【報告】5月23日(火)「異文化を学び自文化を学ぶ」プロジェクト第1回講演会"Sleeping Beauty"を開催しました

「異文化を学び自文化を学ぶ」プロジェクト第1回講演会「"Sleeping Beauty" – A Fairy Tale in European Tradition – With Historical Documents and Artistic Images.」を開催しました

2017年5月23日(火)5限目、白山キャンパス6号館6201教室にて、文学部国際文化コミュニケーション学科「異文化を学び自文化を学ぶ」プロジェクト第1回講演会を開催し、「"Sleeping Beauty" – A Fairy Tale in European Tradition – With Historical Documents and Artistic Images.」という題目で、ドイツ・グリム兄弟協会理事Dr. Bernhard Lauer氏にご講演いただきました。

ベルンハルト・ラウアー氏は、ドイツのマールブルク大学にて博士号取得(Dr. phil.)され、カッセルのグリム兄弟博物館館長を経て、現在はグリム兄弟協会理事としてグリム童話・グリム兄弟についての研究を行い、「グリム童話」展等の監修を世界各国でてがけていらっしゃいます。2012年には、東洋大学125周年記念行事グリム国際シンポジウム「グリム童話200年の歩み」にて基調講演をなさいました。グリム研究関連業績多数で、日本における主要著書としては、『永遠のグリム童話―カッセル・グリム兄弟博物館所蔵』(虎頭恵美子訳、ブックグローブ社、2003年)等を挙げることができます。

さて、ディズニー・アニメーションでも有名な「眠れる森の美女」の原作とされている童話あるいは民話には、我々もよく知るフランス・バージョン(ペロー童話)の他に、ドイツ(グリム童話)やイタリア(ペンタメローネ)のバージョンが存在します。本講演では、そのような「眠れる森の美女」という伝承および表象研究の諸相について、特にヨーロッパ比較民話学の手法を軸として、数々の挿絵画像と共にお話しいただきました。

内容は3つのパートに分かれており、第1パートは、ドイツでもっともよく読まれ、世界各国の言語に翻訳されている『グリム童話』の成立と、その編者グリム兄弟の人となりについての解説でした。ヤーコプ・グリム(1785-1864)とヴィルヘルム・グリム(1786-1859)のグリム兄弟は、1812年に『子どもと家庭のメルヒェン集』(グリム童話)第1巻(初版)を、1815年に第2巻(初版)を収集刊行しました。そしてこの『グリム童話』は、1857年の第7版に至るまで、特に弟ヴィルヘルムの手により改変がなされました。昔から口承で伝わってきたお話を、民族の宝として書きとどめ、後の世に残すという目的で出版された『グリム童話』は、このように、グリム兄弟の創作ではありません。とはいえ、教育の書でもあるという位置づけと共に、たとえば残酷な場面やエロティックな場面は、改版の経緯で削除されたり書き換えられたりしてきました。グリム兄弟の研究分野は、文学研究(文献学)だけでなく、法学、言語学、歴史学や民俗学(当時は学問としてはまだ成立していなかった)など多岐にわたっており、特に彼らが編纂した『グリムのドイツ語辞典』は、今でも最大の語彙数を誇る辞書であり、『グリム童話』とならぶドイツの宝といえます。

第2パートは、『グリム童話』第50番目のお話「いばら姫」が、比較民話研究における「眠れる森の美女」型の話であることを基軸に、そのお話のルーツにせまっていくものでした。「いばら姫」はグリム・ヴァージョンあるいはドイツ・ヴァージョンといわれ、1812年より『グリム童話』に集録されています。しかしながら、1697年にはフランスでシャルル・ペローが『教訓を施した過ぎし日の物語』という貴族の子女むけのお話集を出版し、そのなかに「眠れる森の美女」が収録されていました。また、1637年にイタリアのナポリ方言で書かれたジャンバティスタ・バジーレの『ペンタメローネ(五日物語)』には、「太陽と月とターリア」というタイトルで、やはり「眠れる森の美女」型のお話が収録されています。もっと遡ると、『古代英国年代記―ペルスフォレ王とフランク宮殿の騎士たちの行状と武勲』(1528年)に収録されている「トロワリュスとゼランディーヌの物語」も、同型のお話といわれており、ルーツは神話にまで遡及できるという、とても興味深い話が続ききました。ペローのフランス・ヴァージョンには、姫と王子の結婚後、嫁姑問題が続きますし、イタリア―のバジーレ・ヴァージョンは、姫とよい仲になるのは既婚の王さまであるということから、もともとは子どものためのお話ではなかったことが、容易に推測できそうです。

第3のパートは、「眠れる森の美女」あるいは「いばら姫」の挿絵の歴史を解説していただきました。もともと『グリム童話』には挿絵が1枚もなく、1825年にグリム兄弟が50話をセレクトした『グリム童話 小さな版』を出版した時に、彼らの一番下の弟で画家のルートヴィヒ・エミール・グリムが、「いばら姫」の挿絵を描きました。それから、オットー・ウベローデという画家が、ヘッセンというグリム兄弟の故郷の風景を取り入れ、『グリム童話』の挿絵を描きました。ウベローデの挿絵のモデルとなった建物や風景は、今も見ることができます。もともとは、「むかしむかしあるところ」のお話であり、地名や国際色のようなものが排除される語り口の「メルヒェン」(=お話、童話、おとぎ話)に、このような郷土色豊かな挿絵が施されることで、『グリム童話』が、また別の拡がりを見せていくことになります。つまり、挿絵画家の解釈やその当時の社会的風潮、芸術思潮あるいは流行によって、さまざまな時代のさまざまな地域のさまざまな「眠り姫(=いばら姫)」が、描かれていくことになるのです。たとえば、ナチス・ドイツ時代に描かれた「いばら姫」の挿絵には、当時の軍服を着た王子が描かれていました。ロココの衣装をまとった姫もいれば、たとえばアール・ヌーヴォー(ユーゲントシュティール)時代のジャポニズムの影響をうけた挿絵には、着物の袖のような衣装の姫もいます。このようなワールドワイドな描かれ方とその可能性もふくめて、「眠れる森の美女」研究には、たくさんの方向性と可能性が広がっているということでした。

最後に、ドイツのカッセルには「グリム・ワールド」というレジャー施設も兼ねた博物館がありますし、「グリム兄弟協会」が運営する博物館も、シュタイナウのお城の中にありますので、ぜひいらしてくださいとのことでした。

 比較伝承文学研究およびグリム童話研究の基本を丁寧に説明しながら、その問題点をも解説し、さらに貴重な挿絵をふんだんにつかいつつ、解釈というものの多様性を説く本講演は、ものごとに対する多角的視野の重要性を気づかせてくれる大変有意義なものでした。

【講師】 ベルンハルト・ラウアー 氏 : ドイツ グリム兄弟博物館 元館長

マールブルク大学にて博士号取得(Dr. phil.)

カッセルのグリム兄弟博物館館長を経て、現在はグリム兄弟協会理事、および、雑誌『グリム兄弟ジャーナル』編集長。「グリム童話」展等の監修を世界各国でてがける。

2012年東洋大学125周年記念行事グリム国際シンポジウム「グリム童話200年の歩み」にて基調講演。