03D. 識別能を高める方法

物事を識別すること (discrimination) とは、自分の保持しているある情報に基づいて、現在直面している状況や情報と同じか同じではないか、振り分けていく作業であると言えます(日本語では「弁別する」とも表現します)。

そして、この識別の直後に行われる判断 (judgement)または意思決定 (decision-making) は、損得・報酬 (reward) 、そのときの一時的な感情 (emotion) 、あるいは特定のルールに沿った合理的思考 (rationality) などに基づいて遂行されます。ここで強調すべきポイントは、識別は、判断や意思決定と大変関連深いのですが、異なるプロセスであるということです。

そして重要なポイントは、物事の判断や行動の決定には、どのようなケースにおいても、この「識別能」が基盤として存在しているということです。従って、判断・意思決定とは別に、識別能について明確に区別して理解しておく必要があります。

パターン認識


判断や意思決定を行う前に、まず、きちんと識別できているかどうか、振り分けできているかどうか。そのプロセスは、パターン認識 (pattern recognition) と呼ばれ、記憶のメカニズム、特に記憶の中枢である海馬のネットワーク構造においても大変重要なものです。

例えば、実際の記憶の研究では、動物やヒトに再認記憶課題 (Recognition memory task) や見本合わせ課題 (Matching-to-sample task) という課題を行ってもらい、テスト時の識別による回答、つまりパターン認識による回答から、記憶機能を評価します。

識別とは、簡単に言えば「情報が一致しているか、一致していないか」の処理作業。専門用語を用いれば、Pattern completion vs. Pattern separation、別の言い方をすれば、Match vs. Mismatchの処理作業と言うことができます。そのとき明確にすべき点は、どのような情報と照らし合わせるかという「照らし合わせルール (matching-to-sample rule)」が存在しているということです。最も簡単なレベルは、過去に自分が記憶・経験したものとの照らし合わせ、すなわち、現在直面している情報について「知っているか」「知っていないか」の識別です。少し高度なレベルでは、野球の場合、過去に自分がホームランを打ったときと同じタイミングのボールであるかどうかの識別となります。

このように、いかにして上手に過去の自分の記憶と照らし合わせを行い識別するか、そして、それに基づいて、いかにしてトレーニングを行っていくかが識別能を向上させるカギとなります。




海馬のニューラルネットワーク


ここからは、少し専門的な話となりますが、海馬のネットワーク構造、すなわちニューラルネットワーク (neural networks) を解読していくことで、「識別能」がどういうものなのか、自ずと理解できるようになります (Rolls and Treves, 1998)。

我々の持つ海馬は、記憶の中枢として知られていますが、実際の役割として、大脳皮質は「本棚の保管庫」であるのに対して、海馬は「机の上の作業場」として機能します。例えば、私の机の上には、最近読んだ本が積み重なっていることが多々ありますが、これもある意味、保管、つまり記憶となりますが、あくまでも一時的なもので、最終的には、保管庫である大脳皮質に保管されます (Remote memoryまたはSystem consolidation)。従って海馬は、コンピュータで言うまさに、RAM・メモリの役割を担う、と言うことができます。

記憶とは、突き詰めてしまえば、"Associative memory"という概念が基本であり、要は「情報と情報の繋がり」こそが記憶そのものというわけです (LeDoux, 2003)。つまり、繋がっていれば記憶である。この繋がることをAssocaition (連合) といい、繋がらずに分かれることをCompetition (競合) といいます。そして、それらの作業が行われる場の中心が、海馬なのです。

海馬は、少なくとも3つの階層で構成されます。今現在、ある情報に直面しているとします。その情報は、まず最初の階層Dentate gyrusという領域で、過去の情報と比較され、より積極的にまず「違うのではないか」というバイアスのもとで評価されると考えられています。これはDentate gyrusのもつ競合ネットワーク構造によるもので、Pattern separation過程と呼ばれます (McHugh et al., 2007; Yasuda et al., 2011; Reviewed by Kesner, 2000)。これは、「直交化 (Orthogonalization)」 と「カテゴリー化 (Categorization) 」というプロセスで処理されることが考えられています (Reviewed by Rolls and Treves, 1998)。

次の階層CA3では、入力情報は、積極的に「全く同じである」というバイアスのもとで評価されます。これはCA3のもつ自動連合ネットワーク構造によるもので、Pattern completion過程と呼ばれます (Nakazawa et al., 2002; Reviewed by Murr, 1971; McCleland and Rumelhart, 1986; Rumelhart et al., 1986; McNaughton and Morris, 1987; Rolls and Kesner, 2006) 。この構造は、実際にアトラクター (Attractor) 構造であることが示されています (Wills et al., 2005)。特筆すべきは、脳内でこれほどRobustな自動連合ネットワーク構造を持つ部位はCA3の他にはなく、従って、入力情報を積極的に「全く同じである」と識別する中心的な部位は、CA3以外は考えられないとされています。

