ページのみでした。
①令和5年度 会議議事録 計3回(計4時間の会議)
②令和6年度 会議議事録 計2回(計3時間10分の会議)
●「豊渓中」の名前が初めて出たのが令和6年9月の会議(素案が出される前の最後の会議)。
●会議議事録(要点記録)の3ページの中の2ページ目の最後。次のページで深い議論もされず、会議は終わります。その約3か月後、統廃合計画(素案)が発表されました。
<令和6年9月 会議議事録の内容(一部抜粋)>
「中学生の通学可能な距離を2km程度としているが、タブレットや部活動の荷物などを持って通学するには遠い」
「再登校の実施も難しくなる…」
「教室の規格が小さく、ロッカーに荷物が入りきらない問題もあり、置いて帰っていいとすることもできない状況である」
「光が丘第一中については現校舎で統合予定のため、すぐに教室を大きくすることは難しいが、改築時に検討させていただく」
「かつて統合を経験した教職員に、統合後はやや混乱したという話を聞いた」
「統合の対象となる人に情報が届くようにしていただきたい」