坐禅用心記


                         背景 「松山寺坐禅堂」(令和2年3月15日 撮影)

第1回「坐禅の用心を働かせて」

令和元年10月21日 更新

坐禅を修行の根幹と為す曹洞宗にとって、「坐禅用心記」は「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」(道元禅師撰述)と双璧をなす大切な坐禅の参考書です。「坐禅用心記」をお示しになったのは瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師(1268-1325)です。曹洞宗の大本山・總持寺そうじじのご開山様で、曹洞宗発展の礎を築かれた宗派の祖師です。「坐禅用心記」は1680年刊行とのことです。鎌倉時代後期の禅僧である桂座禅師様がお亡くなりになってから数百年の歳月を経て、この世の知るところとなった一巻であるということです。

 

さて、「坐禅用心記」の「用心」とは、一体、何を意味しているのでしょうか?

 

「用心」とは、心構えのことです。ですから、「坐禅用心記」とは、坐禅における心構えが記されていると解することができるでしょう。

 

では、我々は、どういう心構えで坐禅に臨めばいいのでしょうか?

 

それは日常生活における万事に対して、坐禅の精神を働かせて臨むということです。

 

姿勢を正し(調身)、しばし端坐すると、次第に心が落ち着き、安らかになってきます(調心)。そして、この世に生かされていることが実感されてきます(調息)。坐禅によって、自分の全てが調ってくるが如く、自分が発する言葉や動作に対して、坐禅の精神を働かせながら、万事を調えていくことが、坐禅の用心であるということです。すなわち、坐禅をしているときだけ自分を調えていればいいというのではなく、どんなときも自分を調えて行動していくことが大切であるということです。

 

坐禅の用心を働かせるということについて、考えさせられる出来事がありました。

 

令和元年8月2日・3日、私は長崎にて二日間に渡る布教のご縁をいただきました。会場は長崎の三大寺院の一つで、九州における宗門の大切な修行道場である晧臺寺(こうたいじ)様です。この2日間は施食会(せじきえ)(お盆のご法要)が営まれ、両日100名を超える檀信徒の方が参列されました。私は両日、50分のお時間をいただき、法話をつとめさせていただきました。

 

お役を終えた私は、今回のご縁を結んでくださったご老師とお会いし、しばしのひとときを過ごさせていただきました。「正師(しょうし)を得ずんば、学ばざるに如かず」(学道用心集【がくどうようじんしゅう】)と道元禅師様はお示しになりましたが、ご老師は長年にわたり、布教の道を歩み、多くの人々に仏法の素晴らしさをお伝えしてこられた方で、まさに私にとって、正師、よき人生の先生です。

 

そんな正師たるご老師から賜った布教のアドバイスは坐禅の用心と合致するのです。

 

老師はおっしゃいました。

「あなたは法話の場となると、あれほど生き生きと話をして、いい話ができるのに、日常会話はさほどうまくないのはなぜなのだろうか。」

 

後日、私はこの言葉について、考えを巡らせながら、自分が布教での会話と日常会話を無意識のうちに使い分けていたことに気づかせていただいたのです。すなわち、布教のときは意識して、言葉を選んだり、話し方を変えたりするなどしているのに、日常会話ではそうした意識を働かせていなかったのです。坐禅の用心を働かせる場とそうでない場を自分の中で区別していたがゆえに、周囲には違和感を覚えさせていたのです。

 

そのことを教えていただいたときに、私は万事に坐禅の用心を働かせていくことを心がけることにしました。自らを調え、日常の一つ一つのご縁を仏縁と捉えて、大切に関わりながら、坐禅の用心を忘れずに、毎日を過ごしていきたいものです。

 

そういう日常生活を送る大切さをお伝えしたうえで、次回より、本文に入っていきます。

第2回「―心地開明(しんちかいめい)・本分安住(ほんぶんあんじゅう)― 仏祖正伝の坐禅説くもの」

令和元年10月2日 更新

夫(そ)れ坐禅は直(じき)に人をして心地(しんち)を開明(かいめい)し、本分(ほんぶん)に安住(あんじゅう)せしむ。

「坐禅を行じ続けていくことで、我々凡夫の煩悩(貪り・瞋【いか】り・愚かさ)が調整され、仏のお悟りに近づいていくと共に、自分たちが本来有するものの存在に気づき、穏やかな気持ちで過ごすことができる」と瑩山禅師様はおっしゃっています。これは仏教の開祖であるお釈迦様が坐禅によって、悟りを得たことはもちろん、道元禅師様が「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」の中で、「所謂坐禅(いわゆるざぜん)は習禅(しゅうぜん)に非ず、唯(た)だ是(こ)れ安楽(あんらく)の法門(ほうもん)なり」とお示しになったことを、瑩山禅師様ご自身も坐禅修行を通じて体得されたことを意味しています。そして、この一句は瑩山禅師様がご自分のお言葉で坐禅に対する見解をお示しになられたものと解すべきでもありましょう。

 

すなわち、この冒頭の一句は「坐禅用心記」を紐解いていく上で、踏まえておくべき重要なものであるということです。同時に、お釈迦様の坐禅が脈々と瑩山禅師様まで相承そうじょうされていることも押さえておくべきポイントではないかと思います。

 

坐禅によって調整されていく我々の心というのは、多様に変化し、定まることのない、まさに実態なき存在です。そんな自分との心とどう向き合っていくかが、仏道を歩む上で欠かせません。そんな我々の心を、瑩山禅師様は「心地」という言葉で表現なさっています。大地が水や光といった、周囲との様々ないのちと関わりながら、様々な草木を生み出していくように、私たちの心も様々なご縁との関わりの中で、様々なものを生み出し、変化します。それが「心地」という言葉の意味するところです。

 

そんな心地が開明(はっきりする)したのが、仏のお悟りです。「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」は、この世に存在するあらゆるいのちには、仏性(悟りを得た仏様のいのち)が宿っていることを意味しています。すなわち、私たちの行い、心がけ次第で、私たちは自分が仏のいのちを有した尊い存在であることに気づくことができるというのです。私たちの心の中が明るく、はっきりしている状態ならば、仏性の存在に気づき、本分に安住できるのでます。しかし、どうも我々凡夫は、心の中が暗く、ぼんやりしていて、仏性の存在が見えなくなっているようです。だから、迷いや苦悩を抱えて毎日を過ごしてしまうのでしょう。

 

そんな私たちが身心共々に安らかで健康に過ごせることを願い、瑩山禅師様は道元禅師様と同じく、坐禅を勧めてくださっています。多忙な日常生活を送る我々現代人ですが、一佛両祖様(お釈迦様・道元様・瑩山様)が伝えてくださっている坐禅をほんの10分、20分でもいいから、日常生活の中で取り入れてきたいものです。しばし、姿勢を正し、心静かに過ごすひとときを過ごす―それが、私たちの日常に安楽をもたらしてくれるのです。

第3回「お釈迦様のお悟り」

令和元年10月2日 更新

是(こ)れを本来の面目(めんもく)を露(あらわ)すと名(なづ)け、亦本地(またほんち)の風光(ふうこう)を現(げん)ずと名(なづ)く。

〝是れ〟という始まり方をしていることから、今回の一句が前回のものを受けて展開されていることは明白です。前段では瑩山禅師様の坐禅観が示されていました。そこでは、瑩山禅師様がお釈迦様から始まり、歴代祖師方が相承してこられた坐禅を受け継いでいると共に、坐禅が「心地開明(しんちかいめい)、本分安住(ほんぶんあんじゅう)」という、自己が有する仏性に気づき、身心共々に安らかに生きていく上で欠かせない道であるというご自身の見解が述べられていたことが確認できました。

 

その上で、瑩山禅師様は坐禅が「本来の面目」であり、「本地の風光」であると再定義されているのが今回の一句です。この両者は同じことを説いているもので、各々が本来具えている真実の姿(面目)を意味しています。坐禅によって、身、心、呼吸の三者が調って来ると、周囲のいのちの真実の姿が見えてくるというのです。そこには、自分勝手な解釈やものの見方が入り込む隙間はありません。仮にそういうものの見方で捉えていくならば、たちまち、真実からかけ離れた誤った捉え方をすることになるでしょう。

 

真実の姿をありのままに見つめられるようになったとき、この世の全てのいのちが関わり合い、支え合いながら、それぞれ生かされていることに気づくことができます。私たちが時間と関わっているから、万事が変化していくのです(諸行無常【しょぎょうむじょう】)。自分とは全く異なる存在と関わっているから、思い通りに進まないことに出会うのです(諸法無我【しょほうむが】)。いつまでも若いままでいたいという無変化を願う考え方や自分の思い通りにしたいという願いは、身勝手で都合のいい考え方でしかなく、真実の姿からは大きくかけ離れています。そして、そんな願いを叶えようとするから、不要な苦悩を抱えることになるのです。

 

坐禅をしながら、そうした周囲との関わり方が誤っていることに気づくと同時に、事実をありのままに捉え、自分が周囲のいのちとの関わっていることに気づかされたとき、お釈迦様は悟りを得ました。それがお釈迦様の成道であり、人として生きていく上でのあるべき道を体得することができたということです。こうした釈尊の成道もまた、道元禅師様や瑩山禅師様によって正しく証明され、今日に伝えられているのです。

第4回「身心脱落 ―本当の自由に出会う―」

令和元年1月2日 更新

身心俱(しんじんとも)に脱落(だつらく)して、坐臥同(ざがおな)じく遠離(おんり)す。

冒頭に登場する「身心脱落(しんじんだつらく)」という言葉―自身の若かりし頃を振り返ってみると、全く理解することができなかったことが思い出されます。この言葉は自分の身体も心も一切の束縛から解放されて自由になった状態を指しています。

 

道元禅師様は坐禅の姿、行そのものが身心脱落であるとおっしゃっています。しかし、若かりし頃の私は「足を組み、手を組み、姿勢を調え、暫し端坐する坐禅のどこに束縛から解放された自由があるのか」という疑問が先に出てしまっていたが故に、「身心脱落」というみ教えを中々、理解できませんでした。

 

結局、坐禅によって、身心が自由になるかどうかは、坐禅をやり続けてみなければわかりません。昭和を代表する禅僧・澤木興道老師が「全ての経典は坐禅の注釈書である」という名言を遺していらっしゃいますが、「行」が主であり、坐禅の実践を抜きにしての、経典理解はもちろん、正しい坐禅の理解は不可能なのです。近年、そのことにようやく気づきつつあるかなと感じております。

 

確かに坐禅中は自分の都合で動き回ることも、疲れたからといって横になることも、腹が減ったからといって飲食をすることも許されるわけではありません。自分の好き勝手なことができないという点では自由とは言えません。

 

しかし、好き勝手、自分のやりたいようにできることが自由なのでしょうか?本当の自由とは、自分の一切の言動について、責任を持てる者に与えられるのです。自由をはき違えてはなりません。特に坐禅の世界において、自由をはき違えると、たちまちお釈迦様から伝わる坐禅に対して、誤った捉え方をすることになるでしょう。

 

ここに言う自由とは、私見からの自由ということです。私たち凡夫は、日頃、自分に都合がいいように物事を考えたり、好き勝手な捉え方をしたりしてしまうことがあります。そして、そうした捉え方によって、好きなものと嫌いなものだとか、好都合なものと不都合なものだとかいった分別を発生させ、自分にとって都合がいいと感じるものを選んでしまうのです。そうした捉え方をするから、苦手なものや不都合なものと関わらなくてはならなくなったとき、不要な苦悩を抱えることになってしまうのです。実は私たち凡夫は、そうした私見によって、我が身を束縛し、自分の自由を自らの手で奪っているのです。

 

そうした私見から離れ、仏のものの見方や考え方を身につけ、真の安楽に出会う道が、坐禅であると瑩山禅師様はおっしゃっているのです。そこでは好悪の対立、左右の違いなど、分別して好みのものにだけ価値を見出すというようなことはありません。分別を超え、双方の価値が平等視され、大切にされます。坐臥遠離とは、座ること・臥す(寝込む)ことという、相反する二者を例示した上で、両者の対立を超えた先に、坐禅という「身心脱落」という自由の境地があること意味しています。

 

未来に余計な期待を持つことなく、只管に坐禅を行じていくとき、私たちは真の自由に出会うときがやって来るのです。

第5回「坐禅の相 ―対立概念を超越する―」

令和元年11月日 更新

故に不思善不思悪(ふしぜんふしあく)、能く凡聖(ぼんしょう)を超越(ちょうおつ)し、迷悟(めいご)の論量(ろんりょう)を透過(とうか)し、生佛(しょうぶつ)の辺際(へんざい)を離却(りきゃく)す。

―善と悪、好きと嫌い、生と死―

私たちの周囲にはそうした対立概念が多々存在します。そうした対立のどちらかを選び、選んだものは大切にするのに、選ばなかったものは遠ざけ、その価値さえも認めようとしないのが我々凡夫です。

 

それに対して、悟りを得た仏様のものも見方は、そうした対立概念を超えています。それが今回の一句が指し示す内容です。すなわち、善と悪、凡夫と聖人、迷いと悟り、生(我々衆生)と佛(覚者たる仏様)といった対立概念を作らず、双方を受け止め、全ての価値や良さを認めていく捉え方なのです。仮に悪しきものが眼前に存在していたならば、正しき仏のみ教えを伝え、善に導けばよい。迷いあるものは悟りへと導けばよい。仏様は万事が仏性(仏に成れる性質)を有していることをわかっていらっしゃるが故に、こうした行いが為せるのです。

 

坐禅の相(姿)は、そんな対立概念を超越したものであると瑩山禅師様はおっしゃっています。周囲の対立概念に捉われ、その価値の有無など論議しているようでは、仏の悟りとは言えないということです。

 

坐禅によって、真の自由(身心俱ともに脱落だつらく)の境地となり、万事の価値を見出せるようになっていきたいものです。

第6回「休息と放下 ―六根の働かせ方を学ぶ―」

令和元年11月13日 更新

故に万事を休息し、及び諸縁を放下(ほうげ)して一切為(な)さず、六根作(ろっこんな)すこと無し。

「休息」とありますが、これは「今、自分が行っている仕事などをストップし、何もせずに休んでいる」という一般的な休息を意味しているのではありません。ここでは、前回、瑩山禅師様がお示しになっていた「相対する対立概念を超越し、その価値を認めることの一点だけに集中すること」を意味しています。瑩山禅師様は坐禅を通じて、私たちが周囲の全ての存在に対して、好悪等の自分の好みや価値観だけで関わることなく、万時に価値を見出す関わり方をしていくことを願っていらっしゃるのです。

 

次に「放下(ほうげ)」という言葉が出てまいります。禅の世界には「放下著(ほうげぢゃく)」や「放てば手にみてり」等の言葉があります。いずれも、執着から解き放たれることで、価値に気づくことを説いたみ教えなのですが、先の休息同様、あらゆる日々の仕事やご縁からいったん離れ、坐禅の世界に身を投じることを瑩山禅師様はお勧めになっているのです。

 

そうした休息や放下によって、私たちの六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を通じて得られる相(姿)も音もにおいも感覚も、何物にも左右されることがない状態になるというのが「六根作すこと無し」の意味するところです。我々は日々の生活の中で、六根を使って生かされているわけですが、その六根によって好悪が生じ、相手への関わり方が決まっていくことも否めません。それが三毒煩悩(貪【むさぼり】・瞋【いかり】・愚【おろかさ】)ということなのでしょう。

 

この煩悩と坐禅との関係について、瑩山禅師様始め、祖師方がおっしゃっているのでは、坐禅によって六根の働きを停止させるということではありません。ここが大きなポイントではないかと思います。

 

誰が提示した見解かは定かではありませんが、世間一般に「坐禅中は何も考えてはいけない」とか、「禅の世界は無である」などといった捉え方が存在するようです。それに対して、「無になるというのは死んだ人間のことである。生きている間は無になれない。なぜなら、生きるということはものを考え、心や身体を使うものだからである。」とはっきり断言さえたご老師もいらっしゃいます。それがお釈迦様から相承そうじょうされている正しい坐禅なのです。すなわち、外部から何らかの働きを与えて、強制的に六根をストップさせるということではなく、頭の中に浮かぶものは浮かぶがままに、目に飛び込んでくるものはそのままに、耳に聞こえてくる音はそのままに、自分の中に入ってきた情報に左右され、好悪を決めたりするのではなく、あるがままに受け止めていくというのが、「休息」や「放下」の意味するところであり、祖師方の説く六根の働かせ方だということなのです。

 

すなわち、煩悩を働かせないような六根の働かせ方を体得していくのが坐禅だということです。

第7回「深遠なる坐禅の世界」

令和元年11月1日 更新

這箇(しゃこ)は是れ阿誰(た)そ、曾(かつ)て名を知らず。身と為すべきに非ず。心(しん)と為すべきに非ず。慮(おもんぱか)らんと欲せば慮絶(りょぜつ)し、言はんと欲せば言窮(ことばきは)まる。痴(ち)の如く、兀(ごつ)の如し。山高く海深く頂(いただき)を露(あらは)さず底を見ず。

私たちは普段、自分たちの感覚器官(仏教では眼【げん】・耳【に】・鼻【び】・舌【ぜつ】・身【しん】・意【に】の六根【ろっこん】を指す)を使って、様々な情報を取得しながら周囲のいのちと関わっています。どうしても自分の意のままに生きていこうとする習性を有した私たち人間は、そうした六根を自分の好き勝手に使ってしまいがちです。それゆえに、周囲に対して、好悪を生じさせては、そこに捉われ、差別的な関わり方をしてしまうこともあります。

 

そうした六根を意のままに扱うということは、外側から圧力をかけて、強引に操作しようとするようなものです。そうした状態から離れるのが坐禅なのです。すなわち、坐禅によって、あらゆる束縛から解放され、自由な状態になるのです。頭に浮かぶもの一つ一つに捉われることなく、浮かぶがままにしておくこと。目に映るものに好悪の情を抱かず、映るがままにしておくこと。六根を強引に働かせず、自然のままにして、この世の全てに我が身を委ねていくのです。なぜなら、それらが常に自分の眼前に存在するわけではないからです。生成したものは、いつか消滅していく無常なるものなのです。それ故に、そこに拘っても仕方がないから、捉われずに、そのままにしておくのです。

 

瑩山禅師様は、そういう束縛から解放された自由な状態を、前段では「休息(きゅうそく)」とか「放下(ほうげ)」という言葉で表現されていました。坐禅とは、そうした休息や放下の行なのです。すなわち、私たちがあらゆる束縛から自由になり、周囲の万事を受け止めていくことができるようになる行が坐禅であり、そんな坐禅と我が身が一体化し、仏になりきることが大切なのです。

 

そんな坐禅を、言葉を用いて、完全に説明しつくすことはできません。また、一言で定義づけることも至難の業でしょう。なぜならば、説明や定義づけは、六根を働かせれば、あれこれ思考しながら、行われることだからです。坐禅が六根の働くがままに行ずるものであれば、言葉で表現し尽くす必要もなくなります。今回の一句は、そのことを説いています。名づけようにも名づけることができないもの。考えても考えても答えが出し尽くせぬほどに奥深いもの。身や心で表現しつくせぬ境地。言葉や思いで言い表すことさえできぬ世界。それらはあたかも、今の時節(11月)ならば、山頂から色彩豊かに染まった絶景を目の当たりにし、言葉で言い表せぬ程の感動を覚えるようなものです。そして、それが坐禅の世界だということです。

 

登っても登っても先が見えぬ山頂や、潜っても潜っても到達できぬ海底のごとき、深遠なる坐禅に対して、あれこれと頭で考えた見解を持ち込もうとせず、ただ大山のごとく、兀兀として、身を正す中で、六根では表現しつくせぬ世界とのご縁ができるのです。

第8回「一体化を目指して ―“セグウェイ”に乗って観た真実―」

令和元年11月24日 更新

縁に対せずして照らす。眼雲外(まなこうんげ)に明らかなり。

令和元年11月21日から22日にかけて、岐阜県まで行ってきました。金華山(きんかざん)に長良川、ひるがの高原と秋の大自然に触れ、身心共々にリフレッシュさせていただくことができました。

 

22日にひるがの高原の「Ork」にて、初めて乗った「セグウェイ」なる乗り物。これは2000年にアメリカで開発され、ブッシュ大統領が小泉首相にプレゼントするなど、日本でも話題に上ったことがある電動式立ち乗り自転車です。日本では道路交通法上、公道での使用は禁止されているため、ほとんど目にすることはありませんが、ひるがの高原のような広大な私有地で乗り回すには最適な乗り物で、従業員の方の懇切丁寧な指導の元、比較的簡単に乗りこなすことができるようになり、同行者もとても楽しんでいました。

 

従業員の方の先導で、ひるがの高原を「セグウェイ」で移動する中、従業員の方が指さす先には白山がそびえ立っているとのことでした。当日は雲に隠れていて、白山を拝見することはできませんでしたが、天気がいいとよく見えるそうです。白山を隔ててこちら側で生活するひるがの高原の従業員さんと、白山の向こう側にある石川県から来た私たちはすっかり意気投合したようで、同行者の一人が「山一つ隔てただけで、近くにいるような気がしますね」と言ったのが印象的でもありました。というのは、この言葉こそが「縁に対せずして照らす」の境地なのです。

 

一見したところ、山が石川県と岐阜県を隔て、両者が別世界のような感覚を覚えますが、そうではありません。実は両者は元々、一体化しているのです。だから、それまでは縁が感じにくかった双方のつながりが見えるようになったとき、親近感が沸き、親しくなることができるのです。「縁に対せずして照らす」とは、そうした双方を分け隔てる存在がなくなり、一体化した状態を表しているのです。

 

次に「眼雲外に明らかなり」とあります。これも同様のことを説いています。これまで分け隔てて見ていたものの見方が一体化し、一つの世界として捉えることができるようになるということです。

 

こうしたみ教えを、坐禅によって体得していきたいものです。坐禅をしてお釈迦様と一体となるとき、これまでのモノの見方や捉え方(分け隔てることで、好悪等の差別を生み出すこと)から、双方を一体化して受け入れるモノの見方や捉え方を目指していきたいものです。その大切さを、「セグウェイ」に乗りながら、改めて痛感させていただいたのでした。

第9回「“秋色染まる金華山(きんかざん)”に観た禅のみ教え」

令和元年11月2日 更新

思量せずして通ず。宗黙説(しゅうもくせつ)に朗(ほが)らかなり。

前回に引き続き、岐阜旅行の話題です。

 

令和元年の夏は去年同様に、猛暑が続きました。おまけに残暑も厳しく、中々、過ごしやすい季節が訪れなかったような気がします。地球温暖化による異常気象なのでしょうか・・・?とは言いながら、岐阜県の金華山(きんかざん)は色彩豊かな紅葉に染まっていました。異常気象と言われても、いつもと何ら変わりなく、この時節には金華山始め日本の大自然は秋色に染まるのです。我々の肌身には秋の気配は感じにくかったかもしれませんが、季節の訪れを金華山が物語っているように感じました。

 

今回の一句に「思量せずして通ず」とあります。これは秋が来れば秋色に染まることを意味している一句です。我々人間は六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)で得た情報によって、あれこれ頭を働かせながら、言葉を発し、行動を提示していきますが、大自然はそうではありません。秋になれば紅葉に染まり、冬になれば雪が降る。温かくなれば草木は芽吹くのです。そこには思量(頭で思い量る)して、人を喜ばせようとか、自分がよく見られようなどという意識はありません。異常気象だからといって、腹を立て、花を咲かせないというような自己主張もありません。縁の働きによって、自ずからあるがままの姿を見せ、事物が明らかになるだけなのです。

 

その境地は言葉で説明できるものでもあれば、黙っていても自ずと伝わってくるものでもあります。それが「宗黙説に朗らかなり」の意味するところです。言葉を発しても、黙っていても仏法を説いているということです。ひるがの高原から見た雲に隠れた白山連邦はすべてが一体であるという真実の姿を説いているのです。同様にして、黙々と坐している姿はお釈迦様が説法なさるお姿そのものであり、そうした人間が日常生活の中で発する言葉も行いも仏法そのものだということなのです。

 

坐禅はお釈迦様と一体とになりきる行いだとお示しになった古老がいらっしゃいます。そうやって、言葉や行いを正していくことが、この世にいのちをいただいて生かされている我々一人一人の目指すべき生き方だということを押さえておきたいものです。

第10回「没量(もつりょう)の大人 ―真の人格者とは・・・?―」

令和元年11月2日 更新

乾坤(けんこん)を坐断(ざだん)して全身独露(ぜんしんどくろ)す。没量(もつりょう)の大人大死人(だいにんだいしにん)の如く、一翳(いちえい)の眼遮(まなこさえ)ぎることなく、一塵(いちじん)の足に受(う)くる無し。何(いずれ)の処(ところ)にか塵埃有(じんないあ)らん。何物(なにもの)か遮障(しゃしょう)を作(な)さん。

世の中には言葉では言い表せないくらい物凄いオーラを持った人物がいます。存在感があり、発言や言動にも重みがある、まさに人格者というべき方です。それは禅の世界においては、坐断(徹底的に黙々と坐禅を行じる)お姿から、全身独露(この世の真実の姿が表れる)し、ありがたみや親しみといった、人を引き付ける魅力がにじみ出ている人材を指すのでしょう。

 

瑩山禅師様は、そんな人材を「没量の大人」と言い表しています。没量とは、計り知れぬ程、偉大な存在ということです。「どれくらいすごい」と数値で言い表せたり、言葉で表記できたりするようでは、没量とは言えないでしょう。生と死、迷いと悟りといった対立を超越した存在なのです。

 

先日、長年に渡り闘病生活を送っていらっしゃる方と数年ぶりに再会させていただくご縁がありました。長らくお会いできずにいたので、その後が気がかりでした。久しぶりに拝見したお姿はお元気だったころから見れば、お痩せになってはいました。しかし、見た目には変化を感じる部分はあっても、そのお姿からは往時と変わらぬ存在感や輝かしいオーラが漂っていました。瑩山禅師がおっしゃる「没量の大人」とは、まさにこうした方のことを指すのだろうと感じました。

 

頃合いを見て、その方にお声をかけてお話させていただきました。すると、その方は涙を浮かべるような表情をなさいました。このとき、私の中に思わず込み上げてくるものがあり、涙がこぼれてきました。ほんの暫しのひとときでしたが、手を取り合い、会話をさせていただくことができました。私が若かりし頃、色々なことを教えていただき、叱咤激励いただいた尊敬すべきその方に、私は精一杯の感謝の意を伝えさせていただきました。「あなた様のおかげで今の自分がある」と―。

 

この出来事を通じて、私は改めて、見た目だけで物事を判断することの愚かさを思わずにはいられませんでした。今回の一句には「一翳の眼遮ることなく」とあります。翳(えい)とは陰りや曇りを意味しています。物事の道理を見抜く力が暗いために、真実が見えないことを意味しています。引き続き、「一塵の足に受くる無し」とあります。目のみならず、他の感覚器官や身心においても、真実を受け止めていくことの大切さを説いています。

 

世間の一切の束縛から離れ、自分の感覚器官を自由にすることによって、身心が調ったとき、私たちは安心(あんじん)を得られる―それが坐禅です。そうした坐禅を徹底的に行じてきた人間から嘘偽りなくにじみ出ている禅のオーラは、表面的な変化はあっても、生涯変わることなく、身についているものなのです。真の人格者とはそういう方を指すのです。

第11回「常識のメガネを外す ―表裏なし、区別なし、名前なしの世界―」

令和元年1日 更新

清水本表裏無(せいすいもとひょうりな)く、虚空終(こくうつい)に内外無(ないげな)し。内外玲瓏明白(ないげれいろうめいびゃく)にして、自照霊然(じしょうれいねん)たり。色空未(しきくういま)だ分(わか)たず、境地何(きょうちなん)ぞ立(りつ)せん。従来共(じょうらいとも)に住(じゅう)して歴劫名無(りゃくこうな)し。

周囲の存在に対して、自分の感覚で好悪等を発生させ、分別して捉えていく関わり方をしている私たち凡夫に対して、対立や区別のない世界を伝えてくれるのが坐禅なのです。また、そうした対立概念というものは、私たちが生み出してしまった誤った見解であり、本来は全ての存在が平等であるということを伝えているのが坐禅だということです。

 

サラサラと小川を流れる自然の水には表も裏もありません。大自然から湧き出てくる清浄な水が私たちの眼前を流れているだけなのです。虚空とは私たちが存在している広大無辺の世界です。本来は一体の、内も外もない世界なのに、私たちは自分の勝手な都合で内と外というような形で分別して甲乙をつけてしまうのです。玲瓏とは、本来は一体であるということを指している言葉です。これは透明な様を表しています。私たちが私見というカラーを混ぜるから、曇って真実が見えなくなってしまうのであり、本来は、虚空は透明であり、全てが明白に感じ取れるということです。

 

色空にしても同じです。これは有と無、存在しているかどうかということです。諸行無常といいます。それは、この世とのご縁をいただいたものが存在し、そのご縁が尽きるときに無になっていくことが繰り返されているということであり、それが、この世の道理です。各々の存在が有の瞬間と無の瞬間を繰り返しながら、この世は成立しているのですが、有か無というように、特定の瞬間に注視してしまい、そこに私見という色を混ぜてしまうために、真実が見えなくなってしまうのです。

 

こうした表裏や内外といった区別が存在しないという真実に気づくとき、私たちは眼前に存在するものに対して、その一点のみを見て、好悪の感情を覚えたり、何らかの名前を与えたりしていますが、実はこの世に存在するものは、本来は名前さえ名づけることのできないのです。それが「歴劫名無し」の意味するところです。

