JR総武本線の線路より北で、東京外かく環状道路と大柏川(真間川) とに挟まれたエリアです。
JR本八幡駅北口から徒歩10分の立地に市川市役所、JR市川大野駅から徒歩15分の立地に市川市役所大柏出張所があります。
下総台地の西端です。台地の斜面は、崖崩れが起こりやすいため、土砂災害警戒区域などに指定されている箇所があります。
■土砂災害警戒区域などに指定されている箇所
宮久保2~6丁目
曽谷3丁目
下貝塚1~5丁目
八幡5丁目
北国分3~4丁目
稲越1~2丁目
大野町1~4丁目
南大野町1・3丁目
土砂災害警戒区域等の一覧(市川市)https://www.pref.chiba.lg.jp/kakan/sabou/keikai/ichikawa.html
2013(平成25)年10月16日には、台風の影響で、大町道植物園入り口付近が冠水しました。
下総台地については、かつて広大な海の底でしたが、氷河期に海面が低下しました。このときに平坦な陸地が侵食されて、深い谷ができました。
温暖だった縄文期に、海面が上昇。海が谷の中に進入し、複雑に入り組んだ入り江を形成しました。その後、海底が干上がって、谷底に堆積物による平坦な低地が作られ谷津が形成されたと考えられています。
このエリアには、長田谷津(大町公園自然観察園)とどうめき(道免き)谷津(小塚山公園)があります。
縄文時代の集落跡が見つかり、古くから人が住んでいた地域と考えられます。
平安時代中期の寛平年間(889〜898年)に、葛飾八幡宮が、宇多天皇によって京都の石清水八幡宮から勧請されて創建。祭神は誉田別命(第15代天皇である応神天皇、飛鳥時代以前の人物で実在しない可能性もあり)。
毎年9月15日10:00から例大祭が行われ、同じ時期に「八幡様の農具市(ボロ市)」が立ち、参道に、農具や料理用具などの露店が並んで、にぎわっていました。
本八幡駅は1935(昭和10)年9月1日に開業しました。前年の市川市誕生、そして当時の八幡町に市役所が置かれたことが、本八幡駅開業と大きく関係しているようです。
太平洋戦争の後には、本八幡駅周辺で闇市が立ち、商店街が形成されていきました。
高度経済成長期(1955~1973年)には日本の人口もどんどん増えていき、各地に巨大ベッドタウンが作られました。JR武蔵野線の市川大野駅は1978(昭和昭和53)年に開業し、市川大野駅から徒歩12分の場所に、1980~1981(昭和55~56)年に総戸数539戸の3棟から成る大規模マンション「市川パークハイツ」が竣工しました。
1991(昭和64)年に北総線の北国分駅・大町駅が開業しました。
1980(昭和55)年頃から本八幡駅北口の再開発が計画され、アクス本八幡(1997年竣工、地上9階地下2階、87戸)、本八幡キャピタルタワー(1999年竣工、地上24階地下2階、113戸)、プリームスクエア本八幡(2003年竣工、地上24階地下2階、124戸)、ガレリア・サーラ(2009年竣工、地上34階地下2階、250戸)、グランドターミナルタワー本八幡(2013年竣工、地上40階地下2階、465戸)といった高層マンションが建設されました。
梨
江戸時代だった約230年前に、市川市で梨の栽培を始めた川上善六(かわかみぜんろく)氏。1789~1801年の寛政年間に、美濃と尾張を訪れ、梨の栽培方法を学びました。尾張藩の許可を得て、梨の枝を八幡に持ち帰ったところ、梨の栽培が成功し、八幡を中心に梨栽培が盛んになったのです。
※市川市商店会連合会より再編
https://www.fureai-net.jp/jichikai/chiba/ichikawa/soya5/sponsor/14shotenkai.html
https://www.instagram.com/sugano_shopping_street/