1899 神奈川県訓令第51号

(マスクの記述なし)

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神奈川県訓令第五十一号

   郡役所

   市役所

ペスト予防消毒については伝染病予防に関する諸法令によるのほかなお左の心得書により措置すべし。

  明治三十二年十二月九日  神奈川県知事 浅田徳則

    ペスト予防心得

 ペストは伝染病中最も猛悪なる疾病にして、その症候ははじめ身体違和、食思欠損、頭痛、眩暈等の前駆症あり、あるいはこれなくして急に悪寒戦慄をもって発熱し、これと相前後して鼠蹊部あるいは腋窩あるいは頸部の水脈腺膨張し疼痛を自覚し、あるいは按圧によって疼痛を感ずるものなり。早く心臓衰弱の症候(脈拍細数微弱)あるいは脳症(精神恍惚あるいは譫語【うわごと】等)を併発し、多くは三、四日ないし六、七日にして死亡し、まれには二十四時間内に斃るるものありとす。死せざるものはおおよそ十日ないし十四日目において多くは一旦解熱し数日を経て水脈腺化膿しさらに発熱するものなり。

 病原たるペスト菌は主として皮膚の損傷部より身体に竄入【ざんにゅう】し、呼吸器あるいは消化器よりするはまれなり。しこうしてその入るや水脈系統諸内蔵および血管系統にやどるがゆえに膿汁血液(出血および月経)糞尿、痰唾、汗、涕〔涙〕および鼻汁によって排泄せらるるものなり。かつペスト菌は他の伝染病原菌と同一の条件によって繁殖および伝播せらるるのほか、鼠類、昆虫類はこれが媒介をなすにおいてことに有力なるものなり。したがって予防、消毒の方法は虎列刺【コレラ】、赤痢のごときにおけると大にその趣を異にし特に厳密周到なるを要す。

第一 ペスト流行地と交通の便ある地方においては速やかに左の設備をなすを要す。

 一 伝染病院または隔離病舎は器具物品を準備し患者収容に差し支えなからしむること。

 二 あらかじめ医師、看護人、人夫等を定めおき、消毒薬器具を備え診察治療その他予防上の措置に差し支えなからしむること。

 三 清潔方法を持続施行し病毒繁殖の余地なからしむること。

 四 衛生組合の規約を監固にして左の事項を追加励行せしむること。

  イ 流行地となるべく交通をなさざること。

  ロ 流行地より到着したるものあるときは組長に申し出でしめ出発のときより起算し十日間はその健否出人に注意し場合によりては医師をして診断せしむること。

  ハ 家鼠および家屋内の昆虫類を勉めて捕獲すること。

  ニ 巡体乞食等流行地を徘徊したるところあるものは立ち入らしめさること

  ホ 跣足〔はだし〕その他なるべく皮膚を露出せしめず創傷はもちろん胼胝【ひび】〔たこ〕、皹裂【あかぎれ】、逆創【さかむけ】のごとき微傷をも被らざるよう注意すること。 

  ヘ 古着古綿等出所の明らかならざる物品を購入せざること。

  ト 衛生組長委員等は時々組合内を巡視し流行地より到着せるものおよび到着後十日以内に出発するものあるときはすぐに警察官吏または市町村吏員に届け出ること。

第二 ペスト患者発生したるときは左の処置をなさしむべし。

 一 患者は速やかに伝染病院または隔離病舎に収容治療すること。

 二 病家には左の方法により消毒を施行すること

  イ 患者の使用したる衣服、敷物、布片、紙片、その他病毒に伝染したる物品は石炭酸水を撒布したしのち取りまとめ、一定の場所において焼却すること。ただし衣服臥具等にして高価なるものは煮沸または蒸気消毒をして差し支えなしとす。

  ロ 畳建具什器は石炭酸水をもって撒布拭浄したるのち屋外に出し日光に曝露し床上床下の塵埃は取りまとめ焼却すること。

  ハ 病室はもちろん病毒汚染のところある各部は石炭酸水を撒布すること。

  ニ 糞池床下および土間は石灰乳を撒布し消毒すること。

  ホ 患者発病前(十四日以内)使用したる衣服ならびに家人の衣服寝具等はすべて煮沸または蒸気消毒をなすこと。ただし箪笥長持または倉庫内に貯蔵せるものは消毒を要せずといえども患者の衣服を混したる場合はすべて消毒を要す

  ヘ 病家の者はすべて石鹼を用いて沐浴せしめたるのち清浄なる衣服を着せしめその湯水は石灰乳または石灰を投して攪拌したるのち投棄すること。ただし沐浴せしめがたき場合においては便宜相当の消毒をなすこと。

 三 病家の者は隔離所に入らしめ隔離所の設置なきときは相当の家屋に移すこと。

 四 病家と交通したる家に対しては前二項および三項の全部もしくは一部を適用すること。

 五 交通遮断区域内の各戸芥溜【ごみため】下水便所その他不潔の箇所は消毒的清潔法を施行し取まとめたる塵芥は一定の場所において焼却すること。

 六 交通遮断区域内においては日々家宅を掃除し家鼠または昆虫類を他に逃逸せしめざるよう捕獲し塵芥とともに一定の場所において焼却すること。

 七 交通遮断区域内においては厳に摂生に注意し創傷は微細のものといえども速やかに適当の医療を加え飲食物には生物生水を用いざらしむること。

 八 病毒汚染のところある衣類物品を消毒所に送り消毒する場合においては石炭酸水に浸せる布または油紙等にて包み途中病毒散乱せざる装置をなし運搬すること。

 九 患者死亡したるときは死体は石炭酸水に浸せる布にて被包したるうえ油紙にて包み厚さ八分以上の板にて造りたる汚液滲漏の恐れなき棺に納め火葬すべし。

第三 ペスト予防消毒および救治の事務に従事する者には左の事項を遵守せしむべし。

 一 手足その他に微傷たりともあるものは石炭酸水にて洗いたるのちコロジユムまたは絆創膏を貼付すること。

 二 患者を病院舎へ送るには釣台【つりだい】担架等に油紙を敷き患者の使用せる衣服寝具のままこれを移し面部を除くほか全部を被包する等すべて途中病毒を散乱せざる措置をなすこと。

 三 患者収容を終わりたるときはその使用せる衣服寝具は覆布および油紙とともに焼却すること。

 四 看病人はなるべく健全にして身体中創傷なくとくに手足およびその指頭には胼胝【ひび】〔たこ〕、皹裂【あかぎれ】、逆創【さかむけ】のごとき微創たりともなき者を選み爪はよく鋏み爪間に汚垢【おこう】なきよう注意しもし微創たりとも発見したるときはただちに石炭酸水にて洗浄したるのちコロジユムまたは絆創膏を貼付すること。 

 五 看病人患者を離し消毒換衣ののちたりとも十日間を経過せざれは他と交通せしめざること。

 六 人夫等はなるべく筒袖襦袢および股引足袋を著用せしめ創傷等の注意は第一項によること。

 七 人夫は一定の溜所に宿泊しすずろに他人と交通せしめざること。

 八 予防消毒および救治に従事したるとき著用せし衣類は石炭酸水の撒霧をなしたるうえこれを脱し蒸気消毒または煮沸すること。