 

「清水に表裏無し」、「虚空に内外無し」、「歴劫名無し」であり、玲瓏明白であるという真実を捉えていくとき、「表裏あり」、「内外あり」、「名前あり」としていたこれまでの常識的なメガネを外し、区別なく、名前さえ存在しない真実の世界を、坐禅によって味わってみたいものです。そうした味わいによって、私たちの人生というものを見つめ直してみることの意義深さを感じるのです。

第12回「西天東土(さいてんとうど)、仏祖正伝の坐禅とは・・・?」

令和元年12月17日 更新

三祖大師(さんそだいし)は且(しばら)く名(なづ)けて心(しん)となし、龍樹尊者(りゅうじゅそんじゃ)は仮(かり)に名(なづ)けて身(しん)と為す

瑩山禅師(けいざんぜんじ)様は坐禅をお示しになるに当たり、お二人の祖師のお示しを引用なさっています。それが今回の一句です。

 

三祖大師とは鑑智僧璨(かんちそうさん)禅師(?-606)を指します。ご承知のように、仏教のみ教えはインドのお釈迦様から二十八代を経たとき、達磨(だるま)大師様(生没年諸説あり)によって中国に伝えられました。その後、達磨様より慧可大師様(487-593)へ、そして、鑑智禅師様へと仏法は伝わっていきました。三祖とは中国禅宗における三代目を意味しているのです。

 

鑑智禅師といえば、著書である「信心銘(しんじんめい)」を欠かすことはできません。これは鑑智禅師がお釈迦様から正しく伝わる仏法を明示し、後世に伝えようとした一編です。信心銘は禅の真髄を説いたものとして珍重され、後に多くの仏道修行者が取り上げ、その講話等が現在も残されています。瑩山禅師様もそのお一人で、道を学ぶ修行者たちに自らの仏道修行者としての視点から信心銘を説いていらっしゃいます。それが禅師様の著書である「信心銘拈提(しんじんめいねんてい)」です。こうした点から推察するに、瑩山禅師様が深く帰依し、自らのご修行の拠り所となっていた祖師のお一人が鑑智禅師様であり、こうして坐禅用心記の中にも引用なさったのではないかと考えられます。

 

鑑智禅師様は坐禅を「心」だとおっしゃったということですが、この「心」の意味を考えていく上で、大きなヒントとなるのが「信心銘」ではないかと思います。そもそも「信心」とは、自己の心を信ずることでありますが、その心というのは、仏性という、誰もが本来有している迷悟凡聖の区別がない清浄な心を意味しています。「清水に表裏なく、虚空に内外なし」という坐禅の世界に思いを巡らすとき、鑑智禅師の「三祖大師は且く名けて心となす」とは、人々が坐禅によって、仏と成り、自己の中に眠っていた仏性と対面できるのを説いていらっしゃることに気づかされます。そして、瑩山禅師様はそれを我が身に銘じ、人々にも伝えんとして引用なさったのではないかと捉えることもできるのです。

 

次に登場する龍樹尊者も瑩山禅師様が帰依する祖師のお一人なのでしょう。この方は、那伽曷樹那(なぎゃはらじゅな)大和尚と申し、インド二十八祖のお一人、お釈迦様から数えて十四代目のお祖師様で。この方は2~3世紀頃の方で、南インドのバラモンのご出身、後に大乗仏教の教学体系を樹立、宣揚した方です。

 

鑑智禅師が「坐禅は仏性に気づく行いである」とお示しになったのに対し、そのはるか昔の禅僧である龍樹尊者は「仮に名けて身と為す」と説いていらっしゃいます。解釈のポイントは鑑智禅師の「心」に対する龍樹尊者の「身」でありましょう。

 

鑑智禅師の心は仏性という、誰しも有する仏の心でした。それに対する形で瑩山禅師様が引用なさった龍樹尊者の「身」とは、「法身(ほっしん)」です。すなわち、佛のお悟りやみ教えを全身に帯びた仏身であり、黙々と坐禅に行ずる姿が仏様のお姿そのものであることを説いていらっしゃるのです。

 

坐禅は身心共々に仏の行いであり、仏のお悟りに近づく行である―それが西天東土(さいてんとうど)、インドから中国、そして、日本へと伝わってきた正しい坐禅であることを、瑩山禅師様は古の祖師方のお言葉をお借りして、証明なさっているのです。

第13回「本来の姿 ―佛性(ぶっしょう)と法身(ほっしん)―」

令和元年12月23日 更新

佛性(ぶっしょう)の相(そう)を見(けん)じ、諸佛の体(たい)を表(あら)はす。此(こ)の圓月(えんげつ)の相は欠くること無く余まること無し。此の心(しん)に即する者は便(すなわ)ち是れ佛なり。

前段において、瑩山禅師様は中国の三祖大師(さんそだいし)とインドの龍樹尊者(りゅうじゅそんじゃ)のみ教えを引用しながら、インド・中国を経て、日本に伝わってきた正しい坐禅についてお示しになられました。三祖大師のみ教えからは坐禅をしているときの心は「佛性」であること、龍樹尊者のみ教えからは坐禅をしているときの姿は「法身(ほっしん)」であるという解釈が成り立ちます。だから、坐禅をしているときは、仏様そのものに成りきっているのであり、坐禅は仏の行いそのものであるという思想が成立するのです。そして、それが今日、伝わっている正伝の坐禅なのです。

 

高源院で坐禅会(やすらぎの会)を行うようになって、10年が経ちました。会では20分間の坐禅を行いますが、正伝の坐禅の観点から申し上げるならば、20分坐れば、20分間仏に成ることができるのです。

 

この20分間の中で、禅に参じている方々は、姿勢を調えることで、心が調い、呼吸が調っていきます。このとき、身心共々に日常の様々な束縛から解放され、真の自由を得ることができると共に、これまで自分の頭や各種感覚器官を使って、無意識のうちに良し悪し等を分別していたものに対して、万事に価値を見出すことができるようになっていくのです。それが仏のものの見方であり、周囲との関わり方なのです。そして、私たちは、坐禅によって、そこに気づくことができるのです。

 

そうした坐禅の姿が満月の如く円満なものであり、欠ける部分もなく、全てを満たしたものであるというのが、「圓月の相」の意味するところです。私たちの心は、本来は、仏の性質を持った心(佛性)であり、身体は仏の身体(法身)なのです。それが日々の生活における様々な出来事やご縁の中で、段々と自分の本来の姿が見えにくくなってきてしまうのです。

 

そうした自分の眼を曇らせてしまっている存在から自由になることで、万事をありのままに受け止めると共に、本来の姿に気づいていく方法として提示されているのが、お釈迦様から伝わる正伝の坐禅なのです。

第14回「坐禅の功 -“手中の明珠”に気づく―」

令和年1月日 更新

自己の光明古(いにしえ)に騰(のぼ)り、今に輝き、龍樹(りゅうじゅ)の変相(へんそう)を得、諸佛の三昧(ざんまい)を成(じょう)ず。

まずは冒頭にある「自己の光明」という言葉について、味わってみたいと思います。

 

光明とは仏様が発する光のことで、我々衆生に救いの手を差し伸べてくださる存在です。「自己の光明」ということですから、自分の中に存在する仏の光であり、前段で登場した「佛性」を意味していることに気づかされます。三祖大師(鑑智僧璨【かんちそうさん】禅師)が坐禅をしているときの心が佛性(仏の心)であるとお示しになりましたが、仏性は元来、誰もが有しているもので、日々の生活の中で、意識的に手入れをしていかなくては、どんどん汚れていってしまうものです。禅語の「明珠在掌(みょうじゅたなごごろにあり)」は、そうした佛性の性質を知り、メンテナンスを怠らないことを説いた言葉です。

 

引き続き、「古に騰り、今に輝き」とあります。自己の光明は過去も照らし、今も照らすとあります。各々の存在には各々の仏性が輝き、それが永遠に仏の光を発し続けていく様が示された箇所です。

 

次に龍樹の変相とあります。龍樹尊者は三祖大師と共に、瑩山禅師様が帰依し、そのみ教えが引用されている祖師です。坐禅をしているときの姿は仏の姿そのものであるとお示しになった龍樹尊者ですが、そうした仏の姿を欠けることなく、全てを満たした「圓月の相」であるとお示しになりました。各々の存在が佛性の光を輝かせているとき、仏の姿を提示しているのです。それが坐禅の変相ということなのでしょう。

 

何も期待せず、余計なものに惑わされず、一心に我が身を投じ、身も心も仏に成りきっているのが坐禅です。そんな坐禅を続けていく中で、我が手中の仏性の存在に気づくことでしょう。いのちをいただいて生かされている実感や得も言われぬありがたみなど、坐禅を行じていく中で出会うご縁によって、言葉では到底語り尽くせぬ「生きることの奥深さ」に気づかせていただけるのです。それが坐禅の功徳なのです。

第15回「発心・修行・菩提・涅槃の生き方 ―令和2年の年頭に際し―」

令和2年1月13日 更新

心本(しんもと)二相無(にそうな)し、身更に相像(そうぞう)に異なり、唯心(ゆいしん)と唯身(ゆいしん)と、異と同とを説かず。心変(へん)じて身と成り、身露(あらは)れて相別(そうわか)る。一波纔(いっぱわず)かに動いて萬波随(ばんぱしたが)い来る、心識才(しんしきわづ)かに起って萬法競(ばんぽうきそ)い来る。

今回、瑩山禅師様は元々「平等」・「一体」の存在であったものが、様々な縁に触れたとき、色々な形に姿を変えていくことを通じて、仏と共に生きる道を選び、仏のお悟り向かってまっすぐに進んでいくことをお示しになっています。一句ずつ味わってまいりたいと思います。

 

「心本と二相無し」とあります。〝二相無し″という言葉が私たちの心は、元々、平等で一体ものだったことを示していますそれは好き嫌いといった分別が生じていない状態です。

 

そんな私たちの眼前に生じたご縁(ヒト・モノ・出来事・大自然 etc)によって、私たちの心が動き、好悪等の分別が発生します。そうした姿形に違いがある状態が「身更に相像と異なり」の意味するところです。相像は眼前の存在が「きれい・きたない」、「太い・細い」などのような、差別の相を示していることを意味しています。心は元来、平等なのですが、縁によって、違いが生じてしまうというのであれば、違うとも同じとも断言することはできず、まさに、「異と同とを説かず」なのです。

 

実際には断ずることが困難なために、どこか奥歯に魚の骨が挟まったような感覚が残るのですが、それを取り除き、私たちに明快な回答を提示しているのが、「心変じて身と成り、身露はれて相別る」です。すなわち、心が縁によって変化し、それによって、身という差別の相が顕れてくるというのです。平等な心と違いの存在する身と、両者は一体の関係を有する、つながりのある存在であることを押さえておきたいものです。

 

これを、譬えを用いて指し示しているのが、「一波纔に動いて萬波随い来る」です。大海の青々とした水は、風がないときは静寂を保っています。ところが、一たび、風というご縁が生ずれば、波が生じます。強風であればあるほど、波も強くなるのは言うまでもありません。大海の水が心であり、風によって起こる波が身をたとえています。そして、水も波も元来は同じものなのですが、風という縁によって、姿形が変化しただけなのです。

 

ここで言う水面に起る「一波」は、「一念」・「一慮」といった、ほんの一瞬、心の中に生じ、思いを巡らせることを譬えたものです。これを仏道の世界に当てはめるならば、発心ほっしんという悟りを求める最初の一念発起を大切にしながら日々を過ごしていくと、いつか必ず、萬法(お釈迦様のお悟り)につながっていくことを意味しています。それが「心識才かに起って萬法競い来る」の意味するところです。これは「精進」という混じりけのない純粋な状態(精)でもって、まっすぐにお釈迦様のお悟りを目指していく生き方にも相通ずるものです。

 

この世は「諸行無常」という、すべては縁によって生滅していく世界です。全ては元々、一体であり、縁によって、様々な姿形に変化します。そのことをしっかりと押さえ、仏や仏のみ教え(菩提【ぼだい】)と共に生きる心を起こし(発心)、悟り(涅槃【ねはん】)を目指して毎日を過ごしていく(修行)ことを、令和2年の年頭のご縁に際し、お伝えできれば幸いです。

第16回「因果の道理を体得する」

令和2年1月1日 更新

所謂四大五蘊遂(いわゆるしだいごうんつい)に和合し、四支五根忽(ししごこんたちま)ち現成(げんじょう)す。しかのみならず、三十六物(さんじゅうろくもつ)、十二因縁造作遷流(じゅうにいんねんぞうさせんる)し、展転相続(てんでんそうぞく)す。但衆法(ただしゅほう)を以(もっ)て合成(ごうじょう)して有り。

四大とは、この世を構成している4つの要素のことで、下記の一覧の通りです。

 

地(ち)          堅固を性とする土地、地面

水(すい)       湿潤を性とする液体的なもの

火(か)          熱を特性とする炎、燃えているもの

風(ふう)       動転を性とし、物を増長するもの

 

次に五蘊ですが、蘊には積むという意味があります。下記の5つが積み集まって五蘊となります。

 

色(しき)       身       肉体や物質 四大及びその合成から成るもの

受(じゅ)       心       外からの刺激を感受する心の作用

想(そう)       心の中に思い浮かべたもの

行(ぎょう)   心の中に思い浮かべたものを判断する作用。

識(しき)       分かち知ること。認識すること。

 

この世に存在するものは、因縁によって四大五蘊が和合して生成し、その因縁が尽きると、消滅していきます。それが諸行無常という、この世の道理です。

 

引き続き、四肢五根とあります。五根はこれまでも頻繁に登場してきた眼・耳・鼻・舌・身(身体)という私たちを作り上げている5つの要素です。四肢は両手両足のことです。それらも四大五蘊同様に関わり合いながら、現成している(我々の眼前に現れること)というのです。

 

それだけではありません。各種内臓器官や汗・涙など、人体の不浄物を意味する三十六物にしろ、我々凡夫が暮らす迷界における十二の因果関係を示す十二因縁にせよ、次々とボールが転がり続けていくように(展伝相続)、お互いに関わり合っているというのです。全て(衆法)は関わり合って、善悪いずれかの因を生み出し、それに応じた結果が生じていくのです。それがこの世界の真実の姿であり、「因果の道理」というのです。

 

こうした「因果の道理」を体得して日々を過ごすことが、三毒煩悩の一つにある「愚かさを断つ」ことにつながっていきます。何一つとして単体で存在するものはありません。全てが関わりのある存在であるというこの世の真実の姿をしっかりと押さえておきたいものです。

 

次回は紙面の都合上、十分に味わえなかった「十二因縁」について触れてみたいと思います。

第17回「十二因縁」について―“今”・“ここ”に生かされている我が身に思いを馳せて―

令和2年1月21日 更新

十二因縁とは、迷界における十二の因果関係を示したもので、以下の一覧のように分類できます。

 

無明(むみょう)         

お釈迦様がお悟りになったこの世の道理や真実に疎いこと。

私見に捉われるから、事実を見誤って悪行を働き、不要な苦悩を受けるのである。尚、我々凡夫が有する「三毒煩悩」の一つである愚かさとは、無明を意味している。過去の二因

 

行(ぎょう)  

無明ゆえに、誤った行い(仏のみ教えから外れた行い)を繰り返してしまうこと。

そのために、誤りが習慣となってしまう。現在の五果

 

識(しき)      

無明を根底とした認識。

 

名色(みょうしき)      

母胎に宿ったとき

名=精神的なもの(眼に見えぬもの)、色=物質的なもの(眼に見える存在)

 

六処(ろくしょ)         

母胎の中で六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が育つまでの期間

 

触(そく)      

識・名色・六処の三者が和合接触し、心の作用が発生すること。

 

受(じゅ)      

触(認識作用)によって、対象を受け入れ、苦楽捨等の感受作用が発生すること。

 

愛(あい)

根本的な欲望(苦を避け、楽を熱望すること など)、受によって生ずる愛憎の念。

無明同様、三毒煩悩の一つで、貪欲を意味している。未来の三因

 

取(しゅ)

取捨選択行為(嫌悪するものを捨てて、好悪の存在を選び取ろうとすること。愛によって生ずる対象への執着。煩悩の別名

 

有       取によって生ずる習慣や性癖、人格

 

生       有を具備して生まれること。未来の二果

 

老死   生まれた上で種々の経験をなし、老いや死の苦悩を受けること。

 

無明を根本とし、それを因として行という果をもたらすという形で、前者を因として、後者が果となるという形で展開していくのが十二因縁です。それは私たち人間がこの世に生まれ、時間の流れとのかかわりの中で年を重ね、やがては消滅していく様子を説いたものでもあります。瑩山禅師様は、それを坐禅用心記の中で「展伝相続」と言い表していらっしゃいます。そして、私たちはこの世にいのちをいただく因と縁が合成して、一時期、人間ならば人間の身体をお借りして、人間世界に存在させていただいているだけなのです。

 

こうした十二の因果の道理に思いを馳せ、ご縁をいただいたここという場所、今という時間を大切に、少しでも御仏のお悟りに近づけるよう、日々を精進して過ごしていきたいものです。

第18回「不壊なる身心を調えて」

令和2年1月30日 更新

所以(ゆえ)に、心(しん)は海水の如く、身は波浪の如し、海水の外に一点の波無きが如く、波浪の外に一滴の水無きが如し、水波(すいは)別無く、動静(どうじょう)異なること無し。故に云(い)ふ、生死去来眞實(しょうじきょらいしんじつ)の人、四大五蘊不懐(しだいごうんふえ)の身と。

穏やかな海の水も、風が吹けば、波が生じます。風が強ければ強いほど、海も荒れていきます。そうした風という縁によって、私たちの現前に映る姿には変化が生じますが、元来は同じ水です。

 

そのことを瑩山禅師様は「水波別無く、動静異なること無し。」とお示しになっています。これは、元々平等な存在も、縁によって変化して見えるだけにすぎないということです。それを瑩山禅師様は“海水・風・波”をたとえとして用いながらお示しになっています。「心は海水の如く、身は波浪の如し、海水の外に一点の波無きが如く、波浪の外に一滴の水無きが如し」に込められているのは、私たちの心は、元来、仏性(ぶっしょう)(仏に成れる心)を有したものであり、身体は法身ほっしん(仏の生き方ができる身体)であるということです。これは、言ってみれば、私たちは善縁によって仏に近づき、悪縁に巡り合えば、仏から遠ざかることをも意味しています。そのことを、どうか肝に銘じて、日々を過ごしていきたいものです。

 

次に「生死去来眞實の人」とあります。前世のことや死後の世界のことは、誰一人として明確に回答できませんが、仏教における「六道ろくどう」の思想に従えば、私たちは「地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・天上(てんじょう)」のいずれかの世界から人間界にご縁をいただいて生かされ、この世での役目を終えると、また、いずれかの世界に赴いて生かされていくということになります。

 

そうした六道を輪廻(りんね)する私たちが、平等に仏に成れる性質を有していることを意味しているのが、「生死去来眞實の人」です。この言葉には、私たちが今、人間界という場所で、仏のみ教えに従い、善に生きていくならば、必ずや仏に近づくことができることをも説いているのです。

 

そうした私たちの身心は「四大五蘊不壊の身」であると瑩山禅師様はおっしゃっています。善なる道を歩み、仏に成るべく精進していくならば、その身心は絶対なる強固な存在になるというのです。

 

どうか日々の生活の中で、少しでも多くの方が、そうした因果の道理を体得し、坐禅によって姿勢を調えるが如く、不壊なる身心を調えながら、仏に近づいていくことを願うばかりです。

第19回「“不退転”に生きる ―瑩山禅師様の坐禅観―」

令和2年2月7日 更新

今坐禅は正(まさ)に仏性海(ぶっしょうかい)に入(い)り、即ち諸仏の体(たい)を標(あらわ)す。本有妙浄明(ほんうみょうじょうみょう)の心頓(しんとん)に現前し、本来一段の光明終(つい)に圓照(えんしょう)す。海水都(すべ)て増減無く、波浪も亦退転(またたいてん)無し。

以前、瑩山禅師様は坐禅用心記の中で、中国の三祖大師(鑑智僧璨【かんちそうさん】大和尚)の「坐禅をしているときの心は仏性である」というお示しを引用なさっていました。その仏性は「水波別無く、動静異なること無し」とあるように、縁によって異なる姿を示しながらも、元来は平等な存在であるということでした。

 

また、瑩山禅師様は龍樹(りゅうじゅ)尊者(那伽曷樹那【なぎゃはらじゅな】大和尚)が「坐禅をしているときの身体は法身である」というお示しをも引用なさっています。我々の身体もまた、心と同じで、表面的には差別の相を表しながらも、元来は平等なる存在です。

 

これらの引用を通じて、瑩山禅師様はお伝えしようとしていることは、お釈迦様から脈々と伝わる「仏祖正伝の坐禅」とは何かということです。

 

そんな瑩山禅師様が指し示す「仏祖正伝の坐禅」とは「仏性海に入り、諸仏の体を標す」というお言葉に言い表されているように感じます。すなわち、「坐禅をしているときは仏様そのものになっている」という、お釈迦様からインド、中国、日本の祖師方へと脈々と伝わっている坐禅そのものなのです。坐禅をしているときの心は仏の心であり、その姿は仏を体現しているのだということです。ここに祖師のみ教えの「相承(そうじょう)」を感じずにはいられません。

 

引き続き、瑩山禅師様は「本有妙浄明の心」とおっしゃっています。本有とは誰もが元々持っているものということです。それが「仏性」です。その仏性は妙浄(最高に清浄な状態)であり、明(この世の道理を悟った明るい状態)な存在なのですが、私たちは日常生活の中の迷いや妄想のために、仏性の存在が見えなくなっているのです。

 

そんな仏性が坐禅を行ずることによって、その存在や性質が我々の前で明るく照り輝き始めるのです。そうやって、我々は自らの中に存在する仏性に気づき、我が身で捉えることができるようになるのです。そして、私たちの心が調っていくのです。これぞ、身体を調えること(調身)による調心ということなのでしょう。「本来一段の光明終に圓照す」とは、こうした状態を表した一句なのです。

 

さらに瑩山禅師様は続けられます。「海水都て増減無く、波浪も亦退転無し」と。退転とは精進とは真逆の行いです。すなわち、修行を怠けることです。それは仏から遠ざかたり、悪の道を歩んだりすることです。

 

それに対して、日々、坐禅によって、身も心も仏と成ることを心がけ続けていくことが、「不退転(ふたいてん)」という生き方なのです。坐禅を通じて、不退転に生きることが、お釈迦様から伝わる仏祖正伝のみ教えであり、瑩山禅師様が坐禅用心記をお示しになる中で我々に願っていらっしゃることを押さえ、“不退転”に過ごしていきたいものです。

第20回「寂静無漏(じゃくじょうむろ)の妙述(みょうじゅつ) -瑩山禅師様の坐禅観②―」

令和2年10日 更新

是(これ)を以て諸仏は一大事因縁(いちだいじんねん)の為に世に出現して、衆生をして仏の知見(ちけん)に開示悟入(かいじごにゅう)せしめたまふ、而(しか)して寂静無漏(じゃくじょうむろ)の妙述有(みょうじゅつあ)り、是れを坐禅と謂(い)う 

我々が仏道修行を怠けることなく、「不退転(ふたいてん)」に生きるならば、仏が現前し、その見解(知見)を以て、開示悟入(悟りの世界へと導きいれること)させると瑩山禅師様はおっしゃいます。「一大事因縁」とは、修証義第1章の冒頭にも出てきますが、最も大切なことという意味で、坐禅をも指しています。日々の修行の中で、ただ只管ひたすらに坐禅を行じている1時間は、身も心も仏に成りきっている1時間であり、そうした仏としての不退転の日常が因となって、仏の悟り(開示悟入)という果につながっていくというのです。

 

次に「寂静無漏の妙述」とあります。「寂静」に関しては、お釈迦様がお亡くなりになる直前にお弟子様方にお示しになった最期のみ教えの中でも触れられております。

 

令和2年2月10日現在、世間は「コロナウイルス」の話題で騒然としています。人間の歴史を振り返ってみると、「ハンセン病」や「3.11大震災による原発問題」等、いつの時代も人体に害を及ぼす存在に対して、その正体がはっきりしなければしないほど、人々は不安を覚え、それゆえか、根拠のない噂を拡げ、さらに多くの人の不安をあおるということを繰り返してきました。

 

こういう状況に陥ったとき、世間の考えや動きはそれとして、肯定も否定もせず、冷静に事実を掴み取って対処していくことが大切です。それが、お釈迦様がお示しになっている「寂静」なのです。

 

瑩山禅師様はさらに、「寂静無漏」とおっしゃっています。漏とは三毒煩悩(貪り・瞋いかり・愚かさ)のことで、言葉や行いにして外部に漏らしてはならないものであり、漏らすこと事態が恥ずべきものでもあります。そうした三毒煩悩が漏れていない状態を「無漏」と言うわけで、寂静とは無漏の状態でもあります。

 

そうした事実をありのままに受け止めた冷静なる状態であり、自らの中の三毒煩悩が調整された最高の状態(妙述)が坐禅だと、瑩山禅師様はおっしゃっています。日々、私たちの五根(眼・耳・鼻・舌・身体)から入ってくる様々な情報は、ときに私たちに不安や恐怖を与え、寂静なる状態を打ち破ることがあります。また、三毒煩悩が調整できなくなり、外に出してしまう(有漏【うろ】)こともあるかもしれません。

 

だからこそ、事あるたびに「寂静無漏の妙述」という言葉を思い起こし、自らを調え、修めながら、日々を過ごしていきたいものです。

第21回「仏道の正門 ―瑩山禅師様の坐禅観③―」

令和2年2月1日 更新

即ち是れ諸仏の自受用三昧(じじゅゆうざんまい)なり、又は三昧王三昧(ざんまいおうざんまい)と謂う。若(も)し一時も此の三昧に安住(あんじゅう)すれば則ち直(ぢき)に心地(しんち)を開明(かいめい)す、良(まこと)に知る仏道の正門なることを。

今回は「三昧(ざんまい)」という言葉が登場します。これは禅の別称で、坐禅は三昧の具体的な姿です。瑩山禅師様は坐禅が諸仏の「自受用三昧」であり、「三昧王三昧」であるとお示しになっていますが、それは、どういうことなのでしょうか。

 

まず、「自受用三昧」について触れてみたいと思います。「自受用」とは、自分で受用することです。坐禅によって、身心共々に仏と成り、仏祖のお悟りを全身で感じ取ることができたとき、坐禅の素晴らしさが味わえるでしょう。そうした自らが坐禅を行ずることで、自ら仏のお悟りが体得できることを、自受用三昧といい、これがお釈迦様や両祖様(道元禅師様と瑩山禅師様)始めとする祖師方が行じ、後世に脈々と相承そうじょうしてきた仏祖正伝の坐禅なのです。

 

坐禅は「自受用三昧」であると同時に、「三昧王三昧」であると瑩山禅師様はおっしゃっています。王様という、最高位の立場にある者のごとく、坐禅があらゆる三昧の中でも、最も優れたものであることを意味しています。

 

天台宗には四種三昧と申しまして、坐禅のような“坐る禅”のみならず、阿弥陀仏像のまわりを阿弥陀様の名をお唱えしながら歩き続ける禅など、四種の禅(三昧)が説かれます。そうしたあまた存在する三昧の中でも、“坐る禅”である「坐禅」が最高であると瑩山禅師様はおっしゃっているのです。そして、「一時も此の三昧に安住すれば則ち直に心地を開明す」とありますように、ひとときでも坐禅を行ずれば、三毒煩悩が調整され、仏のお悟りに近づくことができるのです。

 

仏のお悟りに到達する道(仏道)は幾本も存在するのでしょうが、実は坐禅こそが仏のお悟りに直結する最短の仏道なのです。「良に知る仏道の正門なることを」は、そのことを説き表しているのです。

第22回「全てを放下して ―坐禅中の頭の中の状態―」

令和2年2月23日 更新

其(そ)の心地(しんち)を開明せんと欲する者は、雑知雑解(ぞうちぞうげ)を放捨(ほうしゃ)し、世法仏法(せほうぶっぽう)を抛下(ほうげ)し、一切の盲情(もうじょう)を断絶して、一実(いちじつ)の眞心(しんじん)を現成(げんじょう)せば迷雲収(めいうんおさま)り晴れて、心月新(しんげつあら)たに明らかならん。

平成20年10月から毎週日曜日に高源院で坐禅会(やすらぎの会)を行っています。坐禅会を始めた頃、29歳だった住職は意気込んで、「坐禅会をするお寺の住職ならば、せめて住職だけでも毎朝、坐禅をしよう。」と坐禅三昧の毎日を過ごしていました。すると、どうでしょう。お釈迦様から両祖様(道元禅師様・瑩山禅師様)始めとする祖師方へと脈々と伝わり、両祖様がそれぞれの著書でお示しになっている坐禅観が感じられるようになりました。「坐禅をしているときの我が身は仏様の身体(法身【ほっしん】)であり、心は仏様の御心(佛性)である」という祖師方のみ教えが確かなものであることを我が身で体得できたとき、まさに瑩山禅師様のおっしゃる「迷雲収り晴れて、心月新たに明らかならん」という、心に何か引っかかっているものがなくなり、スッキリと晴れ晴れした心境になることができました。そして、そうした経験が今につながっていることを感じます。

 

とは言え、それは禅僧たるもの、当たり前の修行であり、声を大にして、人様にお聞かせするようなことではありません。ただ、こうした坐禅三昧の日常が、“自分は悟った”という勘違いや横柄な態度を生み出すことにつながっていったという経験もありました。そのことは押さえておきたいところです。

