前近代における差別呼称が確認できる絵図(古地図)のデジタル公開についての提言
2021年3月10日
全国部落史研究会
0.はじめに
わたしたち全国部落史研究会は、部落問題にかかわる歴史の研究とその発展を目的とする個人と団体によって組織された団体です。1995年に前身である全国部落史研究交流会の第1回交流集会を開催し、2008年に全国部落史研究会として会則を定めて、一昨年2019年6月に第25回全国部落史研究大会を開催しました。
情報化の進展で、かつては閲覧の困難であった歴史資料(以下、史資料と略記します)が、高精細画像でウェブ公開されています。このことに関わって、わたしたちは、絵図、つまり前近代に作成された古地図の公開のありかたについて、提言します。それらの中に、差別呼称が書きこまれている絵図が、少なからず見られるからです。わたしたちは、このために2018年から議論を開始し、一昨年の大会でプロジェクトチーム試案を出しました。とりわけ、この新型コロナウイルス感染症パンデミックの中でオンライン発信への圧力が高まっている今、問題の所在を確認しておくことは、学術のために無意味ではないと信じます。
わたしたちは、部落史研究にたずさわる立場から、史資料は基本的に公開されるべきだという原則を共有しつつ、それは同時に、部落差別を被る可能性に関わる当事者を不在化して進めるべきではないことにも留意したいと考えます。そして、研究者や研究機関ができること、すべきことを提起し、さらなる議論を呼びかけます。
絵図をはじめとして、被差別部落(以下、部落と略記します)にかかわる史資料の展示公開については、差別につながるおそれをめぐって、関係者の間で議論が重ねられてきました。たとえば、「穢多」や「非人」などといった差別呼称の記載は、ひとつの論点です。近世に西日本の「穢多」が「かわた」と、関東では「長吏」と称したように、その時代を生きた被差別民衆自身は、しばしば、屈辱的な呼称を拒みました。このことに思いを馳せれば、絵図それだけをただ掲げるのではなく、ましてや当該箇所を覆い隠すのでもなく、身分制による差別が具体的に刻みこまれた文化財として閲覧利用できるようにする工夫がオンライン公開にあたっても望まれます。
1.オープンアクセスの現状と課題
世界規模の情報化を背景にした政府のデジタルアーカイブス構想の下、図書館、公文書館、博物館、大学等の研究機関がそれぞれ所蔵の、もしくはデジタル化許諾をうけた文化財をふくむ史資料を高精細画像の形でデータベース公開を進めています(本提言では、これらの主体を公開機関と呼びます)。劣化のおそれから閲覧に制限があった貴重な史資料もインターネット環境があれば時間や場所などに関係なく利用できるこのオープンアクセス化は、研究条件の向上という面では飛躍的な進歩です。絵図をはじめとして、被差別部落(以下、部落と略記します)にかかわる史資料の展示公開については、差別につながるおそれをめぐって、関係者の間で議論が重ねられてきました。たとえば、「穢多」や「非人」などといった差別呼称の記載は、ひとつの論点です。近世に西日本の「穢多」が「かわた」と、関東では「長吏」と称したように、その時代を生きた被差別民衆自身は、しばしば、屈辱的な呼称を拒みました。このことに思いを馳せれば、絵図それだけをただ掲げるのではなく、ましてや当該箇所を覆い隠すのでもなく、身分制による差別が具体的に刻みこまれた文化財として閲覧利用できるようにする工夫がオンライン公開にあたっても望まれます。
2.わたしたちが考えていること
2―1.部落史研究における地名および人名
戦後の部落史研究は、部落差別に反対する、部落差別をなくそうという多くの人々の願いに支えられてきました。そのために、各地の部落の歴史や解放運動の歩みが明らかにされてきました。自治体史やそれに準ずる事業として、あるいは個別の部落の歴史研究、また史料集が編纂されました。そのなかで、原則として地名も人名も秘匿しないという共通認識が形成されて今にいたります。ただし、例外として、地元の合意が形成できなかったような場合には、人名の一部を伏せ字にするなどの対応が取られています。
他方で、差別呼称については、史料の翻刻や引用では伏せず、本文叙述では鉤括弧や注記などで留保する対応が定着しています。どのような場面でいかなる呼称が採用されたのかもまた、当時の社会の現実や意識の反映として、考察の対象となるからでもあります。
2―2.絵図の特性
前近代の古文書は読解の訓練を経なければなりませんが、絵図は特別な知識がなくても鑑賞できます。また、情報が豊富であればあるほど、それを現代の地図と照合することが可能になります。被差別民の居住地の描写、立地、移転などの検証にも絵図が活用されています。
かつては、差別呼称の記載された絵図の展示公開を博物館が避ける風潮がありました。しかし、その社会教育や研究資料としての有用性については、大阪人権博物館の2001年の特別展「絵図に描かれた被差別民」によって示されたといえるでしょう。また『五街道分間延絵図』(東京美術)をめぐって、部落解放同盟中央本部は2003年に声明文「古地図・古絵図刊行及び展示に対する基本的考え方」を出して、「それが歴史的史料である限り、墨塗りやコンピューター処理による削除はすべきでなく」、博物館展示について1990年に示した「充分な解説を付けた上で展示する方が望ましい」という原則を確認しました。出版社も解説篇補遺を2008年に刊行しました。
