東京メトロ東西線行徳駅と、JR京葉線市川塩浜駅の周辺です。香取通りから西のエリアです。
外国人人口の多いエリアで、市川市の町の中で「塩浜」は外国人の割合が高くなっています(令和2年国勢調査で9.83%)。
縄文時代には海だった地域で、低地です。
1960年頃の高度成長期に、地下水のくみ上げ過ぎや軟弱な地盤が原因で、地盤沈下が起こっています。地下水採取の規制や工業用水道への転換などの対策が行われた結果、1972年以降は沈静化しています。
ソコラ南行徳(ホームページより)
昔から国府台の台地は、崖崩れが頻繁に起こる場所として地域の人々に認識されていました。
1923(大正12)年に刊行された『東葛飾郡誌』によると、室町時代に国府台の崖(「同郡眞間村等の岡陵」)が大きく壊れるという出来事があり、土砂は旧江戸川に流されて、現在の欠真間の地域に堆積しました。1469~1487年に真間村の人たちがやって来て、「ここはもともとは真間の土地である」と住み始めて開墾をしたという記述があります。「真間が欠けてこの土地ができた」というのが、欠真間という地名の由来とされています。
江戸時代に急速に発展した行徳(本行徳)の南の地域であることが、地名の由来です。
1969(昭和44)年3月29日に、帝都高速度交通営団東西線は東陽町~西船橋間が開通し、1981(昭和56)年に南行徳駅が開業しました。
高度経済成長期(1955~1973年)には日本の人口もどんどん増えていき、各地に巨大ベッドタウンが作られました。ハイタウン塩浜は、住宅・都市整備公団が1978年に施工した、塩浜4丁目にある広大な集合住宅です。
南行徳駅前には、2021(令和3)年に大型商業施設「ソコラ南行徳」が開業しました。このエリアは、市川市内で人口密度が高い地域となっています。