 

坐禅をしていると、頭の中に色々な考えが浮かび上がってきます。その中には、凡そ仏道修行とはかけ離れた妄想(雑知雑解)もあります。古老は「坐禅中であっても、生きている限り、考え事をせず、頭の中を空っぽにすることは不可能である」とおっしゃいました。これは坐禅中に何か考えが浮かんできても、それを考え続けるようなことをせず、考えを放下(捨てる)して、頭の中の状況に一喜一憂するようなことをしないようにということなのです。

 

そうやって放下するのは盲情や雑知雑解、世法(世間の学問等)だけではありません。仏法も放下の対象であると瑩山禅師様はおっしゃいます。一見したところ、目や耳を疑うような印象を覚えますが、坐禅中に仏法を考え、そこに捉われると、“自分は悟った”という勘違いに陥っていくのです。私自身がそうでした。そして、それが言葉や態度にもにじみ出て、周囲に不快感を与えていたことは大いに反省すべきところです。瑩山禅師様はそのことさえも熟知なさっていらっしゃったからこそ、仏法も放捨するようにとお示しになるのです。

 

頭の中の全てに捉われることなく、浮かんできた考えは「浮かんでは消える」を繰り返しつつも、身心はただ・ひたすらに坐禅の形を行じ続ける―そうやって坐り続けていく中で、「一実の眞心が現成し、迷雲収り晴れ、心月新たに明らかに」なっていくのです。

第23回「帰家穏坐(きかおんざ)の修行」

令和2年2月2日 更新

佛の言(のたま)はく聞思(もんし)は猶(な)ほ門外(もんげ)に処(しょ)するが如く、坐禅は正(まさ)に家に還(かえ)って穏坐(おんざ)すと、誠なるかな。夫(か)の聞思の若(ごと)きは、諸見未(しょけんいま)だ休(きゅう)せず、心地尚(しんちな)ほ滞(とどこお)る。故に門外に処するが如し、只箇(ただこ)の坐禅は一切休歇(いっさいきゅうけつ)して処(ところ)として通ぜずといふこと無し。故に家に還って穏坐するに似たり。

仏の周囲との関わり方、悟りのものの見方を「智慧(ちえ)」と申します。お釈迦様はお亡くなりになる直前に、お弟子様たちにも智慧の習得(修智慧【しゅうちえ】)をお示しになっています。これは、まさに仏弟子たる者の生き方であり、我々凡夫も仏弟子を見習い、できるだけ体得していきたいものです。

 

そうした智慧を修行段階によって、三つに分類したものが、聞(もん)・思(し)・修(しゅう)の「三慧(さんえ)」です。瑩山禅師様は坐禅用心記の中で、初めて「聞思」という形で三慧に触れていらっしゃいます。「聞」とは聞くことです。法を聞くことであり、お釈迦様から脈々と伝わる仏法がどういうものなのかを自らの耳で聞き、仏法を体得していくことです。「思」は、そうやって聞き得た仏法に対して、色々と思いを巡らせながら、さらに深めて体得していくことです。

 

そうした「聞思」によって、我々凡夫は仏法とのご縁を結んでいくのですが、「聞思だけでは門の外にいるようなものだ」と瑩山禅師様はおっしゃいます。「聞思の若きは、諸見未だ休せず、心地尚ほ滞る」とありますように、聞思のみでの成仏得道(仏に近づく)や人心の救済という仏の目標への到達は不十分であり、修の存在も加え、三者が一つでも欠けることなく、全て揃ってこそ、門外から中に入ることができると瑩山禅師様はお示しになっているのです。

 

そうした修の具体的な実践として、瑩山禅師様は「坐禅」を提示なさっています。瑩山禅師様は仏の見解を提示しながら、坐禅が「家に還って穏坐する」ような仏行であるとおっしゃっています。自分の家なり自室という個人的なプライベート空間は、自分に自由が利き、疲れた身心を癒やすには最高の場です。そうした場で身心共々にリラックスして過ごすような様が「穏坐」です。「只箇の坐禅は一切休歇して処として通ぜずといふこと無し」とあります。「休歇」はやめることですが、余計なことに思考を巡らせず、身心共々に安らかに過ごしていくのが坐禅であると瑩山禅師様はおっしゃっているのです。

 

我が家に還って安穏に過ごすように、日常生活から離れ、日々の迷妄や煩悩から解放され、仏のお悟りに触れる機縁となる修行が坐禅なのです。そうした「帰家穏坐(きかおんざ)の坐禅」をお伝えし、少しでも多くの人々が安穏ある毎日を過ごしていただくことを願うばかりです。

第24回「坐禅 ―“無明を断ずる”秘訣―」

令和2年2月2日 更新

而(しか)して、五蓋(ごがい)の煩悩皆無明(ぼんのうみなむみょう)より起る、無明は己(おのれ)を明めざるなり、坐禅は是れ己を明むるなり。縦(たと)ひ五蓋を断ずと雖(いえど)も未(いま)だ無明を断ぜざれば是れ佛祖に非(あら)ず、若し無明を断ぜんと欲(ほっ)せば、坐禅辨道最(ざぜんべんどうもっと)も是れ秘訣(ひけつ)なり。

「五蓋の煩悩」という言葉が出てまいります。五蓋は“三毒+2”で、私たちが仏に近づく(成仏得道)するのを妨害する5枚の蓋ふたです。その内容は①貪り②瞋(いか)り③疑(愚かさ=因果の道理を疑うこと)④惛沈睡眠(こんちんすいみん)(心が沈んで眠くなること)⑤掉悔(じょうけ)(心が浮き、後悔の念を起こすこと)の5つです。

 

こうした五蓋の煩悩が生ずる理由を瑩山禅師様は私たちが無明(この世の道理に暗いこと)であるからに他ならないとおっしゃっています。この世に存在する全てのいのちは時間との関わりの中で変化していきます。生まれれば、成長する反面で老い、いつかは消えゆくときがやってきます。まわりには自分とは異なるいのちが存在していて、それらと関わっていかなくてはならない―それゆえに思い通りにならぬ毎日を過ごしていかなくてはならないのです。

 

そうした現実に対して、そこから逃げ出そうと、自分の思い通りにするなどして、現実を素直に受け止めないから、さらに私たちの苦悩が増していくのです。それが無明ということです。そんな私たちだからこそ、自分とは何かさえ掴むこともできなければ、自己の中の仏性の存在にさえ気づくことができないと瑩山禅師様はおっしゃいます。それが「無明は己を明めざるなり」の意味するところです。

 

それに対して、坐禅は自己の存在とは何かを体得すると共に、自分の中に存在する仏性と向き合い、仏に成る機縁としての行いだと瑩山禅師様はおっしゃいます。すなわち、私たちが自身の無明を断ずる最適な方法が坐禅だということです。そして、その坐禅によって、お釈迦様始めとする祖師方が無明を断じ、仏に成ったことが「縦ひ五蓋を断ずと雖も未だ無明を断ぜざれば是れ仏祖に非ず」という瑩山禅師様のお示しに顕れているように感じます。

 

無明を断ずることを願い、坐禅辨道を!辨道とは修行のことです。坐禅を行じ続けていく中で、私たちはこの世の道理を受け止められるようになってくると瑩山禅師様は断言なさっています。無明を断ずる秘訣は坐禅なのです。

第25回「都来放捨(とらいほうしゃ)して了了常知(りょうりょうじょうち) ―坐禅の用心とは・・・?-」

令和2年日 更新

古人云(こじんいわ)く、妄息(もうや)めば寂生(じゃくしょう)ず、寂生ずれば智現(ちげん)ず、智現ずれば眞見(しんけん)なり。若(も)し妄心(もうしん)を盡(つく)さんと欲せば、須(すべか)らく善悪思(ぜんあくし)を休(きゅう)すべし、須らく一切の縁を放ち、都来放捨(とらいほうしゃ)して、心思うこと無く、身事(みこと)とすること無し、是れ第一の用心なり。妄縁盡(もうえんつく)る時妄心(もうしん)に随って滅(めっ)す、妄心若し滅せば不変の体現(たいげん)じ、了了(りょうりょう)として常に知る、寂滅の法に非ず動作の法に非ず。

今回の一句は、「古人云く」という形で始まりますが、この古人が一体、誰を指しているのかは明確になっていません。お釈迦様以降の方で、禅のみ教えを体得なさった仏祖であることは間違いないでしょう。その古人がおっしゃるには、「(坐禅を行って)妄想が止まると、我が身心に静寂がもたらされる。我が身が穏やかになれば、智慧(ちえ)(仏のものの見方・関わり方)が芽生え、真実が体得できる。」というのです。これぞ、坐禅が「無明(むみょう)(物事の道理に暗いこと)を断つ秘訣」であることを指し示す坐禅人のお言葉のように感じます。

 

私たちが妄心(迷妄の心、分別する心)を断じ尽くそうとするならば、坐禅をして善悪を考えたり、一切の縁に捉われたりすることなく、ただ坐禅を行ずればいいと瑩山禅師様はお示しになっています。「都来放捨」とは、自分を乱すようなご縁を含め、あらゆるご縁を断ち切ることを意味しています。あれこれ思想を巡らしては善悪に心を用いてみたり、周囲とのご縁を気にしすぎて道から外れた言動を取ったりすることなく、ただお釈迦様のお示しに従い、手を組み、足を組み、姿勢を調え、心静かに身を落ち着ればいいのです。そうした仏に成りきって黙々と坐禅を行じてくことが「第一の用心」であると瑩山禅師様はおっしゃっています。「用心」とは、“火の用心”とありますが、心を配り、注意を払うことを意味しています。ここで瑩山禅師様がお示しになっている坐禅の用心というものをしっかりと押さえておきたいものです。

 

そうした都来放捨によって仏に成りきっていくとき、私たちに妄心を与える妄縁が尽き、妄心も滅し去っていくのです。「了了として常に知る」とは、妄想や分別が立ち尽くされた明快なる状況を指しています。“寂滅”という身心共々に動きのない状態を求めるのでもなく、“動作”とあるように、闇雲に動き回ればいいというものでもありません。法に従って、坐禅を組み、仏に成りきることによって、妄縁や妄心が断じ尽くされていくのです。

第26回「道者の勝躅(しょうじょく) ―“只管打坐(しかんたざ)”が生み出すもの―」

令和2年3月13日 更新

然(しか)して、有(あら)ゆる技芸(ぎげい)、術道(じゅつどう)、医方(いほう)、占相(せんそう)、皆當(みなまさ)に遠離(おんり)すべし。況(いわ)んや、歌舞伎楽(かぶぎがく)、諠諍戯論(けんじょうけろん)、名相利養(みょうそうりよう)は、悉(ことごと)く之に近づくべからず。頌詩(じゅし)、歌詠(かえい)の類(るい)、自(おのずか)ら浄心の因縁たりと雖(いえど)も、而(しか)も好み営むこと莫(なか)れ。文章筆硯(ぶんしょうひっけん)を擲下(てきげ)して用いざるは、是れ道者(どうじゃ)の勝躅(しょうじょく)なり。是れ調心(ちょうしん)の至要(しよう)なり。

今回、瑩山禅師様がお示しになっていることは、仏の道を歩む者は殊更、坐禅を専一に行ずるべきであり、別の道に心を奪われるようなことがあってはならないということです。具体的に芸術や武術、医学、占いといった道が挙がっていますが、瑩山禅師様はそれらの道を否定してらっしゃるのではありません。仏道修行者たる者は、ひたすらに坐禅に励み、坐禅以外の道から我が身心を遠ざけるべきである(遠離)とおっしゃっているのです。

 

お釈迦様がお亡くなりになる際にお弟子様方にお示しになった最期のみ教えである「仏遺教経」を紐解いてみますと、仏道修行者が田畑の開墾や薬の調合、占い等の道に走りすぎることを戒めていらっしゃる箇所がございます。それらを批判するのではなく、そこに立ち止まって執着しないというのがポイントです。今回の瑩山禅師様のみ教えは、そうしたお釈迦様のみ教えと合致しています。まさに仏弟子たるものの根本は坐禅であり、坐禅を抜きにした仏道修行はあり得ないということなのです。

 

そして、瑩山禅師様は歌舞伎楽、諠諍戯論、名相利養といったものも、同様にして坐禅の道から見た場合、離れてしかるべき存在であるとおっしゃっています。歌舞伎楽は歌や楽器の演奏のことです。諠諍戯論は言論による争いを指し、名相利養は名誉や利益を貪ることです。これまで幾度も述べてきたように、仏教が三毒煩悩を断つことを説いているという点から見ても、仏道修行者が喧嘩や他者への媚び諂(へつら)いという行いを慎むべきであることは言うまでもありません。「道者の勝躅(しょうじょく)」とあります。勝躅は「勝れた道行の跡」という意味です。そうしたお釈迦様から脈々と伝わる法の道をただ一筋に歩んできた仏道修行者たちの行跡とは、真っ先に詩歌や書芸術の道を歩んだ故のものではないということなのです。

 

先日、知人の書家の先生と歓談するご縁がありました。先生は大本山永平寺の宝物殿に展示されている道元禅師様直筆の「普勧坐禅儀(ふかんざぜぎ)」をご覧になられ、道元禅師様の書の素晴らしさを絶賛していらっしゃいました。長い仏教の歴史の中で書に秀でた僧もいれば、医学知識に長けた僧、詩歌に優れた僧、田畑を耕してお寺を守ってきた僧もいます。また、歌舞伎楽が得意な僧もいます。お釈迦様も瑩山禅師様もそうした僧侶やその生き方をむやみに批判しているのではありません。そうした僧侶もまた、今日までお釈迦様の法燈を絶やさずに伝えることに貢献してきた大切な存在なのです。

 

大切なことは仏の道を歩む僧たる者にとって、まずは専一なる坐禅が肝心だということです。それは別の道においても同じことで、まずは自分の道をしっかりと歩むことです。そうした日々、道に専一に過ごす中でにじみ出てきたものが、別の道にも反映され、人々を喜ばせ、法を伝えていくきっかけになるのであれば、別段、問題視することはありません。本格的な禅者の仏道修行の賜物たる書も詩歌も音楽には、本格的なその道のプロとは一味違った“味わい”があるような気がします。

第27回「調身の要術(ようじゅつ)その1 ―“中道”の服装に学ぶ身の調え方―」

令和2年3月24日 更新

美服(びふく)と垢衣(くえ)とは俱(とも)に着用(ちゃくよう)すべからず。美服は貪(とん)を生ず、又は盗賊の畏(おそ)れ有り、故に道者の障難(しょうなん)と為なる、若(も)し因縁(いんねん)有り、若し人の施與(せよ)する有りとも、而も受けざるは古来の嘉蹤(かしょう)なり。縦(たと)ひ本(もと)より之れ有りとも又照管(しょうかん)せざれ、盗賊劫奪(とうぞくごうだつ)すとも追尋(ついじん)し恡惜(りんじゃく)すべからず

前回は坐禅に向き合う心構えとして、他の道に寄り道する前に、まずは坐禅をしっかりと行うことが大切であるというお示しが提示されました。

 

今回、瑩山禅師様は“姿勢を調える”(調身)という点から、坐禅について触れていらっしゃいます。坐禅をする際、身体がグラグラふらつくことがないよう、しっかりと足を組んで身体を支え、背筋を伸ばします。姿勢を調えるというと、私たちはこうした背筋を伸ばすことだと思いがちですが、それは一つであり、調身とは、そうした限定的なものではありません。たとえば、私たちが普段、身につけている衣服についても、あまり華美すぎず、また、みすぼらし過ぎず、その場に応じたもので、周囲の人々に不快感を与えないようなものを心がけることも姿勢を調えることに含まれるのです。瑩山禅師様は「美服と垢衣とは俱に着用すべからず」とおっしゃっています。これが衣服を調えるということです。瑩山禅師様がそうおっしゃるのは、華美な服装はよりよいものを目指そうとする貪りの心を生み出したり、盗みの心を芽生えさせたりするからです。華美すぎるとかみすぼらし過ぎるというのは、どちらか一方に過度に偏ることであり、ほどほどで「偏らない・捉われない」をよしとするお釈迦様の「中道」からも外れてしまいます。そうした中道から外れることが、「道者の障難」になると瑩山禅師様はおっしゃいます。

 

そして、瑩山禅師様は続けます。「美服や垢衣を人様からいただくようなことがあっても、それを受け取らないのが仏祖の古来からの嘉蹤かしょうである。」と。嘉蹤は手本や規範を意味します。道者たる者は華美すぎたり、みすぼらし過ぎたりといった偏ったものは受け取らないものだということです。それほどまでに道に徹底し、自らの姿勢を調えてきたのが禅の道に生きる者なのです。

 

次に「照管(しょうかん)」という言葉が出てまいります。これは、美服を所有していても、美服だと特段に意識しないようにするということです。美とか醜といった周囲を分別して捉える意識が仏の道から外れることは、もはや声を大にして申し上げるまでもないことでしょう。そして、そうした美に捉われることが、「恡借(りんじゃく)」という惜しむ気持ちを生み出したり、盗賊に強奪された場合、警察を呼んで追い回すなどの大騒ぎをしたりすることにもつながっていくのです。

 

中道ということを心がけながら、調心(我が心を調える)を目指すとき、我が身も調っていくのです。それが「調身」です。逆に我が身が調うことで、心が調うこともあります。坐禅をすると、そのことに気づくことができます。私たちの身と心はお互いにつながり、補い合い、支え合っている存在なのです。だから、どちらかが調えば、それに伴い、もう一方も調っていくのです。そのことを踏まえ、日頃身につける衣服に細心の注意を払い、姿勢を調えて日々を過ごしていきたいものです。

第28回「“三不足(さんふそく)”の戒め」

令和2年3月2日 更新

垢衣(くえ)と旧衣(きゅうえ)とは浣洗補治(かんせんほじ)して垢膩(くに)を去って浄潔(じょうけつ)ならしめて而して之を着用すべし、膩騰(くに)を去らざれば身冷(みひ)えて病発(やまいはっ)す、又障道の因縁と為(な)る然(しか)も身命に管せずと雖(いへど)も衣足(えた)らず食足らず睡眠足らざる是を三不足(さんふそく)と名づく皆退堕(たいだ)の因縁なり。

40歳を過ぎると、自ずと組織の中堅を担う立場となり、若い人たちを指導することになります。服装や所持品等、目に見える身なりに関することから始まり、食生活や健康状態といった目に見えにくいものに対しても注意することがあります。往々にして、食生活や睡眠等の基本的な生活習慣が乱れている人間は仕事にも影響が出ています。頼まれた仕事を忘れるなどのミスが多い人間、事故を起こしやすい人間、同僚・お客さんとのトラブルが目立つ人間、それらに共通しているのは基本的な生活習慣の乱れが仕事始め、あらゆる場面に顕れているということです。

 

そんな場面に出会い、若い人たちに注意をしながら、ふと自分の若かりし頃を思い返します。かつての自分と同じだと―そんな自分も様々なご縁の中で、ときには優しく、ときには厳しくご指導をいただき、今日までやってきました。本当は注意できる立場ではないのですが、自分を見つめ、自分を調えることを知らずに過ごしている若い人たちが危ない橋を渡ってケガすることがないようにと思うと、ついつい口うるさくなってしまうのです。そうしたことを自覚しながら、若い人と共に育っていきたいと願う今日この頃です。

 

調身(姿勢を調える)ということは、背筋を伸ばすことに限らず、服装などの身なりを調えることであり、食生活を始めとした生活習慣を調えることでもあります。つまり、自分の日常の全てを調えることであり、そうすることで、人間は世間に必要とされる仕事ができたり、人々に喜ばれるような存在になったりしていくのでしょう。それが「調身の功徳」なのです。

 

衣服を例に考えるならば、垢で汚れていたり、古びたりしている衣類を身につけていれば、健康を損ない、病気になります。また、過度なダイエットや睡眠不足も健康に悪影響を及ぼします。人間が生きていく上で健康が第一であり、健康を損なえば、修行などできません。

 

瑩山禅師様は坐禅修行の妨げとなる3つを「三不足」とおっしゃっています。衣服、食、睡眠の3つが不十分なことです。そして、この3つが不足すれば、人間は怠けるようになるのです。三不足によって、自分の身心が調わなくなるのです。

 

誰しもよい仕事がしたいと願い、充実した毎日を過ごしたいと願っています。そう願うのならば、衣服・食・睡眠の3者が不足しないように留意して、日々を過ごしていきたいものです。

第29回「調身の要術(ようじゅつ)その2 ―食に留意する―」

令和2年日 更新

一切の生物(しょうもつ)、堅物(けんもつ)、乃至損物(ないしそんもつ)の不浄食(ふじょうじき)は皆之を食(くら)ふべからず。腹中鳴動(ふくちゅうめいどう)し身心熱悩(しんじんねつのう)して打坐(たざ)に煩ひ有り。一切の美食耽着(びしょくちんぢゃく)すべからず、但(た)だ身心煩ひ有るのみにあらず、貪念未(とんねんいま)だ免れざる所なり。

前回、瑩山禅師様は「三不足(さんふそく)」というみ教えを掲げていらっしゃいました。これは、不足すると仏道修行の妨げとなる3者(衣服・食・睡眠)のことです。

 

三不足にならないように留意し、身心を調えることの大切さはお釈迦様もお示しになっています。「仏遺教経」には「昼は勤心(ごんしん)に善法を修す」とあります。日中の明るい時間は怠けて徒(いたづら)に過ごすようなことなく、自分の道をしっかり歩んで過ごすことが肝要であるということです。

 

そうした調った日中の過ごし方なり道の歩み方について、瑩山禅師様が「食」の観点からお示しになっているのが今回の一句です。生物とは“ナマモノ”のことで、堅物とは消化の悪いもの、損物は賞味期限が切れるなどして腐敗したものです。損物を口にすれば、腹中鳴動(腹痛)、あるいは、身心熱悩(発熱等、病を患うこと)を引き起こすことは言うまでもありませんが、ナマモノや消化の悪いものも十分に注意を払っていただかなければ、身体が不調を訴え出します。

 

損物などが身体に悪影響を及ぼすのと同じように、美食(おいしいご馳走)ばかり求め、貪ることは心や言動に悪影響を与えてしまいます。人間は一つのことに対して、自分の好み(好き・嫌い、良し・悪し など)で二分して捉えてしまうところがあります。そのために、選ばなかったものの価値に気づかず、二分した両者に差をつけることになるのです。美食を貪ることは、ご馳走にばかり目がくらみ、そうでないと感じた食を粗末にし、果ては、その食を生産してくださった方々や調理してくださった方々に対する感謝の念を失わせます。それは仏の道もさることながら、一般的な食のマナーからも外れたものであります。人間として慎むべき行為でありましょう。それが美食を貪ることによって、身心に煩いを与えるということです。

 

食に対しても衣服同様、見た目の良し悪しや味の良し悪しに捉われて、食の是非を決めるような関わり方はせず、どんな食も携わってくださった方々に思いを馳せながら、感謝していただくと共に、自分の身体を調え、「昼は勤心に善法を修す」ることができる程度の量を弁えて、いただくべきことを心に念じて、食をいただきたいものです。 

第30回「調身の要術その3 ―食と仏道修行―」

令和2年4月19日 更新

食(じき)は祇(た)だ気を支ふるを取って味(あじわい)を嗜(たしな)むべからず。或は飽食して打坐すれば発病の因縁なり、大小の食後輙(じきごたやす)く坐することを得ざれ、暫(しばら)く少時を経て坐するべきに堪(た)えたり、

子どもの頃は小食だったためか、成長期にはあまり身長も伸びなかった住職(現在161㌢)ですが、22歳から23歳にかけてのご本山での修行が自らの食生活を見直すいい機会となりました。三度の食事の摂取が習慣化されると共に、食べる量も随分と増えました。若かりし頃は痩せこけていた身体も今は往時の面影などなく、20代前半の住職を知る者が「貫禄がついた」と評したくらいです。(良く言えばということでしょうか・・・?)

 

ご本山での食事は、朝は坐禅・朝課(ちょうか)(読経)の後、凡そ6時くらいでしょうか、昼は11時半、夜は16時半と決まっていました。その間の間食は皆無と言っていい状態です。ご本山にお世話になるまでは、量は少ないものの、食べたい時に食べていた自分にとって、間食もなく、決まった時間に食事をいただくことは、予想以上に厳しいものであり、当初は空腹に耐える日々が続きました。そうした苦痛を和らげるには、三度の食事がチャンスです。それをしっかりといただくことで空腹の苦痛からは逃れられるのですが、それに加え、三度の食事をしっかりといただくことが、身心を調え、しっかりと仏道修行に邁進できることを教えていただきました。思えば、学生時代は、その食事さえ、まともに摂取しようとしていなかったから、体調は崩れやすく、心も乱れやすく、感情を上手くコントロールできなかったように思います。だから、人間関係などで悩むことも多かったのでしょう。そういう自分の生き方を改める機会を作ってくださったご本山での一年間の尊さに20年たった今、ようやく気づかされ、その信仰を新たにする住職です。

 

そうした食に対して、味わいだけを重視するような、偏った見方はもちろん、食事の量に対しても小食や飽食(食べ過ぎ)ということがないように、「中道の食事」を心がけておきたいと瑩山禅師様がおっしゃっているのが今回の一句です。飽食では、打坐(坐禅)に悪影響を与えます。眠気を催したり、却って身体が重く感じたりして、坐禅を行じようとする気持ちが起こりにくくなります。また、食後直ちに坐禅をするのではなく、少し時間を置いてから行うのがよいと瑩山禅師様はお示しになっています。多少の消化の時間を設けた上で、次の行動に移るべきなのでしょう。

 

食は我が身心の調整にとって欠かせない「調心の要術」です。ただし、その量は中道という、偏らない量を心がけておきたいものです。―食べ過ぎず、少な過ぎずを心がけて― 

第31回「調身の要術その4 ―“節量食”を意識して―」

令和2年4月30日 更新

凡(およ)そ比丘僧(びくそう)は必ず食を節量(せつりょう)すべし、節量食(せつりょうじき)といふは謂(いわ)く分を涯(かぎ)るなり、三分(さんぶん)の中(うち)に二分(にぶん)を食(しょく)して一分(いちぶん)を余(あま)すべし、一切の風薬(ふうやく)、胡麻(ごま)、薯蕷(しょよ)等は常に之を服すべし。

是(こ)れ調身の要術なり。

前回は「昼は勤心(ごんしん)に善法を修す」(日中はお釈迦様のみ教えに従い、時間を無駄にすることなく、身心を調えて、仏の道を歩む)ことを心がけていくとき、食事の量にも気を配り、適量を意識することが説かれていました。

 

「飽食の時代」と言われ、日常生活の中に食べるものが溢れかえっている昨今、食に対する意識が希薄になっていることは否めません。見た目や味の良し悪しばかりが注目され、食の本来の役割が軽視されているような風潮が多少なりとも残っているようですが、食が人間のいのちを育み、身心を調えていく上で重要な役割を果たしていることは確かな事実です。そのことを押さえ、身心の調整を心がけ、食の適量を目指していくことが「節量食」です。「節量」とは、〝分を涯かぎる〟とあるように、適度な分量をはかり決めることを意味しています。

 

「腹八分目に医者いらず」と言います。食べ過ぎは胃腸を酷使し、負担を与えます。逆に、全く食べないのも身心に悪影響であることは言うまでもありません。仮に3を最大値とするならば、2を食し、1を残すくらいが「節量食」ということなのでしょう。風薬とは風邪薬のことで、薯蕷は山芋のことです。ゴマの歴史は古く、古来より栄養価の高い食品として世界中で愛飲されてきました。こうした食物を口にする習慣をつけることを道元禅師様は勧めていらっしゃいます。

 

「節量食」を心がけ、栄養価の高い食品を摂取する習慣をつけることが健康の秘訣であり、「調身の要術」となるのです。

第32回「“我が生活環境”を整える」

令和2年日 更新

凡(およ)そ坐禅の時は牆壁(しょうへき)、禅椅(ぜんい)及び屏障(へいしょう)等に靠椅(こうい)すべからず、又風の烈(はげ)しき処(ところ)に当たって打坐すること莫(なか)れ、高顕(こうけん)の処に登って打坐(たざ)すること莫れ。皆発病の因縁なり。

瑩山禅師様は坐禅をしている際には、牆壁(しょうへき)(囲いや壁)・禅椅(ぜんい)(僧侶が説法等の際に座るイス)・屏障(へいしょう)(屏風、ついたて、障子)に靠椅(こうい)(寄りかかること)してはならないとお示しになっています。また、風の激しい場所や高台も坐禅には不向きであるともおっしゃっています。なぜなら、いずれも病を引き起こす原因になるからだというのです。

 

曹洞宗で「イス坐禅」が考案され20年近くが経つでしょうか。今や坐禅会や布教の現場でも一般に浸透しつつあります。道元禅師様は「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」をお示しになりましたが、この普勧(全ての人に差別することなく、坐禅をお勧めになる)ということを考えあわせれば、「イス坐禅」は「普勧」に叶った漸進的な取り組みであると言えるでしょう。

 

ただ、「調身・調心・調息」という面から考えると、本格的にそれらを成し遂げるには、床上の坐蒲(ざふ)や座布団にどっかりと腰を下ろして座る方が体感しやすいのは否めません。そういう意味でも禅椅に寄りかからない、あるいは、禅椅ばかりに頼らないというお示しが出てくるのではないかという気がします。

 

