現場知と専門知

防災・減災において、民衆知の重要性が高まっていると言えます。ここでは、専門知と関連させて民衆知を解説します。

専門知と民衆知とは

専門知(expert knowledge)とは、体系的・普遍的であり、制度的に品質保証されているという特徴をもち、専門家が担い手(知識の生産と使用)となる知識をいいます。専門知は科学知識によって代表されます。科学者集団が科学的事実として生み出し、その正しさを絶えず検証しているものが、科学知識としての地位を保証されています。

民衆知(local knowledge; ローカル・ノレッジ、市民知)とは、ある場所に固有の知識をいいます。もともとは人類学者のクリフォード・ギアーツ(Clifford James Geertz)によって提唱されました。例えば自然災害についての「津波の来る前に波が引く=波が引かなければ津波は来ない」、というものがあてはまるかもしれません。

専門知の限界とその理由

専門知と民衆知について語るとき、次のように考えることは、誤りです。それは、専門知と民衆知とを比べることができ、専門知のほうがより優れている、と考えることです。たしかに、先にあげた「津波の来る前に波が引く」という知識は、現代の科学的知見に照らしたとき、誤った知識であると評価できます。しかし、民衆知には、安易に「素人の」知識であるとして無視することのできない合理性を見出す事例が数多くあります。換言すれば、専門知と民衆知の間を区別する明瞭な境界線を引くことはできないのです。

民衆知とは、ギアーツによるもともとの議論も考慮すると、ある場所において、法や規範として作用しているものです。専門知(科学知識)と民衆知とを対立的に捉えることは誤りなのです。

それでも、科学知識のもつ特徴、特に、普遍的で制度的に保証されている、という点を強調し、それをもって科学知識の優越性として、防災に取組んでいる地域へ科学知識を「押し付ける」ことも可能であり、また「正しい」ふるまいではないかという疑問も生じるかもしれません。しかし、専門知には限界があります。

ここでいう限界には、二つの意味があります。まず、科学によってわかることには限界がある(=科学の不確実性)という意味です。科学や技術の著しい成果は、世界についての事実の記述を可能としています。一方で、そうした事実には、確率によって示されるような「リスク」も含まれています。防災とリスクは密に関係します。地震や津波のリスクは発生の確率を用いて示され、蓋然性の高い事象についての想定のもとで、ハザードマップや避難計画が立案されます。「想定外」という言葉がある通り、確率として示される以上、どうしても不確実性はまぬがれないでしょう。科学や技術の進歩によって、想定の精度が上昇する(=未だ解明されていない事実は将来的に解明される)と期待することも可能かもしれません。ここに、二つめの限界の意味があります。安全・安心という価値を決めるのは、専門家だけではできないのです。専門家はその専門における事実を記述することができます。しかし、防災において決めることには、どんなハザードから何を守るのか、さらにはその手法まで多岐にわたります。それには社会的な事柄、財政や地域特性なども関わります。防災はその目的として実現する安全・安心という価値に関わる事柄のため、専門知の限界に位置するのです。

防災・減災における民衆知の重要性

防災・減災における専門知との関連において民衆知の重要性は、専門知が民衆知として作用することです。「津波の来る前に波が引く=波が引かなければ津波は来ない」。だから「波が引かなければ逃げない」あるいは「波が引くかどうかを確認する」という行動規範が、ある地域において機能しているとしましょう。そのとき、「津波が来るかどうかとその直前に波が引くかどうかに関係はない」という正しい科学知識を、その地域へ教えることはとても重要です。そして、民衆知の観点からは、だからどう行動する、という段階まで考慮する必要があるのです。先の震災において「津波てんでんこ」は、民衆知として行動規範に組み込まれていた防災のお手本でしょう。民衆知という観点から、防災教育の意義を見出すことが、これからの防災・減災において求められています。