ヴァラー・バレスト(valar.balest, phil.621-650)は、キャエシンス帝国の第8代皇帝。レアディオ領主であったヴァラー家当主ヴァラー・エミーユの長男として生まれ、632年に11歳で皇帝として即位する。639年から改革を行い特権貴族により食い物にされていた帝国を立て直そうとしたが、650年に守旧派貴族たちが反乱を起こしたことで帝位を追われ、領地への帰還の途上で死亡した。
政治制度の改革そのものは特権を取り戻そうとした貴族たちによって止められたが、彼の励行したグリフトクゥノ教育は、のちにレアディオ国で普及しレアディオ国がデヴィージ帝国分裂後のリパラオネ圏における文明の最先端の地位に就くことに貢献した。
621年にレアディオ領主ヴァラー家に生まれた。母のフィッサは彼を生んですぐに亡くなり、父エミーユも9歳の時に病没した。父の死に伴ってバレストは9歳で家督を継いでヴァラー家当主になる。この話は帝都キャエストゥフにも広まり、貴族の間では次なる傀儡としてバレストを擁立しようとする動きが出始める。ヴァラー家の家令だったリファンはこの動きを察知し、彼を守るため、密かに数々の知識を与えて教育を施した。2年後の632年、11歳になったバレストは帝都の貴族たちに推戴され、即位して第8代目キャエシンス皇帝となる。家令職を弟に引き継いだリファンもこのとき彼に従って帝都へ向かい、近侍生涯として勤めることとなる。
皇帝になったバレストだったが、当時の皇帝は認可と権威として存在するのみで実権を握るのはあくまで貴族であった。しかし、いかに貴族たちが好き勝手に振る舞っていたとはいえ、税を取りたて軍を管理するという国家運営の基本を担っていたのは官吏であり、貴族の私兵ではなかった。そのため、バレストはこの官吏たちの人心を得ることに力を注いだ。役人にも不正を働く人間は少なくなかったが、同時にADLPの時代から政務に携わってきた家系の者も多かったため、彼らのうち深刻に国を憂えている者たちを味方につけることで、バレストは着実に皇帝派の人間を増やし、いよいよ国内改革に手を付けた。