東京メトロ東西線妙典駅の周辺です。西はハーバーロードまでです。
東西線の車庫があり、妙典駅始発の電車もあります。
帝都高速度交通営団東西線によって人口が増え、町が発展し、2000(平成12)年に開業したのが妙典駅。アメリカ西海岸をイメージしたまちづくりを目指しました。
妙典駅から徒歩3分の立地に、三重県四日市市にルーツがある大手小売業「イオン」があります。
妙典駅から東京ベイ浦安市川医療センター行きの市川市コミュニティバスやJR新浦安駅行きの京成トランジットバスが運行しています。
イオン妙典店1番街3階に、市川市行徳パスポートセンターがあります。
エリア南側には江戸川第一終末処理場があり、JR京葉線が通っています。
縄文時代には海だった地域で、低地です。湿地帯のため、昭和初期にはレンコンが栽培されていました。また、豪雨によるエリア全域の冠水が報告されています。
明治の終わりまでは妙典エリアと中山エリアは地続きでしたが、大正8(1919)年に江戸川放水路(現在の江戸川)が竣工して二分されました。明治の終わりまでの江戸川は、現在の旧江戸川です。
出典:国土地理院ウェブサイト 地域メッシュ統計人口を加工して作成
東京メトロ東西線の沿線では人口密度が高く、JR京葉線の沿線ではほとんど人が住んでいません。
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1975年頃の、下妙典付近のハス田(市川歴史博物館で撮影 )
戦国時代の1565年に、千葉氏の家臣である篠田家の篠田雅楽助清久は、第二次国府台合戦で後北条氏サイドについたことから、現在の妙典の地を恩賞に与えられました。そして、中山法華経寺11世日典上人の弟子日宣法印を迎えて、妙好寺を建てました。
江戸時代は、行徳エリアで始まった塩業が、中山エリアの海岸部まで広がっていました。塩業は明治にも続いたものの、1917(大正6)年の台風など、高潮の被害などで廃業に追い込まれていきました。
その後は、半農半漁の形態が1975年(昭和50年)頃まで続きました。秋から春にかけて海苔の養殖、春から秋にかけてはレンコン栽培が行われました。
1969(昭和44)年に、帝都高速度交通営団東西線は東陽町~西船橋間が開通しました。
1988(昭和63)年には、JR京葉線の市川塩浜駅が開業しています。
東西線の開通後、エリアの人口が増えて町が発展し、2000(平成12)年に開業したのが妙典駅です。妙典駅ができるまでの歴史は、「妙典駅とまちづくりの歴史年表」を参照してください。
行徳神輿ミュージアム
江戸時代に創業し、神輿の木地(本体)製作を専門とする「中台製作所」が、神輿の内部や、職人が使用する道具などを展示しています。東京メトロ東西線妙典駅から徒歩8分。
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