⑩華厳経の多元宇宙
宇宙に果てはあるか? 誰もが知りたいと思っていることの答えが仏教の教えの中にあるとは思いませんでした。思考を遥かに超えた自然宇宙の実相。それは華厳経が説く多元宇宙です。コロナ禍の社会問題を仏教が解決の糸口にならないかと仏教を調べていった中で、最後に自然宇宙の真実を説く教えと出会いました。
芥子粒の中の宇宙
お釈迦様の八正道の実践によって覚醒する仏の道とは別に、密教は大日如来(宇宙の真理)の教えによる仏の道だった。華厳経はこの大日如来をも超える宇宙を擬人化した毘盧遮那仏を持つ。次は華厳経の一文。
一塵の内に於て,微細の国土の一切の塵に等しきものことごとく中に住す
芥子粒(ケシつぶ)の中に大千世界を入れて広からず狭からず
芥子須弥(けししゅみ)を容(い)る
いずれも塵や芥子粒の中には宇宙が収まっているという意味だ。文字通りに捉えて言い換えれば、原子の中には我々の住む宇宙と同じ宇宙が存在するということになる。三千大千世界と呼ぶ階層構造の宇宙を説く仏教。それは実際の宇宙の姿と同じだ。宇宙は無限で因果の道理が支配し、星々はガンジス河の砂粒ほどあり、数多の仏(覚醒した人々)の住む世界が存在する。このような宇宙を説く仏教が、塵や芥子粒の中にも宇宙が存在すると説いているのなら、それは華厳経の宇宙もまた宇宙の真実を説いていると考えられる。
以下、極大極小の両方の世界を再確認する。
極大宇宙
宇宙にはガンジス川の砂粒の数ほどに星々があり、星々は銀河の雲を成している。銀河もまた数多に存在し、泡状に巨大な空間に分布している。宇宙はどこまで大きな世界が続くのか。
極小宇宙
一方、宇宙は小さい世界にも続いている。どこまで小さな世界は続くのか。
極大宇宙の無限を考える
極大宇宙に宇宙の果てを設けるとする。するとその果ての向こうについて新たな問題が生じる。よって例え有限の極大宇宙を仮定しても、結局、宇宙の果ての問題は永遠に続く。そして、宇宙が果てしなく無限に広がっているとするのなら、銀河、銀河団、泡構造、の先にどんな巨大構造があるのか。どこかで構造の移り変わりがなくなって、ある一定の姿で無限に広がるようになるのだろうか。
極小世界の無限を考える
一方、極小世界は分子、原子、原子核、陽子(or中性子)、クオーク、と小さな世界もまた姿形を変えて続く。この先、微小世界はどこまで続くのか。もし微小世界に最小単位があるとすると、それはどんな構造を持つのかという新たな問題が生じる。したがって結局、極小世界もまた無限に続くことになる。しかも、極小世界の無限では、その姿形に無限通りの姿形が現れなければならない。はたして小さな世界は無限の姿形が準備されているのだろうか。
華厳経
華厳経には、蓮の花の上に無数の世界が収まった種があり、その世界は層を成し、上に行くほど多くの無数の世界に取り囲まれ娑婆世界をはじめ無数の三千大千世界が蓮の花の種の中にある。華厳経の説く蓮の花の種の中の無数の宇宙の存在は、極小世界が無数の極大宇宙と同じ宇宙で構成されているということだ。それは極小世界の宇宙の中にもまた更にその下の宇宙が存在することを意味し、極小方向の世界は入れ子構造のように繰り返されて無限に続く。そして、これはまた、我々の宇宙も巨大な極小世界の中に存在し、極大世界も繰り返しが続くことになる。これは華厳経の多元宇宙だ。
華厳経の宇宙観
あらゆる現象は互いに無限の関係をもって互いに作用し重なり合っている重々無尽の宇宙。個が全体の中にあり、それと同じ全体が個の中に包含される一即一切・一切即一で表される宇宙。華厳宗の説く宇宙はフラクタル構造なのである。フラクタルによって、微小世界は無限の姿形を準備する事無く極小方向に無限に続き、極大方向にも宇宙を存在せしめる。
海印三昧
仏(覚醒した人々)はどのようにして微小世界の中の宇宙を発見したのだろうか。海印三昧は華厳経の宇宙を発見したときの仏の境地である。それは、大海原の波が静まり水が澄むと、その水面に空中の一切の森羅万象が細大漏らさず映し出されるという。原子の中に宇宙を発見したとき、仏はそれに夢中になったのだ。いつの日か私たちも研究室で海印三昧のときが訪れるだろう。それは人類覚醒のときだ。
(追記)現在、高温超電導のモデルが、ブラックホールの理論と結びつく可能性が指摘されている。それは実験室でブラックホールを再現する。そしてブラックホールが吸い込んだ情報はその表面に記録されると言う。
S=(kᴮ・c³ /4G・ℏ)A
S:ブラックホールが吸い込んだ情報量
A:表面積
kᴮ:熱力学の定数
c:光の速度
G:万有引力の定数
ℏ:プランク定数