守屋伍造 「大阪市に流行せるペストについて」『細菌学雑誌』1900

守屋伍造「大阪市ニ流行セル「ペスト」ニ就テ」『細菌学雑誌』51(1900)114–122頁
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsb1895/1900/51/1900_51_114/_pdf/-char/ja


 ◯大阪市に流行せるペストについて
   医学士 守屋伍造

余は客年十二月下旬大阪府検疫部に出張し、爾後ペスト流行の終息に至るまで検診に従事したるをもって、その観察は流行時の一部に過ぎず、この稿を草するに臨みては北里〔柴三郎〕博士指導の方針により検疫部員および桃山避病院長白江〔規矩三郎〕医学士その他同院医員諸氏の調査に係れる材料を蒐集し、自家の実験に参照総括せり。読者これを諒せよ。

大阪市に於いては昨明治三十二年十一月十八日初めて患者を発生し、本年一月十一日をもって患者発見の最終となす。その前後にわたり同府検疫部医員の主とりし事務を大別して
第一健康診断
第二検診
の二となす。

健康診断は市内全般に施行するにあらず、患者発生地附近あるいは比較的不潔にして患者発生の疑いありと認められたる部分に限り、区画を定めて施行区域となし、区域内は一日一回あて医員・巡査各一名を派し、各戸について家族の健否を探らしめ、住民の状況に従いあるいはことさらに夕刻より巡視せしめもって受診者の遺漏なきを期し、必要の事項は逐一検疫本部に通告せしめたり。

検診は患者のみならず疑わしき屍体についても施行するものにして、ことに最多数の患者を発生したる西区内は死亡届の出ずるごとに疑いの有無にかかわらず必ず検診し、他の東南北三区および郡部においては疑わしき死亡者と認められたる場合にのみ検診せり。また検疫本部には細菌検査部を設置し細菌学的素養ある医員を備え、しこうして健康診断医の通告あるいは他の届出あるときは細菌検査部医員出張して臨床的検診と細菌検査材料の採収とをなせり。臨床的検診は腺ペスト、肺ペスト、皮膚ペスト、腸ペスト、ペスト敗血症およびぺスチス・ミノールの症候あるいはその他診断不定の症候を呈し、いやしくも疑いの存するものは細菌検査材料を採取して検査に附せり。しこうして検診に赴くときは一個の葉鉄〔ブリキ〕製手提箱に予防被服、レスピラートル、ゴム製上靴、聴診器、検温器、注射器、刀鋏、糸、絆創膏、石炭酸水、アルコール、滅菌水、減菌シャーレ、滅菌試験管、脱脂綿、脱脂ガーゼ、および木綿を納めたるものを携帯し、機に臨み検診者の庇保と検査用器具の遺漏なからしめたり。

検査材料は患者と屍体とに論なくまず異常の分泌物あるいは排泄物を採取す。しかるに分泌排泄物は排出後久時を経過し、あるいは取扱いの不注意により雑多の細菌混在し、あるいは消毒薬を混和せられたるものありて、検査上の障碍すくなからざるがゆえに、患者にありては分泌物類のほか腺の穿刺液と指頭より少量の血液を採り、屍体にありては腺脾心肺を穿刺あるいは摘出せり。すべて材料は可及的多種なるを貴う。何となれば彼に菌を認めずしてこれには饒多の菌を発見すること数々なればなり。ドイツ国帝国衛生局はペスト検疫に診断上患者の腺を摘出するを可となせるを見る。しかれども穿刺法の完全なるときは診断上支障を感ずることなきがゆえに摘出のごとき比較的患者を悩ますこと強きものはこれを避け、屍体にのみ施行せり。穿刺用注射針は臓器の部位に従いて大小長短適宜のものを選び、使用前には石灰酸水あるいはアルコールにて消毒し、次に滅菌水あるいはブリオンにて洗浄せり。これ消毒薬液の遺残せる注射器を用いて穿刺するときは、検査物中に含有する細菌は該薬液のために死滅し鏡検上に菌を認むるも、進んで培養および動物試験上の証明を得ざることあるをもってなり、しこうして穿刺せんとする部分の皮膚は石灰酸水あるいはアルコールに浸せる脱脂ガーゼをもって清拭し、その乾燥するを待って穿刺せり。心臓血液および体腔液を除くのほか、臓器組織の実質液は通常注射針中にわずかに吸取せらるるのみにして注射器箇内に流注するに至らざるものなれども、この微量の液を試菌試験管あるいはシャーレに採るときは検査上支障を感ずることなし。かえって屍体の脾臓の穿刺し液質の注射器筒内に流注するを期し遂に腸内客を採取したる等の過失は実際に目撃せるところなり。

患者の血液は針頭にて指先を刺し露出する血液の漏滴を採り、屍体にありては心臓あるいは表在の静脈を穿刺し肺臓は長き注射針を用い右胸前面より穿刺せり。

鏡検上ペスト菌を認めずして臨床上なお疑いの存するときは、一方には培養および動物試験を行い、一方には注意患者として毎日数回反覆検診す。通常反覆検診は培養および動物試験に比すれば速やかに最後の断定を与うるものとす。ことに肺炎ペストのごとき経過の迅速なるものは前後数時間を出でずして症候の増進著しく顕著なるをもってなり。

臨床上あるいは細菌検査上容易に断定しがたく、しかもなお疑いの存するものは疑似症として避病院に収容せり。

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ZHANG Meng (2021) From respirator to Wu’s mask: the transition of personal protective equipment in the Manchurian plague, Journal of Modern Chinese History, DOI: 10.1080/17535654.2020.1845529. https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/17535654.2020.1845529