風の激しい場所や高台が坐禅に不向きであるというお示しについて、思えば、高源院は小立野台の高台にあり、お寺からの眺めは絶景です。以前、この絶景を見ながら坐禅をするのをウリにしてはどうかというご意見をいただいたことがあります。確かに素晴らしい景色を見ながら、静かな環境の中で端坐すれば、身も心も穏やかになり、調っていくような気がします。しかし、その半面で、景色の素晴らしさに捉われてしまうと、身心が調うまでに至らないのです。

 

また、高台は強風が吹けば、建物が揺れ、不安を生じさせます。以前、そんな日に坐禅会をしたことがありますが、風にばかり気を取られ、坐禅どころではありませんでした。これが瑩山禅師様のおっしゃる「発病の因縁」ということなのでしょう。瑩山禅師様は、高台で坐禅をすれば、何らかの病に罹るということをお示しになっているのではありません。そうした場所での坐禅は様々な執着を生み出し、「調身・調心・調息」までに至らないということを「発病」という言葉で表現なさっていると私は解釈しております。             


坐禅をする際の周囲の環境は重要です。なぜなら、私たち一人一人がそうした周囲の環境や存在と関わり合っているからに他なりません。ということは、環境が調ってこそ、私たちの身心が調うのです。そして、それは坐禅に限ったことではありません。「環境を調える」ことは、サラリーマンの方ならば自分の職場デスク、芸術家ならば芸術作品を生み出すアトリエなど、自分の生活の舞台全般に当てはまることなのです。

第33回「調息の法 ―身心共々“不安定なとき”には―」

令和2年5月15日 更新

若(も)し坐禅の時、身或は熱するが如く、或は寒するが如く、或は澁(しぶ)るが如く、或は滑(なめらか)なるが如く、或は堅きが如く、或は柔かきが如く、或は重きが如く、或は軽きが如く、或は警覚(けいかく)するが如きは、皆息の調はざるなり。必ず之を調ふべし。

これまで瑩山禅師様は、「調身の要術」ということについてお示しになってきました。調身というのは、実に広範囲で奥深いものを有したみ教えで、背筋を伸ばすことのみならず、日常生活の全般を調えることまで含めているのです。

 

特に瑩山禅師様は「三不足」を戒めていらっしゃいます。三不足とは衣服・睡眠・食が不足することで、それが「昼は勤心(ごんしん)に善法(ぜんぽう)を修する」ことを妨げてしまうのです。確かに睡眠不足に過度なダイエットによる食事制限、清潔感に欠けた服装では、いい仕事もいい生活もできません。「三不足」にならないよう、我が身を調えていくことが「調身」であることを今一度、押さえておきたいものです。

 

そうした調身によって、呼吸が調ってきます。それが「調息」です。道元禅師様は「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」の中で、「欠気一息(かんきいっそく)」というみ教えを提示なさっています。これは手を組み、足を組み、姿勢を調えたら、一呼吸して、身体の中の空気を大きく吐き出すということです。この「欠気一息」によって、息を吸ったり吐いたりすることに一々意識したり、捉われたりすることなく、自然に、普段通りの呼吸ができるというのが「調息」なのです。

 

三不足の状態で坐禅に臨むと、何だか身体が熱く火照っているような感覚になったり、寒気を覚えたりすることがあります。また、どこか身体が窮屈で堅さや重さを感じたり、逆に、どことなくハイテンションで軽やかな気持ちになったりと、落ち着かない状態に陥ります。それでは自分の身心の状態にばかり気が向いてしまい、とても坐禅に集中できるような状況ではありません。

 

そうした自分の身心が安定しないとき、安定させる方法が呼吸であると瑩山禅師様はおっしゃっているのが今回の一句です。道元禅師様のおっしゃる「欠気一息」によって、呼吸を調えることが、不安定な身心を調えていくということにつながっていくのです。

第34回「調息の法② ―自然に任せる―」

令和2年5月19日 更新

調息(ちょうそく)の法は暫(しばら)く口を開き張り、長(ちょう)なれば長に任せ、短(たん)なれば短に任せ、漸漸(ぜんぜん)に之を調え、稍稍(せつせつ)として之れに随ふ、覚触来(かくしょくきた)る時息然(そくねん)に調適(ちょうてき)す。而(しか)して後鼻息(のちびそく)は通ずるに任せて通ずべし。

坐禅中の呼吸である「調息」について、具体的に記されているのが今回の一句です。「欠気一息(かんきいっそく)」(身体の中の空気をゆっくりとすべて吐き出すこと)の後、口を開いて通常通りの呼吸をします。このとき、長い呼吸になったならば長いままにして、短ければ短いままにすればよいと瑩山禅師様はおっしゃっています。すなわち、坐禅には決まった呼吸だとか、手本とすべき呼吸があるわけではなく、ありのまま、自然のままに任せ、普段通りに特別な意識を持つことなく呼吸をすることで、調息が実現していくというのです。‶漸漸に〟とか、〝稍稍として〟という言葉が使われておりますが、いずれも‶次第に〟とか、‶だんだんと〟といった意味を持つ言葉です。過度に遅速両極端な状態だったり、特定の方法を重視して、そこに捉われていたりするようでは、呼吸が不自然になります。鼻と口を通る空気は自然のままに、我が身の全てを自然に任せていく中で、呼吸の覚触(感触)も自然な状態に調っていきます。それが調息なのです。

 

新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、「夏の甲子園」が「春のセンバツ」に引き続き、中止の方向で検討に入っているとの報道がありました(令和2年5月16日付 北國新聞)。この報道に対して、近年、高校野球の世界でも躍進が顕著な日本航空高等学校石川(輪島市)の中村隆監督が「正式発表されていない段階では、大会があると思って準備するしかない」とコメントされました。私は監督のコメントに賛同です。なぜならば、この根底には不要な先読みをせず、現況を的確に捉えながら、我が身を周囲に委ねるといった調息のみ教えが感じられるからです。

 

今回のコロナは、我々がこれまで当然としてきたことが本当に正しかったのかを問う機会になっているように思っています。たとえば、これまでの私たちは、ときに自分の専門外のことにも視野を拡げながら、5年後、10年後のことを見据え、先を読むことに必死だったように思います。しかし、そうやって私たちは一体、何が取得できたのでしょうか。どんな救いがあったのでしょうか。的確に先を読むことができれば、今回のコロナもある程度は事前に対処でき、かほどに感染拡大することもなければ、多くの人のいのちを守ることだってできたはずです。

 

先を見るといっても、私たちができることは、目標を立てることです。5年、10年先を見据えて、設定した目標の達成に向けて計画を立て、計画通りに進みそうもなければ、計画を見直して、改善していくのです。ビジネスの世界に「PDCAサイクル」という言葉があります。Plan(計画)、Do(実行)、Check(確認・見直し)、Action(改善)を、円を描くように繰り返して行うことです。何も無理に未来を把握しようとする必要はありません。確実に把握できるのは今です。それを踏まえ、今の状況を冷静に捉えながら、目標達成を目指し、計画的に行動していくことで、よりよい未来を生きることにつながっていくことを再確認しておきたいものです。

 

ひょっとすると、我々現代人に不足しがちなのは、「自然に身を任せる」という姿勢なのかもしれません。強制的に周囲の環境を自分の都合のいいように変えながら、未来を作っていくのではなく、ときに我が身を周囲に委ねつつ、現況を冷静に捉え、未来を描いていくように視点を切り替えたいものです。コロナはそんな機会を私たちに与えているように感じます。

35回「調心 “奢り”や“勘違い”に向き合う」

令和2年5月30日 更新

心若(こころも)し、或(あるい)は沈むが如く、或は浮ぶが如く、或は朦(もう)なるが如く、或は利なるが如く、或は室外通見(しつがいつうけん)し、或は身中通見(しんちゅうつうけん)し、或は仏身を見、或は菩薩を見、或は知見を起こし或は経論に通利(つうり)す、是(かく)の如き等の種々の奇特(きとく)、種々の異相(いそう)は悉(ことごと)く是れ念息不調(ねんそくふちょう)の病(やまい)なり。

調身(姿勢を調える)、調息(呼吸を調える)と来て、今回からは「調心」について触れられていきます。これは読んで字の如く、「心を調える」ことです。

 

私たちは、周囲の様々な存在と関わり合って生かされており、そこから色々な影響を受けて、毎日を過ごしています。そうした中で、私たちの心は変化します。気分が沈んでいるときもあれば、浮かれているときもあります。頭の中が朦朧としていて何も手につかないようなときもあれば、色々なことが見えてきて、事がすらすらとはかどるようなこともあります。

 

そうした心の変化というものは、坐禅をしているときにも現れます。よく起こるのは、坐禅をしながら、お釈迦様のように悟ったような気分になることです。姿勢や呼吸が調うと、心が落ち着いてきます。それは言葉で表現するのは難しいのですが、敢えて申し上げるならば、澄み切った青空のような清々しいもので、実際に坐禅を修行し続けていかないと体得できない境地ではないかと思います。それまでは煩悩にまみれ、汚れていた心が、坐禅によって浄化されていけば、自分の中に存在していた仏性(ぶっしょう)(仏の心・性質)に気づくのですから、自分はお釈迦様のように悟ったと感じたり、観世音菩薩様のようなありがたい存在だと思ったりしてしまうのでしょう。

 

こうした奇特(奇妙特別な珍しくて勝れていること)なことは、坐禅をし始めて、しばし慣れてきたかなというときに起こりやすく、私自身もそうした心の変化の経験者です。坐禅によって、今まで知らなかった自己の尊さに巡り合い、心が澄み切ったままの状態で毎日を過ごせるのならば何ら問題はありません。しかし、いつしか、澄んだ心に「奢(おご)り」という暗雲のごとき存在が生じてしまうのです。「自分は悟りを得て、お釈迦様のようなすごい人になったぞ」というような心境になるのです。そして、その奢った心持ちで言葉や行いを発するのですから、決して、よろしいことではありません。

 

こうした心の変化の背景には、坐禅をしている自分と、そうでない周囲の人々との関わりの中で、知らず知らずのうちに自分と相手を比べ、坐禅をしている自分が尊いと思い込んでしまう“勘違い”が存在しています。これを瑩山禅師様は、「念息不調の病」とおっしゃっています。これは坐禅に限らず、どんな道でも必ず起こる慣れによる奢りや勘違いです。この対処法は、自分で気づき、調整していくしかありません。そのためにも、道を究めていく上で、慣れや勘違いは必ず通る通過点であることを知って、道を歩んでいきたいものです。

第36回「調心② ―メンタルヘルスと坐禅―」

令和2年日 更新

若(も)し病有る時は、心を両趺上(りょうふじょう)に安じて坐す。心若し昏沈(こんちん)する時は、心を髪際(はっさい)、眉間(みけん)に安ず。心若し散乱(さんらん)する時は、心を鼻端丹田(びたんたんでん)に安ず。

前回より「私たちの心の調え方」について触れられています。私たちの心は、周囲の様々な存在との関わりによって、変化するものです。さっきまでは快晴の青空のような状態だったのが、今は土砂降りのような状態になるというのは、誰にでも起こりうる心の変化です。

 

瑩山禅師様が「病有る時は」とおっしゃるのは、前回、触れられた「念息不調(ねんそくふちょう)の病」を意味していると捉えればよろいしかと思います。これは「自分は坐禅という仏の修行を行じ続けるすごい人間なのだ」と言わんばかりに、自分を過大評価することです。こうした“勘違い”が起こったときには、「両趺上に安じて坐す」ようにと瑩山禅師様はおっしゃっています。「趺」は足のことで、ちょうど、坐禅をする際に手を「法界定印(ほっかいじょういん)」と言われる卵のような形にして安置しますが、それを意味しています。すなわち、「念息不調の病」を解決するのは、坐禅に他ならないということでしょう。

 

また、心が昏沈(気持ちが沈んでぼんやりすること)するときは、髪際(髪の毛の生え際)や眉間に神経を集中させるようにしてみると、心が安定する、さらに、心が乱れ、落ち着きがないような場合には、鼻端(鼻の先端)や丹田(ヘソの真下3㎝くらいのところにある腹のツボ)に神経を集中させるようにするのがよろしいと瑩山前禅師様はお示しになっています。丹田は一般的には、「気海丹田きかいたんでん」と言って、インターネットで調べてみましたところ、気の流れをスムーズにし、身心の調子を調え、元気にしてくれるツボとのことです。

 

こうした瑩山禅師様の坐禅による心の調え方に触れながら、瑩山禅師様の法力に敬服するばかりです。「メンタルヘルス(ストレスや悩みによる精神障害の予防)」という言葉を耳にするようになって久しいですが、瑩山禅師様は700年も昔、現代でいう「メンタルヘルス」を日常的な坐禅の実践によって、既にお示しになっていたのですから、改めて仏道修行の偉大さを感じずにはいられません。

 

ちなみに、心理学の世界では、メンタルヘルスに坐禅が効果的であるという見解があるそうです。坐禅中の呼吸(リズムのある呼吸)が神経伝達物質の一つであるセロトニンという物質を分泌し、活性化させるというのです、セロトニンはドーパミン(やる気に反応する物質で、分泌が続けば依存や過食につながる)やノルアドレナリン(ストレスに反応し、分泌が続くことで、パニック障害やうつを引き起こす)といった物質の暴走を抑え、バランスを取る役目を持つそうです。私たちの心の健康づくりに坐禅が効果的であることを、科学も証明しているのです。それを、瑩山禅師様という禅僧が日常的な坐禅の実践によって、こうしてお示しになっていることに、改めて、感動を覚えます。

 

坐禅は座布団一枚とやる気さえあれば、家庭の中でも取り組めます。どうか、朝の10分程度の時間でも構いませんので、坐禅をする時間を確保し、身心の安定を図り、一日をスタートさせる習慣を持ちたいものです。

第37回「調心③ -中道(ちゅうどう)(偏らない生き方)の再確認―」

令和2年6月14日 更新

居常(よのつね)に坐する時は、心(しん)を左掌(さしょう)の中(うち)に安ぜよ。若(も)し坐すること久しき時は、必ずしも心(しん)を安ぜずと雖(いえど)も、心自(おのずか)ら散乱せず。復(ま)た古教(こきょう)の如きは照心(しょうしん)の家訓なりと雖も、多く之れを見、之れを書し、之を聞くべからず。多きときは則ち皆乱心の因縁なり。凡(およ)そ身心を疲労するは悉(ことごと)く発病の因縁なり。

前段に引き続き、今回も坐禅中における心の調え方に関する瑩山禅師様のご教示が続きます。「居常に坐する時」というのは、普段の坐禅を意味しています。心を左の掌に安置するように意識してみると、心が散乱するようなことはないと瑩山禅師様はおっしゃっています。左手の中という定まった場所が心を安定させ、調えてくれるのでしょう。

 

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、国が緊急事態宣言を出した4月頃、「7日間ブックカバーチャレンジ」というのが流行りました。これは、外出自粛が叫ばれる中で、読書文化の普及を目指し、一日一冊本を読んで、その説明・感想をfacebookで1週間に渡って掲載し続けると共に、可能であれば、自分の友人にも参加をお願いするというものだそうです。私の知人の何人かの方も、チャレンジしている方がいらっしゃいましたが、他者への参加依頼はともかく、普段、中々、読書の時間がない人々にとっては、活字に触れ、自分の心の中を文章で表現するいい機会になるのではないかという気がします。

 

そんな「7日間ブックカバーチャレンジ」ではないですが、私のような宗門の布教活動の末席に身を置くものにとって、坐禅と経典祖録の読解は緊急事態宣言中のみならず、常に欠かすことはできません。ここ最近は、明治・大正期における臨済宗の僧侶・釈宗演(しゃくしゅうえん)老師(1860-1919)の「観音経講話(かんのんぎょうこうわ)」(春秋社)を読んでいます。観音経は法華経第25番目の経典で、曹洞宗ではご法事や葬儀等でも頻繁にお読みする経典です。

 

釈老師のお言葉に触れながら、ご本山で修行させていただいていた頃が懐かしく思い出されます。当時は、お経の意味内容を十分に理解することなく、ただお経本に必死にかじりつきながら読んでいたものですが、今思えば、そうした経験によって、経典の言葉が身体中に染み付き、内容理解がスムーズに行えることに気づかされます。以前、「お経の意味内容を理解していないのに、お経を読んでもらってもありがたみがない」というご意見をいただいたこともあったため、経典の内容理解に努めていますが、その土台には“お経を読んで、読んで、読みまくる”ことがあってこそ、深い理解につながっていくことを再確認させていただいたように思っています。

 

それと同じで、坐禅も“やって、やって、やりまくる”以外に、坐禅の理解・体得は勿論、人様にお伝えできるものは出てきません。こうして瑩山禅師様の「坐禅用心記」に触れさせていただくように、坐禅の合間に古人が示された経典祖録に目を通しますが、そこにばかり捉われてしまうと、坐禅の実践を差し置いて、知識の習得に偏ってしまいます。これではお釈迦様が坐禅を通じてお示しになった仏道をそっくりそのままいただくことなど不可能です。自己流の仏道解釈になりかねません。それが「古教えの如きは照心の家訓なりと雖も、多く之れを見、之を書し、之を聞くべからず」の意味するところです。そうした偏った言動が、自分の心を乱すと共に、心の病の発生につながりかねないと瑩山禅師様は注意喚起なさっているのです。

 

瑩山禅師様は経典祖録に触れることそのものを否定していらっしゃるのではありません。そこに集中しすぎることに警笛を鳴らしていらっしゃるのです。これは中国の禅院で経典祖録を読み漁っていた道元禅師様に仏道を伝えたかの「西川(せいせん)の僧」のお示しとも合致するものとして、是非、着目しておきたいものです。

第38回「調心④ ―“妨害者という存在”の関わり方―」

令和2年6月21日 更新

火難(かなん)、水難(すいなん)、風難(ふうなん)、賊難(ぞくなん)及び海邊(かいへん)と酒肆(しゅし)、婬房(いんぼう)、寡女(かにょ)、処女(しょにょ)、妓楽(ぎがく)の邊(へん)並びに打坐(たざ)すること莫れ。国王大臣権勢(こくおうだいじんけんせい)の家、多欲(たよく)、名聞(みょうもん)、戯論(けろん)の人にも亦、之に近づき住することを得ざれ。

今回は坐禅をする上での“避けるべき場所や他者との関わり”に関する瑩山禅師様のみ教えが提示されています。我が身心を調えるという観点から見た場合、道元禅師様も「普勧坐禅儀」の中で、坐禅を行う環境が及ぼす影響の大きさについて、ご指摘になっています。その点も踏まえ、瑩山禅師様のみ教えを味わっていきたいと思います。

 

まず、「火難、水難、風難、賊難」ですが、近年、地震に始まり、台風や豪雨等の自洗災害が多発し、人々の関心及び防災意識が高まってきております。土砂災害に関して、「土砂災害防止法」に基づき、「レッドゾーン」や「イエローゾーン」といった土砂災害警戒区域が設定されており、当該範囲における建物の建設には制限が設けられています。

 

そんな自然災害の影響が出やすい場所は生活空間としては、避けられるものならば避けた方が、より我が身を守りやすくなるのは明白です。また、坐禅を行う場所としても、大雨が降れば、崖崩れが発生しないか、我が身に被害が及ばないかと不安が生じてしまい、とても心を調えようという気持ちになれません。賊難とは、盗賊等、何らかの犯罪行為を引き起こしかねない存在が身の回りにいることを意味しています。それも自然災害同様、仏道修行の妨げとなります。そうした自分が仏に近づくことを妨げてしまう存在に留意して、関わっていくことが大切であることを瑩山禅師様はおっしゃっているのです。

 

次に「海邊」とあります。海辺は環境としては悪くありません。また、魚を捕る行為そのものを批判しているわけではありません。そのことを押さえた上で申し上げるならば、海を自由に泳ぎ回る魚を捕らえる行為によって、魚がどうなったかを目の当たりにしたとき、心が乱れるかもしれないことを留意しておきたいということです。他にも酒肆(酒を出す店)、異性(寡女、処女)や異性に関する邪な心が起こり得る婬房、喧騒によって、心が乱れやすくなる伎楽(劇場の類)も、坐禅の場としては避けるべきだと瑩山禅師様はおっしゃっています。勿論、瑩山禅師様は、そうした場所や存在そのものを批判なさっているわけではありません。あくまで坐禅修行とのマッチング(相性)という点からのお示しであることを押さえておきたいと思います。

 

次に国家権力(国王大臣権勢)や多欲(欲望をコントロールできないこと)、名聞(名誉が世間に広まるのを求めること)、戯論(仏道修行に関係のない会話をすること)といった行いをする存在との関わりも、仏道修行の妨げになると瑩山禅師様はおっしゃっています。古人の祖録を読んでみますと、仏道修行の気持ちがない者同士が集い、仏法の灯が消えかけた事例は、いつの時代もあったようです。見た目は出家者でありながらも、中身が多欲であるために、権力に媚び、我が名誉が広まることばかりを願った言動を乱発し、馬鹿げた会話に終始してしまうのです。そんな人間関係の中で、いくら純粋に仏道を歩もうとしても、すぐに道から外れてしまうことになるでしょう。何もそうした存在を否定しろというのではありません。その性質・性格を押さえた上で、一定の距離を置きながら関わることが大切だということです。それが「遠離(おんり)」ということなのです。

 

存在そのものを否定してはなりません。その存在とのあるべき関わり方を体得してくことが大切だということを押さえておきたいものです。

第39回「調心⑤ ―もっとも大切なこと―」

令和2年6月27日 更新

大仏事大造営(だいぶつじだいぞうえい)は最も善事為(ぜんじた)りと雖(いえど)も、坐禅を専らにする人は之を修すべからず。説法、教化(きょうけ)を好むことを得ざれ、散心乱念(さんしんらんねん)これよりして起る。多衆(たしゅ)を好楽(こうぎょう)し、弟子を貪求(どんぐ)することを得ざれ。多行多学(たぎょうたがく)することを得ざれ。極明(ごくみょう)、極暗(ごくあん)、極寒(ごくかん)、極熱(ごくねつ)、乃至(ないし)、遊人(ゆうにん)、戯女(けにょ)の処(ところ)、並(ならび)に打坐(たざ)すること莫(な)かれ。

大仏事大造営(立派な大伽藍を建立すること)は、仏法の繁栄や寺院の存続につながるという点では、善き行いであることには変わりありません。しかし、瑩山禅師様は、仏道修行者は何よりも坐禅修行を最優先することが重要であるとお示しになっています。日々の坐禅あっての大仏事大造営であり、坐禅抜きの伽藍建立は本末転倒も甚だしく、散心乱念(心が乱れること)してしまうと、瑩山禅師様は警笛を発していらっしゃるのです。

 

道元禅師様がお弟子様方にお話になられた逸話が筆録されている「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」を紐解きますと、道元禅師様より中国・唐の太宗のエピソードが語られています。太宗は即位後も破損の激しい宮殿に住んでいらっしゃいました。そこで、臣下の者たちが宮殿の新築を提案したところ、「現段階での宮殿新築は農繁期で多忙な人民たちを困らせることになるから、一段落した秋に行おう」とおっしゃって、古い宮殿に住み続けたというのです。国の人々に目線を合わせ、その日常生活を十分に理解しながら政治に携わる太宗は、一国家の統治という政治の道をひたすら歩むホンモノの政治家なのです。そんな太宗のように、仏道修行者たるもの、まずは仏道をしっかりと歩み、坐禅を“やって、やって、やり続ける”ことから、全てが始まることを再確認し、肝に銘じておきたいものです。

 

次に「説法、教化を好むことを得ざれ」とあります。大仏事大造営同様、説法や教化(布教)も、行為そのものは善事ですが、やはり、日々の坐禅を抜きにした説法や布教はあり得ないと、瑩山禅師様はおっしゃっています。

 

この点につきましては、私自身、よくよく肝に銘じておかねばならないと思っています。布教の道を歩み始めた頃、説法がしたいという気持ちばかりが強く、依頼があれば、喜んで引き受けておりました。しかし、回数を重ねるうちに、「自分の説法は中身の濃いものなのか」とか、「禅の味わいはあるのか」ということを感じるようになりました。それは年齢を重ねればクリアできることなのか、様々な経験を積み重ねればいいのか、色々と悩み、試行錯誤を繰り返しましたが、どうやら、年齢や経験の問題ではなさそうです。そんな中で、辿り着いたのが、今回の瑩山禅師様のお示しです。年齢や経験もさることながら、まずは坐禅を“やって、やって、やり続ける”ことが大切であり、そこから説法が生み出されるということなのです。

 

そうやって坐禅に向き合い、坐禅を行じている禅僧の下に、大勢の修行僧が集まってくることは、これまでの仏教の歴史が証明しています。お釈迦様もそうでしたし、道元様も瑩山様も同じです。伽藍の規模やそこに携わる人数の多少等、見た目の情報に左右されず、禅の道を歩み続けるホンモノの指導者の下に人は集うのです。それが「多衆を好楽し、弟子を貪求することを得ざれ。多行多学することを得ざれ」の意味するところです。

 

そして、坐禅をする場所として、明暗もしくは、寒暖の極端な場所、遊び心に火がつくような場所等は相応しくないと瑩山禅師様はお示しになっています。それは、これまでも述べられてきたことですが、再度、確認しておきたいところです。


第40回「坐禅に適した環境 ―“深山幽谷(しんざんゆうこく)な叢林(そうりん)の善知識(ぜんちしき)”が教えてくれたこと―」

令和2年7月5日 更新

叢林(そうりん)の中(うち)、善知識(ぜんちしき)の処、深山幽谷(しんざんゆうこく)之れに依止(えし)すべし。緑水青山是(しょくすいせいざんこ)れ経行(きんひん)の処(ところ)、谿邊樹下(けいへんじゅげ)是れ澄心(ちょうしん)の処なり。

極端に明るかったり、暗かったりする場所(極明、極暗)や極端に熱かったり、寒かったりする場所(極寒、極熱)、遊び心が生じやすい場所(遊人・戯女の処ところ)が、坐禅修行に相応しくない場所であるというのが前段の内容でした。

 

では、どんな場所ならば坐禅に相応しいのでしょうか。それが今回の一句です。

 

まず、瑩山禅師様は「叢林」を挙げています。叢林は禅僧が集い、坐禅修行する道場です。これは確かにその通りだと思います。私は18年前に大本山總持寺(横浜市)で1年間修行させていただきましたが、振り返ってみますと、叢林である總持寺の一日のカリキュラムと、そこに集う仲間の存在があったからこそ、確実に坐禅修行をさせていただいたように思います。叢林を離れ、一寺院の住職になってみると、中々、上手くいかないことを反省させられるばかりです。定まったカリキュラムと志同じくした仲間がいる叢林だからこそ、坐禅修行が不断に続いていくと強く感じるのです。

 

次に瑩山禅師様が掲げていらっしゃるのが「善知識」です。これも前段にありますように、「ホンモノの指導者」を指しています。曹洞宗の梅花流詠讃歌の作詞に尽力された赤松月船(あかまつげっせん)老師(1897-1997)も住職をおつとめになり、近年は修行道場として二十数名の修行僧が修行に励んでいる洞松寺とうしょうじ様(岡山県)から、全国の曹洞宗寺院宛に「洞松寺報・蒼龍」という通信誌が送付されてきます。先日、お送りいただいた第16号に目を通しておりますと、洞松寺様では、日本のみならず、他国からも修行者が集い、日々の仏道修行が営まれているそうです。そんな修行者たちが日々の修行を通じて感じておられることを記されていました。その中で、何名かの方が洞松寺堂頭(どうちょう)(住職)老師に帰依している(慕っている)お気持ちを認めているのです。私はそれらを拝見しながら、洞松寺様は「善知識」がいらっしゃる叢林であり、だからこそ、世界中から仏道修行者が集ってくるのだろうと感じたのです。そんな洞松寺様は非常に魅力的な叢林に思えます。

 

洞松寺様にお伺いした方によれば、山間の集落からさらに山奥に登り進んでいくと、洞松寺様があるそうです。まさに「深山幽谷」とは、こういう環境を指すのでしょう。大自然に囲まれた静かな環境は、日々のストレスフルな生活を忘れさせてくれると共に、疲れ切った身心を調えるには最高の環境です。「依止」とありますが、帰依(自ら相手に我が身を委ねること)して、そのまま止まる(離れない)ことです。善知識のいる静かな叢林こそが、坐禅修行に最適な環境であり、そうした空間に我が身を置いて、依止することによって、これまで多くの祖師方が誕生してきたように思います。

 

さらに、「緑水青山」、「谿邊樹下」とあります。これらは深山幽谷を言い換えたものであり、具体的に表現したものであると捉えてもよろしいかと思います。谿は谷のことで、大自然から豊富に水が湧き出る様が思い浮かべられます。そうした場所に身を置くと、私たちの心が澄みきったものになっていきます。「経行」は専ら「歩く坐禅」と言われるように、坐禅中に一度、立ち上がって、しばしゆっくりと歩きながら、足のしびれを取る所作を意味しています。ここでは、坐禅と同義で捉え、緑水青山が坐禅の環境に相応しいという意で解釈すべきでしょう。

第41回「無常を観ずる」

令和2年14日 更新

無常を観じて忘るべからず、是れ探道の心を励ますなり。

「この世は万事、諸行無常であることを忘れてはならない。それが私たちの仏の道を求める心を励ましてくれるのである」と瑩山禅師様はおっしゃっています。「諸行無常」とは、この世に存在するものは、変化を繰り返し、やがては消滅していくということです。


