ロレンス

ロレンス

トマス・エドワード・ロレンス(Thomas Edward Lawrence, 1888年8月16日 - 1935年5月13日)はイギリスの諜報員、工作員であり、イギリス政府の指揮の下でオスマン帝国に対するアラブ人の反乱を指導した。

経歴

ウェールズのカーナヴォン州の出身。オックスフォード大学で歴史学を専攻し、十字軍の歴史を研究した。卒業後は大英博物館の元で遺跡調査のためにパレスチナへ渡り、現地では秘密裏に政府の指示で現地調査も行った。陸軍省での勤務を経てカイロに置かれていた陸軍の諜報部に所属してからは本格的に諜報の仕事に携わるようになった。

その後、外務省の指揮下にある諜報機関のカバーであるシンクタンクに所属し、第一次世界大戦でイギリスと敵対したオスマン帝国に対する工作に送り込まれた。任務はオスマン国内のアラブ人をアラブ軍として組織化し、砂漠地帯を中心に兵力を分散させ、遊撃によってオスマン軍の物資を奪取、破壊する反乱戦略を採用させた。ロレンスはアラブ人の言語、宗教、文化を深く理解し、イギリス陸軍の将校に向けてアラブ人を指揮する際に注意すべき事項を助言した。1917年にアカバを攻略することに成功したことで高い評価を受け、アラブ軍はイギリス軍の指揮下に組み込まれた。

1918年10月に帰国し、外務省と戦後の中東構想について協議したが、ロレンスがアラブ連邦国家を構想したことで外務省と対立して解任された。その後、オックスフォード大学の研究員になったが、1921年に植民地大臣ウィンストン・チャーチルがロレンスを顧問として招聘し、再び中東へ赴任して外交交渉に従事した。1922年に公職から退き、偽名でイギリス空軍に入隊したが、そのことが後で発覚して除隊処分を受けた。

1923年に偽名でイギリス陸軍に入隊し直していたが、空軍首脳部の働きかけがあって、1925年にはイギリス空軍に復帰し、1935年の満期除隊まで従軍できた。退役後、ドーセット州で交通事故を起こし、ポヴィントン駐屯地の陸軍病院で死去した。

著作

ロレンスの主著として知られる『知恵の七柱』はオックスフォード大学に研究員として戻ってから執筆されたものであり、第一次世界大戦の中東戦線でアラブ人の反乱軍がどのようにオスマン軍と戦っていたのかを記したものである。普及のための省略版も出されている。また、単著ではないが、論文として「ゲリラ戦の科学」があり、これには非正規戦争が理論的に考察されている(ロレンス『ゲリラ戦の科学』)。

  • Lawrence, T. 1926. Seven Pillars of Wisdom, (邦訳、ロレンス『知恵の七柱』全3巻、柏倉俊三訳、完全版、平凡社、東洋文庫、2008-2009年)
  • Lawrence, T. 1927. Revolt in the Desert, (邦訳、ロレンス『砂漠の反乱』小林元訳、中央公論新社、2001年)