研究は、個人の想像力が起点となって生き物のように進展(ときには停滞)します。頭の中の「やりたいこと」を実現するには、一人だけでは限界があります。それぞれの得意分野を持ち寄って議論の俎上に載せ再構築することで、新たな景色が見えてきます。
当研究室では、龍谷大学を複数の研究情報が交錯するハブとして位置付けます。研究室の内部でのゼミを通じた研究環境の構築をベースにして、研究課題に応じて研究技術や方法論が必要になった場合、自分の居場所に囚われることなく、積極的に外の大学・研究機関へ出向いてデータを取得し、そうでなくても、共同研究者を介してデータを提供してもらいます。やってみたいけれど、できない。と諦めるのではなく、すこしでも可能性があるなら飛び込めばいい、と考えています。
研究を進めるのは他ならぬ「私」自身です。より広い視野を得ることができるように、また、外の世界に仲間を増やせるように、可能な限り機会を設けます。事実、これまで多くの研究プロジェクトで共同研究を進めてきましたし、これからも進めていきます。研究ネットワークを通じて、ひとつのテーマについて深く考える喜びをすこしでも感じてもらいたいと思います。
純粋に科学(Science)として面白い(おもろい)と思える研究から、現実的な問題解決に貢献するような実直な研究まで、どちらに重きを置くかに変動はありますが幅広いスペクトルで研究することを基本的な研究信条とします。しなやかな感性で、自由な発露で、個人的研究を最適な表現で世に示していくこと。大学での学びから、自分自身の想いを伝えるための深く、時に険しい思考を共有しましょう。
何かを表現する、それがスポーツでも、音楽でも、絵画でも、ゲームでも、そして研究でも。俯瞰的な視点でその中心となる想いを言語化するとしたら、何かを「伝える」ということなのだと思います。伝える手段として言語(日常の何気ない会話、あるいは、決意を表明するときのメッセージ、そして、文章などの文語的な表現など)を使用することが多いですが、非言語的な表現方法として無限の手段があるといえます。表現手段としての研究、という考えは決して珍しい考え方ではありません。初期衝動や、具体化できないもどかしさを表現する手段として、人生のある時期を研究に投資することは、得難いリターンを将来的にもたらします。
本研究室に参加される方の素朴な疑問や、壮大な理想、何でも構いません。抱えている問題意識を自分が主役となって表現する機会は、想像以上に少ないと思います。
本研究室で掲げている環境影響評価(Environmental Impact Assessment)は、国内・国際的に定義される「環境影響を特定・予測・評価する手続き」そのものを意味しません。あるいは、環境影響評価法(環境アセスメント法)やそれに準ずる各自治体の法令に基づいた大規模な事業に対する「制度としての環境影響評価」とも異なります(こちらについては、私が担当する「環境アセスメント及び演習」の授業で扱っています)。これらの意味の環境影響評価に基づいて考えた場合、廃棄物焼却施設の高度化によって発生するダイオキシン類の影響は極小化されています。しかし、ダイオキシン類の発生機構は未だ根本的な理解には至っていません。評価としては済んでおり影響はないとされている現象であっても、まだまだ未知の問題は多いのです。
環境中の汚染質を定量する学問分野である環境化学は、汚染実態を把握するとともに今後の解決に向けたスタート地点を与えます。解決策を具体的な技術として検討することは環境工学が担ってきました。言葉としての汚染を定量化する方法論としてリスク評価も様々な曝露形態を想定して研究が進められています。リスク評価の根幹には物質の毒性(機構)が潜んでいます。
専門分野は、どうしても複数の領域にまたがってしまうため、単純化が困難です。「発生機構に立脚した環境化学工学リスク評価毒性学」のような混合した分野を意識しています。最適な言葉を見出せませんが「環境影響評価」が表現したい意味に近いため使用しています。