失われた手の物語
長い時を経て、左手が失われてしまいました。
それでも金次郎さんは、変わらず子どもたちを見守り続けていました。
【ページ冒頭:左手を失った金次郎像の全身写真を大きく】
第一小学校で長い年月を過ごしてきた金次郎さん。
かつてその左手には、本がありました。
しかし、いつしか左手は折れ、本とともに失われてしまいました。
正確にいつ、どのような経緯で失われたのかは、現在確認できていません。
それでも金次郎さんは、左手のない姿のまま、校庭で子どもたちを見守り続けてきました。
【ページ冒頭:左手を失った金次郎像の全身写真を大きく】
第一小学校で長い年月を過ごしてきた金次郎さん。
かつてその左手には、本がありました。
しかし、いつしか左手は折れ、本とともに失われてしまいました。
正確にいつ、どのような経緯で失われたのかは、現在確認できていません。
それでも金次郎さんは、左手のない姿のまま、校庭で子どもたちを見守り続けてきました。
【左:1991年4月6日の写真】
【右:左手欠損後の写真】
ここは**「Before/After」**のように2枚並べる
平成3年(1991年)4月6日に撮影された写真には、本を持つ左手が残っています。
一方、その後の写真では、左腕の先から手と本が失われています。
この二つの写真は、金次郎さんが歩んできた時間を伝える大切な記録でもあります。
1991年4月6日
まだ左手と本が残っていた頃。
その後
左手と本を失った金次郎さん。
【左手欠損後の像の写真を大きく】
雨の日も。
風の日も。
暑い夏の日も。
寒い冬の日も。
左手を失った金次郎さんは、そのまま第一小学校に立ち続けました。
子どもたちはその前を通って登校し、校庭で遊び、やがて卒業していきました。
左手がなくなっても、「子どもたちを見守る存在」であることは変わりませんでした。
【金次郎像を見ている子ども・地域の方などの写真】
長い間、左手を失ったままだった金次郎さん。
地域の中で、
「何とかしてあげられないだろうか。」
という思いが少しずつ生まれていきました。
85年以上、子どもたちを見守ってきた金次郎さんを、これから先の世代にも残していきたい。
そんな小さな思いが、やがて人と人をつなぎ、再生プロジェクトへと動き始めます。
【昔の本を持った像/欠損後の像を並べる】
当初考えたのは、とても自然なことでした。
折れてしまった左手をつくり直し、昔と同じように本を持たせる。
つまり、
「壊れる前の金次郎さんに戻す」
という再生です。
85年間受け継がれてきた像ですから、元の姿を取り戻すことは、十分に意味のあることでした。
しかし、プロジェクトを進めていく中で、一つの出会いが生まれます。
【池平徹兵さん+金次郎像、または制作に関する写真】
金次郎像の再生について相談したのが、現代アーティストの池平徹兵さんでした。
金次郎さんを前にした池平さんから、生まれた発想。
それは、単に失われた左手を昔の形に戻すものではありませんでした。
現在サイトに残されている池平さんの言葉です。
「目の前に子どもが来たら、本を閉じて、手をつなぎたいはずです。」
そして、
「左手が折れたおかげで、今度は“誰かと手をつなぐ手”になれるのです。」
この発想によって、
「失われた左手」そのものが、新しい可能性へと変わります。
もし左手が折れていなければ、「手をつなぐ金次郎」という発想は生まれなかったかもしれません。
失われたものを、ただ昔の姿に戻す。
それも一つの再生です。
しかし私たちは、
85年間の歴史も、左手を失った時間も、そのすべてを金次郎さんが歩んできた歴史として受け止める。
そして、その歴史の上に、新しい意味を加えて未来へつないでいくことを選びました。
「失われた左手」は、欠けたものではなく、
次の物語が始まる場所
になったのです。
【ここに左手制作途中、デッサン、模型などがあれば配置】
このページでは、まだ完成形を全部見せすぎない方がよいです。
最後は、
では、どんな手なら、今の金次郎さんにふさわしいのだろう。
どんな形なら、子どもたちと新しい関係を結べるのだろう。
その答えとして生まれたのが、
「手をつなぐ金次郎」
でした。
として③へ進みます。
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