主要組織適合抗原複合体(動物一般ではMHC、ヒトでは特にHLAと呼ばれる)は免疫機能に関わる遺伝子です。
また、MHC遺伝子は個体による違いが大きいです。これらの性質からMHC遺伝子について、
1)個体がどういうMHC遺伝子をもつかは、個体がどういう病原体に抵抗できるかに影響する
2)個体が互いに似たMHC遺伝子をもっているかどうかは、その2個体の血縁関係を反映している
と考えられています。さらにこれらの性質からMHC遺伝子は、
動物が血縁者を認識(血縁認識)したり、血縁者を避けて(近親交配回避)、つがい相手を選ぶ現象に関与していると考えられています。
このように、MHC遺伝子をもとにつがい相手を選ぶことは「MHCにもとづく配偶者選択」と言われます。
血縁認識や配偶者選択は、生物の進化だけでなく私たち人間の社会行動にまで影響を与えていますので、
「MHCにもとづく配偶者選択」は重要な研究テーマです。
この論文では近親交配回避の研究の一環として、南大東島のリュウキュウコノハズクのMHCにもとづく配偶者選択について調べました。
その結果、南大東島のリュウキュウコノハズクはMHC遺伝子に関して似ていない相手とつがう傾向が見いだされました。
その成果は European Society for Evolutionary Biologyが発行している進化生物学の学術誌Journal of Evolutionary Biologyに掲載され、南大東島のリュウキュウコノハズクの写真が表紙に採用されました。
目次
配偶者選択とは
生物が非ランダムにつがいを形成することを配偶者選択(mate choice)といいます。
体の特徴や鳴き声、あるいは求愛ダンスなどさまざまなものに関する配偶者選択が知られています。
近年では遺伝子に関する配偶者選択も注目されています。
自身や周囲の人たちの異性の好みを思い浮かべれば、配偶者選択がどういうものなのかは実感がわくと思います。
〇で囲まれた2個体がつがい。左はつがいの色の組み合わせがランダム。右はつがいの色の組み合わせが非ランダム(同じ色同士になっている)。
配偶者の選択(英語ではchoice)というと、能動的に相手を選んでつがいを作るような印象を与えますが、
生態学で配偶者選択と言うときはたいてい、受動的に相手を選んでつがいを作る場合も含めて配偶者選択という点に注意です。
例えば、学生の多くは同じ学校に通っている学生同士でお付き合いをしていることが多いです。
これは必ずしも「同じ学校に通っているという条件に惹かれて能動的に相手を好きになって」交際しているわけではないはずです。
実際には「同じ学校に通っているから単純に会う機会も多いので、何か別の側面に惹かれて相手を好きになって」交際しているだけと考えられます。
しかし生態学的には、「同じ学校に通っている学生同士でお付き合いをしている」という状況を、
同じ学校の生徒同士で付き合う理由のいかんに関わらず、「学校に関する配偶者選択が生じている」と表現します。
配偶者選択と生物の進化
配偶者選択と進化には密接な関係があります。
進化とは生物が「適応的な」遺伝子を次世代に受け渡していくことで生じる変化です。
わたしたち人間を含め有性生殖をする生物にとって、遺伝子を次世代に受け渡すには、配偶者をみつけて子供を作る必要があります。
配偶者をみつけ、という部分は配偶者選択が関与します。
したがって、配偶者選択はどういう遺伝子が次世代に引き継がれるかに影響を与えることで、生物の進化の道筋に影響を与えています。
配偶者を選ぶ利点
配偶者選択には「適応的な遺伝子を次世代に受け渡していく」うえでの利点が伴うことがあります。
(人で例えるならば、年収の高い相手と結婚することで潤沢な子供の養育費を得られる、などです)
こうした利益には、直接的な利益(Direct benefit)と間接的な利益(Indirect benefit)の2つがあります。
1.直接的な利益
これは相手を選ぶ側が、自身が生きている間に得られる利益です。
例えばメスが餌を捕るのが上手なオスを選ぶことで、子育てに必要な餌を十分に得られるなどがあります。
目に見えて物をもらえるなどの利益なのでMaterial benefit(物質的な利益)ともいいます。
2.間接的な利益
これは相手を選ぶ側が、子供の世代を介して得られる利益です。
例えばメスが病気に強い遺伝子をもつオスを選ぶことで、自身の子供にも病気の強い遺伝子が受け継がれて、結果的に自分の遺伝子も次代に残せるようになるなどがあります。
遺伝子レベルの利益なのでGenetic benefit(遺伝的な利益)ともいいます。
主要組織適合抗原複合体(MHC)
主要組織適合抗原複合体(Major Histocompatibility Complex, MHC)は脊椎動物が広くもっている免疫機能に関わる遺伝子です。
ヒトでは特にヒト白血球抗原(Human Leukocyte Antigen, HLA)と呼ばれています。