このことが自分の中で理解し、納得できているかどうかによって、それぞれの人生に大きな違いが出てくるのは確かです。諸行無常が体得できている者は恐れるものもなく、冷静で堂々としているばかりか、欲望は調整されており、瞋(いか)りの感情を面に出すにすることもありません。逆に諸行無常の道理を認めず、自分の考えを優先してしまう者は、実はいつも何かに怯えながら過しているので、冷静に対処することを不得手としています。そもそも仏教では、「遠離(おんり)(自分の身心を乱す存在から距離を置き、自分の身心を調えることを心がけること)」だとか、「三毒煩悩さんどくぼんのう(貪り・瞋り・愚かさ)の調整」を説きます。私たちがそれらを実現じていくには、その根底に「諸行無常の理解・納得」が欠かせません。それが、今回の一句における瑩山禅師様のお示しなのです。


この「諸行無常の理解・体得」を「無常観」と申します。“観”は観音様(観世音菩薩)という仏様がいらっしゃいますが、“みる”と訓読みし、“物事を広く見渡す・深く見通す”という意味があります。すなわち、諸行無常というこの世の道理を我が身心に沁み込ませ、どんなに自分の思い通りにならない現実が訪れようが、自分の願いが叶わなかろうが、冷静に現実を受け止め、堂々と振る舞うことができるようになるのが「無常観」なのです。


思えば、お釈迦様は青年期、お城の東西南北の四つの門で生老病死の苦悩と向き合う人々の姿を目の当たりにし、出家を志し、坐禅によって悟りを得ました。また、道元禅師も三歳のときに父親を、八歳のときに母親を亡くし、十三歳にて出家されました。いずれも「無常観」の体得がきっかけとなった出家であり、悟りであるということです。言い換えれば、無常観を体得したことで、身心に救いがもたらされたということでもあります。


7月に入り、梅雨の猛威が九州を襲いました。気象庁が「令和2年7月豪雨」と命名した今回の災害でも多くの尊いいのちが失われました。昨日まで、災害が発生するほんの1時間前までは元気だった方のいのちが、一瞬にして、露の如く消えていくという現実の様相です。志村けんさんのように、新型コロナウイルスに感染して亡くなった方もいらっしゃいました。また、ガンなどの重病を患い、医師の余命宣告を受け止めながら、亡くなった方いらっしゃいます。私たちはいつ何が起こり、どうなるかわからないいのちを生かされているのです。そのことをしっかりと再確認し、人との出会い、普段関わっている方との関わりといった、一つ一つのご縁が「最期のものかもしれない」くらいに捉え、お互いに安心できるような言葉や行いを発し合いながら過ごしていきたいものです。

第42回「身の回りを調える」

令和2年7月1日 更新

坐褥(ざにく)は須(すべから)く厚く敷くべし、打坐(たざ)は安楽なり。道場は須く清潔なるべし、而(しか)して常に香を焚き華を献ずれば則ち護法善神及び佛菩薩影向(ようごう)して守護するなり、若し佛菩薩及び羅漢の像を安置すれば一切の悪魔鬼魅其(あくまきみそ)の便(たより)を得ざるなり。

座るといっても、坐禅の場合、足を組んで座るため、平坦な場所では上手く座ることができません。そこで、座布団を敷いて座る必要性が生じるわけですが、坐禅をする際に用いる座布団(坐褥)が坐蒲と呼ばれるもので、一般的には厚みのある黒い円形のものが多いです。坐蒲を敷いて坐れば、平坦な場所に腰を下ろすよりかは、身体への負担は随分軽減されます。まさに「打坐は安楽なり」なりです。


次に瑩山禅師様は坐禅を行う環境を調えることについて言及なさっています。「道場は須く清潔なるべし」—前にも触れられていましたが、特に禅寺はきれいに掃除が施されていてナンボの場所です。その理由は清潔な環境こそ、身心を調えることにつながっていくからに他なりません。


そんな堂内に、お香を焚いて身心に安心を与える香りを充満させ、花をお供えしておくことによって、護法善神及び佛菩薩(お寺のご本尊様始めとするあらゆる仏様)が仏法を説いて、我々に安心を与えてくださるがごとき、心が安らかになる環境になると瑩山禅師様はおっしゃいます。さらに、そんな環境に佛菩薩及び羅漢様の像が安置されていれば、ありがたみのある雰囲気が強まり、我々の身心が安心し、確実に調っていくというのです。


金沢三十三観音霊場巡りの第二十九番札所となって入り高源院では、これまで幾度も観音巡りの団体様をお招きさせていただきました。そんな中で、団体様をお連れするコーディネーターの方から、「ここのお寺はいつもきれいに掃除がなされているばかりか、お花も新しいものがお供えされていて、ありがたくなる」とおっしゃっていただいたことがあります。私はこのお言葉を、瑩山禅師様がおっしゃるように、堂内清掃を心がけ、香を焚き、花を供えるという日々の習慣が、人々に安心を与えることを、直接、教えていただいた愛語ととらえ、日々の修行の励みとさせていただいております。こうした習慣を生涯、継続していく大切さを再確認すると共に、一般の生活においても、自らの居住空間や仕事場をきれいに調えておくことの再度、確認しておきたいものです。それが充実した日常生活や、よき仕事へとつながっていくのです。

第43回「真の禅者 ―“慢”の自覚―」

令和2年7月26日 更新

常に大慈大悲(だいじだいひ)に住して、坐禅無量の功徳を一切衆生に回向(えこう)せよ。憍慢(きょうまん)、我慢(がまん)、法を生ぜしむること莫れ。此れは是れ外道凡夫(げどうぼんぷ)の法なり。

―「常に大慈大悲に住して、坐禅無量の功徳を一切衆生に回向せよ」―

この瑩山禅師様のみ教えは、これまで曹洞宗管長(かんちょう)様(包括宗教法人曹洞宗の代表役員)の告諭(お言葉)にも引用されてきた大切な一句です。これは「坐禅によって身心を調えながら、周囲のいのち(一切衆生)に対して、常日頃から楽を与え(慈【じ】)、苦しみから救う(悲【ひ】)を心がけて関わっていく」ことを願ったもので、「大慈大悲の坐禅」と呼ばれるものです。瑩山禅師様は坐禅に秘められた無量(計り知れないくらい多大なるもの)の功徳を周囲のいのちに巡らせ、分け与えていくことを「回向」という言葉を用いて表現なさっています。


回向は法事や葬儀などで読経した後にお唱えしますが、そこには読経の功徳を亡き人始め、全てのいのちに巡らせながら、仏のお悟りの世界に入らしめるという意味があります。法要では「維那(いの)」という、修行僧の指導・監督役の僧侶が回向をお唱えしますが、そのお声が朗々としていると、ありがたみを覚え、まるで悟りの世界に誘い込まれるような感覚になります。前回、坐禅修行をする道場を調えるというお話がありましたが、維那が調った声で朗々と回向文を読み上げるのも、坐禅を根底においた日頃の仏道修行の賜物なのです。


そうした日頃の坐禅修行によって調えられた身心を使って、周囲に慈悲に満ちた言葉や行いを発していくことが「坐禅無量の功徳を一切衆生に回向する」ということであり、これが真の禅者のあり方です。しかし、瑩山禅師様が「念息不調(ねんそくふちょう)の病」とおっしゃったように、どうしても坐禅初心者の外道凡夫は、ついつい「悟ったような気」になって、坐禅修行に励む自分とそうでない他者を比較し、尊大ぶって、相手を見下してしまうようです。これが「慢」という精神状態です。憍慢は自分を称揚して驕り高ぶることで、我慢は「自分が絶対」と思い込み、横柄な言動を発することです。


以前、ある僧侶の会合で、参加者の僧が、他の僧侶方に向かって、「どうせ、皆さんは坐禅をしていないでしょう」といった言葉を発したという話を聞いたことがありますが、これぞ「慢」の言動であり、いくら坐禅に親しんでいたとしても、真の禅者とは言えません。坐禅によって、「慢」が生ずるのであれば、坐禅をしない方がマシですし、何よりもお釈迦様始め道元禅師様や瑩山禅師様にもご無礼を働いていることになりかねません。よくよく自らの“慢”に留意しながら、日々を過ごしていきたいものです。


そして、真の禅者のあり方を通じて、今一度、我々一人一人が、自らの“慢”と向き合い、「慢」になっていないかどうか、よくよく確認し、言葉態度を謙虚に慎んでいくことを願うのです。

第44回「参禅の要術」

令和2年日 更新

誓って煩悩を断じ、誓って菩提(ぼだい)を証せんことを念じて、只管打坐(しかんたざ)して一切不為(いっさいふい)なる、是れ参禅(さんぜん)の要術(ようじゅつ)なり

道元禅師様の師であります天童如浄(てんどうにょじょう)禅師様が「参禅は坐禅なり」とお示しになったことを受け、両祖様(道元様・瑩山様)も「参禅」という言葉をお使いになっています。


参禅とは坐禅ではありますが、内山興正(うちやまこうしょう)老師(1912-1998)のお言葉をお借りするならば、「参禅」の「参」には、“参る”という意味があるように、参禅は坐禅のみ教えに自分の標準を合わせていくことであり、坐禅に帰依することを意味しています。そこでは、自分の考えや都合というものが入り込む余地はありません。坐禅が絶対であり、坐禅に自分を合わせながら、物事を捉えていくことが求められます。


そんな、お釈迦様から脈々と伝わる曹洞宗の坐禅(只管打坐)を瑩山禅師様は今回の一句において、「一切不為」という言葉で言い表しています。それは自分たちの行いが及ばない、作為を離れた脱落の行であるということです。何も持ち込まず、何も採り入れることなく、我が身を全て坐禅に委ね、ただひたすらに(只管)坐り続けるのが、参禅という坐禅なのです。


そうした何も持ち込まない行だからこそ、「坐禅は無の境地で行う」といった見解が出てくるのでしょう。これは「坐禅中は思考を止めなければならない」と捉えられがちですが、それは誤解です。頭の中に何か考えが浮かび上がって来ても、そこに引きずられ、あれこれ考え事をしながら時を過ごすのではなく、我が身心を調えることを念じて、坐るのです。そうやっていくうちに、心の中の一切の煩悩が調整され、菩提(悟り)というものに近づいていくのです。それが「参禅の要術」なのです。

第45回 「三請(さんしょう)を守って四實(しじつ)に従う ―コミュニケーション能力を高める秘訣―」

令和2年8月16日 更新

常に目を濯(あら)ひ、足を洗ひ、身心閑静(しんじんかんじょう)にして威儀整齊(いぎせいせい)なるべし、世情(せじょう)を捨つべし道情(どうじょう)に執すること莫れ。法は慳(おし)むべからずと雖(いへど)も請(しょう)せざれば説くこと莫れ。三請(さんしょう)を守って四實(しじつ)に從(したが)へ

令和2年のお盆は、新型コロナウイルスの影響を強く受けて、過去に例を見ない静かなお盆となりました。例年、この時期になると、方々のお寺でお盆のご法要が営まれます。その中で、私は法要後のご法話の依頼をいただき、その準備に時間をかけるのですが、今年は2月以降、夏のお盆まで、大半のご法要が中止となり、法話をつとめさせていただく機会がございませんでした。ちなみに、今年に入ってから私がつとめさせていただいた法話は、現段階で2件、4月以降は皆無の状態が続いています。この状況は、15年前に布教師養成所で研鑽を積ませていただいていた駆け出しの頃の状況と似ており、いささか寂しさを感じ得ないのも確かです。


とは言っても、状況が状況であると共に、困っている方は他にも大勢いらっしゃいます。広田弘毅(ひろたこうき)第32代内閣総理大臣が詠んだ一句「風車、風の吹くまで昼寝かな」を胸に、決して、諦めることなく、不退転に過していきたいものです。


さて、こうして私の現況をお話させていただいたのは、今回の一句にも通ずるものがあるからに他なりません。今回は我々のコミュニケーション力を高めていく上で押さえておきたい一句を瑩山禅師様から学ばせていただきますが、その前に、冒頭にある「常に目を濯ひ~世情を捨つべし道情に執すること莫れ」を味わっておきましょう。これはお釈迦様のみ教えを受け継ぐ出家者なり坐禅人たるものは、身心を閑静(穏やかで冷静であること)に調え、威儀整齊(服装等、見た目にも十分に配慮して、調えておくこと)であるようにということです。この点に関しましては、これまで瑩山禅師様が再三に渡ってお示しになってきた身を調えることに他なりません。加えて、世情や道情(俗世間の実情や娯楽)にも捉われないようにというお示しが出ております。この点もこれまで示されてきたことです。


そして、瑩山禅師様は「法を慳むべからずと雖も請せざれば説くこと莫れ」とおっしゃっています。仏弟子たるものが守るべき10個の戒律の中に、「不慳法財戒(ふけんほうざいかい)」とありますように、説法を惜しむこと莫れというのが、お釈迦様のみ教えを受け継いだものの使命であることは確かです。


ただし、それは苦悩故に法(仏のみ教え)を求めるものに対して、法を出し惜しむようなことをしないとか、逆に、法を求めていない人に、半ば強引に法を押し付けるようなことをしないということなのです。これは法を説くものにとって、何よりも注意すべき点です。僧侶の中には「ご法事に行くと、檀信徒に説法をしなくてはならない」と考えている方も大勢いらっしゃるようで、私もご法事は一つの説法の場と思って、法を説くように心がけています。しかし、中には僧侶の説法を望んでいないように見受けられる方もいらっしゃいます。法事の後に予定があって、できるだけ早く終わらせたいという方もいらっしゃいます。また、特に今回のコロナ禍のような状況では、落ち着いて説法を聞こうという気持ちも中々、起こらないようにも思います。そんなときに、僧侶が頼まれもしないのに、相手の状況を知ったような顔をして、得意げに長々と話をするというのは、人々を救うはずの法が却って、人々を苦しめることになりかねません。また、僧侶に対する印象が悪くなる場合もあるでしょう。まさに、瑩山禅師様がおっしゃるように「請せざれば説くこと莫れ」なのです。


そのためにも聴衆の様子をしっかりとお伺いして、法を求める方には時間をかけ、そうでない方には端的に法を説くということが必要になってきます。「三請を守る」とは、「相手の切なる懇願を受ける」ということです。また、「四實」とは「説法の四事」と呼ばれるもので、①示(法を説き示すこと)②教(悪を断ち、善を修することを伝えること)③利(状況を見て法を説き、悩める人々を救うこと)④喜(人々が喜んで法と共に生きるようになること)の4つです。法を説くものは「三請を守って四實に従う」べきであり、そういう姿勢によって、多くの人々が法とご縁を結び、法と共に生きるようになっていくのです。


以前、とある職場の会議で、議題もなく時間があるからと、専門職の方が50分近く話をして、同僚の批判を受けたという話を聞いたことがあります。話し手の専門職の方にとっては、自分が話すことは職場全体に必要なことであり、時間があるときにしっかりと説明したいと考えての行動だったのですが、それは瑩山禅師様がお示しになっている四實の中でも、「利」に対する配慮が欠けていたが故に、同僚に「喜」をもたらすことができなかった事例です。


「三請を守って四實に従う」というのは、僧侶のみならず、日常生活において、大勢の人を前に講演をする方は勿論、家族や友人といった身近な方とのコミュニケーションにも十分に通ずる、大切なみ教えであるような気がします。自分たちのコミュニケーション力アップのためにも、是非、心に留めておきたいみ教えです。

第46回「道人(どうにん)の風標(ふうひょう)・道人の用心」

令和2年8月24日 更新

十たび言はんと欲して九たび休し去り、口邊醭生(こうへんかびしょう)じて臘月(ろうげつ)の扇(せん)の如く、風鈴(ふうれい)の虚空(こくう)に懸(かか)って四方の風を問はざるが如し、是れ道人の風標(ふうひょう)なり。只法を以て人に貪らず、道を以て己に貢(たか)ぶらざれ。便ち是れ第一の用心なり。

先日、大先輩の方丈様がご自身のfacebookの中で、ご自分の本師様(仏門の世界に導きいれてくれた師匠様)について触れていらっしゃいました。その内容がとてもすばらしく、私自身、自分の日常を反省させていただくと共に、襟元が正されるのを感じたのです。


明治43年生まれの本師様(以下、ご老師とさせていただきます)は、平成18年に93歳でご遷化(せんげ)(お亡くなりになること)になっています。曹洞宗の大本山・總持寺の直末寺(じきまつじ)(ご本山の末寺)の住職として70年、お寺には檀信徒が一軒もなかったそうですが、「法輪(ほうりん)転ずれば食輪(じきりん)転ず。何も心配はいらない。僧侶としてまっすぐに生きていけばいいのだ。」を口癖に、ご本山に帰依し、立派にその末寺住職としての役目を守り抜いてこられたとのことです。


こうしたご老師の生き様からは、多くを語らなくとも、仏のみ教えがにじみ出ているように感じます。そして、それが人々にお釈迦様から伝わる仏法を確実に伝えると共に、苦悩する人々を仏法で救い上げていくのでしょう。だから、ご遷化になって15年近くたった今も、生前、お会いしたことのない私のような若輩和尚の襟元を正し、自己の毎日を振り返る仏縁を与えてくださっているように思います。これが瑩山禅師様のおっしゃる「十たび言はんと欲して九たび休し去る」の意味するところです。それに対して、今の私たちは、ろくに修行もせずに、喋ってばかりいることでしょうか。若かりし頃に、布教師養成所で「布教師はおしゃべりであってはならない」と教わりましたが、この点は、常に自己点検を欠かさないようにしておきたいところです。


この点について、瑩山禅師様は「法を以て人を貪らず、道を以て己に貢ぶらざれ」とおっしゃっています。そして、これは、仏道を歩む人の「道標」であり、「第一の用心」であるともおっしゃっています。道標というのは、道の柱となるものです。用心は“坐禅用心記”というタイトルにもあるように、心構えのことです。布教という仏道修行が役目となり、人様から説法の依頼をいただくと、それを成し遂げるために勉強したり、修行に励んでみたりしますが、それでは、お引き受けした依頼が終われば、次の依頼が来るまで勉強はお休みとか、修行は終わりということになりかねません。それが「法を以て人を貪る」ということなのです。役目を果たすためだけに修行をするのではなく、どんなときも常に仏道修行に邁進していることが、仏道に生きる者の風標であり、第一の用心なのです。


今回、お出ましいただいたご老師は、まさにそうした道標や用心が体得できている「道人」です。そうした先人の生き様に触れさせていただいた仏縁を大切に、今一度、道人の風標と用心を、我が生き様に反映させていきたいものです。「口邊醭生じて臘月の扇の如く、風鈴の虚空に懸って四方の風を問はざるが如し」とあります。無用なことに気を取られて、おしゃべりが過ぎないよう、黙々とお釈迦様から伝わる仏の道を歩んでこそ、仏道に生きる人なのです。

第47回「三徳で三毒を断つ」

令和2年日 更新

夫(そ)れ坐禅は教行証(きょうぎょうしょう)に干(あず)かるに非ず、而(しか)も此(こ)の三徳を兼ねたり。

道元禅師様の「普勧坐禅儀」と瑩山禅師様の「坐禅用心記」は、それぞれ曹洞宗の両祖様が書き遺された坐禅の代表作とも言うべき一冊です。これらを読み味わわせていただくとき、一句一句ににじみ出ている仏法に感銘を受けると共に、凡夫たる私の襟元を正して下さっているのを感じます。そのことに、只々、仏縁に感謝するばかりです。


こうした経典に触れ、坐禅のみ教えを学ばせていただきながら、坐禅という行を修し続けてくと、教と行が一体化して、より一層、坐禅を深く味わえるような気がします。そして、それが悟り(証)へとつながっていくのではないかという気がします。


瑩山禅師様は「そもそも坐禅は教(み教え)・行(修行)・証(悟り)に干かるに非ず」とお示しになっています。「干かる」というのは、“干渉”という言葉がございますが、お互いに関わり合いながらも、相手を閣下と思い込んで指図してみたり、妨害してみたりすることです。続けて瑩山禅師様は、「此の三徳を兼ねたり」とお示しになっていますが、そもそも坐禅は教・行・証の全てを兼ね備えたものなのです。坐禅には教えがあり、修行があり、悟りの3つの徳分が備わっており、どれか一つでも欠けていたのでは、坐禅は成立しません。


そもそも教・行・証の三者には、上下・優劣の差など存在しません。「三徳を兼ねたり」とあるように、三者は平等な存在として、関わり合っていると瑩山禅師様はおっしゃっているのです。だから、お互いに干渉し合い、妨害し合うようなことなどしないのであり、それが「干するに非ず」ということなのです。


教・行・証の三徳を兼ね備えた坐禅に触れながら、我が身心を調え、三毒(貪り・瞋り・愚かさ)をコントロールできるようになりたいものです。

第48回「曹洞宗門の坐禅 ―“無所得無所悟(むしょとくむしょご)”の坐禅―」

令和2年9月12日 更新

謂(いわ)く、証(しょう)は悟りを待つを以って則(のり)と為す、是れ坐禅の心にあらず。行(ぎょう)は眞履実践(しんりじっせん)を以ってす、是れ坐禅の心にあらず、教(きょう)は断悪修善(だんあくしゅぜん)を以ってす、是れ坐禅の心にあらず。

前回より教(み教え)・行(修行)・証(悟り)について触れられています。これから、この三徳を兼ねた坐禅について、瑩山禅師様が曹洞宗門の観点からお示しになるわけですが、その触りとなる箇所が、今回の一句です。


まず、証(悟り)という側面について、瑩山禅師様は悟りを得るのを待つ坐禅は、「坐禅の心にあらず」、すなわち、「曹洞宗門の坐禅ではない」と断じていらっしゃいます。これは、悟りを得ることを目標として、日々、坐禅を行じ続けていくという立場の坐禅です。


そうなると、得た悟り(真実)に基づき、さらに行(修行)を実践・履行していく(眞履実践)というやり方は、「坐禅の心にあらず」、曹洞宗門が指し示すお釈迦様以来、祖師方が脈々と受け継いでこられた坐禅とも合致しないということになります。


また、瑩山禅師様は「断悪修善(悪を断ち、善を修する)」という、ポイントをどこか一点に絞り、坐禅修行に打ち込むようなやり方も、「坐禅の心にあらず」ともおしゃっています。


そもそも、お釈迦様から伝わる坐禅というのは、何か目的を達成するというような、自分に見返りがあるのを期待するような修行ではなかったはずです。曹洞宗の開祖・道元禅師様がお弟子様方に「無所得無所悟(むしょとくむしょご)の坐禅」ということをお示しになりましたが、元来、坐禅をしても、何も得ることもなければ、悟ることもないのです。確かに坐禅は身心を調えることによって、心の安定や落ち着きが得られるのですが、最初から自分の身心が安らかになることを目標に掲げて坐禅をしたところで、自分が思い描いた通りに目標を達成できるわけではないのです。それが「無所得無所悟の坐禅」の意味するところです。


こうした「無所得無所悟の坐禅」という点を今一度、確認させていただいた上で、次回より、曹洞宗門の坐禅について、さらに読み味わってまいりたいと思います。

第49回「曹洞宗門の坐禅② ―挙体(こたい)に全く説話(せった)―」

令和2年9月1日 更新

禅中縦(ぜんちゅうたと)ひ教(きょう)を立すれども、而(しか)も居常(きょじょう)の教に非あらず。謂(いは)く直指単伝(じきしたんでん)の道、挙体(こたい)全く説話(せった)。語本章句没(ごもとしょうくな)し、意尽(いつ)き理窮(りきわ)まる処一言十方(ところいちごんじっぽう)を尽す。絲毫(しこう)も未だ挙揚(こよう)せず、是れ豈に仏祖眞正(ぶっそしんしょう)の教に不(あらざ)らんや。

教(教え)・行(修行)・証(悟り)の三徳について、今回は「教」に焦点を当てて、み教えが示されています。


まず、「禅中縦ひ教を立すれども」とあります。「坐禅修行にも教えが存在している」ということなのですが、その教えというのは「居常の教えに非ず」と瑩山禅師様はおっしゃっています。つまり、世間一般の教えとは形態の異なるものだというのです。


そもそも世間一般の教えとは、どんなものなのでしょうか。たとえば、学生は教師から文学や数学、化学などに関する知識を学びます。教師は教科書を使って、子どもたちを指導します。教科書には、それぞれの分野に関する教えが文字によって記されており、それを道の専門家たる教師が言葉を用いて生徒たちに教えていくのです。これが居常の教え(世間の一般的な教え・指導方法)です。


それに対して、お釈迦様から脈々と伝わる“直指単伝の道”たる坐禅は、「挙体全く説話」と瑩山禅師様がおっしゃるように、坐禅全体(挙体)が説法(説話)だというのです。すなわち、坐禅をするという教えの実践すること自体が教えだというのです。そこには教師や教科書の役目全てが含まれています。それを言い表しているのが、「語本章句没し、意尽き理窮まる」です。坐禅は言葉で事細かく説明しなくても、仏法の全てが表れており、大意も理屈も全てが説き尽くされているというのです。まさに「一言十方を尽す」なのです。


瑩山禅師様は「坐禅用心記」を、道元禅師様は「普勧坐禅儀」を、それぞれお示しになっています。坐禅を修行していく上で、そうした経典・祖録を読み味わうべきなのですが、ただ、それだけに止まり、経典を重宝がっているようでは、いつまでたっても坐禅を深く理解することはできません。やはり、坐禅を“やって、やって、やり続ける”日常あってこそであり、それを基本姿勢として、坐禅に関する教科書を読み味わうべきなのです。


そうした坐禅というのは、少しも言葉を用いることなく、仏法の全てを説き尽くしています。そうやって、人々に教えを提示しているということです。そのことを、瑩山禅師様は「絲毫も未だ挙揚せず」という言葉で言い表していらっしゃいます。そして、そうした坐禅が「仏祖眞正」の教えたる、直指単伝の坐禅なのです。

第50回「曹洞宗門の坐禅③ ―全てを含む“無為の行”―」

令和2年9月23日 更新

或(あるい)は行を証すと雖(いえど)も、又無為(またむい)の行なり、謂(いわ)く身に所作無く、口に蜜誦(みつじゅ)無く、心に尋思(じんし)無く、六根自から清浄にして一切汚染(おせん)せず、声聞(しょうもん)の十六行に非あらず、縁覚(えんがく)の十二行に非らず、菩薩の六度萬行(ろくどまんぎょう)に非らず、一切為さず、故に名けて仏と為す。

今回は三徳(教・行・証)における、「行」に関するみ教えが展開されていきます。


まず、坐禅という行について、瑩山禅師様は「無為の行」とお示しになっています。この「無為の行」とは一体、どんなことを意味しているのでしょうか。それは「自然の状態」です。すなわち、あるがままの状態で、外部から何も手の加わることがない状態のことです。


道元禅師様がお釈迦様から脈々と受け継がれている坐禅とは、「無所得無所悟(むしょとくむしょご)の坐禅」であるとお示しになっていることは、これまで幾度も申し上げてまいりました。これは、たとえば、「周囲から好かれる人になりたい」とか、「精神的に強くなりたい」などといった、何らかの目標を掲げてみたり、自分に何か良いことが起こるのを期待したりして、坐禅に臨んでみたところで、何も得るものもなければ、悟ることもないということです。そうした自分に都合のいい解釈や所作を一切持ち込むことなく(身に所作無く)、あれこれ言葉を発することなく(口に蜜誦無く)、定められた作法で身を正すと共に、頭の中に浮かび上がってきた思考や心の中に思い描いたことに捉われることなく、次々と捨てていく(心に尋思無く)ことによって、私たちは仏に近づいていくのです。すなわち、坐禅を行ずることそのものが仏の修行を行ずることであり、仏に近づくことに他ならないのです。そして、そうした坐禅をしているときの私たちの身心は仏そのものなのです。


ということであれば、私たちの身心を構成している眼・耳・鼻・舌といった感覚器官も凡夫のそれではなく、仏の眼や耳などになっているはずです。それが「六根自ずから清浄にして一切汚染せず」の意味するところです。


次に、「声聞」や「縁覚」、「菩薩」という言葉が登場します。これらは「三乗(さんじょう)」と呼ばれます。それを下記に一覧でまとめてみました。


声聞

お釈迦様のみ教えを聞いて修行をする弟子 声聞十六行の修行を行う。

四諦(したい)(苦・集・滅・道)を悟るのに、苦・集・滅・道の下に、各々、四種の行相がある。


縁覚

他に頼らず、自ら縁起の法(全てが関わり、支え合っている)を観じて、悟りを得る者縁覚十二行(十二因縁【じゅうにいんねん】)を観じて、悟りを得る。


菩薩

自ら仏の修行をしつつも(上求菩提【じょうぐぼだい】)、周囲の人々にも仏の教えをお伝えし、仏の悟りへと近づけてくれる(下化衆生【げけしゅじょう】)存在。

六度萬行(六波羅蜜【ろっぱらみつ】)を修行し、悟りを得る。


三乗には、それぞれの特徴や修行方法があるわけですが、坐禅という行には、それらすべてが元々、含まれているというのが、「声聞の十六行に非らず、縁覚の十二行に非らず、菩薩の六度萬行に非らず」において、瑩山禅師様が強くお示しになっていることです。すなわち、何も考えず、何も期待せず、黙って、お釈迦様がお示しになった通りに坐禅をやって、やって、やり続けていれば、自ずと声聞の十六行にも、縁覚の十二行にも、菩薩の六度萬行にも出逢うことになるのです。そうやって、坐禅を行ずることが、仏のみ教え一つ一つとご縁を育んでいくのです。だから、坐禅は外部から何の力も与える必要のない、「無為の行」だと言えるのです。それが「名けて仏と為す」の意味するところです。


坐禅という行は、それ自体が仏の行いです。坐禅をすることが尊いことです。そんな尊い世界に、凡眼(凡夫の眼)だけで計ったつまらぬものを持ち込むことなく、無為の行そのままに味わっていくことが、お釈迦様から伝わる曹洞宗門の坐禅なのです。要は、一切の理屈を抜きにして、他のことを考えることなく、坐禅の世界に身を置いてみればいいのです。

