ド・ピザン

ド・ピザン

クリスティーヌ・ド・ピザン(Christine de Pisan, 1365年9月11日 - 1430年?)はイタリア出身のフランスの著述家である。文学者、あるいは女性の権利を擁護するフェミニズムの思想家として知られているが、軍事著述家としての業績も残している。

経歴

イタリアのヴェネツィア出身。占星術師トンマーソ・デ・ベンヴェヌート(Tommaso di Benvenuto da Pizzano)の家に生まれた。父はフランス国王シャルル五世に王室付きの占星術師として仕えることになり、1368年にフランスのパリへ移った。

1379年に王室秘書官エティエンヌ・ド・カステル(Etienne du Castel)と結婚し、3人の子供を授かったが、ペストで夫が1389年に病死し、父も死去していたため、生活に困窮した。幸い父から教育を受けていたため、ピザンは生活費を稼ぐために著述業を始めた。作品は恋愛を主題にしたバラードが多かったが、その読者が増えるにつれて宮廷における影響力も高まり、政治に関する著述も手掛けるようになった。

1405年にフランスで国王が精神疾患を発症したことにより、ブルゴーニュ派とオルレアン派との間で大規模な武力衝突が起こり、事態は内乱に拡大した。ピザンは1419年に『武器の技術と騎士道の書(Livre des fais d'armes et de chevalerie)』と題する著作を出版したが、これには戦争行為を律する国際人道法へと後に発展する法規範について述べられているが、さらに重視されているのが当時の軍隊に欠けていた規律や統率の問題である。例えば、ピザンは統制が困難なほど大規模な部隊を戦場に展開することが、かえって戦術的な危険を冒すことになると指摘している。また攻囲に関する議論も展開されており、当時の攻城で使用された武器や戦法について記されている。

著作

当時、ピザンのような女性が本を出すことは珍しく、しかも軍事に関する著作を残すというのは極めて異例のことだった。しかし、この著作は多くの読者を得ることに成功しており、イングランドにおいても翻訳も出た。日本語の翻訳はないが、最近の研究成果を踏まえた英語の翻訳が入手できる。