長谷川 豊氏の発言についての見解
2019年5月24日
全国部落史研究会
代表 寺 木 伸 明
長谷川豊氏による2019年2月24日の講演(5月15日にYouTube にアップ)のなかで、江戸時代の被差別民であった「穢多」(支配者側やマジョリティ側が用いた侮蔑的な呼称。関西地方などでは皮多、関東地方などでは長吏と称することが多かった)や「非人」身分の人々を、侍に対して「一族野盗、郎党」で「暴行」をはたらく「犯罪」の「プロ」として説明しています。氏の発言については、全体の文脈のなかで詳細に検討を加える必要があると考えますが、発言のこの部分は、とりわけ部落差別を助長することにつながる悪質な発言なので、取り急ぎ、このことについてのみ、全国部落史研究会代表としての見解を表明します。
50年近くに及ぶ私の、江戸時代に関する部落史研究活動において、同氏が話されている内容を裏付けるような史料はまったく見い出すことはできません。したがって、また、そのようなことを明らかにした論文も見たことがありません。確かに被差別民が犯罪を行ったとして処罰を受けたという史料は存在しています。しかし、史料を見るかぎり、百姓や町人なども、そして武士も犯罪を犯したとして処罰されている事例も多くあり、けっして被差別民だけが犯罪を犯していたわけではなく、また、被差別民に犯罪が集中していたわけでもありません。
戦後の部落史研究は、特に1970年代以降の部落史研究は、江戸時代の皮多あるいは長吏身分の人々は、身分差別の厳しい社会の中で、皮革業・太鼓製造業・雪駄草履作り・農業や医薬業など、さまざまな生業に従事して懸命に生き抜いてきたことを明らかにしてきました。さらには、たとえば幕府のもとで江戸・浅草の弾左衛門とその配下の人々が「お尋ね者御用」という警察の仕事を果たしていましたし、紀州藩の牢番頭仲間(皮多身分)に見られるように多くの藩で警察のプロとして犯罪を取りしまる重要な役割を果たしていました。大阪地域などでは、「非人」身分の人々が大坂町奉行所のもとで、広域捜査も含む警察の役割を果たしていたことは現在ではよく知られている史実です。つまり、皮多身分や「非人」身分の人々は、むしろ人々の安全や治安維持のために重要な役割を果たしていたのです。
長谷川氏の発言は、こうした史実に基づかない、被差別身分の人々ならやりかねないという、まさに予断と偏見に基づく誤った内容であり、しかもその発言内容がYouTubeで流されることにより、部落差別をいっそう助長することにつながる悪質なものであると私は考えます。
以 上
※2019年6月7日誤字を訂正しました。