第51回「曹洞宗門の坐禅④ ―四安楽行(しあんらくぎょう)に遊戯(ゆけ)する―」

令和2年9月2日 更新

只諸仏の自受用三昧(じじゅようざんまい)に安住して、菩薩の四安楽行(しあんらくぎょう)に遊戯(ゆけ)す、是(こ)れ豈仏祖深妙(あにぶっそじんみょう)の行に不(あらざ)らんや。

お釈迦様から脈々と伝わる坐禅という行について、凡夫の眼で計ったつまらないことや小難しい理屈など一切、持ち込むことなく、坐禅の世界に身を投じていくと、次第に、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が調い、坐禅が有する様々な仏のみ教えに出会います。坐禅を行ずることそのものが、仏の行を行ずることであり、仏に近づくことになるのです。


そうしたお釈迦様のお悟りの境地に近づき(諸仏の自受用三昧に安住する)、身心共々に安楽の境地に至る(四安楽行に遊化す)ことが、坐禅のもたらす摩訶不思議な境地に他ならないと瑩山禅師様はおっしゃっています。それが「仏祖深妙の行に不らんや」の意味するところです。


ここで、「四安楽行」について、少し、触れておきたいと思います。これは安楽を得るための四つの行法のことです。


身安楽行 身体に安楽をもたらす修行

口安楽行 悪しき言葉を発しないようにすること

意安楽行 心の中から煩悩等の悪しきものを遠ざけること

誓願安楽行 仏のお悟りを得て、人々の救済を誓願すること


仏の行たる坐禅は、私たちの身心に生じやすい煩悩などの悪しき存在を遠離させ、私たちを調え、安心を与えてくれる善なるものとのご縁を深めてくれるのです。何も特別なことを期待しなくとも、坐禅そのものが私たちに「安楽の提供」という功徳をもたらせてくれる行なのです。

第52回「曹洞宗門の坐禅⑤ ―本有大覚(ほんぬだいがく)の証―」

令和2年9月2日 更新

或(あるい)は証を説くと雖(いえど)も、無証(むしょう)にして証す、是れ三昧王三昧(ざんまいおうざんまい)なり。無生智発現三昧(むしょうちほつげんざんまい)なり、一切智発現三昧(いっさいちほつげんざんまい)なり。自然智発現三昧(じねんちほつげんざんまい)なり、如来智慧開発明門大安楽行法門(にょらいちえかいほつみょうもんだいあんらくぎょうほうもん)の所発(しょほつ)なり。聖凡(しょうぼん)の格式を超え、迷悟(めいご)の情量(じょうりょう)を出(い)づ。是れ豈(あ)に本有大覚(ほんぬだいがく)の証に不(あら)ざらんや。

「教・行・証」の三徳についてのお示しも、いよいよ「証(悟り)」に関するところまでやってまいりました。まず、瑩山禅師様は「無証にして証す」とお示しになっています。坐禅を行ずることが、仏の修行そのものであり、仏の悟りを説き表しているとは言いながらも、それは「無証」であると瑩山禅師様はおっしゃいます。「無証」というのは、悟りがないということではありません。悟ったことにさえも捉われない自由な境地を意味しているのです。人間は経験を積み重ねていく中で、様々なものを体得していきますが、ともすると、そうやって自分が体得したものだけが正しいと思い込むことがあります。しかし、それはある一点に捉われることであり、結果的には、そこに立ち止まることになるのです。私たちが六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)で体得できる世界には、範囲などありません。広大無辺そのものです。そうした世界の中で、何か一点だけを正しいと捉えることは、自ら広大な世界を結論づけ、狭めた捉え方をすることになるのです。そのことに気づき、自己の見解に固執することがないように留意していきたいものです。


そうした無証なる坐禅を、瑩山禅師様は様々な言葉で表現なさっています。①「三昧王三昧」②「智生智発現三昧」③「一切智発現三昧」④「自然智発源三昧」⑤「如来智慧開発・大安楽行法門の所発」。これら一つ一つを詳細に説明するほど紙面に余裕はありませんが、「三昧」というのが、心を一点に専注することで、「坐禅」を意味しています。坐禅が、そうした三昧の中でも最も優れた王様の如き三昧ということから、①「三昧王三昧」であると瑩山禅師様はおっしゃるのです。


次に②「無生智」とありますが、「無生」とは、諸行無常の体得を意味しています。この世に存在する全てのいのちは、時間という存在との関わりの中で、老いや病、そして、死という形で、変化を余儀なくされています。そうした厳然たるこの世の道理を素直に受け止めていくことができる力が「無生智」なのです。そんな「無生智」を発現(発する)三昧が坐禅だと瑩山禅師様はおっしゃっているのです。


同様にして、坐禅は③「一切智(悟りを得た仏の智慧)」を発現する三昧(坐禅)であり、④「自然智(一切の外部からの力が加わっていない本来有する智慧(仏のものの見方・考え方)」を発現ずる三昧であり、⑤「如来(仏)が智慧開発し、安楽の法門たるもの」であるというように、瑩山禅師様は坐禅を様々な言葉で表現なさっているのです。


そんな坐禅が聖なるものだとか、凡なることだといった、分別や比較の対象から外れた行であると共に、迷いだとか悟りといった妄想分別をも超えた、どちらか一方の価値だけを認めるような、偏った捉え方をしているようでは、中々、核心に近づけないようなものであると瑩山禅師様はおっしゃっています。実は、これこそが「本有(坐禅の本来の姿)」であるというのです。物事を自分の都合や好みだけで、その優劣を決め、どちらか一方のみを認めるような差別的な捉え方をしているようでは、坐禅の本有(お釈迦様から脈々と伝わるメッセージ)を受け取ることは不可能です。それが「本有大覚の証に不らんや」の意味するところです。「大覚」は「悟り」です。


こうした一方的な捉え方は、坐禅に限らず、どんなことにおいても、そのものが本来有している絶対の価値を認める眼を曇らせることになりかねません。何事も両面があります。良いところもあれば、悪いところもあります。きれいな部分もあれば、汚れた面もあります。そうした物事に対して、自分の価値観や好みだけで、避けたいものを避けるのではなく、万事を受け止め、両面をしっかりと捉えることを心がけながら、様々な存在と正確に関わっていきたいものです。

第53回「曹洞宗門の坐禅⑥ ―戒・定・慧“三学の坐禅”―」

令和2年10月8日 更新

又坐禅は戒定慧(かいじょうえ)に干(あづ)かるに非(あ)らず、而(しか)も此(こ)の三学を兼ねたり。

三徳(教・行・証)の観点からお釈迦様から受け継がれている坐禅について味わってまいりました。我々は、教え・修行・証(悟り)の三者がお互いに関わり合って、曹洞宗門の坐禅が形成されていることを瑩山禅師様から学ばせていただいたことになります。


そうした三徳に引き続き、瑩山禅師様は三学(戒・定・慧)の観点からも仏祖正伝の坐禅についてお示しになっていきます。三徳同様、三学における三者も「干かるに非らず」とあるように、お互いに関連し合いながら曹洞宗門の坐禅を形成している点では同じです。また、三者それぞれについての説明も、この後になされていきます。詳細はそちらに委ねるとして、今回は、三学について、簡潔に確認しておきたいと思います・


戒は「悪を断ち、善を修する」というお釈迦様の生き方・お誓いを指します。当HPでは、別稿にて道元禅師様の「教授戒文」を学ばせていただいておりますが、道元禅師様の戒に関する観点と瑩山禅師様のそれとを味わいながら、戒に関する理解を深めると共に、日常生活での実践を目指していきたいものです。定は「禅定」、すなわち、「坐禅」を意味しています。どっかりと腰を下ろし、身体を安定させることによってもたらされる心の安寧や気づきに関するものです。慧は三毒煩悩を断ち、真理を体得することです。お釈迦様は坐禅(定)という修行(行)によって、智慧(慧)を体得なさいました。坐禅そのものが仏の行いであり、そうした行いに我が身を投じ続けることが、戒(悪を断ち、善を修する)という教えの実践そのものなのです。まさに戒定慧の三学は、別個に存在しているのではなく、お互いに関わり合い、支え合って成り立っていることに気づかされます。


そして、そうやって見ていくと、実は三徳は三学と一致すると共に、教―戒、行―定、証―慧という、一致の図式が出来上がることに気づかされるのです。


そうした三学における個々の観点から、坐禅を味わってみたいと思います。

第54回「坐禅と戒法」

令和2年10月14日 更新

謂(いわ)く戒は是れ防非止悪(ぼうひしあく)、坐禅は挙体無二(こたいむに)を観ず、万事を抛下(ほうげ)し諸縁を休息して、仏法世法管(ぶっぽうせほうかん)せず、道情世情双(どうじょうせじょうなら)べ忘(ぼう)じて是非も無く、善悪も無し、何の防止か是れ有らん、此れは是れ心地無相(しんちむそう)の戒なり。

戒というのは、「悪を断ち、善を修する」という仏教徒の生き方そのものです。瑩山禅師様は、それを「防非止悪」とおっしゃっています。


また、瑩山禅師様は「坐禅が挙体無二」であるとお示しになっています。挙体とは全体を意味しています。身体全体、物事全体、それらは善悪だとか、表裏といった、様々な相対する概念を含有しながら成り立っています。私たちの身体は腹と背(表と裏)、頭とつま先(上部と下部)といった具合に、種々の相対する要素が組み合わさって、成り立っています。この世は善事も悪事もあれば、うれしいことも悲しいこともあります。そんな様々な要素を含有しながら、この人間世界が成り立っています。それらの要素は、どれを取ってみても、不要なものなどありません。それぞれが自分たちに与えられた役割を存分に発揮しながら、一体となって、私といういのちを生かし、広大無辺なる世界を作り上げているのです。それが「挙体無二」の意味するところです。


坐禅をやってみると、自分という存在を支えてくれる床や座布団、坐禅をする自分を包み込む建物の屋根や壁など、周囲の様々な存在と関わり、つながりながら、自分が存在していることに気づかされます。まさに、瑩山禅師様がおっしゃるように「坐禅は挙体無二を観ずる」行なのです。


坐禅は足を組み、手を組んで、背筋を伸ばして座ります。坐禅中は思うところがあっても、自分の勝手気ままに動き回ることは許されません。そうしたやりたいことの一切ができない状態が「万事を抛下し諸縁を休息する」ということです。こうした状態では、「仏法や世法とは何か」とか、「何が善で、何が悪か」などと頭を巡らせてみたり、言葉で論じ合ったりすることは至難の業です。なぜなら、定められた形以外の動きができないのですから。ただ、お釈迦様を見習い、お釈迦様から伝わる行を黙々とこなしていくことしかできません。だから、「挙体無二」を観じることができるのです。


こうした仏様がなさった通りに坐禅を行ずることそのものが、仏になるということなのです。言い換えれば、坐禅をすることそのものが「悪を断ち、善を修する」という、戒を行ずることでもあるのです。瑩山禅師様は「心地無相の戒」とおっしゃっています。坐禅用心記の冒頭に「坐禅は直に人をして心地を開明し、本分に安住せしむ。」とありますが、様々な存在が関わり合って、様々なものを生み出しながら、変化していく様を表したのが「心地」です。坐禅を行ずる中で、周囲の様々な存在と自分自身が混ざり合って、一体化していきます。このとき、何も悪事を働くことなどできないばかりか、善なる仏の行を行じ続けていくしかないのです。


坐禅をすることそのものが、仏になることであり、「悪事を働かず、善き行いをする」という、戒の実践に他ならないことを押さえていきたいものです。

第55回「定(じょう) ―身心脱落(しんじんだつらく)・迷悟捨離(めいごしゃり)の坐禅―」

令和2年1日 更新

定(じょう)は是れ観相無余(かんそうむよ)、坐禅は身心(しんじん)を脱落(だつらく)し、迷悟(めいご)を捨離(しゃり)して、不変不動(ふへんふどう)、不為不昧癡(ふいふまいち)の如く、兀(ごつ)の如く、山の如く海の如くにして、動静(どうじょう)の二相了然(にそうりょうねん)として生ぜず、定にして定相無(じょうそう)なし、定相無きが故に大定(だいじょう)と名くるなり。

戒に引き続いて示されているのが「定」です。これは、自分が周囲の様々な存在に対して、心を動かし、妄想や分別が起こらないようにすることです。「無余」とあるのは、仏遺教経第60回の中でも触れさせていただきましたが、仏の修行を極めつくし、三毒煩悩が調整できるようになることを意味しています。自分は周囲の存在の相(姿)から、眼や耳等の六根を通じて、何らかのものを感じ取りますが、それら自分が得たものに対して、自分の好みが生じて、好悪や上下の分別・差別が生じたりするような捉え方をしなくなることが「定」なのです。


そうした「定」を具体的に表現していくならば、「身心を脱落し、迷悟を捨離する」ということになります。身心が脱落するというのは、我が心と身体があらゆる束縛から解放され、自由になった状態を意味しています。坐禅中というのは、定まった体勢を持続するが故に、一見、不自由に見えますが、実はそうではありません。本当は自由そのものの状態なのです。と、申しますのは、身体を固定させ、定まった体勢を取るというのは、余計なことをする必要がなくなるため、何かに捉われることがないということです。そこが自由たる所以であり、坐禅が身心脱落の行であると説かれる理由です。それは、見方を変えて申し上げるならば、迷いだとか、悟りといった分別の境界がなくなった状態でもあります。それが「迷悟を捨離する」の意味するところです。


こうした坐禅中の微動だにせず、姿勢を正して、黙々と坐るさまが「不変不動」だとか、「兀の如く、山の如く、海の如くにして」という言葉の中で表現されています。「不為不昧」というのは、坐禅中の精神面に焦点を当てたもので、他に為すことがないがために、不昧(自分を迷わせるものもない状態)であるということです。


そうやって見ていくと、坐禅というのは、全く動きもなく、音さえもない、不動で無音・無声の行のように思えてきますが、瑩山禅師様は「動静の二相了然として生ぜず、定にして定相無し」とおっしゃるように、動きや音声のある・なしのどちらかに価値を認めるような、偏った見方をすべきものではないとお示しになっています。一見、第三者の視点から見れば、坐禅を行ずる者は、静の存在に見えますが、坐禅を行ずる当人にとってみれば、その中で仏の悟りが充満し、大きな蠢(うごめ)きが生じているのです。これが、まさに「仏の慧命を嗣続する」ということです。坐禅を行じながら、私たちは仏の真似をし、仏のいのちの炎を燃やし続けているのです。それは動か静のいずれかの行ではなく、双方の要素を有した行なのです。それが「大定」の意味するところです。


「定」という、お釈迦様から脈々と伝わる曹洞宗門の坐禅は、様々な要素を含んだ行であり、何か一つの言葉で表現するのも難しいほどの奥深い行だということを、今一度、理解しておきたいところです。

第56回「慧(え) ―仏性を認める―」

令和2年11月日 更新

慧(え)は是れ簡擇覚了(けんちゃくかくりょう)なり。坐禅は所知自(しょちおのずか)ら滅し、心識永(しんしきなが)く忘ず、通身慧眼(つうしんえげん)、簡覚有(けんかくあ)ること無し。明かに仏性を見る、本(も)と迷惑せず、意根(いこん)を坐断し、廓然(かくねん)として瑩徹(けいてつ)す、是れ慧にして慧相無(えそうな)し。故に大慧(だいえ)と名(なづ)くるなり。

今回は「慧」の観点から坐禅が説き示されていきます。「慧」は三毒煩悩を断ち、真理を体得することで、物事の道理を見極め、自分の心の中に納めることです。


真理や道理というのは、真実や物事の本当の姿を指すわけですが、それらを的確に体得していくためには、自分勝手なものの見方で、選ぶものと選ばれないものが生じるようでは、真実の体得などできません。そうしたものの捉え方によって、真実を見逃すようなことを意味しているのが「簡擇」です。「簡」は「選ぶ」ということを意味しています。そして、「覚了」は、覚知です。すなわち、自己都合による分別・選別が真実に対する目をくらませることに注意喚起を与え、良し悪し含めた全体を捉えていくことが、「慧」を体得してい上で必要だというのです。


そうした「慧」の観点で以て、坐禅を捉えていくとどうなるのでしょうか。瑩山禅師様はまず、「所知自ずから滅し、心識永く忘ず」とお示しになっています。あれこれ細かいことまで思考を巡らせていた頭や心の働きがなくなっていくというのです。これは思考が完全に停止したということではありません。自分を苦しめ、惑わせていた三毒煩悩を言葉や行いで発することなく、自分の中で調整できるようになったということです。そして、通身(全身)が慧眼(物事の道理を見極める智慧の眼)となり、簡(選ぶ)という感覚なくなっていくというのです。


そうした感覚によって、見えてくるのが仏性です。どんないのちも必ず有している仏の性質が「仏性」なのですが、自分の中に眠る仏性と、相手が必ず持っている仏性と、その両方に気づくことが「慧」の目標なのです。そして、そうした「慧」によって、あらゆる存在にいのちを認め、大切に関わっていけるようになるのです。「廓然」や「瑩徹」というのは、あたかも晴れ渡った青空ように明るく、透き通った様を言い表しています。それはまさに、何事にも捉われない心の様を表しています。そんな心の状態が坐禅によって形成されると共に、そうなって自他の仏性という尊い存在が見えてくるようになるのです。


そして、「慧にして慧相無し。故に大慧と名くるなり」とあります。これは、前回の「定」の最後の一句の中で、「定にして定相無し、定相無きが故に大定と名くるなり」とありますが、この箇所と対をなしています。「定」が「動静双方を兼ねたもの」であるのに対して、「慧」は、「分別を経て、物事の真実や価値に気づくもの」であることを意味しています。それが「大慧」の意味するところです。


誰しも最初から真理を見抜くことは難しいです。なぜなら、元来、人間は自分の好みで好悪を分別する習性を有するからです。では、与えられた習性のまま、自分の好きなことだけを行い、自分に好都合なものだけを選び取ればいいのかと言えば、それでは、普段の生活の面でも困り事が生ずるでしょうし、いつまでも真理を体得することができません。最初は分別の眼を持っていたとしても、どこかのタイミングで視点を変更し、万事の仏性を認め、お互いを敬い合えるようになりたいものです。

第57回「三学を収めた坐禅 ―“無所得無所悟”なる理由(わけ)」

令和2年11月19日 更新

諸佛の教門(きょうもん)、一代の所説、戒定慧(かいじょうえ)の中に總(す)べ収めずといふこと無し、今の坐禅は戒として持せずといふこと無く、定として修せずといふこと無く、慧として通ぜずといふこと無し。降魔(ごうま)、成道(じょうどう)、転輪(てんりん)、涅槃(ねはん)、皆此(みなこ)の力に依り、神通妙用(じんづうみょうよう)、放光説法尽(ほうこうせっぽうことごと)く打坐(たざ)に在り。

三学(戒・定・慧)は「干かるに非らず」とあるように、三者が別個に存在するのではなく、お互いに関連し合いながら三学というみ教えを形成しているのでした。


そうした三学の全てを含むのが坐禅であると瑩山禅師様はおっしゃっています。それが「戒定慧の中に總べて収めずといふこと無し」の意味するところです。坐禅は戒(悪を断ち、善を修する)の実践であり、定(身心の安定・調整)であり、慧(この世の真理への気づき)の行そのものなのです。そして、「諸仏の教門、一代の所説」とあるように、お釈迦様が悟りを得た坐禅こそが、三学を總べて収めた坐禅であり、そんな坐禅が今日まで相承(そうじょう)されてきているということなのです。


『「降魔」、「成道」、「転輪」、「涅槃」もまた、同じである』と瑩山禅師様はお示しになっています。この4つは「八相成道(はっそうじょうどう)」と呼ばれるものの中の4つです。「八相成道」はお釈迦様がこの世にお生まれになってから、どのようなことがあったについて、8つの相に分類したものです。参考までに、その内容を以下の一覧表で確認しておきたいと思います。


従兜率天下(じゅうとそうつてんか)お釈迦様がお生まれになる前にいらっしゃったとされる世界

託胎 母胎に宿り、生を受けること

出生 誕生

出家 俗家を出て、仏門に入ること

降魔 仏道修行の妨げとなる三毒煩悩等を発生させないよう、断ずること

成道 悟りを得ること

転法輪 説法を行うこと

入涅槃 煩悩を断じること、死


こうした八相にも坐禅のみ教えが収まっているということは、各々の瞬間において、その人間が発する言葉も行動も、坐禅を基本とした調えられたものであり、冷静かつ穏やかなものなのであるということです。これは、その人間の生き様が坐禅を根底としたものであることを意味しています。「神通妙用」とあるのは、坐禅のみ教えを根本に置いた行動で、悟りの境地に至った者の他者に捉われない自由な動きを意味しています。そして、言葉における「神通妙用」の境地が「放光説法」です。仏様の如く穏やかで温かい光を放つ説法、言葉の発出です。


道元禅師様は「無所得無所悟(むしょとくむしょご)の坐禅(坐禅をするのに何か目的や期待をもって取り組む必要がない)」というみ教えをお示しになっていますが、今回の一句を味わうと、無所得無所悟に対して合点がいくような気がいたします。なぜなら、坐禅そのものに三学が含まれ、確実に人を育て、他者に恵みをもたらしてくれるのですから。何も必要以上のことを求めなくても、坐禅にはすべてが含まれているのです。


そんな坐禅を一日の中で、せめて10分程度の短時間でもいいから継続し、身心を調える習慣をつけていきたいものです。

第58回「坐禅の環境・坐禅の条件 その1」

令和2年11月28日 更新

且(か)つ参禅(さんぜん)も亦坐禅なり、坐禅せんと欲するものは、先(ま)づ浄室宜(じょうしつよろ)し、菌褥須(きんにくすべから)く厚く敷くべし、風烟(ふうえん)をして入らしむること莫れ、雨露(うろ)をして侵さしむること勿れ、膝を容(い)るるの地を護持して、打坐(たざ)の処(ところ)を清潔にせよ

「教・行・証の三徳」や「戒・定・慧の三学」を内包する坐禅について、これからは坐禅を行う上での最適な環境や条件に触れられていきます。これらの点について、瑩山禅師様は本編の中でも断片的ではありますが、触れていらっしゃいます。(第40回、第42回)また、道元禅師様も「普勧坐禅儀」の中で詳細にご説明なさっています。両祖様がお示しになっている内容は、ほぼ同じで、実践と併せてみれば、比較的、解釈しやすいのではないかという気がいたします。と同時に、それはお釈迦様が成道なさった坐禅がそっくりそのまま伝わってきていることをも意味しているように思えます。


まず、「参禅」という言葉が出てまいります。これも第44回で読み味わわせていただきました。参禅は坐禅そのものであり、内山興正老師のお言葉をお借りするならば、「坐禅に帰依すること」です。ここでは、坐禅のみ教えや方法に自分の照準を合わせることが求められます。それゆえ、自分の考えが入り込む余地などありません。否、むしろ、それを入れようものならば、正確に解釈することさえも困難になってしまうくらいなのです。


そうした「参禅」という観点を以って、瑩山禅師様がお示しになっている坐禅に最適な環境や条件を見ていきますと、最初に「浄室宜し」とありますように、坐禅には静かで清潔、そして、整理整頓が行き届いた環境が大切であることが提示されています。モノが乱雑に置かれている場所だとか、雑音が多い場所、「風烟をして入らしむること莫れ、雨露をして侵さしむること勿れ」とあるように、外から風や煙、雨が入ってくるような破損が甚だしい環境も、「降魔(ごうま)」とあるように、参禅する者の心を乱す原因となるため、不適格であると瑩山禅師様はお示しになっているのです。


次に「菌褥須く厚く敷くべし」とあります。菌はコケのことで、湿地に生える植物で、褥は、“しきぐさ”や“しきわら”のことです。お釈迦様は吉祥草(湿地に生える草)を敷いて坐禅をなさったとのことですが、平坦な場所で坐禅を組んでみると、上手く身体を安定させることが難しいことに気づかされます。ある程度の高さが必要であり、お釈迦様以降の祖師方も、お釈迦様の方法に準じました。ちなみに、今は吉祥草ではなく、「坐蒲(ざふ)」という、円形の座布団を用いています。


そして、「膝を容るるの地を護持して、打坐の処を清潔にせよ」とあります。坐禅における身心の安定や調整には、膝を容れる(しっかりと足を組む)ことが肝心です。自分の根元が安定するから、全身が安定していくのです。そうした重要な自分の根元を清潔にしておくことを心がけておくのも、坐禅の環境を調えていく上での大切な条件の一つなのです。

第59回「坐禅の環境・坐禅の条件 その2」

令和2年1日 更新

昔人金剛座(せきじんこんごうざ)に坐し、盤石(ばんじゃく)の上に坐するの蹤跡(しょうせき)有りと雖(いえど)も亦坐物有(またざもつあ)らざること無し、坐処(ざしょ)は當(まさ)に昼は明らかならず夜は暗からず、冬は暖(だん)に夏は冷(れい)なるべし、是(こ)れ其(そ)の術なり。

お釈迦様から伝わりし坐禅に帰依し、修行してこられた古の祖師方や僧は「金剛座」だとか、「盤石」といった大きくてどっしりとした場所で坐禅に身を投じ、身心を調えなさってきたわけですが、そこでも「吉祥草(きちじょうそう)」などを敷いて坐禅をなさったと瑩山禅師様はおっしゃっています。昨今は、坐禅の際には「坐蒲」という縁系の座布団を用いていますが、いずれにしても、平坦な場所で坐禅をしても、上手く坐禅をすることはできず、とても身心を調えるなどということは不可能です。必ず坐蒲などの座布団を用いて、少し高さを作ることが必須です。


坐禅をする場所について、前回は「浄室宜(じょうしつよろ)し」とか、「打坐(たざ)の処(ところ)を清潔にせよ」など、静かで清潔であることが、その条件であると瑩山禅師様はお示しになっていました。それに加えて、今回は、日中は明るすぎず、夜は暗すぎず、冬季は温かく、夏季は涼しくすることが坐禅の条件として提示されています。仏教は「中道(ちゅうどう)」の教えであると言われますが、そうした偏らず、やり過ぎずの観点からいけば、時間の流れや季節の変化を踏まえながら、程よい快適な環境の中で、坐禅に身を投じていくことができれば、身心が落ち着き、調っていくということなのです。


ちなみに、こうした坐禅の条件は道元禅師様も先に「普勧坐禅儀」の中でお示しになっています。お釈迦様の坐禅がそっくりそのまま道元禅師様に伝わり、さらに、確実に瑩山禅師様にも伝わっているのです。

第60回「坐禅と向き合う上で ―大切な心構え-」

令和2年12月12日 更新

心意識(しんいしき)を放捨(ほうしゃ)し、念想観(ねんそうかん)を休息(きゅうそく)して作仏(さぶつ)を図(はか)ること勿(なか)れ、是非を管(かん)ずること勿れ、光陰(こういん)を護惜(ごしゃく)して、頭然(ずねん)を救ふが如くすべし。

瑩山禅師様は坐禅の環境や条件について触れていらっしゃいますが、今回は「坐禅中における思考」についてのお示しです。同様のことが道元禅師様も「普勧坐禅儀」の中でお示しになっていらっしゃいます。今回もお釈迦様の坐禅が道元様に相承そうじょうされ、さらに瑩山様にもそっくりそのまま伝わっていることを見逃してはなりません。これは別の観点から申し上げるならば、坐禅の世界に個人の狭い了見や視点を入れる必要もなければ、そのこと自体がバカバカしいことでもあるということです。


「心意識の放捨(道元様は“心意識の運転”とおっしゃっている)」や「念想観の休息(道元様は“念想観の測量”とおっしゃっている)」というのは、頭の中に沸き起こる様々な考えに捉われるがあまり、調心・調身・調息といったことに対する意識を欠く様を言い表しています。今年の7月にご遷化(せんげ)になった板橋興宗禅師様が以前、「人間というのは、生きている間は、坐禅中であれ何であれ、考える生き物であり、思考がストップするのは死んだときだ」とお示しになって、「心意識を放捨すること」や「念想観を休息する」というのが、どういうことなのかを的確にお示しくださいました。生きている限り、思考を停止させることは不可能であることを念頭に置いた上で、頭の中に生じた考えに対しては、そこに留まることなく、払い去って捉われないようにすればいいのです。そして、それが「頭然を救う」ということなのです。誰しも頭の上に火の粉が降りかかれば、熱さの余り、即座に振り払いますが、それと同じように、頭の中に生じた思考に対して、あれこれ悩み続けるようなことをせずに、振り払って、仏道修行に専念することが「頭然を救う(救頭然)」ということなのです。


次に「作仏を図る(図作仏【ずさぶつ】)」についてですが、これは「仏に成ろう」というように、何か自分によいことが起こるのを期待して坐禅に臨むことを意味しています。当然ながら、これも坐禅に向き合う心構えではありません。道元禅師様が「無所得無所悟の坐禅」とおっしゃるように、坐禅そのものが仏のみ教えに満ちた尊い行いであると共に、坐禅をすること自体が仏の行いであり、仏に成ることなのです。そんな坐禅に何を必要以上のことを期待し、見返りを求める必要があるのでしょうか。「図作仏」の必要などないばかりか、「是非を管ずる」といった、坐禅の是非を論ずることも無用の行いなのです。


