中部アフリカ研究 in Kyoto

中部アフリカの概要

◆ 中部アフリカとは?

国連の世界地理区分で中部アフリカに分類されているのは、チャド、カメルーン、中央アフリカ共和国、赤道ギニア、ガボン、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国(DRC)、アンゴラ、そして島嶼国のサントメプリンシペです。これらに、ルワンダとブルンジをくわえた11か国が中部アフリカ諸国経済共同体を結成しています。そのうち北部に位置するチャド、カメルーン、中央アフリカ共和国、赤道ギニア、コンゴ共和国、ガボンは、中部アフリカ経済通貨共同体を結成し、共通通貨としてCFAフラン(1 Euro ≒ 656 CFAフラン)を使用しています。これらの国々のなかで、カメルーン北部の乾燥地域をのぞけば、日本人による研究の大部分は赤道に近い森林地域でおこなわれてきました。

    • 外務省:地域情勢

    • 右図:国連世界地理区分によるアフリカの地域(ピンク色が中部アフリカ)

◆ 中部アフリカの自然環境

アフリカ大陸の中央部にはコンゴ盆地があり、この盆地を中心とする地域を中部アフリカと呼ぶこともあります。盆地の北半分は熱帯雨林に覆われており、南半分およびコンゴ盆地の北側は、森林とサバンナのモザイクになっています。さらに南方あるいは北方へ向かうとサバンナから半砂漠へと徐々に乾燥度に強い環境へと変化していきます。東方にはアフリカ大地溝帯があり、3000〜5000m級の山々や、タンガニーカ湖やビクトリア湖などの巨大な湖があります。

    • 右図:コンゴ盆地(コンゴ川水系)(Wikipedia)

盆地を蛇行して流れるコンゴ川は、長さ4,700kmの大河で、流域面積3,680,000km2と平均流量39,610m3/sは、ともにアマゾン川についで世界第二位です。水系は赤道の南北両側に広がり、どこかしらの地域が雨季になるため、本流の流量は年間をとおしてほぼ一定に保たれています。

コンゴ川盆地からギニア湾沿岸までつづく熱帯雨林は、連続分布としてはアマゾンに次ぐ面積をほこり、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、マルミミゾウ、オカピなど、希少動物が生息しています。近年、コンゴ盆地諸国を横断する森林保全・生物多様性保全プロジェクトがさかんに進められています。

◆ 中部アフリカの歴史

コンゴ川流域には、もともと狩猟採集民であるピグミーが住んでいたと考えられていますが、現在のカメルーン南部あたりを起源とするバントゥー諸語を話すグループが、3000年ほど前から大移動を開始しました。当初は、ギニアヤムやアブラヤシに依存しており森林での生活には限界がありましたが、紀元前後に生産力の高いバナナがアジアから伝来し、森林地域の人口が増加したと考えらえています。その後、17世紀にはヨーロッパ人によって南アメリカからキャッサバが持ち込まれ、農業生産性が増大しました。

    • 右図:ピグミーの分布;緑:バントゥー系話者 紫:ウバンギアン系話者 赤:スーダン系話者(Wikipedia)

とはいえ古くから大きな国家が形成されたエチオピア、西アフリカ、東から南部アフリカと異なり、コンゴ盆地およびその周辺の国家形成は、盆地南部のサバンナ地域の小規模なものにとどまっていました。とりわけ中央部の森林地域は、19世紀に至るまでヨーロッパ人にとって最後まで未知の地域でした。

1870年代になると、ベルギー国王やフランスの支援を受けたスタンリーやブラザがコンゴ盆地を探検し、ひきつづいて植民地化が進めれました。ベルギー国王の私領となったコンゴ自由国では、ゴム採取のための強制労働など苛烈な支配がおこなわれました。コンゴ川左岸からウバンギ川左岸さらにサハラ砂漠へ抜ける地域には、フランス領赤道アフリカが築かれました。カメルーンは、当初はドイツの植民地でしたが、第一次世界大戦後、その大部分がフランスの信託統治領になりました。同様にルワンダとブルンジは、ベルギーの信託統治領になりました。

1960年、ベルギー領は、コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブルンジとして、フランス領は、コンゴ共和国、中央アフリカ共和国、ガボン、チャド、カメルーンとして独立しました。アフリカ諸国の例にもれず、独立した後も不安定な国が多くありますが、とりわけ1960年代のコンゴ動乱、1990年代〜2000年代の二度のコンゴ戦争などのあったコンゴ民主共和国は、アフリカのなかでも最も不安定な国のひとつでしたが2000年代後半以降、東部の一部をのぞいて安定をとりもどしつつあります。

上述の歴史的背景から、中部アフリカ諸国では旧宗主国の言語、すなわちフランス語がよく通じます。ただし、ポルトガル領だったアンゴラとサントメプリンシペではポルトガル語が公用語です。また、歴史的に東アフリカと交流のあったコンゴ盆地東部ではスワヒリ語が、西部ではリンガラ語が地域共通語として話されています。