シンポジウム1
大学と科学
――教育思想史からどのようなアプローチが可能か――
報告:岡本拓司(東京大学) 科学(論)史・科学技術史の観点から
斎藤直子(京都大学) アメリカ・プラグマティズムと科学・技術に関する哲学的議論の観点から
藤本夕衣(清泉女子大学) 古典・教養論、ウェーバーの学問論の観点から
指定討論:隠岐さや香(名古屋大学)
相馬伸一(佛教大学)
司会:松浦良充(慶應義塾大学)
――教育思想史からどのようなアプローチが可能か――
報告:岡本拓司(東京大学) 科学(論)史・科学技術史の観点から
斎藤直子(京都大学) アメリカ・プラグマティズムと科学・技術に関する哲学的議論の観点から
藤本夕衣(清泉女子大学) 古典・教養論、ウェーバーの学問論の観点から
指定討論:隠岐さや香(名古屋大学)
相馬伸一(佛教大学)
司会:松浦良充(慶應義塾大学)
オンデマンド配信 + Webライブディスカッション(9月11日13:00-14:30)
【概要】
科学は、近現代の大学において、その知的活動の根幹を占めてきた。系統的な方法・手続きのもとで、普遍的な真理や法則、体系的な知識を探究する姿勢は、大学の研究・教育・公益(社会貢献)活動を貫く基本原理として共有されてきたはずである。
とは言っても、科学は決して大学の専有物ではない。科学・技術分野における研究・開発において、大学外の研究機関が大学の優位性を脅かすことも少なくない。また情報技術ネットワークの発展、さらにIoTの拡張やAIの活用によって到来するデータ駆動型社会においては、知識はさまざまな境界を越えて創出され拡散し、もはや大学が科学(的知識)を占有することは不可能になっている。科学が大学という境界から越え出ようとするとき、大学と科学の関係をどのように再構成すればよいのか。大学にとって科学とは何か、科学にとって大学とは何か、いまあらためて問う必要がある。
もっとも800年を越えるとされる大学史のなかで、大学の知的活動の根幹を科学が占めるようになったのは、近代科学の成立以降、相当の時間(年数)を経た後である。大学と科学の関係を問うには、やはり歴史的な観点が求められる。この問題に教育思想史としてどのようなアプローチが可能になるのか。このシンポジウムでは、大学と科学のこれまでの関係を検証することを通して、大学と科学、そして教育のいまとこれからを考えたい。
討議においては、いずれも歴史(思想史)的な知見をふまえた上で、次のような論点を想定している。
✓ これからの大学・高等教育において科学はどのような位置を占めるのか/これからの科学にとって大学・高等教育はどのような役割を果たすのか。
✓ 急速に進展する科学技術革新の動向に、大学・高等教育はどのように対応してゆけばよいのか。
✓ 大学と科学に関する議論のなかで、教育(学)と科学の関係をどのように再構成してゆけばよいのか。
【大会を終えて】
本シンポジウムでは、3件の報告・提案、2件の指定討論、さらに趣旨説明を含めて計3時間を超える動画を視聴していただいた。それに加えてさらに、90分にわたるwebライブ・ディスカッションでの議論の機会も得た。壮大なテーマを設定したが、多彩な観点からの濃密で刺激的な議論が繰り広げられた。関係各位、また参加者のみなさんにあらためて感謝申し上げたい。
ライブ・ディスカッションでは、指定討論者からのコメント・質問に対する報告・提案者への回答を端緒として登壇者間でのやりとりが展開された。その後、西村拓生会員および小玉重夫会員から、シンポジウムのテーマや議論の核心に迫る質問がよせられた。それらを受けて、登壇者からさらなる議論や見解が示された。その内容は当日のライブ・ディスカッションの繰り返しになるのと、議論の文脈を損なうことになるのでここでは省略する。
このほか、「質問フォーム」には2件の投稿があった。原圭寛会員(湘南工科大学)と小幡啓靖氏(非会員・一般社団法人実践倫理宏正会)からである。
原会員は、①齋藤会員と藤本会員に対して、現在の大学を学士課程・研究大学院・専門職大学院の3つに大別できるとすると、どの部分を中心に考えているのか、②学士課程で「汎用的技能」を得たうえで就職を目指す、というキャリアパスをどう考えるのか、と問うた。
齋藤会員からは、大学教育のどの課程、どのプログラムということに特化して論じたものではなく、教育の見方全体に変容を促す意図で発表した、との回答があった。また藤本会員からは、学士課程を想定したとの上で次のような回答があった。現在、勤務先でも「根本的な問い」に取り組むことを軸に授業を構成することを試みている。学生たちの日常の身近なところにも、「哲学的な問い」がある。2点目については、スキルのみに特化するよりも、多角的に物事を理解し、考察する力を養いながら、同時に、汎用的な技能を高めていくことができるような授業やカリキュラムを重視していくべきだと考えている。
さらに小幡氏は、大田堯がデューイらの「科学的思考」が戦後教育を考える参照点の一つにしたと認識しており、戦前期の教育学説にもデューイなどの広義の「科学的思考」が吸収されていたことについての見解を問うた。特に、「科学の体制化」について、広義の「科学的思考」も戦前・戦前期に「体制」化されたと考えられるのか。それは自然科学の体制化と差異があったのかどうか、それは「戦後」にどんな影響を与えたのか。
これを受けて、岡本氏は、自然科学についても、「体制化」といわれる事態が起こったとは考えていない、科学的思考も、明治維新以来、各分野で、官民挙げて導入に努めており、どこかの時点で「体制化」したということはない、との回答があった。さらに齋藤会員からは、質問の趣旨がよく理解できないが、デューイの科学的思考はいわゆる狭義の専門科学ではなく、時代の趨勢の中で都合よく利用、回収された経緯をもっていた、と回答した。
企画者・司会者としての「振り返り」は、あらためて『フォーラム』の司会論文で述べることにしたい。なお、ライブ・ディスカッションでの質問が、シンポジウムのテーマの中核に寄り添った大きな論点を示すものであったのに対して、「質問フォーム」に寄せられたのは、どちらかというと投稿者のspecificな関心からの質問であると受け止めた。
(文責:松浦良充)