⑤仏教と一神教
宗教には神道やキリスト教もあるので、仏教を語るとき、仏教だけが全てというのは成り立たない。しかも宗教間の違いを乗り越えなければ、宗教が対立を生むことになる。仏教天空起源説は仏と一神教の神を習合させます。
複数の宗教の存在が宗教の存在意義を阻害する
地上には数多くの宗教(宗派を含む)がある。ところが、心の平安を得るはずの宗教それぞれが、「自分の宗教の方が他の宗教よりも優れている」とか、「他の宗教の教えでは救えないが自分の宗教なら救う事ができる」とか言い出せば、宗教で人類が対峙する。
真理はひとつしかないはずなのになぜ地上には複数の宗教が存在するのか。仏教とキリスト経を例にとって考える。
仏教とキリスト教をひとつに結びつけることはできるか
キリスト教は人は創造主である神による創造物であると説き、人は神の愛によって救われる。一方、仏教は創造主の存在を説かず、人は因果応報によって存在し、人は煩悩から解き放たれて仏(真理に目覚めた人)となって救われる。この2つの宗教をどのようにして結びつけることができるか。
まず、仏教とキリスト教に類似の教えがあるか考える。生前に善行した者が死後に行く世界として仏教には極楽浄土があり、キリスト教には天国がある。人類の救済者として、仏教には弥勒菩薩、キリスト教にはメシアがいる。生前の行いによって仏教もキリスト教も死後に裁きを受ける。天にましますわが父よと祈ったり、南無阿弥陀仏と唱えたりする祈りがそれぞれにある。キリスト教には人や宇宙を創造した唯一の神が存在し、仏教にも大日如来や阿弥陀仏という絶対の仏がいる。しかし、こういった類似の教えが仏教とキリスト教を結びつけることにはならない。むしろ救い主は神だ!いや仏だ!と更なる対立を招く。
科学を仲立ちにして宗教同志を結びつけられるか
真理の追究には科学もある。宗教が真理を教えているのであれば、この科学と照らし合わせて宗教を検証する事ができる。まず科学が明らかにした命や宇宙の真実を再確認する。
生命科学によって地上の全ての命は、DNAという長大な螺旋状の分子に刻まれた情報によって誕生する事が明らかになった。また天文学によって、宇宙には我々の太陽と同じ星々が雲のように集まって銀河と呼ばれる渦巻きを形成することを知り、その大きさ(銀河の直径)は太陽を1mmの粒に例えると実際の太陽の直径に匹敵する。更に銀河は何兆個も連なって泡のように分布している宇宙の巨大な姿も見えてきた。
この科学が解き明かした命や宇宙の姿と、仏教やキリスト教が説く命や宇宙を照らし合わせてみる。
キリスト教と科学
まずキリスト教の神は天(宇宙)に存在し、大地や人を創造した。聖書の天地創造には、「神は我々の形にかたどって人を造り、これに海の魚と空の鳥と家畜と地の全ての獣と、地の全ての這うものとを治めさせよう」と自らと同じ形に男と女を創造されたとある。我々の形にかたどってという記述から神はひとりではない。しかも神は自らに似せて人を創造したとあるので、神の姿は私達と同じという事になる。また「主なる神は土の塵で人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった。」という記述もある。これは決して粘土をこねて作った人形の造形物が人間となって動き出したという事ではない。生命科学と照らし合わせれば、人は地上の元素で創造されたことを物語っていると理解できる。このようにキリスト教の天地創造は科学と結びつく。
仏教と科学
次に仏教の始まりは、お釈迦様の瞑想中に梵天(創造神)の関与(梵天勧請)があって今日の仏教がある。その仏教は宇宙についても説き、仏教の宇宙観は科学が発見した宇宙と酷似している。そして、宇宙にはガンジス河の砂のように仏(覚醒した人)の国土(惑星)が存在すると説く。このような宇宙の姿は決して地上での瞑想や思考によって知ることはできない。観測によるか、あるいは天空からの来訪者に教えてもらうかのいずれかしかない。梵天勧請はお釈迦様は天空(宇宙)との関りがあったという事だ。
結論
このようにキリスト教と仏教はどちらも人類と天空との関わりがある事が分る。そして創造者の姿は人と同じで、人は覚醒して仏となる。キリスト教の神と、宇宙をお釈迦様に教えた梵天は競合することなく、一方は命の創造を説き、もう一方は宇宙を説き、それぞれ愛や慈悲の心の大切さも説いている。
以上のようにキリスト教と仏教が結びついた。