そんなことに限られた貴重な時間を要するのではなく、「光陰を護借する(時間を大切にする)」ことを意識しながら、あれこれ理屈を言わず、「図作仏」することなく、「救頭然」を意識して、坐禅に身を投じ、悟りを得た仏様の真似をしていればいいのです。そうすれば、自然と仏に近づき、よき人間となっていくのです。


現代社会は「是非を管ずる」と言わんばかりの発言や言動が目立ち、図作仏と言わんばかりに、自分に見返りを求めながら日々を過ごす場面を多々見受けますが、その典型的とでも言うべき方が、あるとき坐禅会に参加したところ、心が引き締まったとおっしゃいました。一度や二度の坐禅で、すぐに何かが変わるわけではありませんが、そんな坐禅を地道に続けていくことに、大きな意味があるような気がします。もちろん、坐禅に意味を求めることは「図作仏」ですので、最初からそういう姿勢で坐禅をしても、お釈迦様から伝わる坐禅の真意にたどり着くことは難しいでしょうが、「是非を管する」ことに時間を割きがちな我々現代人だからこそ、是非を管することを否定する坐禅を行じ続けることによって、新たな発見があり、自分という存在が大きく成長していけるような気がします。一見、異彩な面を秘めた坐禅を日々の生活場面の一部として取り入れてみることを、是非、おススメします。

第61回「仏道の基本 ―坐禅是レ第一-」

令和2年12月20日 更新

如来(にょらい)の端坐(たんざ)、少林(しょうりん)の面壁打成一片(めんぺきたじょういっぺん)にして、都(すべ)て多事無(たじ)なし。石霜枯木(せきそうこぼく)に擬(ぎ)し、太白坐睡(たはくざすい)を責む、焼香、礼拝、念佛、修懺(しゅさん)、看経持課(かんぎんじか)を用いず、只管打坐(しかんたざ)して始めて得んと。

「如来の端坐」とは、仏教誕生のきっかけともなった「お釈迦様が35歳の12月8日にお悟りを得た坐禅」を指します。また、「少林の面壁」というのは、「インドから海を渡って中国に禅をお伝えになった達磨大師(だるまだいし)様(生年諸説あり)が中国の少林寺において、ただひたすらに坐禅修行のみに我が身を投じた」ことを意味しています。達磨大師様の坐禅は自分の目に入る一切の情報を遮断して、外界の出来事に執着することがないよう、壁に向かってなされたことから「面壁(めんぺき)」といい、曹洞宗門の坐禅では、この「面壁」が、そのまま相承され、今も実践されています。


そうしたお釈迦様始め、そのみ教えを相承してきた祖師方の坐禅は、「打成一片」であり、「都て多事無し」であったと瑩山禅師様はお示しになっています。「打成一片」とは、「一つに成りきる」ことです。我が身と坐禅という仏行が一体化し、仏と成り、悟りを実現している様を意味しています。そこには、坐禅以外の行は何も存在せず、まさに「多事無し」なのです。


こうした「打成一片」や「多事無し」と同じことを示しているのが、「石霜枯木」や「太白坐睡」です。石霜慶諸(せきそうけいしょ)(807-888)は約20年近くに渡って石霜山において、ひたすら修行僧と共に坐禅修行に打ち込んだ方で、眠くなっても、横になることなく無心になって坐禅を行じたお姿が、まるで枯木のように不動であったことから、人々は「枯木衆(こぼくしゅ)」と称しました。こうした石霜禅師の生き様を指し示すのが「石霜枯木に擬す」です。


次の「太白坐睡」は道元禅師様の師・天童如浄(てんどうにょじょう)禅師様(1162—1227)の坐禅修行に関するものです。太白は如浄禅師が住職をお勤めになり、禅風を宣揚していた「天童山・景徳寺(けいとくじ)」がある「太白山」のことです。そこでの如浄禅師様の仏道修行は普勧坐禅儀・第27回「坐禅とハラスメント」にてご紹介させていただいたことがあります。修行僧たちに対して、仏とご縁をいただいた時間を居眠りするなどして無駄に浪費することなく、ひたすらに坐禅に励んでほしいという願いを込めて、「愛のムチ」を振るいながら関わってきたのが、如浄禅師様という方です。


試しに道元禅師様が会下の修行僧たちにお話になったことを高弟の弧雲懐弉(こうんえじょう)禅師様がまとめられた「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」を紐解いてみますと、「学道の最要は坐禅是レ第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり」というみ教えはじめ、仏道修行者にとって、何よりも坐禅が第一であり、坐禅を根底に置いて、日常の諸事が生み出されていくことに気づかされます。「焼香、礼拝、念佛、修懺(仏に我が罪を懺悔すること)、看経持課(毎日の日課として経文を読むこと)」といった行も、日々の坐禅修行を基本に据えたものでなくてはならず、これらが主になるような形であったり、坐禅を抜きにした焼香や礼拝、仏法僧の三宝への帰依がない念仏や修懺、看経持課だったりというのは、仏の行とは言えないというのが、「只管打坐して始めて得ん」の中で瑩山禅師様がお示しになろうとしたことのように感じます。


仏道修行者にとって、日々の坐禅が基本であることを今一度、確認させていただき、坐禅を第一として仏の道を歩んでまいりたいものです。

第62回「仏祖の坐法」

令和2年12月2日 更新

大抵(たいてい)、坐禅の時は、袈裟(けさ)を搭(か)くべし、蒲団(ふとん)を略すること莫(なか)れ、全く趺坐(ふざ)を支ふるに非らず、跏趺(かふ)の半なかばより後(しり)へ脊骨(せきこつ)の下に至る。是れ仏祖の坐法(ざほう)なり。

坐禅を行う際の威儀(いぎ)(服装・立ち振る舞い)について、瑩山禅師様は、まず「袈裟を搭くべし」とおっしゃっています。袈裟を掛けて(身につけて)坐禅に臨むようにというのです。「袈裟」は右の写真で住職が黒い衣の上に身につけている黄褐色の法衣です。お釈迦様以降、仏教教団の僧侶が墓場やはきだめ等に捨ててあった布を洗って縫い合わせ、黄褐色に染めた「糞掃衣(ふんぞうえ)」を“最上の袈裟”として着用してまいりました。袈裟は元来、そうしたぼろ布であると共に、その原語が「柿渋色(かきしぶいろ)」という「壊色(えじき)(原色ではない目立たない色)」であるという点も加え、何者かに盗まれたりすることもなければ、被着者が目立ちたいと思う気持ちを押さえ、仏道修行に専念できるという面もあり、仏教徒にとって、功徳の高い衣服であると捉えられてきました。


そんな「袈裟を搭けること」が「お釈迦様からの正しい仏法が相承されている者の証である」と、道元禅師様はおっしゃっています(正法眼蔵「袈裟功徳」)。実際に袈裟を搭けるのは、お釈迦様のみ教えを受け継いだ仏弟子(僧侶)のみですが、一般の方も袈裟の縁起や意味を知った上で、坐禅に臨む際には、袈裟を身にまとうが如く、衣服や身なりを調えておきたいものです。

袈裟

次に「蒲団を略すること莫れ」とありますが、これは第58回・第59回において、瑩山禅師様がお示しになっている「坐禅の条件」の中でも提示されていた坐禅に用いる座布団のことです。そこでも触れましたように、坐禅を行ずる際には、しっかりと足を組んで(膝を容【い】るる)、身体を支えるという点で、高さのある座布団を使用することが必須です。そういう意味で一般的に使用されているのが、「坐蒲(ざふ)」という円形の座布団です。


ところが、この坐蒲に深く座ってしまう(坐蒲の後部に座る)と、両膝を地につけることができなくなります。実際にやってみると一目瞭然なのですが、両膝が浮いてしまうのです。三脚をイメージしていただくとわかりやすいのですが、坐禅をする際、三脚のように、頭と両膝の三点で身体を支えることになりますので、両膝を浮くようでは、身体を支えることができなくなってしまいます。ですから、そうならないような坐り方(趺坐を支ふる坐り方)をしなくてはならないのですが、それが、「半ばより後へ脊骨の下に至る」という坐り方です。すなわち、坐蒲には深く座るのではなく、ちょうど自分の背骨が坐蒲の真ん中に来るように浅めに坐るのです。そうすれば、両膝が地につき、我が身を支えて坐禅をすることができるようになるのです。


「袈裟を搭けること」、「蒲団を用いること」、「跏趺の半ばより後へ脊骨の下に至るように」坐ること。この三点が「仏祖の坐法」であると瑩山禅師様はおっしゃいます。この作法にできうる限り忠実に、坐禅を行じていきたいものです。

第63回「仏祖の坐法 その2 ―お釈迦様から道元禅師様、そして、瑩山禅師様へ―」

令和年1月2日 更新

或(あるい)は結跏趺坐(けっかふざ)し、或は半跏趺坐(はんかふざ)す、結跏の法は先(ま)づ右の足を以つて左の腿(★)の上に置き、左の足を以つて右の腿の上に置いて、寛(ゆる)く衣物(えもつ)を繋(か)けて斉整(せいせい)ならしむべし、次に右の手を以つて左の足の上に安じ、左の手を以つて右の手の上に安じ両手の大指相拄(たいしあいささ)えて身に近づけ、拄指(ちゅうし)の対頭(たいとう)、当に臍(ほぞ)に対して安ずべし、正身端坐(しょうしんたんざ)して左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐ)まり、後(しり)へに仰ぐことを得ざれ、耳と肩と鼻と臍と必ず俱(とも)に相対(あいたい)し、舌上(したうえ)の腭(あぎと)に拄か)け、息は鼻よりも通じ、唇歯相著(しんしあいつ)け、眼は須(すべか)らく正(まさ)しく開くべし

今回は瑩山禅師様によって「仏祖の坐法」が提示されています。もっとも、これは道元禅師様が「普勧坐禅儀」の中でお示しになった内容とほぼ同じです。詳細は下記の一覧表にてご確認いただければ幸いです。


足の組み方(「結跏趺坐」・「半跏趺坐」) 普勧坐禅儀・第15回 「坐禅の条件 その3 足の組み方」

手の組み方(「両手の大指相拄える」ほか) 普勧坐禅儀・第16回 「坐禅の条件 その4 手の組み方」

姿勢(正身端坐 ほか) 普勧坐禅儀・第17回 「坐禅の条件 その5 坐禅中の姿勢」

目線(須らく正しくひらくべし) 普勧坐禅儀・第18回 「坐禅の条件 その6 目の置き方」

呼吸(息は鼻よりも通じ) 普勧坐禅儀・第19回 「坐禅の条件 その7 坐禅中の呼吸」

両者を比較しながら見ていくと、ほとんど相違がないことに気づかされます。これは言うまでもなく、瑩山禅師様が道元禅師様を真似たというよりは、お釈迦様から道元禅師様へと伝わっている「仏祖の坐法」をそっくりそのまま受け継ぎ(相承【そうじょう】)、提示なさったことに他なりません。言い換えるならば、時代が変わっても、場所が違えども、お釈迦様から伝わるみ教えが正しいことを道元禅師様も瑩山禅師様も証明なさっているということなのです。


そうした祖師方がお示しになった坐法に従って、姿勢を調えていくと(正身端坐)、自ずと耳と肩、鼻と臍(ヘソ)が、それぞれ一直線上に並び、相対します。最初から耳と肩を相対させようとしても上手くいくものではありません。背筋を伸ばすなどして姿勢を正していく中で、次第に点と点が一直線で結ばれるがごとくに並ぶようになるのです。


こうしたお釈迦様から相承されてきている「仏祖の坐法」に、私たちは一切の私見を交えることなく、そっくりそのまま受け継ぎ、味わっていきたいものです。




★「腿」について

正しくはにくづきに坒という文字が使用されていますが、漢和辞典やパソコン等で検索してみたところ、当該文字が見つからなかったため、それに近い意味を持つ文字で代用させていただきましたことをご報告させていただきます。

第64回「仏祖の坐法 その3―ココロ・カラダ・コキュウを調える―」

令和3年1月日 更新

張らず微(ほそ)めず。是の如く調身し巳(おわ)つて、欠気安息(かんきあんそく)す。謂(いは)ゆる口を開いて気を吐くこと一両息(りょうそく)なり、次に須らく坐定(ざじょう)して身を搖(うごか)すこと七八度し、麄(そ)より細(さい)に至つて兀兀(ごつごつ)として端坐すべし。

前回に引き続き、今回も瑩山禅師様より「仏祖の坐法」が提示されています。今回も同様に、道元禅師様の「普勧坐禅儀」にも同じ内容のお示しがあります(普勧坐禅儀 第20回「坐禅中の思考 ―“不思量底”を思量する」を参照)。そちらも併せて参照しながら、今回の一句を味わってみたいと思います。


まず、「張らず微めず」とあります。これが「調身」という、「姿勢を調える」ということです。「調身」は坐禅には欠かせませんが、ただ、注意しなければならないことがあります。それは、「調身」を意識するあまり、直立不動といわんばかりにガチガチに身体を固定してしまうような姿勢の調え方は調身ではないということです。それが、「張らず」ということです。逆に、「微」が意味するような、「締まりなくダラッとしている」のも「調身」とは言えません。あまり張りすぎず、かといって、ダラダラすることなく、頭の先で天井を突くようなつもりでいると、程よく背筋が伸びていきます。これが「張らず微めず」という「調身」なのです。


そうやって、「欠気安息」、すなわち、「呼吸が調ってくる」と瑩山禅師様はおっしゃいます。これが「調息」ということです。道元禅師様が「欠気一息(かんきいっそく)」とお示しになったのに対して(普勧坐禅儀 第19回「坐禅の条件 その7 坐禅中の呼吸」参照)、瑩山禅師様が「欠気安息」とおっしゃられたことが興味深いです。両者は同じことなのですが、瑩山禅師様の「安息」という言葉には、坐禅によって、姿勢が調えば、呼吸のみならず、心も調い(調心)、今まで感じたことがないような安心感さえも覚えるようになるという意味までもが内包されているように感じられ、とても奥深いものを思わずにはいられません。


坐禅中の呼吸について、瑩山禅師様は「一両息」という言葉を用いていらっしゃいます。これも瑩山禅師様の特有の言い回しです。「一両」には、「一個、二個」の意がありますが、ここには、坐禅を行ずる一人の人間から発せられた調った呼吸によって、周囲に無限に拡がる全世界とつながり、今、自分がいのちをいただいて、この世に生かされていることをまじまじと実感できるという意味が込められているように感じます。そうした呼吸が「調息」という、坐禅による調った呼吸ということなのでしょう。


そして、次に瑩山禅師様は坐禅中の姿勢に言及なさっています。「身を搖すこと七八度」とあるように、数回に渡ってゆっくりと身体を左右に揺らしながら、大自然の中で動ずることなくそびえ立つ大山のごとく兀兀と端坐できるようなポイントを押さえ、姿勢を調えていくのです。これは、道元禅師様のおっしゃる「左右揺振(さゆうようしん)」ということです。ちなみに、「麄より細に至る」というのは、最初は荒々しく大雑把な動きだったものが、次第に静かに落ち着いた動きに変化していく様を示しています。こうした動きが「左右揺振」ということなのでしょう。


瑩山禅師様特有の言い回しはあるものの、それも含め、お釈迦様から両祖様(道元様・瑩山様)へとそっくりそのまま坐禅が相承されていることは、今回の一句においても証明されています。坐禅を実践していく上での留意点はいくつかありますが、実際にやってみながら、少しずつ身についていくものではないかと思います。一度で全てをやり遂げようとせず、できることから少しずつ取り入れながら、少しでも多くの方が自分の「ココロ・カラダ・コキュウ」を調え、安心のある日常生活を送っていただくことを願うばかりです。

第65回「正念(しょうねん)の活動 -“非思量(ひしりょう)”乃ち“坐禅の要法(ようほう)”-」

令和3年1月16日 更新

此(ここ)に於いて箇(こ)の不思量底(ふしりょうてい)を思量(しりょう)す。如何(いかん)が思量せん。謂(いわ)く非思量(ひしりょう)、此れ乃(すなわ)ち坐禅の要法(ようほう)なり。直(じき)に須(すべか)らく煩悩を破断(はだん)して菩提を親証(しんしょう)すべし。

坐禅中における頭の中の状態について、「思量」とか、「不思量」という言葉が出てまいります。これらの言葉は、道元禅師様が「普勧坐禅儀」の中で用いられており(普勧坐禅儀 第21回「坐禅の要術 -坐禅は“こころと身体の健康法”」、瑩山禅師様は、それをそのまま相承なさった上で、「坐禅中の思考」についてお示しになっています。それが今回の一句です。


瑩山禅師様(1268-1325)がご活躍なさった時代は今から約700年前、鎌倉時代の後期です。この700年の間で時代背景にしろ、人々の日常生活や言葉なども随分変化しており、当時のことを理解しようとするのは至難の業です。ところが、自分だけの力では困難を極めることも、それを得意分野としている人が周囲にいれば、その力を借りて、困難を成し遂げることができます。瑩山禅師様がお示しになった、私のような若輩者には難解に映る「坐禅用心記」も、それを解釈し、わかりやすく伝えてくださる方がいらっしゃるからこそ、坐禅が親しみやすく感じられるようになっていくような気がします。


そんな私にとって、「坐禅用心記」の先生である偉大なる師は、大本山總持寺独住第7世・秋野孝道(あきのこうどう)老師(1858-1934)です。曹洞宗大学林(現・駒澤大学)学長に、大本山永平寺の後堂(ごどう)職など、明治期から昭和初期にかけての曹洞宗門の発展に寄与された秋野老師がお示しになった「坐禅用心記」をはじめとする様々な経典・祖録の講話集(解説書)が世に残されています。


そんな秋野老師がお示しになった一冊である「坐禅用心記講話」と、私が住職を務めさせていただいている松山寺の書庫でお目にかかったのが、令和元年の秋でした。昭和5年(1930年)、秋野老師の晩年、大本山總持寺の貫主職をお務めでいらっしゃった頃でしょう、当時20代前半の若き修行僧にプレゼントしてくださったのが、「坐禅用心記講話」でした。その若き僧侶は、後に松山寺第26世住職を拝命することになる私の祖父で、老師と祖父のやり取りから90年近い歳月がたった今、28世住職となった孫が、参究させていただいています。これぞ、まさに「相承」であり、こうしたご縁をもたらしてくださった秋野老師と松山寺26世住職との仏縁に、只々、感謝するばかりです。


そんな秋野老師が、「坐禅用心記講話」の中で、今回の一句について、「この一節は一番大事なところで」と前置きなさった上で、「へたに講釋(こうしゃく)するよりも、各自が實地(じっち)に坐つて味はつて見る方がいい(原文ママ)」とおっしゃっています。一般には、坐禅中は「頭の働きをストップさせ、何も考えてはいけない、無にならなくてはならない」などといった、誤った解釈が存在していますが、こうした解釈が登場するのも、「実地に坐って味わっていない」のが大きいのではないかという気がします。


しかしながら、坐禅が未経験だという方の全てが坐禅を敬遠してそうなっているのではなく、坐禅とのご縁が熟していないことが最大の理由のように思います。秋野老師は、そのことも視野に入れながら、未経験者に対して、「不思量」や「非思量」という難解な言葉を、丁寧に解説なさってくださっています。


秋野老師は「坐禅をして居つてもちゃんと心ははたらいて居る、しかしその心は妄想分別の心ではない、謂(いわ)ゆる正念(しょうねん)の活動である(原文ママ)」とおっしゃっています。この「正念の活動」というのが、「不思量」であり、「非思量」なる「坐禅の要法」なのです。そして、坐禅をしながら非思量でいることによって、私たちの心や身体が調うと共に、自分の中に発生した三毒煩悩が断たれ、「菩提の親証」、仏の悟りへと近づいていくのです。これは「即心是仏そくしんぜぶつ」ということであり、坐禅をしていることそのものが、仏の行いであり、仏に成りきっていると言われる所以なのです。


「正念」ということについて、これは、お釈迦様がお示しになった涅槃(悟り)に近づく上で修すべき8つの道(八正道【はっしょうどう】)の一つで、三毒煩悩の原因となる「思慮分別」をせず、万事に仏性(仏のいのち)を認め、その価値を見出しながら我が心を調え、仏の悟りへと近づいていくような心の持ち方をすることを意味しています。この「正念」こそが、「不思量」であり、「非思量」という、坐禅中における私たちの頭の中の状態なのであると、秋野老師はお示しになっているのです。


そうした坐禅に身を投ずることによって、我が身心が調い、安心がもたらされることが、今回も証明されています。コロナ禍による厳しい時代ではありますが、巣ごもり生活を余儀なくされる中で、どうか短時間でもいいから、坐禅を通じて、“安楽のある日常生活”を送っていきたいものです。

第66回「仏祖の坐法 その4 “軽軽(けいけい)”かつ“徐々(じょじょ)”なる言動を目指す-」

令和3年1月23日 更新

若(も)し定(じょう)より起たんと欲せば、先(ま)づ両手を両膝の上に仰ぎ安じながら、身を搖(うご)かすこと七八度して、細(さい)より麄(そ)に至り、口を開いて気を吐き、両手を伸べて地を捺(おさ)え、軽軽(けいけい)に座を起て、徐々(じょじょ)として行歩(こうほ)す須(すべか)らく順転(じゅんてん)し順行(じゅんぎょう)すべし。

瑩山禅師様は坐禅に入っていく際の動きについて、「身を搖(うご)かすこと七八度し、麄(そ)より細に至つて兀兀(ごつごつ)として端坐すべし」(坐禅用心記・第64回「仏祖の坐法 その3 —ココロ・カラダ・コキュウを調える-」)とお示しになっています。今回の一句を拝見いたしますと、“搖かす”とか、“麄より細に至る”など、同じ表現が使用されていますが、先に「定より起たんと欲せば」とあるように、坐禅を終えて、自分の座から立ち上がる場合の方法について触れられていることに気づきます。その方法というのは、坐禅に入るときと動きは逆で、始めはゆっくり、そして、次第に大きく身体を左右に七八度揺らしながら、立ち上がるというものです。この左右に身体を七八度搖かすというのは、道元禅師様のお言葉をお借りするならば、「左右揺振」ということでした。


こうした「座より起つ」の作法は、道元禅師様も普勧坐禅儀の中でお示しになっています。この中で注目すべきは、「卒暴(そつぼう)なるべからず」というみ教えです。極度の緊張感が持続する坐禅修行の場において、その終了を告げる抽解鐘(ちゅうかいしょう)の音が鳴ると、ついつい気が緩み、作法を遵守することを忘れて、大胆で騒々しい言動を引き起こしやすくなります。そうならないように留意した上で、“軽軽に”とか、“徐徐として”という言葉を意識し、堂内で行う全てが坐禅修行であると捉え、一つ一つの所作を丁寧にこなしていきたいものです。


ちなみに、「行歩」とは、「歩くこと」であり、「順転」とは、「右に身を転ずること」を意味します。曹洞宗の儀礼として、仏祖の周りを右まわりで三度回る「右遶三匝(うにょうさんそう)」というのがあります。これはインドの礼法で、尊敬する人の周りを右に回って敬意を表する作法です。坐禅を行う僧堂(坐禅堂)の中でも、真ん中にいらっしゃる聖僧文殊菩薩(しょうそうもんじゅぼさつ)様等の仏様への帰依を表すが如く、右回りでがルールとなっており、それに従ったものが「右に身を転ずる」です。歩くことを意味する「行歩」は、それも含めた坐禅堂内における坐禅修行者の動きと捉えればいかがかなと思います。


そうした坐禅修行者の堂内における言動が、卒暴なることなく、穏やかで静かなものであるというのが、「調身」という、坐禅によって我が身を調えることなのです。こうした言動を、坐禅の場だけに限らず、日常生活全体の場で心がけ、穏やかな毎日を目指していきたいものです。

第67回「経行(きんひん)の法 その1 -睡魔を除去する方策-」

令和3年1月30日 更新

坐中若(ざちゅうも)し昏睡来(こんすいきた)らば常に應(まさ)に身を搖(うご)かし、或(あるい)は目を張り、又は心を頂上と髪際(ほっさい)と眉間(みけん)とに安ずべし。猶(な)ほ未だ醒めざる時は、手を引いて應に目を拭(ぬぐ)ひ、或は身を摩(ま)すべし。猶ほ未だ醒めざる時は、座より起(た)つて経行(きんひん)せよ、正に要す順行(じゅんぎょう)して若し一百許歩(きょほ)に及ばば、昏睡必らず醒めん。

今回は坐禅中に眠気を催してしまった場合の対応策について触れられています。


そもそも、瑩山禅師様は「坐禅用心記」の中で、「三不足(さんふそく)」ということについてお示しになっています。これは、“食事”・“衣服”・“睡眠”の三者が不足することないように心がけ、自らの身心を調えて、坐禅に身を投じ、決して、怠けることなく、仏道修行に勤しむことの大切さを説いたものです。


ところが、普段から“睡眠”に気を配っているのに、日頃の疲れなのか、はたまた、身心がリラックスしすぎてしまうのか、坐禅中に睡魔に襲われ、ついつい眠ってしまったという経験は、坐禅修行者にはありがちなことです。かく言う私も、これまで幾度となく「気がついたら、坐禅中に眠っていた」という経験があります。こうした経験を通じて私が感じるのは、坐禅しているときほど、我が身心は正直に働くということです。疲れた身体で坐れば睡魔に襲われ、体調不良で坐れば集中力が途切れて坐禅が続かない、そんな坐禅だからこそ、今の自分の状態と素直に向き合うことができるように思います。


そうした「坐中若し昏睡来たらば」という状況になったとき、「身を搖かし、目を張り、心を頂上と髪際と眉間に安ずべし」と瑩山禅師様はおっしゃいます。「身体を動かして、目をしっかりと見開き、心が頭上や髪の生際、眉間に行くようにすればよい」ということですが、身体を動かすといっても、周囲で坐禅を行じている人々に不快感を覚えさせるような激しい動きを慎むことは言うまでもありません。あくまで小さくて、静かであるという程度の動きで捉えればよろしいかと思います。そして、自分の神経を頭上に「全集中」と言わんばかりに持っていくという、普段、あまり意識していない方法で以て、眠気を覚ましていくようにと瑩山禅師様はおっしゃっているのです。


そこまでしても眠気が覚めない場合は、「手を引いて目を拭ひ、或は身を摩すべし」とあります。これが、静かに「身を搖かす」ということと関連しているように思います。すなわち、小さく静かにまばたきするなどして、目を動かしてみたり、あるいは、肩を静かに上下させるようにしてみたりして、我が身に静かに波動を起こさせるようにすることが「目を拭ひ、身を摩す」ということなのです。


それでも尚、眠気が覚めない場合、「座より起つて経行せよ」と瑩山禅師様はおっしゃいます。「経行」というのは、次の段で詳細に説明されていきますが、“歩く坐禅”とも言われ、坐禅中に坐屈や眠気防止のために、一定の時間、堂内をゆっくりと歩くことです。坐禅中に堂内の鐘が二度鳴ると(経行鐘【きんひんしょう】)、修行僧たちは、一旦、坐禅を中断して、自分の座(席)を立ち、一定の時間、堂内を経行します。そして、堂内の鐘が一回鳴ったら(抽解鐘ちゅうかいしょう)、経行を終えて、再び自分の座にて坐禅修行に入ります。


こうして眠気を覚まして、坐禅が続けられていくというのが、「順行して若し一百許歩に及ばば」の意味するところです。睡魔はまっすぐに進もうとする者を退歩させていく存在です。大本山總持寺独住第7世・秋野孝道禅師は「坐禅用心記講話」の中で、そうした睡魔に襲われることを戒めるというより、睡魔を除去する方法を瑩山禅師様はお示しになってくださっているとおっしゃっています。そして、秋野禅師は、この瑩山禅師様のご見解を「まことに親切な御提撕(ごていせい)(後進への教え導き)」と評していらっしゃいます。この禅師のお言葉を心に刻み、沸き起こる睡魔をコントロールしながら、禅の道を歩んでいきたいものです。

第68回「経行(きんひん)の法 その2 -“方便”の奥底には-」

令和3年日 更新

而(しか)して経行(きんひん)の方は、一息恒(いっそくつね)に半歩(はんぽ)なり、行くも亦(ま)た行かざるが如く、寂静にして動ぜす。是の如く経行するも、猶(な)ほ未(いま)だ醒めざる時は、或は目を濯(あら)ひ頂(いただき)を冷(ひや)し、或(あるい)は菩薩戒(ぼさつかい)の序を誦(じゅ)し、種々(しゅじゅ)に方便(ほうべん)して、睡眠せしむること勿(なか)れ。

前回に引き続き、“歩く坐禅”と言われる「経行(きんひん)」について、触れられていきます。「経行」は、坐禅中の坐屈・眠気防止のために、一定の時間、堂内をゆっくり歩くことですが、その歩き方は「一息恒に半歩なり、行くも亦た行かざるが如く、静寂にして動ぜす」とありますように、“一呼吸に半歩(一息半歩いっそくはんぽ)の静かな動き”、そして、“動いているのかどうかさえもわからない”くらいのものであると瑩山禅師様はおっしゃっています。


実際に「経行」を行じてみますとわかりますが、一息半歩は自分が坐っていた場所から1~2席程度、隣にズレるくらいの動きしかありません。そうやって静かにゆっくりと歩き、足のしびれを取りつつ、眠気を覚ますのが「経行」なのです。


そうした経行をやってみても尚、眠気が覚めない場合、瑩山禅師様は「目を濯ひ頂を冷す」ようにとおっしゃっています。これは、まさしく、冷たい水で目を洗ったり、頭から水をかぶったりするなどして目を覚ます方法です。さらに、瑩山禅師様は「菩薩戒の序を誦す」こともお勧めになっています。「菩薩戒の序」というのは、「梵網経(ぼんもうきょう)」という経典で、5世紀に中国で成立した戒律に関する経典です。そうやって様々な手段を用いながらも、眠気を除去し、我が身を坐禅に集中させていくことが瑩山禅師様の願いです。


