03A. 内臓反応と認知機能のクロストーク

現在、私が取り組んでいる研究テーマは、身体情報に対する内受容感覚 (interoception)と認知機能 (cognitive function)の間で成り立つ法則を明らかにすることであり、最終的な目的は、その法則を応用し、よりよい人生に役立つように実用化させることです。

内受容感覚 (interoception)とは、内臓や末梢臓器を「客」、脳を「主」とした場合の表現で、多くの場合、内臓の感覚となります。内臓を「主」とすると、英語ではvisceral response、すなわち「内臓反応」と表現されます。

内臓反応とは何か


ここで取り上げる身体の「内臓反応 (visceral response)」とは、いったい何でしょうか?

動物が恐怖体験をしたときのことを思い浮かべてみてください。

ネコに睨まれたネズミ、イヌに睨まれたネコ。マンガなどでよくある光景ですが、睨まれた方は、体が硬直し動けなくなります。これは、恐怖記憶のあることが前提となりますが、すくみ反応 (freezing) と言い、自律神経系・筋骨格系からの内臓反応の一つです。このとき、心拍数の上昇、血圧の上昇も起こりますが、これらも内臓反応です。このような反応は、意識的にコントロールするのは大変難しいと考えられています。そして重要なポイントは、その恐怖を思い出すだけ、つまり、ただ記憶想起するだけで起こるということ。知らず知らずに起こるのです。とても厄介です。

なぜ、内臓反応に注目するのでしょうか。

それは、物事を効率よく行うため、パフォーマンスを最大限に発揮するため、さらには「自由に動く身体と心」のための重要な情報が隠されている、と考えているからです。

もう一つ言えば、脳が身体をコントロールするという一方通行の制御、つまり、トップダウンの制御だけで、物事はうまくいくとは到底考えられないからです。




その一つの例として、元MLBのイチロー選手の興味深いエピソードがあります。

MLBの試合で、イチロー選手がバッターボックスに立ったときのことです。それは、イチロー選手の意志とは別に、体が勝手にバットをスイングしてしまい、その結果ヒットとなったというのです。イチロー選手が言うには、そのとき頭の判断は「No」。しかし、バットがボールに吸い込まれるような感覚に陥り、体が勝手に、しかも絶妙なタイミングでスイングしてしまったのです。

これは、たまたま起こっただけ、ということでしょうか。

このような話は、けしてイチロー選手に限ったことではなく、さまざまなスポーツの世界のトップ選手たちにおいても、同様なエピソードを耳にすることがあります。例えば、こんな話は聞いたことあるでしょうか?:

試合中、さまざまな強烈なプレッシャーがあるにも関わらず、極度の集中により、もはや勝敗というものを越えてしまい、純粋に真理を追究するような感覚に入り込んでしまったときに、それは起こったと。

試合に直面している当事者であるにも関わらず、なぜか自分を体の外から眺めているような感覚が入り交じり、そこには「客観的な」自分がいると。もちろん、自分が主体的に行っているのだが、自分が受動的に動かされているのを客観的に眺めている自分もいる。そのような何も囚われない集中しきった感覚の中で、結果として、これまでにない最高のパフォーマンスを打ち出した ...

このような現象について、科学的根拠を求めるならば、スポーツ界で最近よく知られるようになった「ゾーン」という現象、心理学では、M. チクセントミハイ (Csikszentmihalyi) 教授が1990年に提唱した「フロー」という現象に通じるもの、と言うことができるかもしれません。

一方で、これは私の解釈では、内臓反応に対して客観性をもって受け入れることのできる状態となった、と考えています。

つまり、そこにはトップダウン制御を行う「主観的な自分」がいる一方、全体を把握した、このとき、ボトムアップによる制御や情報、すなわち、内臓反応をきちんと受け入れて識別できる「客観的な自分」がいるという絶妙なバランスの中で起こったことではないか、と。

話がだいぶ込み入ってきましたが、いずれにしても、理由はどうあれ、少なくとも言えることは、脳が身体をコントロールするというトップダウン制御だけで、常にトップ選手レベルのパフォーマンス、卓越したパフォーマンスを発揮することができるのか。どちらかと言えば、トップダウン制御だけではもはやできないのではないだろうか、ということです。

また、内臓反応に注目するもう一つの理由については、こちらです。


学術的なアプローチ


このようなボトムアップ制御のメカニズムの重要性を説く学術的な話として、実はこれまで、1890年代のジェームズ・ランゲ理論、1962年の情動の二要因理論、1991年および1994年のA. Damasio教授のソマティックマーカー仮説など、下位脳(ここでは視床下部)が上位脳(大脳皮質)を制御するという仮説が古くから示され、長い間議論されています。

ここで誤解のないように説明しますが、「上位脳が下位脳を制御する」というのは、誰もが疑うことのない周知の事実です。重要なポイントは、一方向性の制御、トップダウン制御だけで物事はすべてうまくいくのだろうか、ということです。

大企業を例に取ってみます。会社のエグゼクティブらは、会社のすべての方針を決め指揮します。しかし、これだけで会社はうまく回っていくのでしょうか。少し古いですが、某テレビドラマで「事件は会議室で起きているのではない、現場で起きているんだ!」というセリフ、「現場主義」「生涯現役」という言葉にあるように、現場からの声、現場で直接肌で感じて気づくことの大切さ、について広く歌われています。

このような観点から、私が取り組んでいるテーマは、下位脳と上位脳の相互作用であり、本研究では、特に、下位脳(内臓反応)が上位脳(認知機能)を制御するメカニズムを解明することを目的とします。これらは最終的には、成功するゴールへの行動様式 (successful goal-oriented behavior) を明らかにするものであり、将来、スポーツだけでなく、教育やビジネスへと応用されていくことが期待されます。

しかしながら、内臓反応がヒトの認知行動に直接コントロールする、という具体的な科学的根拠は、残念ながら乏しいのが現実です。一方、認知行動が内臓反応に影響を及ぼすことは明らかで、数多くの科学的根拠が存在します。例えば、上記にもあるように、動物が恐怖記憶を思い出したとき(上位脳の作用)は、トップダウン制御により、心拍数の増加、血圧の増加、呼吸数の増加、すくみ反応という内臓反応が起こります。それとは反対に、心拍数・血圧・呼吸数が増加しただけで、例えば、課題の正解率が悪くなるとは、科学的アプローチを用いれば、ほぼ間違いなくそうはならないでしょう。

それにも関わらず、私たちは、呼吸のあるタイミングが認知低下を引き起こすことを発見しました(そこに至るまでの取り組みについては、2019年3月の雑誌にて紹介)。

呼吸が認知低下を引き起こす


本研究では、内臓反応として「呼吸」に注目しています。2018年9月、私たちは、呼吸のタイミングが認知低下の原因の一つであることを発見し、国際科学誌に発表しました:https://doi.org/10.1371/journal.pone.0204021

これまでの国内外の研究では、呼吸と認知機能が密接に関係するとはわかっていましたが、呼吸が直接、認知行動をコントロールするとは考えられておらず、示されていませんでした。今回明らかになったのは、思い出したり識別したりするプロセスの最中に、息を吐いて吸う、その切り替えポイントが重なった場合、顕著にその能力が低下した、というものです。具体的には、思い出したり識別したりするのがおよそ0.5秒遅れ (p=0.003)、その正解率は、なんと21%も下がってしまった (p=0.004) という驚くべき結果です。

これらの成果に基づいて、私たちは今後、呼吸がどのように認知機能を制御するか、その脳内メカニズムについて明らかにしていきます。



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