MHC遺伝子から作られるMHCタンパク質は、体にとっての異物や病原体(つまり抗原)と結合する部分を持っています。
この部分は抗原結合部位(Antigen Binding Site, ABS)やペプチド結合領域(Peptide Binding Region, PBR)などと呼ばれています。
MHCタンパク質はこの抗原結合部位(ABS)で抗原を捕まえることで、体の免疫反応を引き起こします。
抗原結合部位(ABS)にはさまざまな違い(バリエーション)があり、それにより個体の体は様々な病原体に抵抗できるようになっています。
(※1個体のなかにいろいろな抗原結合部位(ABS)をもった互いに微妙に異なるMHCが複数存在しているということ)
専門的には、このようないろいろなタイプが存在することを多型(polymorphism)があるといいます。
MHCの多型の意義
MHCに豊富な多型が存在することには、免疫機能と血縁関係の二つの側面で重要な意義があります。
1.免疫機能の側面での意義:MHCの違いは個体内で存在するだけでなく、個体間や集団間にも存在する点
まず個体間の違いは、個体ごとの免疫機能の違いに関与すると考えられます。
例えば、ある人はあるタイプの抗原結合部位(ABS)をもつMHCをもつので、ある感染症にかかりにくい、というような状況です。
そして、集団間の違いは、集団ごとの免疫機能の違いに関与すると考えられます。
例えば、ある地域の人たちはあるタイプの抗原結合部位(ABS)をもつMHC遺伝子をもつので、その地域特有の病気にかかりにくい、というような状況です。
2.血縁関係の側面での意義:MHCの個体間の違いは個体間の血縁関係を反映する点
MHC遺伝子は遺伝子である以上、親が持っているMHC遺伝子は子供に引き継がれていきます。
母親の持っているMHC遺伝子の半分と父親の持っているMHC遺伝子の半分が組み合わさって、子供のMHC遺伝子になるわけです。
ゆえに、血縁者では似たタイプのMHC遺伝子をもち、非血縁者では似ていないタイプのMHC遺伝子を持つことが期待されます。
以上のような性質からMHC遺伝子は、動物が地域の環境に適応(局所認識)したり、動物が血縁者を認識(血縁認識)したり、血縁者を避けてつがい相手を選ぶ現象(近親交配回避)に関与していると考えられています。
MHCにもとづく配偶者選択:有名なTシャツ実験から動物まで
MHC遺伝子に関してつがい相手を選ぶことを「MHCにもとづく配偶者選択(MHC-based mate choice)」と言います。
様々な「選び方」が知られていますが、もっともメジャーなのは「自身と異なるMHC遺伝子をもつ相手を選ぶ」というものです。
これについては、男性の着たTシャツの匂いを女性に嗅いでもらい匂いに点数を付けてもらう実験を行った下の研究が有名です。
結果を簡単に述べると「女性は自身と異なるHLA遺伝子をもつ男性のTシャツの匂いに惹かれる」というものでした。
(※ヒトの実験なのでMHCではなくHLAですが、本質的には同じです)
この結果から、次のようなことが考えられます。
1.自身と相手のHLAの違いは匂いから評価できる
2.自身と異なるHLAをもつ異性を選ぶ
こうしたMHCにもとづく配偶者選択は、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類のすべての脊椎動物から報告されています。
MHCで相手を選ぶ意義
MHCの免疫機能と血縁関係への関わりを踏まえると、MHCに関して異なる相手を配偶者として選ぶことには
1.さまざまなMHC遺伝子をもつ、優れた免疫機能をもつ子供を残すことができる
2.近親者との交配を避けることができる
というような利点があると考えられます。
これはいずれも遺伝子にもとづく配偶者選択の利益であり、上述の「間接的な利益」に当てはまります。
MHCにもとづく配偶者選択の間接的な利益の検証
これまでの野外鳥類を用いた研究では、MHCにもとづく配偶者選択の間接的な利益を示すために、
「自身がさまざまなMHC遺伝子を持つときに自身の繁殖や生存がうまくいくか」
というような問いが検証されてきました。
しかし間接的な利益は本来、親が行った配偶者選択によって生まれてくる子供がうまく繁殖や生存できることを指していますので、
より正確には
「親が異なるMHC遺伝子を持つときに生まれた子供たちの繁殖や生存がうまくいくか」
という問いを検証すべきです。
しかし意外なことにとこうした研究はあまりなされてきませんでした。
野外において子供たちの繁殖や生存まで追跡してデータをとる難しさが研究を阻んでいるためと考えられます。
研究材料としてのリュウキュウコノハズク
南大東島のリュウキュウコノハズクは、小さな南大東島の中で一生を過ごします。
さらに絶海の孤島に生息するので、他の島のリュウキュウコノハズクたちからは隔絶された集団となっています。
