⑥仏教の未来への指針
科学と仏教
現在は科学の時代だ。科学がどんどん発達するとやがて宇宙へ飛び出す時代が来る。宇宙時代に突入するころには、ロボットは生物に近づき、AIは意識を持ち始め、コンピューターは未来を計算し、生命科学はDNA合成で生命を創造し始め、新しい物理法則の発見がエネルギー問題を解決し、…といったSFのような話が現実になるだろう。科学はこのように未来を語ることができるが、一方、仏教は未来を語ることはできるのか。ひとつ言えることはたとえ人類の科学が高度に発達しても、他者への慈悲や敬いの心がなく、争いを繰り返していたならば、どこかで人類は手にした科学によって滅びることになる。そうならないように私たち人類は科学の進歩に見合った精神性を獲得しなければならない。ここに仏教の教えが必要になる。これは寺院を建てたり祈祷したり祖先を供養する仏教ではない。神秘的な教えとは決別した本来のお釈迦様の心の教えへの回帰だ。科学によって自滅せぬよう、仏教は地上に精神革命を起こして、人類を覚醒の道に導かなければならない。そのために仏教は鎌倉時代、封建時代の名残りは捨てて、科学と共に宇宙思考を取り入れなければならない。
死後の教えとの決別
私たちの心に潜む攻撃的な心を克服せずに高度な科学を手にすれば人類は滅亡する。仏教は滅亡した人類をあの世に導くためではなく、人類が滅亡せず喜悦の未来へ導くために心の持ち方を説かねばならない。つまり地上を浄土にすることだ。それは十方諸仏も歩んだ道だ。今は科学時代なので、科学の無い時代に使った方便は不要だ。そして仏教の神秘的な部分を排除すれば仏教の教えは全人類に受け入れられる。
命の本質
人類の未来に向けて仏教の役割は明確になった。では人類の起源、命の起源について仏教は語ることができるか。
生命科学によって命の本質はDNAであることが明かされた。地球の全生命体は原子や分子で構成され、DNA分子の糸に刻まれた情報によって多彩な生物が地上に存在する。このような情報は自然にDNAに刻まれることは有り得ない。エントロピーの法則に反するからだ。生き物を出現させる情報を刻むには知性が必要だ。その知性が何かという答えの一つが神による創造だ。そこで天(=宇宙)に向かって唯一の神を探しに行く思考探検を試みる。
神を求めて
宇宙船に乗って地球を飛び出す。宇宙船が上昇すると大地は遠ざかり、地平線は丸みを帯びてやがて美しい巨大な丸い球体が後方に現れる。我々の地球だ。その直径は1万2000km。周囲に見えるのは広大な宇宙空間だ。
宇宙船は猛烈な加速度で地球から遠ざかり、光を超える速度で太陽系からも離れて隣の恒星を目指す。後を振り向くともはや地球は点以下の存在だ。太陽から隣の恒星までの距離は4.24光年。太陽を1mmの粒子とした場合、約42kmに相当する距離だ。宇宙船の窓からは星々(恒星)が塵のように広がっているのが見える。宇宙船は天の川銀河の中を飛行しているのだ。天の川銀河は1000億個の恒星が渦巻き状に分布した円盤を成す。その直径はおおよそ10万5000光年。太陽を1mmの粒子とした場合、実際の太陽の直径に匹敵する巨大さだ。天の川銀河の外側には隣のアンドロメンダ銀河の巨大な姿が確認できる。アンドロメダ銀河までの距離は、太陽系全体を1mmの大きさに例えれば日本の本州の長さに相当する。更に宇宙船の窓からは遥か遠方の宇宙の奥にまで無数の銀河が確認できる。銀河は宇宙に一様に分布しているのではなく更に超巨大な泡構造を成している。このような自然宇宙の姿を目の当たりにして唯一の神はいずこにおわすのか。もはや唯一の神の座するところはない。また、唯一の神がこの宇宙を創造したとするならば、神はこの宇宙の彼方に発散してしまう。
聖書の神
宇宙に神の姿は見い出せない。ならば神について今一度聖典の記述を確認してみる。するとキリスト教の聖書には次の記述がある。
神は言われた「我々の形にかたどって人を造り、これに海の魚と空の鳥と家畜と地の全ての獣と、地の全ての這うものとを治めさせよう」
すなわち人は神の姿と同じ姿で創造されたのだ。そして次の記述では具体的に人をどのように創造したかが書かれている。
「主なる神は土の塵で人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった」
すなわち神は土の塵として表現される大地の元素から人を創造した。またイスラム教のコーランでは神は凝血から人を創るお方と書かれている。我々の生命科学の知識と照らし合わせれば、地球上の元素で合成したDNAや或いは血液中のDNAによって人間が現れることを示唆している。
このように一神教の聖典の記述を見直すと、天空の神は私たち地球人類と同じ姿の人であり、その高度に発達したDNA合成技術によって地球人類が誕生したことが推察できる。
仏典中の宇宙と仏
神が地球以外の惑星から来た人であるならば、宇宙にはいたる所に仏(真理に目覚めた人)が存在するという仏教の宇宙観と矛盾しない。また三千大千世界と呼ばれる宇宙やガンジス河の砂粒ほどに星々があるという仏教の説く宇宙は、先ほどの宇宙探検で示した実際の自然宇宙の姿と酷似している。現実宇宙の姿は地上でいくら瞑想しても知ることはできない。観測か、或いは宇宙からの来訪者に教えてもらうしか知る事はdきない。仏教の宇宙観は天空由来とするのが最も合理的である。実際、お釈迦様の悟りには梵天勧請の逸話がある。
未来へ向けての仏教
以上のようにキリスト聖書と仏典の双方の記述から、人を含む命の起源が合理的に説明できる。すなわち宇宙には高度な文明を持つ人々が数多く存在し、その文明世界の人々によって地球人類は創造された。そして創造物である我々に命や宇宙の真理と心についての教えを説いてくださっている。私たち人類は創造者(すなわち神であり仏)から与えられた仏性、愛と慈悲の心、を育んでいかなければならない。宇宙に向けた心の開花によって地上から戦争は無くなり、喜悦の世界、宇宙時代が到来する。そして人類の過去と未来がつながる。
お釈迦様が梵天から悟りの内容を広めるように言われたとき、当時の人々に理解できる内容ではなかったので広める気持ちを一時的に無くされた。しかし現代の我々は物事を科学的に理解できる。今の仏教から神秘的な教えを取り除き、お釈迦様の教えを人類自身の手で発展させて、十方諸仏(銀河文明)の仲間入りができるような宇宙思考の宗教に飛躍させる。それが未来に向けた仏教の姿だ。