JR総武本線の線路より北で、東京外かく環状道路よりも西側のエリアです。
市内で高齢化率(全人口における65歳以上の割合)と空き家率が最も高くなっています。
駅ビル「シャポー」をはじめ、駅周辺にスーパーやドラッグストアが集中しています。シャポーには、スーパー「ワイズマート」、ドラッグストア「コクミン」が出店しています。
そしてJR市川駅前の市川ビルにはスーパー「ダイエー」、京成電鉄国府台駅の近くには「京成リブレ」が出店しています。
また、このエリアが「山崎製パン」発祥の地であることから、「ヤマザキプラザ」「山崎製パン企業年金基金会館」「山崎製パン総合クリエイションセンター」が、市川駅北口から徒歩圏内にあります。
コンビニエンスストアは、このエリアに多数あります。「デイリーヤマザキ」が多いのも特徴の一つです。
国道14号(千葉街道)は、渋滞が頻発しています。
下総台地の最西端で、古い時代から「崖」ということで知られてきたと考えられます。根拠の一つが、崖の古語である「まま」が、真間という地名の由来とされていること。加えて、この地域の崖が崩れて、江戸川に流され、欠真間という地域ができたという伝承があるからです。
台地の斜面は、崖崩れが起こりやすいため、土砂災害警戒区域などに指定されている箇所が多々あります。
国分2~6丁目
真間4~5丁目
国府台1~2、5~6丁目
須和田2丁目
市川4丁目
土砂災害警戒区域等の一覧(市川市)https://www.pref.chiba.lg.jp/kakan/sabou/keikai/ichikawa.html
古墳時代から平安時代にかけて、気温は大きく上下していることから、海水面も上昇したり低下したりしたと推測できます。
葛飾区史には「父が上総国司であった菅原孝標女は、『更級日記』の中に下総国府(現千葉県市川市)周辺の景観を書いている。これには、市川の真間にある長者という人の家は既に水中に没し、門柱が川の中から出ていたという」と書かれていました。
『更級日記』は、平安時代中期に書かれた回想録で、その頃は今よりも気温が2℃ほど高かったようです。家が水没するほど、水位が上昇したのはこのためでしょう。
江戸時代末期に製作されたとされている「江戸川縁領々地図」では、真間川は「真間溜井」と表記されていて、川とは認識されていなかった可能性があります。
真間山弘法寺と須和田公園の間にある真間5丁目付近は、台地が人工的に削り取られた跡です。大正の初めに、真間川沿いの湿地帯の埋め立てが行われる際に、この台地の土が削られました。埋め立ては大正8(1919)年頃に終わったようですが、その後も道路を作るときなどに土が取られて、昭和17(1942)年頃まで台地は削られていました。
縄文時代は、市川市のほとんどの地域が海の中でした。下総台地の一部が陸地で、須和田には縄文時代前期の小貝塚が見られることから、この時代から集落があったと考えられています。
日本各地に国府が置かれたのは、飛鳥時代から平安時代にかけてのことです。日本の人口は、奈良時代は約500万人。今の人口が1億2650万人ですから、50分の2ぐらいしか当時は人は住んでいなかったということになります。
国府台には下総国府が置かれ、また、741年の聖武天皇による国分寺建立の詔で、国分には国分寺と国分尼寺が設置されました。
戦国時代には太田道灌が国府台に城を築きました。国府台城周辺は、第一次国府台合戦と第二次国府台合戦の主な戦場でした。
○第一次国府台合戦
1538年に勃発し、北条氏綱(北条早雲の子どもで、北条氏の2代目)と、足利義明(古河公方の分家の小弓公方)・里見義堯連合軍が戦いました。
○第二次国府台合戦
1564年に、安房里見氏の第6代当主の里見義弘が、山内上杉家16代当主の上杉謙信から後北条氏攻めに呼応したことがきっかけです。
江戸時代には、江戸川河岸に関所(市川)が設けられました。
幕末の1868~1869年に起こった戊辰戦争の戦闘の一つである1868年の市川・船橋戦争では、真間と国府台の周辺が戦場となりました。
明治に入り、1885(明治18)年に国府台は陸軍教導団の駐屯地となりました。1894(明治27)年の総武鉄道市川駅の開業なども、陸軍が大きく関係しています。市川駅から陸軍の施設までの道路は、商店が多数あり、花街が形成されていました。そのため「陸軍ありきで町が発展した」という一面もあります。
1945(昭和20)年に太平洋戦争が集結し、陸軍は解体され、国府台に大学などが移転してきました。千葉商科大学は、巣鴨で1928年に創立された巣鴨高等商業学校が前身で、1946(昭和21)年に移転してきました。また、和洋女子大学は、和洋女子専門学校の九段校舎が戦災で焼失したため、1946(昭和21)年に移転してきました。
1947(昭和22)年に東京医科歯科大学付属病院国府台分院が置かれ、これが教養部キャンパスになりました。東京医科歯科大学は、2024(令和6)年に東京工業大学と統合して、東京科学大学となりました。
国立国際医療研究センター国府台病院は、陸軍施設の東京教導団兵学寮病室が前身です。
市川産のトマト
トマト
市川市産トマトの収穫時期は3~6月です。直売所には、畑で完熟したトマトが並びます。
田中和子さん(2019年に旧作業場兼販売所の前で撮影 『クラナリ』編集人)
アランチャドレッシング
千葉県市川市真間2丁目14−14にあるドレッシング製造・販売所。
創業者である田中和子さんが、専業主婦時代に、広島にある実家のレストランからドレッシングを取り寄せ、知り合いに分けていたところ、「おいしい」と話題に。
その後、リクエストに応じて取り寄せる量が増えていってしまったため、田中さんが実家のレストランのレシピでドレッシングを作り、2003年に商品化しました。
2011年に、自宅の駐車スペースに作業場兼販売所を建設。ドレッシングの味と、作業場兼販売所の珍しさから、テレビ番組でもたびたび取り上げられました。
2020年9月10日に、現在の場所に移転しました。
●ホームページ
※市川市商店会連合会より再編
豊友ハウジング 大門通り会・真間大門会(商店街)
https://www.hoyuu.com/report/089/
大門通りと手児奈霊神堂(散策)
https://www.hoyuu.com/report/112/
https://mamaginza.jimdofree.com/
https://nemotoclub.net/local/association
https://www.instagram.com/nemotohtnkai/
https://www.instagram.com/1kawanishidori/
https://www.ichikawa-bil.co.jp/machi/machi_04.html