もっとも、現下のデジタル公開の多くが、このような検討を経た上での解説をつけずに、つまり史資料の個々の特性を理解せずに、いわば流れ作業で進められていることに、わたしたちは深い懸念を抱かずにはいられません。
2―3.デジタル化の特性
デジタル化をめぐっては、情報拡散が量も速度も桁違いであること、加工と二次利用が容易であること、また一度拡散された情報は、どこかに複製されて半永久的に残りつづけるという特性が、すでに指摘されています。
この対策として、公開機関側が二次利用を制約し、技術的に制限をかけている場合もあります。ところがウェブ上では、絵図の一部をデジタル加工で切り抜いて部落の所在地情報とともに呈示しているサイトがアクセスを集めており、これが差別の煽動ではないのかが問われています。
たしかにデジタルアーカイブスの利点は否定できません。しかし無批判に情況にのみこまれることは研究者のとるべき態度ではないでしょう。差別の煽動や助長を許さないという立場を明確にした史資料の公開や研究がどうあるべきなのか、関係者の対話が求められていると考えます。
3.問われる研究の主体性
法務省は2018年12月に、インターネット上での同和地区の摘示は「原則として削除要請等の措置の対象とすべきである」と、方針転換を出先の法務局などに通知しました。2016年に制定された部落差別解消推進法や、2001年に制定されたプロバイダ責任制限法の運用が2018年6月に変更されたなどの経緯が背景にあると思われます。通知では、「例外的に削除要請等の措置を講じるのが相当でない場合」として「学術、研究等の正当な目的による場合であって、かつ、個別具体的な事情の下で、当該情報の摘示方法等に人権侵害のおそれが認め難い場合」を挙げています。
この通知については別途議論が必要だと考えますが、差別性の認定や削除要請を法務省の担当課長の判断に委ねるのではなく、広く社会的合意を形成していく取り組みを展望しつつ、研究の領野を学問の側から確保していかねばならない情況を迎えているのではないでしょうか。
4.提言
わたしたちは、次のように提言します。
4―1.所蔵機関にむけて
史資料の保存整理と公開活用という原則を大前提とし、絵図をふくめて、差別に関わる史資料を、隠蔽、封印、廃棄、あるいはデジタル技術などによる改竄をしないことを求めます。
ただし、閲覧者の目的を的確に把握し、差別の助長や人権侵害につながる可能性を丁寧に説明するなど、利用にあたっての適切な助言をすることは必要です。悪意にもとづくと判断されるときなど、場合によっては断ることもありうるという認識も、あらかじめ共有しておきましょう。
4―1―2.公開について
前項の提言内容を踏まえつつ、適切な解説を添えた公開が望ましいとわたしたちは考えます。他方で、絵図に差別的な表記や表現がある場合で、十分な検討をおこなわないまま公開したときには、問題点について真摯に当事者や研究者などの関係者と協議しましょう。そして、説明責任を果たすとともに、差別的に利用された場合には責任もって抗議することを求めます。
4―2.研究者にむけて
多くの研究者がこの問題に関心を払い、議論に参加することを呼びかけます。前近代であれ、近現代であれ、それぞれの時代における差別の現実が史資料に反映されるのは当然ですし、史料批判とは、そこに目をこらすことではないでしょうか。自治体史編纂において、部落への言及を避けて、叙述において部落史が消されてしまった事例もあります。しかし、研究が内包している暴力性を自覚しつつ、歴史記述において差別を不可視化しない、そのために討論を深めるということが、その社会的責任に向きあうということではないでしょうか。
4―3.絵図等の二次利用について
二次利用に関する許諾条件を遵守し、その有無にかかわらず決して差別を煽動するためには利用しないことを求めます。
プロバイダー(接続業者)等のサーバー管理者は、人権侵害に使われるような情報の拡散に利用されないように努めるとともに、もしもそのような情報を発信、拡散させてしまったときには削除をはじめとして可能な限りの対応を取ってください。
4―4.教育利用について
わたしたちは、差別について教えないほうがよいだとか、教えるべきではないという発想には、反対します。
絵図の教材利用にあたっては、前近代の差別呼称が今日の日本社会においても差別表現として用いられている現実を踏まえて、差別をゆるさない立場から、部落問題についてきちんと学ぶ教材研究を期待します。すでに地域学習などで実践が蓄積されていますし、わたしたちも協力を惜しむものではありません。
4―5.閲覧するすべての人たちにむけて
知ることにも責任がともないます。前近代被差別民の居住地を知ったとき、それを差別について考える機会にしてください。
また、悪意をもって差別をひろめる行為については、公的機関や当事者団体などの窓口に知らせたり相談するなど、ひとりでもできる行動があることを知ってください。
5.おわりに
経験に照らして、マニュアルは簡単に形骸化します。だからこそ、たとえば公開をめぐる判断にしても、個別具体的な検討の過程そのものに、つまり関係者の議論や気づきにこそ意味があると信じます。この提言をうけて、議論が活性化し、共通認識の形成につながることを望みます。