そうした彼らを、私たちは2002年から調査し毎年一羽一羽に足環をつけて個体を識別できるようにしています。
そのため、南大東島のリュウキュウコノハズクは野外における子供たちの繁殖や生存の追跡が可能になっています。
そこで私は、南大東島のリュウキュウコノハズクを用いてMHCにもとづく配偶者選択の間接的な利益の検証を行うことにしました。
結果:MHCにもとづく配偶者選択の検証
まず南大東島のリュウキュウコノハズクがMHCにもとづく配偶者選択をしているかどうかを調べた結果、
彼らはMHCにもとづく配偶者選択をしていそうだということがわかりました。
具体的には、「実際に繁殖したつがいのMHCの違い」が「配偶者選択をしていない状況を仮想的に再現したときのつがいのMHCの違い」より大きくなりました。
方法としては無作為化検定という統計手法を用いました。
原理は以下の通りです。
1.実際に繁殖したつがいのMHC遺伝子の違いをもとめる
2.実際に繁殖したつがいをランダムにシャッフルして仮想のつがいをつくり、仮想のつがいのMHC遺伝子の違いをもとめる
3.それらを比較する
4.もし「実際に繁殖したつがいのMHCの類似度」が「仮想のつがいのMHCの類似度」より大きければ、実際に繁殖したつがいはMHCに関して異なる相手とつがっていると判断できる。
実際のつがいのMHC類似度の平均値は、ランダムなつがい形成の下で生じるMHC類似度の平均値よりもかなり大きな値をとっていました。
結果:MHCにもとづく配偶者選択の利益の検証
次に南大東島のリュウキュウコノハズクのMHCにもとづく配偶者選択に、「配偶者選択の間接的な利益」が伴うのかを調べた結果、
利益があるという明確な証拠は得らせませんでした。
具体的には、両親のMHCの違いが生まれた子供の生存状況を改善するというような現象が見出されませんでした。
方法としては標識再捕獲法という方法を用いました。
原理は以下の通りです。
1.巣立ち前のヒナに足環をつける
2.その後複数年にわたり、ヒナたちの生存状況記録する
3.両親のMHCの違いが大きいヒナの生存状況と、両親のMHCの違いが小さいヒナの生存状況を比べる
4.もし「両親のMHCの違いが大きいヒナの生存状況」が「両親のMHCの違いが小さいヒナの生存状況」よりも良ければ、MHCの違い相手を選ぶことでよく生き残る子供を産めるという利益があると判断できる。
南大東のリュウキュウコノハズクが、MHCによる配偶者選択をする理由
彼らの生態や生息環境をふまえると、彼らがMHCをもとに相手を選ぶ理由がいくつか考えられます。
理由1:近親交配を避けるため
MHCの違いが血縁関係を反映することは冒頭で説明しました。
南大東島のリュウキュウコノハズクは絶海の孤島である南大東島に長い間、他所から隔絶されて暮らしてきたので必然的に近親交配がおきやすい状況にあります。
かれらは近親交配を避けるためにMHCによる配偶者選択を行っているかもしれません。
理由2:長生きで、一夫一妻で、つがいを一生変えないから
フクロウの仲間を含め猛禽類は、長生きなうえに初めに選んだつがい相手と一生をともにする種が多くいます。
こうした種では初めとつがうかでその後の一生にどれだけの子供を残せるかが変わります。
したがって、こうした種では慎重につがい相手を選ぶ必要があり、配偶者選択という行動を進化させていると考えられています。
理由3:夜行性だから
フクロウは夜行性のため、見た目で分かるような特徴で相手を選ぶことは難しいと考えられます。
ヒトで匂いとHLAの実験があるように、フクロウもMHCの違いが匂いやあるいは鳴き声に反映されていて、それらに対する配偶者の選択がMHCに関する配偶者選択を生み出している可能性があります。
南大東のリュウキュウコノハズクの、MHCによる配偶者選択に適応度利益は本当にないのか?
今回の研究では、MHCをもとに相手を選ぶことに利益があることを確認できませんでした。
たしかに、本当に利益なんて何もない、という可能性もあります。
しかし、統計学的に考えると今回の研究は利益を「検出」できていないだけの可能性が大きいと考えられます。
今回の研究では、2016年に生まれたヒナの2018年までの生存状況を記録することで利益の検証が行いましたが、データの少なさは否めませんでした。
小さな効果を検出するにはたくさんのデータが必要、というのが統計学の基本です。
例えば、2002年から2021年に生まれた雛のすべての生存状況の記録を活用すれば、何らかの「利益」を示すことが出来るかもしれません。
ですが、これのすべての個体についてMHC遺伝子のデータを得るにはかなりの費用が掛かります。
お金の得にくい基礎研究分野でかつ、当時大学院生の身分では、なかなかに実施の難しい研究でした。
生存状況のデータはあるので、遺伝子解析の費用さえあればできる研究なので非常にもったいないですね…。
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