ローン

ローン

アルブレヒト・テオドール・エミール・フォン・ローン伯爵(Albrecht Theodor Emil Graf von Roon, 1803年4月30日 - 1879年2月23日)は、プロイセン(ドイツ)の軍人・政治家である。軍事学史において軍事地理学の先駆者の一人に位置付けることができる。

経歴

コルベルクの出身。1816年に陸軍幼年士官学校に入り、1821年に正式に士官に任命され、歩兵科将校になった。1824年に陸軍大学校に入校し、そこで軍事学を本格的に研究し始めたが、その関心は地理学へ向かった。19世紀初頭のドイツでは、地理上の観察対象を定量的に調査する方法論を提唱したアレクサンダー・フォン・フンボルト(1769-1859)と、人類史を地理学的観点から解釈し直す方法を唱えたカール・リッター(1779-1859)の二人の研究によって、近代地理学が急速に確立されつつあった。ローンは陸軍大学校で地理学を教えていたリッターから指導を受ける機会を得て、1827年に卒業するまでにその方法を習得した。

1827年に陸軍大学校を卒業したローンは陸軍幼年士官学校に教官に配属され、教育と研究に従事し始めた。この時期に地理学の研究最初の著作『自然、人文、政治地理学の原則(Grundzüge der Erd-, Völker- und Staatenkunde)』(1832)を出版し、リッターの方法を駆使した優れた研究成果として評価を受けた。その研究能力から1836年に参謀本部に配属され、参謀将校としての経験を積んだ。著作『ヨーロッパの軍事地理学(Militärische Landerbeschreibung von Europa)』(1837)もこの時期に書かれており、これは軍事地理学の歴史において最初期に当たる業績である。また、他にも『イベリア半島(Die iberische Halbinse)』(1837)、『エブロ川からピレネー山脈までの戦域(Das Kriegstheater zwischen Ebro und Pyrenäen)』(1839)が業績として数えられる。しかし、1848年革命でバーデンにおける反乱を鎮圧する作戦に参加した際に、軍制改革の必要を認識し、それと同時に総司令官の皇太弟ヴィルヘルム王子(後のドイツ皇帝ヴィルヘルム一世)に見出されたこともあって、次第に政治の世界への関与を深めていった。

ヴィルヘルム王子が摂政に就任してから間もない1859年に陸軍大臣に任命された。ローンは軍制改革を議会に承認させるために働きかけたが、その改革は民衆から支持されなかったため、頓挫してしまった。ローンは議会が提案を受け入れないまま改革を断行するため、オットー・フォン・ビスマルクを宰相に任命するようにヴィルヘルムを説得した。この説得を受けてビスマルクは宰相として政権を掌握し、ローンはその政権下で軍制改革を進めた。ドイツ統一戦争ではヘルムート・フォン・モルトケと対立することが少なくなかったが、普仏戦争によってフランスを打倒し、ドイツ帝国の建国に軍事行政の面で貢献した。1873年に汚職の容疑や健康の問題などが重なって公職から退いた。ベルリンで死去。

著作

現在、ローンの主著である『自然、人文、政治地理学の原則(Grundzüge der Erd-, Völker- und Staatenkunde)』(1832)は入手が困難な状況だが、オンラインで読むことができるようになっている。こちらのリンク先を参照されたい(外部リンク Internet Archiveへ)。日本語の翻訳は見つからない。