コロキウム2

ポップカルチャーの教育思想Ⅱ

         企画:渡辺哲男(立教大学)

         司会:小山裕樹(聖心女子大学)

            田中智輝(山口大学)

            間篠剛留(日本大学)

            渡辺哲男(立教大学)

         報告:古仲素子(東京藝術大学非常勤講師)

            村松 灯(帝京大学)

            山本一生(鹿屋体育大学)


Webライブディスカッション(9月12日15:00-18:00)

【概要】


 一昨年度の同名コロキウムの続篇である。今回は、企画者グループ(今回の司会者)以外の3名の方に報告をお願いした。いずれも、報告者の本来の専門とは異なった(趣味に近いかも知れない)「遊び」の色濃い内容である。古仲氏は、近年の若者の音楽聴取スタイルの変化について、音楽ライブ・フェス、YouTubeや定額制音楽サービス、SNSの活用等との関連に着目しながら考察し、さらに、コロナ禍以降、特にライブ・エンターテイメントが苦境に立たされている(例:2020年の音楽フェスの市場規模は前年比98%減)ことによる影響に関しても言及する。村松氏は、「推し」文化の倫理的可能性に焦点を当てる。特にオタク文化との違いに着目しながら、推し文化を生み出した社会構造の変化を明らかにするとともに、推しのいる生において「主体−世界」がどのように意味づけられうるのかを考察する。山本氏は、コミックマーケット(以下コミケ)という「場」に注目する。日本で最大規模の同人誌即売会たるコミケの理念として、「表現の場」としての位置づけが重視されてきたが、コロナ禍を踏まえつつ、「場」に参入する意味を、参加者の立場から問いなおす。加えて司会者からも、適宜コメントと最新の動向について若干の報告を行う予定である。コロナ禍、さらには、「オンライン/対面」という、今日の大学授業をめぐる議論も強く意識したコロキウムとなるだろう。

【大会を終えて】


企画者から

 本コロキウムには、開催時間中40名以上の参加をいただいた。本サイトは、今年度の大会の中では、リアルタイムで報告及びディスカッションを行い、そのため、資料配布も当日チャット経由で配布し、質疑も事前事後の質問はなしとし、当日のディスカッションのみとした。その意味で、結果的に、今大会中、本コロキウムのみが、従来の「対面」学会に近いスタイルとなった。これは報告者の「対面に近い状態で」という思いに基づくものであるが、他方で参加者のみなさまには長時間Zoomを見続けて頂かなければならなくなったという点で、ご負担を強いることにもなったかもしれない。今後の課題とさせていただきたい。今回、報告者が従来研究してきた「本店」「A面」ではない、「支店/夜店」「B面」の趣味的活動が前面に出たものとなったが、「当事者」ならではの多様な報告が揃った。以下、当日の報告者4名(報告順)からの簡単なコメントを掲載する。

村松 灯(帝京大学)

 報告「「推しのいる生」の倫理的可能性」では、オタク文化との違いに着目しつつ、推し文化において経験される主体および世界のありようについて考察した。

小玉重夫会員からは、推し文化の政治性についてご質問をいただいた。小玉会員によれば、オタク文化は「虚構の時代」に生まれ、現実世界に対するオルタナティブを含む「オタク的市民性」ともいうべき可能性を内在させていた。推し文化がオタク文化とは担い手も社会的文脈も異なるとすれば、そこに新たな政治的可能性を見出せるか否かが問題となる。当日のやりとりでは、二つの点から応答を試みた。一つは、推し文化を担う当事者からすれば、むしろそうした政治性から離れる点にこそ関心があるのではないかということ。もう一つは、政治性の問いに応えるためには、推し文化の「他者との共有可能性」について慎重な検討が必要だということである。いただいたご質問をもとに、今後も検討を続けたい。

古仲素子(東京藝術大学非常勤講師)

 本報告では、近年における音楽を取り巻く環境について、音楽を楽しむ「場」(音楽ライブ、YouTube、定額制音楽サービス等)のあり方と、人々の音楽の楽しみ方の変化に着目しながら考察を行った。そこからは、人々が楽曲そのものや自身の音楽体験を、他の人々と共有しながら楽しむ姿が浮かび上がってきた。さらに、コロナ禍以降、従来と同じ形でのライブ開催が困難になったことにより、ライブでの「再現不可能性」「即時性」「共同性」等に焦点を当てた試み(オンラインライブ、THE FIRST TAKE、YouTubeプレミア公開やAWA「ラウンジ」等)が注目を得ていることについても言及した。ただし、それらの試みが従来のライブの代替になるかというと、やはり難しいと言わざるを得ない。当日の議論をふまえ、今後はそのような従来のライブでしか生じ得なかった諸要素について、さらに考察を深めていきたい。

山本一生(鹿屋体育大学)

 本発表ではコミックマーケット(以下「コミケ」と略称)という「場」に参入する意味を、参加者の立場から考察した。当日の議論では、小玉重夫会員よりコミケでの文化生産と消費との往還関係がいかなるものか、政治性の表れの場面はどのようなものがあるのか、という質問があった。前者について報告ではコミケで扱われるコンテンツについての詳述を行っていなかったが、二次創作(原作のファンアート)が主流をなしており、原作を消費しつつ生産するという往還関係は二次創作において際立っているのではないかと回答した。後者について、表現の自由、特に性的表現について争点化したことを挙げた。例として、1991年に幕張メッセでのコミケ開催が性的表現をめぐって中止となり、会場を晴海に移さざるを得なくなったことを挙げた。

渡辺哲男(立教大学)

 企画者グループから代表して渡辺が報告を行った。この時期に企画されたこのタイトルのコロキウムで『エヴァ』を扱わないのはいかがなものか、ということになり、メンバーで唯一『新劇場版』と、NHKで放映された庵野秀明のドキュメンタリーを両方観ていた渡辺が『エヴァ』について報告した。報告の詳細は後の報告論文等に譲ることにしたいが、大まかに言えば、「現実」と「虚構」のあいだをめぐる問題を、「ドキュメンタリー/フェイクドキュメンタリー」あるいは「特撮」という視点から検討することを試みた。

 4名の報告は事前に内容がまとまるよう調整されたものではないのだが、結果的に4名の報告は重なった関心から論じられることになった。この「コロナ禍」というひとつの特殊な時代をくぐり抜けていく最中にこうした報告が揃ったことの意味を、これから報告論文等をまとめていくなかで考えていきたい。