そんな眠気を除去するために用いる種々の手段を、ここでは「方便」という言葉を使って言い表しています。人々の苦悩を解消し、煩悩を断滅させ、真理へと導くことが仏教の目的だとするならば、真っ直ぐにその達成へとつながっていく本修行と、多少の回り道をしながらも目的達成へとつながっていく予備修行があり、方便は後者に該当します。一見したところ、正攻法から外れたやり方には見えますが、一人一人の機根に応じながら、必ずや煩悩を断ち、苦悩の解消へとつながっていくという面においては、回り道をしても、確実に目的地に到達する方法とも言えるでしょう。それが「方便」なのです。


そうした方便を用いながらも、坐禅に我が身を投じ、集中させようとする背景に、日本に中国から曹洞禅のみ教えをもたらした道元禅師様の師・天童如浄禅師様の坐禅観が見え隠れしているような気がします。会下の修行僧たちに、「世間のあらゆる因縁から逃れ、禅の世界に飛び込んできたのならば、徹底的に坐禅をすることが仏道を歩む者のあり方である」とお示しになり、自ら坐禅修行に我が身を投じてこられた如浄禅師様。次回はその坐禅にかけた生き様・思いに触れてみたいと思います。

第69回「天童の宗風 ―“生死事大(しょうじいだい)”・“無常迅速(むじょうじんそく)”の自覚」

令和3年2月13日 更新

當(まさ)に生死事大(しょうじじだい)、無常迅速(むじょうじんそく)なるに、道眼未(どうげんいま)だ明(あきら)かならず、昏睡(こんすい)何ぞ為(な)さんと観ずべし。昏睡頻(しき)りに来らば應(まさ)に発願(ほつがん)して業習已(ごうしゅうすで)に厚し、故に今睡眠蓋(いますいみんがい)を被むる、昏蒙(こんもう)何の時か醒めん、仏祖大悲(ぶっそだいひ)を垂たれて我が昏重(こんじゅう)の苦みを抜かんことを願ふと云(い)ふべし。

―「當に生死事大、無常迅速なるに」―


「生死事大」とは、生老病死の現実を我が事として受け止めることです。

禅家にとって、生まれる(生きる)ことと死ぬことを含む生老病死の問題について、決して、生を好み、死を忌み嫌うといった自分の都合だけで、現実を分別することなく、万事を我が身に起ることと受け止め、そこに仏道を反映させ、仏に近づいていくことが求められます。すなわち、自分自身がどうやって仏法と共に生き、どう死を迎えるかを明確にすることが「生死事大」なのです。これは、かの修証義の「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」とも通じるものです。


「無常迅速」は、万事が時間の流れの中で絶えず変化し、人のいのちも、いつどうなるかわからぬはかないものであるということです。これも修証義の「無常憑み難し」に相通じます。


こうした「生死事大」、「無常迅速」というみ教えは、出家者のみならず、在家にあっても、こうして禅家とご縁をいただいた全ての者が我が人生における標語として、常日頃から意識して日々を過ごしていきたいものです。


そんな「生死事大、無常迅速」を会下の修行僧たちに説き、自ら坐禅に身を投じ切った生粋の禅僧が天童如浄(てんどうにょじょう)禅師様(1162-1227)です。既にご承知のように、如浄禅師様は道元禅師様が中国にご修行に赴かれた際に、師と仰いだ方です。後に、道元禅師様が高弟・弧雲懐弉(こうんえじょう)禅師様始め会下の修行僧たちに、如浄禅師様の禅風を語っていらっしゃいます。(参照:「正法眼蔵随聞記 2の(10)“我れ大宋天童禅院(だいそうてんどうぜんいん)に居(きょ)せし時」)


大宋天童禅院において、住持(じゅうじ)(最高責任者)であった如浄禅師様は修行僧と共に夜は11時頃まで坐禅を行じ、朝は2時半頃から起きて一日中坐禅に身を投じる日常をお送りだったそうです。これは相当に厳しいご修行で、修行僧の中には坐禅中に眠りこける者もいれば、体調を崩すものも出てきたそうです。しかし、それでも如浄禅師様は坐禅を続けると共に、眠る修行僧を拳や履物で打ったり、鐘を鳴らしたり、ロウソクを灯して明るくするなどして、修行僧たちの睡魔除去を試みになりました。現代の視点から見れば、行き過ぎとも思えるような荒々しく見える行いですが、これらは前段のお言葉を用いるならば、「方便」と捉えることもできるでしょう。


そうした厳しい方便を用いながら、如浄禅師様はおっしゃいました。「世間の帝王・役人は昼夜問わず、国王としての道を修め、国の為に身を粉にして働いている。また、一般庶民は苦労して田畑を耕して、生計を立てている。誰一人として、安楽な生活を送っている者などいないのに、そうした苦労から逃れ、禅の世界に身を投じながら、眠りこけて、為すこともなく時間を費やすなどとはどういうことか!諸行無常という、いつどうなるかわからぬいのちを生かされている者が、人間の生死を明らかにすることこそ、禅家にとって大切な営みなのである。」と―。道元禅師様はこうした如浄禅師様のお示しを「天童の宗風」と呼び、仏道修行者は手本とすべきであるとおっしゃっています。


こうしたエピソードに思いを馳せれば、未だ坐禅によって、道眼(物事の道理を正しく把握する能力)明らかでないにもかかわらず、坐禅中に居眠りをすること自体があり得ないことであるという論理展開になっていくのは誰しも頷けることです。ですから、坐禅中に居眠りすることがないようにするためにも、「三不足の戒め」の中にもあったように、日頃から睡眠不足にならないように注意することが欠かせません。「業習」という言葉が使われていますが、これは仏教における業思想(善果にはよき原因が、悪果には悪しき原因がある)です。すなわち、坐禅中に眠ってしまうという結果をもたらす原因を掴むことが肝心であるということです。


経行に始まり、冷水を被ったり、菩薩戒の序を誦したりと、様々な方便が登場いたしましたが、いずれの方法を用いるにしても、睡眠蓋(坐禅の妨げとなる眠気)を被って、坐禅が中断することがないように、仏祖に発願することが最終的な睡魔除去の方策であると瑩山禅師様はおっしゃっています。この根底には坐禅との仏縁を育んでくださった仏への深い帰依だけは外せないことを最後に一言、申し上げておきます。

第70回「心散乱する時の対処法」

令和3年2月20日 更新

心若(も)し散乱する時は心を鼻端丹田(びたんたんでん)に安じて出入(しゅつにゅう)の息を数えよ。猶(な)ほ未(いま)だ休(きゅう)せざる時は須(すべか)らく一則(いっそく)の公案(こうあん)を提撕(ていぜい)して挙覚(こかく)すべし。謂(いわ)く是(こ)れ何物か恁麼来(いんもらい)。狗子無仏性(くしむぶっしょう)。雲門(うんもん)の須弥山(しゅみせん)。趙州(じょうしゅう)の栢樹子等(はくじゅしとう)の没慈味(もつじみ)の談、是れ其の所応(しょおう)なり。

これまで坐禅中に眠気を催した場合の対処法が示されてまいりましたが、今回からは坐禅中に集中力が続かなくなった場合(心散乱する時)の対処法について触れられていきます。これも、前回の「睡眠蓋(すいみんがい)」同様、坐禅中における私たちの精神の統一や身心の調整を妨害する存在です。むしろ、私たちは睡眠蓋以上に心散乱する場面に出くわし、悩まされることが多いのではないかという気がします。それ故、是非、“心散乱する時の対処法”を知っておきたいところです。


まず、瑩山禅師様は「心を鼻端丹田に安じて出入の息を数えよ」とお示しになっています。「丹田」はヘソの辺りを指します。ここは、古来より気息を調えるのに最も良好とされている箇所です。心が乱れ、落ち着かないときには自分のヘソのあたりに神経を、まさに“全集中”させ、吸う息・吐く息の数を数えてみると心が調っていくということなのです。


先日の夜のことでした。小学校から帰って来てから、疲れたのか、そのまま眠ってしまった次男(小学校2年生)が、8時頃、目を覚まし、夕食・入浴・宿題と慌ただしい夜を過ごしました。全て終わったのが夜の11時で、そこから布団に入り、入眠しようとしたのですが、案の定、眠れず、羊の数を500数匹数えた辺りで、やっと入眠できたということがありました。不眠に陥った者が睡眠に全集中すべく、羊の数を数えながら眠るという方法は昔から実践されているポピュラーな方法ですが、何かの数を数えているうちに、散乱していたものが調い、集中できるようになるというのは、坐禅の世界にも当てはまることなのでしょう。


しかし、それでも尚、心の散乱が収まらぬ場合、瑩山禅師様は「一則の公案を提撕して挙覚すべし」とお示しになっています。「公案(仏祖がお示しになった仏法の道理)を提撕(専心に参究すること)しながら、挙覚(心の散乱を戒め、坐禅に邁進すること)するようにということです。


坐禅を恁麼来(このようにやってみて)、様々な公案が誕生し、仏教史の中で語り継がれています。その中のいくつかが紹介されていますが、「狗子無仏性」は「狗子(犬)に仏性があるか否か」という唐代の禅僧・趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)(778-897)と一僧侶との問答に関する公案、「雲門の須弥山」は雲門文偃(うんもんぶんえん)(864-949)が「須弥山」という解答で以て、有と無といった対立の二見がないことを示した公案、「趙州の栢樹子」は趙州禅師がある僧侶に祖師西来(そしせいらい)(達磨大師がインドから中国にやって来たこと)の問いについて示した公案です。これらの公案は「没滋味の談(味のない公案)」であると瑩山禅師様はおっしゃっていますが、これは、言い換えれば、簡単に読み味わって理解できるものであるということなのです。


私自身、日々の坐禅修行を振り返ってみると、あるときは、睡魔との闘いに負けて、眠りこけて終わった坐禅がありました。また、別のあるときは、散乱する心の調整に悩みながら、最後まで心が調うことなく、心散乱のままに終わった坐禅もありました。いずれのときも、何ともと後味の悪い思いだけが残ったのですが、今、こうして「坐禅用心記」を読み味わってみると、古来より坐禅に身を投じてきた多くの僧侶方もまた、睡魔や心の散乱に悩みながら、坐禅修行に精進なさってきたことがわかり、どこかホッとしたような気持ちになるのです。坐禅に限らず、万事、自ら手を下す中で巡り合う困難や苦悩は、誰もが出会うご縁なのかもしれません。ただ、その困難の壁にぶつかったとき、断念したり、諦めたりすることなく、それを乗り越えていくことが大切かと思います。その繰り返しによって、道の達成が実現できるような気がするのです。そして、それこそが「精進」なのです。


私自身、古の僧たちと同じ悩みにぶつかりながら、日々の坐禅修行をさせていただける法悦を感じつつ、更なる精進を重ねていくことを誓うのです。

第71回「心散乱する時の対処法 その2」

令和3年2月2日 更新

猶ほ未だ休まざる時は、一息截断両眼永閉(いっそくせつだんりょうがんようへい)の端的(たんてき)に向って打坐工夫(たざくふう)し、或は胞胎未生不起一念巳前(ほうたいみしょうふきいちねんいぜん)に向って行履工夫(あんりくふう)せば二空忽(にくうたちま)ち生じ、散心(さんしん)必ず歇(や)まん。

世界中が新型コロナウイルスに翻弄されて1年弱。医学や科学が発達した現代社会において、まさか新種のウイルスに世界中が苦悩することになるとは、一体、どれだけの人が想像していたことでしょうか。この間、これまで当たり前に行われてきたことができなくなってしまうなど、私たちの日常生活は大きく変化してしまいました。


我が仏教界においても、そうした社会の変化とは無縁ではありません。そんな中で、新しい試みとして注目されつつあるのが、オンラインによる布教活動です。これはパソコン機器等を用いて、ZOOM等のアプリを使って、坐禅会や法話などを行うものです。令和2年の一年間、主だった活動ができなかった曹洞宗石川県青年会では、「オンライン坐禅会」という取り組みが提案され、今年に入ってから、月1回、不定期に開催されています。去る2月23日(火)は2回目のオンライン坐禅会が開催され、私は会員の一人として、初めて参加させていただきました。


約30分の坐禅の後、茶話会が開催され、参加者より質問をいただきました。その内容が坐禅中における“心の散乱”や“考えごと”に関するものでした。参加者の問いに対して、主催者側より解答がなされましたが、一般の方の質問にわかりやすく解答する難しさを感じながらも、「坐禅をしたことがある人」ではなく、「坐禅をしている人」としての解答を提示していけるよう、私自身が更なる精進を重ねていく必要性を痛感しました。参禅者としては、疑問が解決されることによってもたらされる安心感によって、日常的に坐禅をやっていこうという気持ちが芽生えるのは確かです。そういう点で、自らが、そんな機会を提供できる善知識ぜんちしき(よき師)でありたいと感じたのでした。


そんな一人の参禅者が問わんとしている“坐禅中の思考”について、両祖様(道元様・瑩山様)はそれぞれお示しになっています。また、“心の散乱”に関しては、「坐禅用心記」において瑩山禅師様より提示されています。前回、瑩山禅師様は「心を鼻端丹田(びたんたんでん)に安じて出入しゅつにゅうの息を数える」とか、「公案(こうあん)を提撕(ていぜい)して挙覚(こかく)する」という方策を提示してくださっていますが、今回は、それでも心の散乱が収まらない場合の方策が提示されています。一つ目は「一息裁断截断永閉の端的に向う」ということ、二つ目は「胞胎未生不起一念巳前に向う」ということです。「一息裁断截断永閉の端的に向う」というのは、「一息(一呼吸)を断ち切って、永遠に閉じた状態」を意味しています。すなわち、自分が息を引き取り、死を迎える瞬間を思い起こしてみるということです。その反対が「胞胎未生不起一念巳前に向う」です。自分が生まれる前の状態で、そういった状況に思いを馳せてみるようにと、瑩山禅師様はおっしゃっています。


こうして瑩山禅師様の坐禅に関するみ教えを読み味わっていきますと、瑩山禅師様もまた、坐禅中に考えごとをするのを否定なさっているわけではないことに気づかされます。なぜなら、心乱れる場面があるならば、呼吸の数を数えてみたり、自分の生前(過去)や死後(未来)という未体験の時代に思いを馳せたりしながら、心を調えてみるという方法を提示してくださっているのですから。こういうお話を先のような参禅者の方にお伝えしてみることも、参禅者が新たな坐禅の世界を拡げるよき機会になるのかもしれません。そう思うと、やはり、坐禅会を開催する主催者側の日々の修行が、坐禅会の良し悪しを決めていくという、ごく当然の結論にたどり着くのです。


そうした打坐工夫や行履工夫によって、「二空忽ち生じ、散心必ず歇まん」と瑩山禅師様はおっしゃっています。「ようやく心が落ち着く」ということなのですが、ここで、「二空」という言葉に着目しておきたいと思います。「二種の空」ということなのですが、これは大乗仏教における「我空(がくう)(実体のない永遠の存在)」と「法空(ほっくう)(生滅変化する仮の存在)」のことで、坐禅中に心の散乱が止まない場合における参禅者の工夫によって、自分という存在が仏法僧の三宝と一体化し、心が調っていくと瑩山禅師様はおっしゃっているのです。


一昨年の秋より読み味わってまいりました「坐禅用心記」も、あと2回程で最後を迎えますが、コロナ禍によって計らずも巡り合った「オンライン坐禅会」での経験を通じて、両祖様のみ教えを幾度も読み返しながら、「坐禅をしている人」として、坐禅を行じ続け、多くの人々と坐禅の世界が有する素晴らしさを共有していきたいものです。

72回「定(じょう)を起つの後 ―万事に“坐禅の用心”を以て―」

令和3年日 更新

定(じょう)を起つの後、思量(しりょう)せずして威儀(いいぎ)を現ずる時は、見成(げんじょう)即ち公案(こうあん)なり。回互(えご)せずして修証(しゅしょう)を成(じょう)ずる時は、公案即ち見成なり。朕兆巳前(ちんちょういぜん)の消息(しょうそく)、空劫那畔(くうごうなはん)の因縁(いんねん)、仏仏祖祖の霊機枢要(れいきすうよう)、唯(た)だ此(こ)の一事なり。

新型コロナウイルス感染拡大に翻弄されるようになって1年。以前は3月というと、多くのお寺でお釈迦様のご命日にちなみ「涅槃会」が営まれるため、住職は法話の依頼をいただき、多忙な日々を過ごしていました。しかし、今年も法要のほとんどが中止、もしくは法話なしの短縮版という形で営まれており、去年に引き続き、静かな3月を過ごしています。


そんなまだまだ収束の気配すら見せぬ状況下、感染拡大前のように活発に布教活動が行えていた頃が懐かしく思い出されますが、あれはコロナ禍前のことでした。準備に時間を割いた割には、手応えが感じにくかった教場がありました。その原因を心静かに探る中で、ふと感じたのが、「自分は法話の場で仏法を説いているが、果たして自分自身がそれを実践できているのだろうか」という根本的な問いです。恥ずかしながら、このとき、日々の布教活動の準備にばかり目が向いてしまい、いつしか馴れが生じていたがために、謙虚な気持ちで自分と向き合うことができていなかったことを反省させていただいたのです。


こうした本番では役をしっかりと演じ切っていたのが、本番が終わった途端に気が抜けて、怠惰な生活を送り、再び本番が近づけば、役作りに専念するというような心がけでは、いつまでたっても道を達成することはできません。本番であろうがなかろうが関係なく、どんな状況下でも自らの身心を調え、道を歩み続けていく姿勢を保ち続けることが大切なのです。それが「定を起つの後、思量せずして威儀を現ずる」の意味するところです。坐禅が終わったからといって、気が抜けて、ダラダラと行動するのではなく、威儀(日常の言動・立ち振る舞いの全て。特に周囲の人々に崇敬の念を抱かせる言動や姿)に坐禅の精神やみ教えを働かせ、坐禅をするが如く、言動の一つ一つを丁寧に行じていくことが大切であると瑩山禅師様はお示しになっているのです。


そして、そうやって状況が調っていくと、「見成即ち公案なり」とありますように、我々の眼前・周囲に仏法(公案)が余すことなく全て姿を現す(見成)というのです。次の「回互せずして修証を成ずる」というのも同じことを意味しています。回互というのは2つ以上の存在が入り混じって関係し合っていながらも、それぞれが持つ特性は失われていない状態です。我々は、普段は2つ以上の存在に対して、それぞれの特性を認め、分別して捉えますが、分別した捉え方を離れ、一体の存在として捉えていくとき、全てが仏の悟りの世界となっていくのです。


次に「朕兆巳前の消息」とか、「空劫那畔の因縁」という言葉が出てきます。「朕兆」とは「きざしやしるし」のことです。その“巳前”ということですから、「物事のきざしやしるしが現れる以前の状態」を意味します。また、「空劫」は世界が成立する前の状態のことで、「那畔」は「その辺り」という意味です。そうした言葉が指し示すように、如何なる状況下であっても、自らの言動の全てに坐禅の用心を働かせ、仏のみ教えに準じて丁寧に行ずることが「仏仏祖祖の霊機枢要」ということなのです。「霊機」には「霊妙・不可思議なる働きや機転」、「枢要」には「物事の最も大切なところ」という意味があります。坐禅を通じて一佛両祖様(お釈迦様・道元様・瑩山様)がおっしゃっているのは、そうした心構えを以て日々を過ごすことなのです。「唯だ此の一事なり」という一言に、祖師方の坐禅に対する強い思いや願いを感じると共に、ここに全てが集約されているように思うのです。


そうした一佛両祖様の思いをしっかりとくみ取り、私たちも万事に「坐禅の用心」を働かせながら、毎日を丁寧に過ごしていきたいものです。

第73回「至祷至祷(しとうしとう) ―“石霜七去(せきそうしちこ)”に込められた瑩山禅師様の願い―」

令和3年3月13日 更新

直(じき)に須(すべか)らく休し、歇(けっ)し去り、冷湫湫地(れいしゅうしゅうち)にし去り、一念蔓年(いちねんばんねん)にし去り、寒灰枯木(かんかいこぼく)にし去り、古廟香爐(こびょうこうろ)にし去り、一条白練(いちじょうびゃくれん)にして去るべし。至祷至祷(しとうしとう)。

曹洞宗の太祖(たいそ)・瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師(1268-1325)による坐禅の目的や用心について触れられた「坐禅用心記」も、今回の一句を以て幕を閉じます。そんな最後の一句を、瑩山禅師様は「至祷至祷」、「心から祈る」という意味を持った言葉で結んでいらっしゃいます。ここには、お釈迦様からインド・中国、そして日本の多くの祖師方へと脈々と伝わる「正伝の坐禅」を多くの人が行じ続け(精進)、その説かんとするものを体得し、仏のお悟りに近づくことを切に願う瑩山禅師様の思いが感じられます。そして、これこそが、この人間世界にいのちをいただいた我々一人一人の使命(いのちの使い方)なのです。そうした瑩山禅師様の願いを存分に汲み取り、坐禅を通じて、仏のみ教えと共に生きていくことという私たちの使命を、今一度、確認しておきたいところです。


そんな瑩山禅師様が「坐禅用心記」の結びに掲げられたのは、「石霜七去(せきそうしちこ)」と申しまして、中国の禅僧である石霜慶諸(せきそうけいしょ)禅師(807-888)のお言葉から高弟が選んだ七つの仏道を行ずる者の修行のありように関するものです。石霜慶諸禅師については、以前にも「坐禅用心記」の中で取り上げられています。「石霜枯木(せきそうこぼく)」とあるように、眠くなっても臥すことなく、黙々と坐禅修行に身を投じた様が枯木のごとき不動のものであったことから、「枯木衆(こぼくしゅう)」とも称された僧として、現代にもその名を残していらっしゃいます。


そんな「枯木衆」こと、石霜慶諸禅師による「石霜七去」を下記にまとめて、ご紹介させていただきます。


休去(きゅうしされ)歇去(けっしされ)

妄想・雑念の働きを止める。(歇・・・休む、尽きるの意あり)


冷湫湫地(れいしゅうしゅうち)にし去れ

三毒煩悩の熱気が冷めた清涼なる境地を会得する。


一念萬年(いちねんばんねん)にし去れ

一念(短)・萬年(長)といった、長短などの相対を離れた絶対を体得する。


寒灰枯木(かんかいこぼく)にし去れ

寒灰(冷え切った灰)と枯木(枯れた木)。煩悩妄想の熱気なき状態。


古廟香爐(こびょうこうろ)にし去れ

古廟(古い霊廟・寺院)に香火を手向けるものなき状態(煩悩の熱気なき状態)。


一条白練(いちようびゃくれん)にして去れ

一条(一本)・白練(染色していない真っ白の絹)のごとき混じり物のない純粋な状態。


こうやって味わっていくと、「石霜七去」は、「枯木衆」と称され、坐禅一筋に生き、坐禅を“やって、やって、やり続けてきた道の人”たる石霜慶諸禅師が発せられた坐禅の境地であり、それを七つに分けてお示しくださっていると捉えることができるように思います。坐禅の海に我が身を投じ、只管に坐禅道を邁進する中で、どうか、この七つを心に留め、瑩山禅師様の願いに応えていきたいものです。そうやっていく中で、我が人間性が磨かれ、仏のお悟りに近づいていくのです。

第74回「揀択(けんじゃく)の心を放下(ほうげ)する -“定(じょう)の道”に生きる上で-」

令和3年3月20日 更新

お釈迦様以降、仏教の祖師方は坐禅を行じながら、今日まで仏法を伝えてまいりました。坐禅こそが祖師方の歩んできた道であり、その坐禅によって、祖師方が成道(じょうどう)(悟りを得る)なさってきたという事実が歴然として存在しています。


そんな坐禅の道を同じように歩み続けてこられた瑩山禅師様という祖師によって示された「坐禅用心記」を、当HPでは、約1年半、73回に分けて読み味わってまいりました。これによって、少しでも多くの方が坐禅の魅力を観じ取ると共に、日々の生活の中で、坐禅の道を歩みながら過ごすことを願うばかりです。


お釈迦様が80年の生涯を終える間際にお弟子様方にお示しになったみ教えが筆録されている「仏遺教経」には、「八大人覚(はちだいにんがく)(我々人間が仏のお悟りに近づいていくための8つの方法)」が提示されています。その一つである「定(じょう)」は「禅定(ぜんじょう)」とも申し、「坐禅」を意味しています。大地にどっかりと腰を下ろし、足を組み、背筋を伸ばせば(調身)、段々と乱れていた心や呼吸が調ってきます(調心・調息)。これを日常生活の中のあらゆる場面で思い起こしながら、我が自身が発する言葉や行いに対して、「坐禅の用心」を働かせながら提示していくことが、「定」の説かんとするところです。


そうした「定」のみ教えに着目してみると、坐禅という仏行を“やって、やって、やり続ける”習慣は大きな意味があることに気づかされます。なぜならば、そんな習慣によって、私たちの身心が調い、仏のみ教えに満ちた日常生活が送れるようになっていくからです。


しかし、いくら坐禅に身を投じても、ある一点を留意しておかなくてはならないと永平寺をお開きになった道元禅師様はお示しになっています。それが「揀択の心を放下する」ということです。「揀択」というのは、取捨選択によって、憎愛等の二見が発生することです。すなわち、物事を自分の好みや都合で選り好みすることですが、こうした考え方の根底にあるのは“我”です。これは、自分を最優先にし、自分を可愛がることですが、こうした“我”がある限りは、いくら坐禅をしても、お釈迦様のお悟りには近づけないと道元禅師様はおっしゃっているのです。


定の道(坐禅の道)を歩むことに対して、魅力を感じ、自らも見習っていこうと願うとき、まずは、自身の中に存在している「揀択の心」を生み出す“我”を調整し、選り好みをストップさせることを最優先課題として掲げておきたいものです。その上で、我が身心を調えていきたいものです。

第75回(最終回)「禅戒一如(ぜんかいいちにょ) ―“同(ひとつ)”を実感する坐禅を!―」

令和3年3月2日 更新

曹洞宗門に「禅戒一如」という言葉があります。お釈迦様より代々相承(そうじょう)されている坐禅と戒(悪を起ち、善を修する習慣・行為)は名称は違えども、説き示す内容は同じものであるということです。


戒については、当HPでも「教授戒文(きょうじゅかいもん)」や「修証義(しゅしょうぎ)第3章・受戒入位(じゅかいにゅうい)」の項始め、「曹洞宗の通夜・葬儀」の項においても触れております。特に「教授戒文」を見てみると、道元禅師様が「“同(ひとつ)”になる」ということをおっしゃっていることに気づかされます。これは、自分という存在が周囲に存在している人や動植物、大自然といった存在と同化していくことを意味しているわけですが、私たちがいかに「“同”になる」ということを意識し、実践していくことができるかが、戒のみ教えと共に生きる日常について考えていく上で大きなポイントになります。


以前、曹洞宗門において名の通ったご老師が、ご自分のお寺で開催している坐禅会に参加されている方々に「自分が坐禅をしているところ」を描かせたところ、参加者全員が「坐禅をしている自分の姿のみ」を描いたそうです。これに対して、ご老師は「皆さんの描いた絵は違う」とおっしゃいました。一体、何が違うのか―?それは「絵には坐禅をしている自分の周りの様々な存在が描かれていないから実際のものとは違う」というのです。


よくよく考えてみれば、坐禅をしている自分の尻の下には「坐蒲」という坐禅用の座布団があります。さらにその下には自分の身体を支えているお堂の畳、さらに外に目を向ければ、私たちの足下に限りなく広がる大地の存在に気づかされます。また、視線を頭上に向ければ、空が限りなく拡がっています。私たちの足下に拡がる大地も然り、頭上に拡がる空も然り、様々ないのちが生かされています。そうした周囲の存在と自分とのつながりを実感し、自分が周囲の様々な存在と関わり合って生かされていることを実感するのが、「“同”になる」ということなのです。坐禅はまさに、自分と周囲が「“同”になる」行そのものなのです。そして、“同”を実感することこそが、私たちの乱れた心を調え、静寂に落ち着けてくれるのです。


そうした心の調整を、幾度も姿勢を調えて坐禅の世界に我が身を投じながら行っていく中で、我が言動が悟りを得た仏の言動に近づいていくのです。だから、坐禅は「悪を断ち、善を修す」ことを意味する「戒」そのものだというのです。すなわち、私たちは坐禅をすることによって、仏に近づくのです。それが「禅戒一如」の指し示すものなのです。


そんなお釈迦様から受け継がれてきた坐禅を通じて、仏のお悟りを得た祖師が、我が曹洞宗門の両祖様である道元様と瑩山様です。お二人とも坐禅一筋に生き、坐禅こそが人間性の完成につながる道であることを、自らの実体験を通じてお示しになっているのです。


この世には様々な人がいて、色々な考え方があります。こうした両祖様の生き様や坐禅を提示しても、様々な受け取り方ができるでしょうから、一方的に坐禅観を押し付けるわけにはいきませんが、祖師方のみ教えである坐禅に我が身を委ねてみることをおススメします。実際にやってみると、次第に、毎日が尊く、生きることがいかに素晴らしいかに気づかされるような気がします。私自身、近頃は、ようやくそんな一人になれたような気がします。そんな我が実体験を大切にしながら、これからも坐禅を「やって、やって、やりまくる」日常を心がけながら、仏のお悟りを追求し続けていきたいものです。