パワースポットは、古くから人が住んでいた地域、なかでも江戸時代に発展した地域に多数見られます。理由は、江戸時代に数回、大規模なスピリチュアルブームが起こったためです。
稲荷神社については、江戸時代に「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれ、どこにでもある物のたとえに使われました。
あまりにもたくさんの稲荷神社が創建されてしまって、人の手が行き届かなくなった祠も出てきています。 ときどき、「荒れた祠に近づくと祟られる」という意見があります。皆さんはこのような意見をどう思いますか?
専門家は、次のように語っていました。
「あなたは自分の子孫に何を望みますか。子孫の幸せではないですか。親が子どもを思う気持ちと一緒で、先人たちはただただ私たちの幸せを願っているのです。ほうっておかれたせいで祟るなんて、ありえません」
長い年月の中でほうっておかれたら、パワースポットとして役割を果たさず、元の「ただの土地」に戻るだけです。ですから、ほうっておかれて荒れたとしても、その土地の人や近づいてきた人を祟るなど、考えられないのです。
その一方で、荒れた祠がある土地には、コミュニティが成立していない、つまり人と人だけでなく、土地と人々とのつながりが希薄(定住者が少ないなど)という可能性もあるといえます。
昔の人々は、村や屋敷の敷地などに建立したのは、先人を思い、家族や子孫の幸せを願ってのこと。多くの場合、ゆかりのあった土地の神様をお迎えしてきました。
毎朝、神社をきれいに掃除して、「ここでみんなが幸せに暮らせますように」と手を合わせる。
その行為によって「幸せになる」という思いを再確認し、思いをもっと強くしていく。
「幸せになる」という強い思いが「みんなを幸せにする」という行動を引き起こし、「幸せになった」という結果を出す。
こうした人々の行為・思い・行動・結果という流れの中で、建立した神社はパワースポットと変化するのかもしれません。また、地域の神社仏閣を訪ねることで、人々と土地のつながりを知ることもできるのです。