ボイド

ボイド

ジョン・ボイド(John Boyd 1927年1月23日 - 1997年3月9日)はアメリカの空軍軍人、軍事コンサルタントである。戦闘における意志決定のモデルとして知られるOODAループ(後述)の提唱者として知られている。

経歴

ボイドは、第二次世界大戦が進行中だった1944年にアメリカ陸軍に入隊し、1945年に航空軍に配属された。そこで1947年まで勤務し、戦後に進駐軍の一員として日本にも滞在した。しかし、1947年にいったん復員してアイオワ大学に入学し、そこで経済学を学んだ。在学中に同大学の予備役将校訓練課程で軍事教育を受け、卒業した1951年にアメリカ空軍に入隊を果たした。当時のアメリカ空軍は朝鮮戦争の最中にあり、ボイドは操縦士としての資格を取得してから戦闘機部隊の一員として航空戦を経験した。この戦争でボイドが挙げた戦果は目覚ましいものであり、朝鮮半島で休戦が成立した後で戦闘機兵器学校に入校することを命じられた。そこでもボイドは非常に優秀な成績を残し、修了後は学校に教官として残ることになった。

教官に就任したボイドは学生の指導に当たり、1958年に『航空攻撃研究(Aerial Attack Study)』と題する教範をまとめた。これは航空戦術の基礎を解説した古典的な著作である。さらにボイドは航空戦闘において勝敗を決める要因としては、航空機の性能よりもむしろ操縦士が状況の変化に反応する速さの方が重要であると主張した。この迅速な反応を操縦士に実践させるため、ボイドは有名な意思決定のモデルを示している。それは状況を観察し(observe)、志向し(orient)、決定し(decide)、行動し(act)、そしてまた最初の観察にループするというものであり、それぞれの過程の頭文字をとってOODAループ、あるいはボイド・ループとして知られている。この思考過程を身に着けることによって、敵よりも迅速に決定を下すことが航空戦において重要なことだとボイドは論じた。

ベトナム戦争においてはタイのナコーンパノム空軍基地で1972年から1973年まで第56戦闘支援群の指揮官を務めた。1974年に1975年に現役を退いた。しかし、その後も国防総省でコンサルタントとして13年間にわたって勤務した。その際にボイドは国からの報酬を拒んだが、施設の立ち入り許可を取得するために2週間ごとに1日分の報酬を受け入れた。コンサルタントとしてボイドは空軍の改革に関する調査研究に携わり、アメリカ海兵隊が機動戦を目指す教義を研究する際にも協力した。1997年にフロリダで死去した。まとまった著作はほとんど書き残されていないが、プレゼンテーションの資料としてブリーフィングが残されている。

外部リンク