さらにCA3の腹側部に進むと、「一般化 (Generalization) 」というプロセスで処理されることがわかっています (Kjelstrup et al., 2008; Royer et al., 2013; Komorowski et al., 2013)。従来CA3では、嗅内皮質からの投射を受けることで、パターン連合ネットワーク構造を形成していますが、特にCA3腹側部では、自動連合ネットワーク構造が緩くなるなどの理由から、一般化が起こると考えられます (Reviewed by Witter, 2007)。

3つ目の階層CA1では、DGとCA3で評価された情報と、さらに別の嗅内皮質からの入力情報をあらためて照らし合わせる構造、これについてもパターン連合ネットワーク構造となっており、ここでは、ComparatorMismatch detectorとしての役割を果たすと考えられ、入力情報は、統括的に評価されます (Reviewed by Vinogradova, 2001; Lisman and Grace, 2005)。

これより、それぞれの階層の役割を一言で表現すれば、最初の階層では「混ぜない」情報処理、2番目の階層では「漏れない」情報処理、3番目の階層では「ブレない」情報処理、と言うことができます。


さらに複雑な海馬の情報処理とその応用例


このような海馬の構造は、すでに十分に複雑ですが、これらは、機械学習やディープラーニング、そして人工知能AIの基本事項として知られています。しかしながら、実際の我々のもつ海馬での情報処理は、さらにもっと複雑です。実際の海馬では、簡単に言えば、縦断軸 (longitudinal axis) と横断軸 (transverse axis)に沿って機能が分化していることがわかっています。これまでは、海馬の縦断軸に沿った機能の分化が主に考えられてきましたが (Reviewed by Moser and Moser, 1998; Poppenk et al., 2013)、特に近年、CA3とCA1で、それぞれの領域内部で横断軸に沿ってPattern separationとPattern completionとしての機能に分かれることが明らかになりました (Henriksen et al., 2011; Nakamura et al., 2013; Lee et al., 2015; Lu et al., 2015; Nakazawa et al., 2016; Reviewed by Lee et al., 2020)。

その知見の一端として、私たちの研究は貢献しました。特にCA3では、そのほとんどがPattern completion過程のみを有すると考えられていましたが、私たちは、CA3でPattern separation過程を意味することとなるnon-spatialな情報処理過程を有していることを世界で初めて示しました (Nakamura et al., 2013)。

https://www.jneurosci.org/content/33/28/11506

また、CA3の情報処理は、年を取ると、認知症とも関係してきますが、積極的に「全く同じである」というPattern completionに、さらに磨きがかかって「もっと多くのものが同じ」という識別能になってしまう傾向にあるようです (e.g., Wilson et al., 2006)。すなわち、物事の細かい違いについては、年を取ると段々と気にならなくなるわけです。

となりますと、細かい認識作業、例えば、細かいカテゴリーリストをつくるようなPattern separation過程をふんだんに必要とする作業こそが、このような傾向に陥らないための予防策となります。我々研究者にとっては、論文のReferenceリストの作成、遺伝子発現解析で得られたリストの作成は、その予防策の1つと言えるかもしれません。

これらのプロセスを用いて、情報処理は実際に私たちの脳で行われているのですが、その重要な特性として知られているのは、直前の情報処理がPattern separation過程だったか、それともPattern completion過程だったかの違いで、その直後の識別にバイアスがかかってしまうということです (Duncan et al., 2012)。直前の識別がPattern separation過程だった場合、その直後もPattern separationにバイアスがかかってしまい、また、直前の識別がPattern completion過程だった場合は、その直後はPattern completionにバイアスがかかってしまうというのです。

かつて30年ほど前に「10回クイズ」というものがありましたが、単純な繰り返しを行うことで、数多くの人たちが引っ掛かってしまうというのは、まさに、ここで言う識別能の特性によるもの、と考えられるわけです。

またPattern separationは、ニューロン新生 (Neurogenesis) との関連性が示されています。現在もなお、大きな議論を呼んでいるという表現の方がより正確ですが、Dentate gyrusにおけるPattern separationとニューロン新生の関係は、とてもリーズナブルであるように思います。そして、ニューロン新生はストレスによって阻害され、適度な運動によって亢進されます (McEwen, 2002)。

以上より、識別能を向上させるとは、少なくとも、海馬のPattern separationとPattern completionの機能をバランスよく保つこと、そのためには、「混ぜない・漏れない・ブレない」という情報処理を明確に分けて行うことと言うことができます。従って、パフォーマンス向上において「海馬の各階層ごとの機能維持」の重要性が考えられます。

それでは、どのようにすれば、海馬の階層ごとの「混ぜない・漏れない・ブレない」という機能をよりよく維持していくことができるのでしょうか。

他の識別能に関連する概念

海馬の各階層の機能を維持する方法を知るためには、以下の概念について、さらに理解を深めていく必要があります。

モノや部分部分を捉えるか、情景などの全体の流れを捉えるかという情報処理 (こちら)、初めての経験となるか、過去の体験・経験と照らし合わせるかという記憶過程、曖昧の中からでも答えに到達するか、正確に明確に答えに到達するかという想起過程、トレーニングなどによる熟練度は低いか、高いかという固定過程など。

これらの原理原則に従ったトレーニングを積むことで、識別能の向上は充分に可能です。

今後、これらの概念について、さらに議論を進めていきたいと思います。


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